オマケ 恋人の喜ばせ方

第30話 雨宮雫は喜ばせたい


「大地くんは何をしたら喜んでくれる?」


 とある休日。

 自室のベッドで寝転がりながら漫画を貪り読んでいた俺に向かって、本棚の傍でスマホをぽちぽちいじっていた雫が突然そんなことを言ってきた。

 感情の薄い瞳を向けてくる恋人に対し、俺は体を起こしてベッドの淵に座り、漫画を傍に置く。


「どしたの突然」

「私は彼女として大地くんを喜ばせたい。何をしたら良い?」

「何をしたらって言われても……」


 正直な話、雫と一緒に居られるだけで俺はかなり嬉しい。彼女の横顔をすぐ近くで見ているだけで心は弾むし、彼女の声を聴いているだけで思わず頬がにやけてしまう。それ程までに今の俺はこの状況に大満足している。

 俺は今、世界で一番幸せだ。

 なのにこれ以上何かを望むのは、流石に強欲が過ぎると思う。


「別に何もしなくていいよ。君と居られれば、他には何もいらねえ」

「いやらしいことも?」

「……い、今はまだ、何もいらねえかな」


 よっし、よく耐えたぞ日野大地! 男としては不正解かもしれないが、彼氏としては一〇〇点満点の解答だった気がする! 性欲に屈するばっかりじゃなくちゃんと恋人のことも考えられる誠実な男であることをしっかりアピールしていかねば!

 ベッドから降り、雫の目の前まで歩み寄り、彼女と目線を合わせながら頭を撫でる。


「でも、ありがとな。その気持ちだけで俺は嬉しいよ」

「…………」


 納得いかなそうに頬を膨らませる雫。怒るというよりも拗ねている、という感じだろうか。リスみたいで少し可愛い。

 彼女の髪の感触をここぞとばかりに堪能した後、俺は部屋の扉に向かって一歩踏み出しながら、


「じゃ、俺はそろそろ夕飯の支度をしてくるよ。完成したら呼びに来るからゆっくりしててくれ」

「ん、分かった。待ってる」

「おう。んじゃなー」


 ひらひら手を振り、部屋を出る。

 さて、冷蔵庫の中にはどんな食材が入っていただろうか――。



     ★★★



「……やっぱり大地くんを喜ばせたい」


 愛しの日野大地がキッチンへ姿を消してから数秒後。

 雫はベッドの上で仰向けになりながら、眠たげな瞳でスマホをぼーっと見つめていた。


「彼氏を喜ばせる方法なんてネットを探せばいくらでもある。でも、私が喜ばせたいのは架空の誰かじゃなくて大地くん。ネットの情報なんて当てにならない」


 実際は万人に通用する方法が記載されているはずなので当てにならないことはないのだが、少々頑固な雫の考えが変わることはない。


「お義父さん……は、出版社で缶詰していると大地くんが言っていた。巡坂くん……の電話番号もラインIDも分からない」


 彼との付き合いが長い、または彼について詳しい人物への連絡手段がなさすぎる。……というか、そもそも雫は友達が少なすぎるのでこういう時に頼れる人がほぼいなかったりする。


「もう少し友達作りを頑張っていれば良かった……ん?」


 死んだ瞳を浮かべながらスマホの画面をスクロールする彼女の手がピタリと止まった。


「森屋、紅葉……?」


 それは、『雨宮雫様を幸せにしたいの会』会長を名乗る同級生の名前。友達、とまではいかないがそれなりの知り合いではある――しかし、彼女と連絡先を交換した覚えは雫にはなかった。


「大地くんが登録したのかな……」


 割とホラーな展開なのだが、若干天然が入っている雫は少しも不思議に思わない。

 むしろ、この異常事態を好機とまで思ってしまっていた。


「そうだ。森屋さんなら良いアドバイスをくれるかもしれない」


 自分と大地が結ばれるお膳立てをしてくれた人だ。優しくてとても頼りになることはよく知っている。ちょっと頭がおかしいが、まあ特に問題はない。

 そうと決まればなんとやら。

 雫は紅葉の連絡先をタップし、通話を開始。

 ワンコール目で繋がった。


『はい、森屋ですけど――』

「こんばんは」

『!?!?!?!? げほげほごほごほひっくうっぷげほげほごほごほごっっっごおおおおお!!!!』

「だ、大丈夫?』」

『し、しししししししししし雫様ああああ!?』

「うん、雫です。こんばんは」

『こ、こんばんは……あ、ま、待ってください! い、今の、もう一度言ってもらってもいいですか? こんばんはって!』

「??? こんばんは」

『フヒッ……あ、ありがとうございますありがとうございます! よっしゃああああああああ雫様の超激レアボイスゲットォオオオオオオオオオオオオオーッ!』


 やっぱり変な人だと雫は思った。

 だが、今は彼女の異常さに驚いている場合じゃあない。何としてでも大地を喜ばせる方法についてのアドバイスをもらわなくては。


「あの、今、時間ある?」

『あ、ありますあります! むしろ雫様のためならたとえどんな急用が入っていたとしても即ドタキャンです!』

「良かった」

『と、というか、どうしてあたしの電話番号を……?』

「私のスマホにいつの間にか登録されていた」

『(そういえば雫様と体育の授業が一緒だった時、隙を突いて勝手に登録したんでした……ちょっとやりすぎたかなとは思いましたが、こうして雫様と電話ができるなら結果オーライ! あの時のあたし、ぐっじょぶです!)』

「森屋さん?」

『は、はははははい何でしょう! あたしのスリーサイズでもお教えしましょうか!?』

「要らない」

『はうんっ! 容赦のない即答……SHI☆A☆WA☆SE☆』

「……テンションおかしいけど、本当に大丈夫?」

『だ、大丈夫です。何も問題ありません。森屋紅葉、至って平常です』

「それなら良かった」

『(雫様ほんまに優しいですわあ……優しさが身に沁みすぎてエセ関西弁になってしまいますわあ……)』


 何か聞こえた気がするが、タイムリミット夜ごはんまで時間がないので、雫は無視して会話を続ける。


「大地くんのことで相談があるんだけど」

『え、あのゴミやろ――もとい、日野大地がどうかしたんですか?』

「今ゴミ野郎って言いかけなかった?」

『言ってません。それで、再びの質問ですが、日野大地がどうかしたんですか? もしかして、また雫様に酷いことをしたとか……ッ!?』

「ううん、違うの。大地くんを喜ばせる方法がないか、探してるの」

『日野大地を喜ばせる方法、ですか?』

「うん。恋人として、彼女として、そして許嫁として、大地くんを喜ばせたい。……でも、私はその方法が分からないから、アドバイスが欲しい」

『日野大地羨ま死ね……(ボソッ)』

「何か言った?」

『いえ、何も。ですが、そういう相談事なら是非是非あたしにお任せください。こう見えてもあたし、人の悩み事を解決することには自信がありますので』

「知ってる。私と大地くんが付き合えたのは、あなたのおかげだから。頼りにしてる」

『あ゛た゛し゛も゛う゛死゛ん゛て゛も゛い゛い゛て゛す゛う゛う゛う゛う゛!』

「アドバイスをもらってないから、それは困る……」


 喜びに打ち震える紅葉の気持ち悪い声に、雫は思わず困り顔を浮かべた。


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