第29話 雨宮雫は××したい


「……た、ただいまー」

「…………ただいま」


 無事に仲直りを遂げ、太陽が傾く前に帰宅した俺と雨宮さんだったが、今になってとてつもなく気まずい空気に包まれてしまっていた。


「と、とりあえず足も汚れてるだろうし、シャワーでも浴びてきたら? 俺は部屋に戻ってるからさ」

「ん……」


 真っ赤に腫れた目を手の甲でくしくし擦りながら風呂場へと歩いていく雨宮さん。さっきまで町中に轟くような大声で泣き喚いていたのだ、体力もかなり失っていることだろう。もう今日は早めに就寝いただいた方がいいかもしれない――


「何だ。ついに雫ちゃんにフラれたのか?」

「何度も言ってるけど音一つなく背後に現れるのやめてくんない!?」


 飛び上がりながら振り返ると、そこにはサプライズに命を懸けている我が親父の姿が。

 筋肉達磨なおっさん小説家は太陽のような笑みと共にコンビニ袋を掲げながら、


「いやあ、ナーイスリアクション。お前は本当にオレの期待を裏切らないなあ」

「嬉しくねえ……つーか部屋で小説書いてたんじゃねえのかよ」

「小腹が空いたからちょっとコンビニにな。どうだ、お前も食うか、焼き鳥?」

「マイペースここに極まれり……」


 洗面所に移動して手を洗い、痛む頭を押さえながら居間へと足を踏み入れる。

 テーブルの上には焼き鳥――だけじゃなく、ケーキにピザにタコ焼きと多種多様な御馳走が所狭しと並べられていた。


「よう、準備はすでにできてるぜ!」

「何で宴会モードなの?」

「雫ちゃんにフラれたお前を慰める会をするから」

「いや、俺フラれてねえんだけど」

「フラれてないってことは、もしかして告ってオーケー貰えたのか!?」

「……悪いかよ」

「悪くねえ! 悪くねえが……くぅーっ、見たかったあ! 小説の題材にしたかったあーっ! なあ、どういう風に告白したんだ? ちょっとお父さんを雫と思って再現してみてくれよ、な!?」

「絶っっっっっっっっっっっっ対に嫌じゃボケェ!!!!!!!!!!!」


 イイ年したおっさんと男子高校生による取っ組み合いのどったんばったん大騒ぎがスタート。しかし筋肉達磨に中肉中背の俺が力で対抗できる訳がなく、開始数秒で組み伏せられてしまった。


「くはは。このオレに力勝負を挑んだのは間違いだったなあ!」

「じ、実の息子に本気で関節技を仕掛けてくるヤツがあるか!」

「男と男の勝負に親も子もあるか! さあ、どんな告白をしたんだ? お父さんにちょっと教えてちょうだいなっと!」

「そ、そんな恥ずかしい暴露をするぐらいならここで舌噛んで死んだ方が何倍もマシだっつの!」


 実の父親に許嫁への告白を事細かに説明するだなんて、軽く十回は死ねるぐらいの拷問と言っても過言じゃあない。

 拘束から抜けるべく必死に抵抗するが、圧倒的な腕力差によりそれも叶わず。万事休すか――そう思ったまさにその瞬間、


「……二人とも、そこで何をしているの?」


 愛しい救世主が現れた。



     ★★★



「いやあ、あっはっは。まさかコイツがそんな大胆な告白をするとはなあ! お前も案外やるじゃねえか、大地!」

「背中を叩くな傷を掘り返すなこっちを見るなぁぁぁ……」


 雨宮さんの登場により関節技から解放された俺だったが、雨宮さんが親父に告白についてすべて洗いざらい吐いてしまったことにより、結局圧倒的なまでの羞恥心に押し潰されそうになってしまっていた。

 親父は缶ビールを呷ると、「ぷはあっ!」と超絶おっさん臭い声を上げる。


「だが、まあ、これで心置きなく許嫁になれるってもんだな! なんてったって二人は愛し合ってるんだからな!」

「愛しッ……ま、まだ告白しただけだっつの……」

「ああん? 告白をオーケーされたんだからもう晴れて恋人同士だろうが。恋人同士ってこたあ愛し合ってるってことだ。違うか?」

「愛し合うとか重い言い方すんな雨宮さんに迷惑だろうが……」


 いくら恋が実ったとはいえ、俺達はまだ結ばれたばかりだ。「好き」が「愛してる」に変わるまではまだかなりの時間を要するはず。それなのに周囲から煽られていては、俺はともかく雨宮さんにとっては迷惑でしかないだろう。

 そう思い、自分なりのフォローを入れたつもりだったのだが、当の雨宮さんは少し不機嫌そうに頬を膨らませると、


「別に迷惑じゃない。私は日野くんを愛してる」

「ッ……」

「ヒューッ! 雫ちゃんは大胆だねえ。それに比べてオレの息子はどうだ。男ならドドンと愛を肯定してみせろってんだ」

「みせろってんだ」

「……あーもーはいはい分かった分かりました分かりましたよ! 俺は雨宮さんを愛してます! これでいいか!?」

「ヘヘッ、やりゃあできるじゃねぇか……」

「(ポッ)」

「嬉しそうに鼻を掻くなうっとうしい! そして雨宮さんは無言で頬を染めるな! 羞恥心のあまり首を吊りたくなっちまうから!」


 テーブルの上で項垂れつつ、やけくそ気味に焼き鳥を頬張る。からかわれ過ぎて美味いものでも食べていないとやってられない。多分俺、大人になったらやけ酒やけ食いするタイプだよな。未来の話なんて分からないけど、そうなっちまう確信だけは何故かある。


「そういやあよお、さっきの話にゃ出てこなかったが、雫ちゃんは大地のどこに惚れたんだあ?」

「いきなり何聞いて――って顔真っ赤じゃねえか! 缶ビール何本開けてんだよ! 飲み過ぎだぞ!?」

「ばあか。オレはまだ素面だっつの。で? で? どうなのよ雫ちゃん。コイツのどこに惚れちゃった訳?」


 真っ赤な顔でだる絡みする親父のことなど放っておけばいいのに、雨宮さんは頬を仄かに染めつつも親父の問いに律義に答えた。


「日野くんはとても優しい。それと見ていて飽きない。面白い。私は面白くない人間だから、日野くんを見ているととても楽しい気分になれる」

「ほおお。だってよ大地。お姫様はお前が優しくて面白い男だから惚れたんだとさ」

「い、いちいち復唱しなくても聞こえてるっつの……」

「顔が赤い。喜んでる?」

「……喜んでるよ」

「嬉しい?」

「……嬉しいです」

「ん。良かった」


 満足げに微笑みながら俺の頭を撫でる雨宮さん。ナニコレナニコレナニコレ!? 恥ずかしさと嬉しさで頭と心臓が爆発しそうなんですけど!? こんなに幸せで大丈夫なの!? 明日通学途中にトラックにひかれて異世界転生したりしない!? 本当に大丈夫!?


 ——パシャ。


「よーっし。からの送信ーっと」

「ちょっと待てクソ親父! 今何の写真を撮って誰に送りやがった!?」

「息子が恋人に甘やかされてニヤニヤする姿を写真に撮って枝折に送り付けてやったんだよ」

「ああああああああああ俺の醜態が身内にどんどんばらまかれていくうううううううううううううう」


 ちなみに『枝折』というのは俺の母親の名前である。現在単身赴任中で、家には半年に一度ぐらいしか帰ってこない。——が、寝る前にいつも親父と電話しているらしい。イイ年なのになんともおアツイ夫婦である。


「お、返信来たぜ。なになに……『やーんかっわいーいー♡♡♡ 今度帰ったらめいっぱいからかっちゃおー♡♡♡』だとさ」

「三十過ぎたおばさんがハートマーク連打してんじゃねえよ……」

「『家に帰ったらお前を殺す』だってよ」

「何で息子の軽口まで律義に教えちゃってんだよ! つーか実の母親が言って良いセリフじゃねえよそれ!」

「がはは。まあそう怒るな。アイツもアイツで喜んでんだからさ」


 スマホ片手に豪快に笑うと、親父はテーブルの上にあった缶ビールの中身を一気に胃の中に流し込み、そしていきなり立ち上がった。


「うーっし、じゃあオレはこの甘いラブラブ話をオカズにちょっくら原稿書いてくるわ」

「料理とかまだ全然残ってんだけど……」

「お前ら二人で全部食っちまってくれ。……それに、せっかく結ばれたんだから二人きりの時間も必要だろ? 後は若いお二人でーってな」

「若いお二人でーって、お見合いの席じゃねえんだから……」

「がはは。一度でいいから言ってみたかったんだよ。んじゃなー」


 ひらひら手を振りながら、親父は自室へと去っていった。

 ずっと喋り倒していた親父が消えた居間に静寂が訪れる。勢いに流されるがまま話していたが、俺達はまだ気まずい空気から脱した訳じゃあない。ぶっちゃけた話、まともに目すら合わせられない状態なのだ。

 ——が、流石にこのままという訳にもいかないので、すぐ近くで視線を彷徨わせている雨宮さんの傍まで移動し、自ら率先して静寂をぶっ壊すことにした。


「い、色々と好き勝手言うだけ言って去っていきやがったな、親父のヤツ。俺達の気も知らないで……なんかごめんな、雨宮さん」

「……雫」

「え?」

「私の名前、雫。本当の意味で許嫁になったんだから、いい加減、名字じゃなくて名前で呼んでほしい」


 上目遣いでこちらを見てくる雨宮さん。シャワー上がりで湿った髪がとても色っぽく、思わずドキリとしてしまう。


「な、名前、って……あ、雨宮さんだって、俺のこと名字で呼んでるし……」

「……大地くん」

「っ」

「大地くん、大地くん、大地くん。……これで良い、大地くん?」

「…………あーくそ、そういうのは卑怯だろ」


 可愛い。可愛いが過ぎる。

 だから抱き締めることにした。


「んっ……」

「……雫」

「っ……もう一回」

「雫」

「もう一回」

「雫」

「……はい」


 雨宮さん――いや、雫は短く返すと、俺を抱き締め返してきた。その瞬間、彼女の豊満な胸部装甲が押し付けられ、俺の理性その他諸々が危なくなるが、この良い雰囲気を崩したくないのでぐっと我慢することにした。


「大地くんをこんなに近くで感じられるなんて夢みたい……」

「ゆ、夢なんかじゃねえよ。これは現実だ」

「ん、知ってる。これからは好きなだけ甘えられることも知ってる」

「……時と場合は考えてくれよ」

「善処する」

「頼むから学校ではやめてくれ……」


 クラスメイト達に殺されるから。


「……ねえ、大地くん」

「何だ?」

「キスしても、いい?」

「……………………まだ早くない?」

「早くない。私はあなたとキスがしたい」

「付き合ってからまだ半日と経ってないんだけど……」

「大地くんは私とキスするの、嫌?」

「…………嫌な訳ねえです、はい」

「じゃあ、何も問題ない」

「もう好きにしてくれ……」


 自分の顔色なんて分からないけど、きっと耳の先まで真っ赤に染まっていることだろう。頭がぼーっとするぐらい顔が熱くなっているから、わざわざ見なくたって分かるというものだ。

 雫は俺の背中から肩へと手を移し、俺の目を真っ直ぐ見つめる。


「じゃあ、いくね、大地くん」

「っ」

「……むぅ。目を開けてほしい」

「わ、分かりました……」

「ん、よろしい」


 満足げに微笑んだかと思ったら、その直後、俺の視界が彼女の顔で埋め尽くされ――


「んっ」


 ——俺の唇に柔らかな感触が走った。


「ぷはっ……ファーストキスはレモンの味がすると聞いていたけど、焼き鳥の味しかしなかった」

「せ、せめて歯を磨いておくべきだったっすね……」

「別に構わない。むしろ、唯一無二は大歓迎」

「……そういうのほんとずるいって……あーくそ、好き……」

「私も大地くんのことが好き」

「言われなくても痛いほど分かってるって……」

「ん。大好き。——これからもずっと大好きだよ、大地くん」


 そう言って、雫は再び俺の唇を奪うのだった―――。






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