第13話
公園を出た。狭い道なのに遠くから馬車が走る音が聞こえる。少女が少年に手を振った。少年はぎこちなく少女に手を振り返す。少年と少女を引き離すように強い風が吹き、少女の髪の毛を乱す。少年は少女の遠ざかっていく背中を眺めていた。そしてくしゃみをした。ひどく寒い。さびしい。
少女は髪の毛を整えながら歩道をゆっくりと歩く。馬車が少女に近づく。スピードを落とすことなく歩道に乗り上げると、そのまま躊躇なく少女の体に突っ込んだ。
大きな衝突音とともに少女の叫び声が聞こえてきた。馬の嘶きが響き、驚いた近所の住民が家から出てくる。少年は走って少女の体に近づいていた。
少女を轢いた馬車の中から髭面の男が顔を出し、少女の死を確認すると薄ら笑いを受けべた。
「恨むならパパを恨みな、お嬢ちゃん」
そう言い捨てて黒い馬車は付着した血も気にせず奔放した。
横たわる少女の腹からは腸が露わになり、どくどくと大量の血液が溢れ出す。腕や足は不自然な方向に曲がり、美しい彼女の髪の毛が土と血で汚れた。瞳は虚ろに開かれたままである。口元には吐瀉物が散らかっていた。今まで何体も死体を見てきた少年はこの肉体が動かなくなった臭いに慣れていた。周囲の人々が医者を呼び、少女の保護者を探し、道路を掃除しようと騒々しい。眉毛の凛々しい青年が近づいてきて、彼女の名前を叫んだ。背格好からして少女が語った「アラン」なのだろう。彼は少女の死体を抱いて泣き叫んでいる。少年は無表情のまま、2人を眺めている。ああ……と声を漏らす少年の視線の先には少女が履いていた靴が落ちていた。橙色の硝子の欠片。この場に不釣り合いなほど美しく輝き、少年を呼ぶ。少年はゆっくりと歩いて靴を拾った。
「こんなもの、欲しくはなかった」
少年は靴から硝子の破片を取った。手のひらにのせたそれは傷ひとつなかった。まるで彼女の暖かな微笑みのように輝いていた。幸福とは一体何だったのだろう。僕、そして少女の人生は何のためにあったのか。少年は強く硝子を握り、目を閉ざした。すると極めて小さな高音を立てて少年の体は腰から砕けた。あたかも彫刻だったかのように少年の体はさらさらと粉々になって白く散った。少年の体は白銀の砂や小さな砂利の山となった。そこに人間が存在していたなんて誰も思わない。
その晩は雪がしんしんと降り積もった。少年の体の上にも等しく雪が降る。少年の体だった白い砂は雪に交じて消えた。少年のリュックの中で眠っていた橙色の硝子の破片は人間が見ていない間に世界のどこかへ飛び去った。硝子は次の持ち主のお迎えを待っている。
幸福 清水優輝 @shimizu_yuuki7
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます