第12話

 この日は少女の方が先に公園に来ていた。少女は初めて少年と会った日と同じ、美しいドレスを着て、ケープを羽織っていた。そして橙色の靴飾りを靴に付けている。今晩少女は許嫁と食事に行く。少女は乗り気ではないが先方と父親には逆らえない。「こうやって綺麗なお召し物を身に纏えることだけが喜びね」と腕にあしらわれたビジューを撫でた。雲が黒々と厚く重なっており、どんよりと暗い。少年は少女の座るベンチの隣に腰かける。木々は葉をすべて落とし、風は肌を切るほど冷たくなっていた。寒いね、寒いね、と2人は手をこすり合わせる。他愛のない話をぽつぽつと繋げると、少女は突然しゃべるのを止めて大きなため息をついた。それまで笑っていた顔に影が落ちる。

「実はね、もうこの町からお別れするの」

「また旅に出るの?」

 いつか別れが来ると分かっていたが、やはり寂しい。

「ええ、まあそうね。結婚するのよ。新婚旅行で海外をいくつか回って、妊娠して、その後は婚約者の生まれ故郷に戻って子どもを育てる。父は変わらず、家族を連れて旅をするでしょうけどね」

「そうなんだ」

「ええ。あなたとこうして過ごすのはとても楽しかったよ」

「僕も。エリスの人生が幸せだといいな」

 少年は心からそう思った。少女はありがとうと言って微笑むだけだった。泣き出すのを我慢しているようで、鼻の頭が少し赤くなっている。

「結婚式の日取りが決まったとき、私、アランに手紙を出したの。もう私のことは忘れてちょうだいって。お互いに不幸になるだけだわ。結ばれない運命だったのよ」

 少女は自分のおなかをさする。少年は否定も肯定もせず、黙って聞いている。

「でも、そうしたらアランから 『すぐに君を迎えに行くからね』ってお返事が届いて。私、その日はメイドに隠れて泣いたの。何度も何度も、涙が枯れるくらい泣いて、それでも涙が出て。アランがそんな風に言ってくれるなんて思ってもいなかったの。でも、アランは現れない。到着しててもおかしくないのに。でも、これでよかったのよ。アランは来ない。私はあの男の家に嫁ぐ。それが正しい。そうでしょう」

 少女は少年の瞳をまっすぐに見つめる。まるで少年の気持ちの奥底まで覗き込み、少女の望む答えがそこにあるか探しているようだった。少年は曖昧な返事しかできない。アランはどこかで事故に巻き込まれているかもしれない。少女に手紙を出した後、怖くなって逃げ出してしまったのかもしれない。そんなことを少年は思っても少女には言えない。少年は、自分がアランの立場だったらどうするだろうかと想像してみる。きっと許嫁を殴る。二度と少女に暴行しないように殺してしまうだろう。でも、そうしたら少女はどうなってしまうのか。父親から絶縁され、家族から追放され、今の僕のような生活を送ることになるかもしれない。少年は必死に少女の幸せについて考える。今ここで少女を誘拐してしまおうか。ここで姿を消して、2人で新しい人生を始めるのだ。でも、どうやって。家もないこんな僕がどうやってエリスを守れるというのだろう。僕にはできなくとも、アランにはできるのかもしれない。しかし、アランはここにはいない。頭の中で少女とアラン、そして自分自身のことを思い巡らせるが結論を出せない。体が動かせない。少女の幸せを誰よりも祈っているのに。少年は何も決断できずその場に立ち尽くしているだけだった。

 少女はそんな少年の態度を見て、目を逸らした。落胆していた。少女は最早、彼女を取り巻く現実から逃げ出せるのならアランでなくてもよかった。誰かに「エリス」であることを剥奪されたかった。名前がないという少年になら、ここではない違うどこかに連れて行ってくれると少女は淡い期待を抱いていた。おとぎ話を信じる子どもだったのだ。少女には王子様は訪れなかった。絵本の主人公ではなかった。それならば、と少女は思う。

 少年はポケットに入れた硝子の破片が詰まった革袋を握りしめている。少女は何度か時計を見て、時計の針が進むのを見ている。雨が降りだしそうな匂いがする。 

「ね、とにかくそういうことだから、あなたと会ってお話できるのも次が最後かもしれないね。」

 少女はにっこりと笑ってみせたが、いつもよりも不自然で作り笑いであることが少年には分かった。

「もう時間だから帰るね。また会いましょう」

 少年は公園の出口まで少女を見送る。少女の歩くスピードに合わせて歩幅を小さくして歩く。少女の頬に涙が伝う。少女が何かを口にしたが風に消されてしまった。少女の靴飾りが一瞬光を放って輝いた。

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