妻殺し

鹽夜亮

第1話 妻殺し

「何故奥様を殺されたのですか」

 女が私に尋ねる。その女は、若く、清潔感に包まれながらも官能的な芳香を放っていた。実に健康的な肉だ、と感じた。

「ああ、その話の前に煙草を吸わせてくれ。食後の習慣でね」

 私は、数種の煙草のストックの中から食後に相応しい、強めのメンソールのものを選び取り、マッチで火を点けた。

「貴方は異常者です。何故この状況で煙草など…」

 女は憎悪を込めて私を睨んだ。私はそれをどうとも思わなかった。

「この状況?食後に煙草を吸うのは習慣だ、と言ったはずだ。それ以上に重要なことなど、この部屋の中にあるかね?」

 私は何も感じていない。ただ煙草だけがステーキの血腥さを打ち消して、芳しく香っている。

「奥様の死体を前にして、ましてやその腹を開き…これ以上のことなどございますか!」

 女は激昂している。面倒だと思った。煙草がフィルター近くまで燃え尽き、私は次の一本に火を点ける。

「料理の材料の肉を片し忘れただけだ。何の問題があるというのだ?確かに客人を招くのには些か散らかっているが…それは君が不躾に突然訪ねてくるのが悪かろう。それに、そこに転がっているのは肉だよ。肉。ただの肉だ。味は酷いものだったが」

 目の前の女が絶句したのを感じ、私はそこに一抹の人間を見出した。しかし、その感情は一度煙を吐き出した後、すっかりと消えてしまった。

「この肉は不貞を働いてね。私が帰宅した時、どうも男と楽しくしていた最中だったようだ。私にとってその瞬間、妻は肉になった。スーパーで安売りされている鶏肉と何ら変わらん肉だ。だから、料理して食べることにした。でも、なにぶん人間は大きいからね。縛り上げるのにも苦労したよ。雄は取り逃がしてしまったが…まあ雄の肉は美味しくないと聞く。そもそも私は小食だし、食べられる量は多く見積もっても三百グラムといったところだからね。だから雄の肉を逃したことはどうでもいいことだ。目の前には雌の肉が転がっていたことだし。私は腹が減っていて、ちょうどステーキが食べたい気分だった。屠殺はなるべく苦痛を少なくしなければならないから、縛り付けた後に家宝の刀で首を落としたよ。血抜きもすぐにできて、実に軽やかにことは運んだ。ただ残念なことに、この世界では人間の調理法を記した書物やら何やらはほとんどなくてね。どの部分を焼くか、悩んだよ。美味な夕食のために悩むというのは、実に健康的な悩みだ。私はその苦悩を楽しみながら、肉を解体してその肉質を直接触って確かめていった。大腿部がちょうどいい脂身を持っていたよ。だから、そこにした。塩胡椒を多めに振って…ああ、確かに薄味の方が上品だし肉の味がわかるが、なにぶん私はスパイシーな味付けが好みでね。それからベリーレアに焼き上げた。結果として、見た目は素晴らしい出来になったよ。まるで上質な牛のサーロインステーキのようだった。だがまあ…味は酷かったね。人間は初めて食べたが、なぜ食用にされないかよくわかったよ。硬いし臭いし、何やら薬品のような後味がするし、酷い夕食だった。ああ、そういえば昨晩妻が作ってくれた肉豆腐は美味しかったなあ。よく豆腐に味が染みていて、あれは素晴らしい出来だった。まあ、昨晩の話はともかく、出来は酷い味のステーキだったけれど、私はしっかり完食したよ。料理を残すのは食材に申し訳ないからね。まあそんな顛末で、私は後味の悪いステーキを食べ終え、さて一服をしようかと思っていたところに君が慌ただしく駆けつけてきたのだよ。せめてあと三十分遅く来てくれれば、ゆっくり一服ができたのだけれどね」

 女が嘔吐した。それを見て私は汚いと思った。妻がいない以上、そのカーペットを洗うのは私の仕事になる。面倒なことだ。私は三本目の煙草に火を点けた。

「大丈夫かい?吐き気止めならそこの戸棚にあるよ。好きに飲みたまえ」

「狂っている!!!!!貴方は!!!!」

「狂っている?」

 女が喚き散らすのを酷く醜いと思った。面倒だから、この肉も食べてしまおうかと一瞬悩んだが、私の胃袋は既に満たされていた。だから、やめた。

「人間など皆狂っているよ。命は平等とよく我々は言うだろう?なら、我々が毎日のように食卓に上げている鶏肉やら牛肉やらと、人肉との間にどんな違いがあると言うのかね?人間とて肉だよ。その尊厳たるものを失ってしまったのなら、ね。ただまあ、お勧めはしないよ。単純に美味しくないからね」

 私は、後ずさりする女を眺めながら、三本目の煙草を吸い終え、冷めた珈琲を飲んだ。

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妻殺し 鹽夜亮 @yuu1201

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