第1話 「仕方がねェよ」

「ミハイル、準備できた?」


 時刻は18時40分。

 ヨハンは扉の前でミハイルを振り返り、小首を傾げて問いかけた。彼は式用のローブは脱ぎ、シャツの上に実家から持ってきたマントを羽織っている。

 ミハイルは読んでいた本を机の上に置いて、視線を上げた。


「ほんとに行くのか」

「そりゃあ行くよ! 学園で初めてのイベントだよ?」

「……ヨハンがそう言うなら」


 少々気怠げに、ミハイルは腰を上げた。

 入学の儀を終え、彼らが同室だと発覚してから約2時間。

お互い人付き合いがうまいというわけではなかったが、道中でかなり打ち解けたこともあり、ヨハンの学園生活はなかなか好調な滑り出しを見せていると言えた。

 この2時間でミハイルについてヨハンが知れたことは3つ。

 まず、本試験を通過して入学していること。本試験は学園の大広間を用いて行なわれる入学試験で、主に貴族の子どもがこれを利用した。付近に住んでいたり、裕福な家庭であれば一般家庭であっても本試験を利用することもなくはないので、一概にどうということは言えない。

 次にミハイルの方が年下であること。彼は今年14になるとのことで、学園に入学する年齢にしては少し早かった。

 最後に、彼が基本的に使う魔法が植物を扱ったものであること。

 ヨハンは氷の魔法を扱う。氷は基本属性のひとつであるため珍しくはないが、植物となるといくつかの属性を組み合わせることになる。

 属性を組み合わせた魔法は、普通学園で学ぶ間に習得していくものだ。それを既に扱えるということは、現時点でのミハイルの能力が、他の生徒に比べて頭ひとつ抜けていることを示していた。


「あ、待ってミハイル。ブローチが曲がってる」


 立ち上がったミハイルに歩み寄り、ヨハンは襟元を直してやる。

 大人しくされるがままになっているミハイルは、不思議そうに目の前の少年の顔を見上げた。ヨハンはその視線に笑みをこぼし、「じゃあ行こうか」と促す。

 部屋を出ると、ちらほらと歓迎会へ向かうらしい生徒達が歩いていた。

 ふたりはその流れに加わり、他愛のない会話を続ける。


「歓迎会って何があるんだろうね。先輩はたくさん来てるのかなあ」

「時間から考えて、ただの食事だと思う。理由をつけて騒ぎたいだけだ」

「みんなで食べるだけで美味しいし、俺はそれでもいいや」


 広間に着くと、中の様子は先程とは打って変わっていた。

 大きな長机がいくつも並べられ、椅子の数は数え切れない。高い天井には絢爛な灯りがいくつも吊されており、暖かな光で部屋全体を照らしている。そして、テーブルの上にはたくさんの料理が並べられていた。


「わっ、すごいなあ……! ね、ミハイル」

「まあ、うん」

「俺こんなにたくさん食べ物が並んでるところなんて見たことないや。そういえば体調は大丈夫?」


 ミハイルはこくんと頷くと、はやく座ろうとでも言うように、ヨハンの服の袖を引いた。

 ヨハンは出入り口に近い席を指すと、「あそこでもいい?」と尋ねる。出入り口に近ければ、例えまたミハイルの調子が悪くなってもすぐ外に出ることができる。そう思ってのことだった。

 再び頷いたミハイルを座らせ、ヨハンも席に着く。そうこうしている間にずいぶん人も集まってきて、午後7時をしらせる鐘が響くと、広間の扉はぎいと音をたてながら閉ざされた。


「なあ、悪ィがここ座らせてもらえるか?」


 歓迎会が始まる直前、声をかけてきたのは、変わった服を着た男子生徒だった。儀式用のローブを脱いでいる点は他と同じだが、シャツやズボンではなく、長袍を着ている。長身で、すらっとした服がよく似合っていた。

 周囲を見回してみれば、たくさんの場所から生徒が集められる事もあり、他にもヨハンにとっては見慣れない衣服を纏っている生徒がいるようだった。


「大丈夫だよ。いいよね、ミハイル」

「ヨハンがいいなら」

「あんがとさん。いや、ちと変なのに絡まれてよォ、遅刻するかと思ったぜ」


 男子生徒はからからと笑うと、ふたりの隣……ミハイルの横の椅子に腰をおろした。


「俺はヤン梓涵ジーハンって者だ。よろしくなァ」


 ヨハンとミハイルが名乗ると、彼は人懐こい性格なのか、笑顔のままミハイルに手を差し出す。ミハイルはじっとそれを見つめた後、おずおずと彼の手を取った。次いでその向こう側にいるヨハンにも握手を求め、ヨハンはこれに笑顔で応じた。


「そろそろ集まったやろか? ほなぼちぼち始めましょか」


 不意に声が響き渡り、広間はの喧噪はぱたりと止んだ。皆が席に着いた広間の中で、ただひとり、立ち上がって周囲を見回している女子生徒がいる。

 長い髪の隙間から、喉に魔法式が書かれているのが見えていた。


 ──魔法式とは、魔力に方向を与え、力を発現させる時に用いる式である。魔法を使うとは魔法式を書き何らかの効果を発生させるという事を指し、学園では、この式を頭に叩き込むところから授業が始まる。


広間に響くよう、魔法で声を大きくしているのだとわかった。灯りを受けて妖しげに輝く黒髪には、可愛らしい髪飾りが光っている。


「皆さんこんばんは。ウチは3年のハルいいます。今年で卒業やし、あまり会うことも無いかもしれへんけど、仲良くしてやってくださいね」


 ハルと名乗った彼女は、口角をくいと上げた。長い前髪に隠れて目元は見えないが、雰囲気からして笑っているのだろう。

 ヨハンはその姿を見ていると、頭がぼうっとしてくるように感じた。のぼせたような、ふわふわした気持ちになっていく。


「ずぅっとウチが話しててもあれやし、みんな理由付けて騒ぎたいだけやから、遠慮せんと楽しんでいってください」


 そう締めくくって頭を下げると、彼女に向けて拍手が起こった。辺りにはヨハンと同じようにぼうっとした様子で彼女を見つめている者が多くいる。


「くだらない」


 熱い歓声が飛び交う中、不意にヨハンの隣で冷たい声が落とされた。ヨハンが見遣れば、ミハイルは不快そうに眉を寄せている。

 何事かを問おうとして、ヨハンは声が出ないことに気が付く。その様子を見て取ったミハイルはさらに眉間の皺を深くして、自身のポケットからペンをひとつ取り出した。薄い緑色のガラスペンで、よく見れば蔦のような模様が刻まれている。

 ミハイルはヨハンの手を取ると、そこにさらさらと魔法式を書きこんでいく。


「っ、ぁ、ありがとうミハイル……!」


 けほけほと咳をしながら礼を言ったヨハンにミハイルは一瞬だけ微笑む。しかしすぐもとのように皺を寄せると、再び「くだらない」と呟いた。


「くだらないって、何が? 何か気に障ることでもあった?」


 眉を下げてヨハンが尋ねると、ミハイルはふいと料理の方を向いてしまう。代わりに答えたのは、梓涵だ。


「なァヨハン、おまえさん、あのハルって先輩見てたとき、変な感じがしなかったか? あたまがのぼせたみたくなって、他のことがどうでも良くなるような感じだ」

「ええっと、他のことがどうでもよくってのはならなかったけど、頭はぼうっとしたかな」

「そりゃァチャーム……魅了の魔法のせいだ」


 素直に答えるヨハンに対してにっこりと笑み、梓涵は断言した。


「えっ」

「まァからかう程度の軽いもんだが、タチが悪ィのは変わらんよな。見てみろ、かかってんのはだいたい新入生だ」

「本当に、吐き気がする。性根が曲がってるとしか思えない」


 自分の状況を理解して顔を赤らめながらも、ヨハンは「なんともないから大丈夫」とミハイルをなだめすかす。しかしヨハンが色々と弁解をしていると、むっと頬を膨らませ、彼はいつの間にか取り分けた野菜をつついた。


「あの女を庇うのか」

「そういうことではなくて、ほら、ううん……洗礼? みたいなものだろうしさ、そんなに怒らないで」

「別に怒っているわけじゃない。気に入らないから不快なだけ」

「それを怒ってるって言うんだよ……」


 ヨハンは困り果ててしまい、助けを求めるように梓涵の方へ視線を遣る。すると何かの肉を食べていた彼は、それを飲み込むと「仕方ねェよ」と言った。


「ヨハンが魔法に引っかかっちまったのも、ミハイルがチャームを気に入らんって言うのもな、どっちも仕方ねェことだし、今それを議論すんのも仕方がねェ。それよりほら、これ美味いぜ」


 梓涵は「ほら食え」と言いながら、ふたりの皿に先程の肉を取り分ける。

 彼の言葉に毒気を抜かれたような顔で皿を見つめるミハイルは小さく溜息を吐いてフォークを握り直した。その様子にほっと息を吐いたヨハンは、梓涵に「ありがとう」と笑む。

 落ち着くと途端にお腹がすいてきて、くう、と彼は腹の虫が控えめに主張を始めたことに気が付いた。


「いただきます」


 ヨハンは梓涵に勧められた料理を口に含む。それは今までに食べたことがないもので、彼は驚き目を輝かせる。


「ほんとに美味しいね、これ!」


 幼子のように輝いた表情をするルームメイトを見て、ミハイルはようやく表情を緩めた。緊張のほどけた空気の中で、彼らは語らいながら食事をすすめていった。

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黄昏の魔法世界で少年達は夢を見る 春咲雨 @harusame25

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