黄昏の魔法世界で少年達は夢を見る

春咲雨

プロローグ 魔法国家アルビオン

 その日、アルビオンの城内には7人の人間が集っていた。

 部屋の中は新雪のように白く、余計な物は何一つ置かれていない。カーテンから絨毯、窓枠に至るまで純白だった。

ただひとつ、中央の円卓だけは漆黒の大理石が用いられており、特有の稲妻のような模様が、この部屋には不釣り合いだった。

 卓を取り囲むように置かれた椅子の数は12。そのうち4席は既に埋まっていた。


「トルストイ、そういえばお前の次男坊は、ウェルタスの試験を受けたんだってな。どうだったんだ?」


 風変わりな帽子を被った男が口を開く。50代半ばといった具合だろうか? 人のよさそうな笑みを浮かべ、柔らかな視線は礼服を着込んだ男に向けられていた。

 ウェルタスとは、ウェルタス魔法学園のことである。

 国が運営している魔法使いを育てるための学び舎で、3年間で魔法のなんたるかを叩き込み、優秀な魔法使いを輩出するために存在していた。

 近年では、魔法使いとして将来生きていきたいという者はウェルタスを卒業していなければならないという条件が付けられるほど。魔法使いを目指す若者は増加する一方で、たいへん狭き門であった。


「おかげさまで、無事に合格したようだよ。あれもついに魔法学生だ」


 トルストイと呼ばれた男は、厳格な表情を崩さずに答える。

 彼はその場にいた7人の中では若いほうで、入口に比較的近い席に座っていた。


「あら、それは喜ばしいことですわね。お仕事にかまけていないで、お祝いして差し上げなさいな」


 口を挟んだのは、10代に見紛う可愛らしい顔をした女。彼女は自らの魔法で容姿を若く見せており、実年齢は誰も知らない。聞いた者は尽く炭にされるという噂があった。


「ラクロワ様、勘弁してやんなさい。この人、あまりに仕事に熱を入れすぎて、帰るに帰れなくなってるのよ」

「まあ、それはそれは。なおさら帰ってあげたほうがいいわ! きっと喜ばれるもの」

「しかし、今トルストイにいなくなられては、プリンケプスは大混乱だろうな。本当なら十分休む時間はあるはずなんだが、王妃殿下の手勢があまりにも働かないから……」


 好き勝手話をする3人に、トルストイはようやく苦笑のようなものを浮かべる。

 すると「王妃殿下」という言葉を聞きつけて、窓際で外を眺めていた1人が円卓に歩み寄った。


「ごめんねぇ、こっちの仕事なのに、森の守護者プリンケプス・ネムスにまで迷惑かけちゃって。ほんとうに、殿下はどうなさったのやら」


 眉を下げて笑ったのは、20代と思しき男。歴代のプリンケプス──王と王妃により選ばれた者に与えられる地位、称号のこと──のなかでも最も若いと言われている。名前を、ヴィクトル・メイエといった。

 プリンケプスは王、王妃に選ばれた12人で構成される。命令を受けるのが雲の君プリンケプス・ヌビルム星の君プリンケプス・ステルラの2名。

 さらに必要に応じて4名の者が政治に関わるが、残りの6人に与えられるのは、基本的に名誉のみ。

 守護者と呼ばれる6人の中でも、2人は他の守護者をまとめる意味合いも兼ねて公務と呼ばれるものが与えられる。しかしこれをこなすはずの山の守護者プリンケプス・ミネラが王妃よりプリンケプスの称号拝命して以来城に姿を現わさず、仕方なしにトルストイが肩代わりすることになったのだ。

 メイエは治療の指揮を執る泉の主プリンケプス・フォンスであると共に、山の守護者と同じ王妃に選ばれたプリンケプスである。トルストイよりも形式上の地位は彼の方が上だが、身内の失態のせいかいつも申し訳なさそうに接していた。


「仕方がないことだ。そもそも今日が入学の儀の日だから、今更帰ったところで間に合わない。それに山の守護者も、自ら名乗りをあげてなったわけではなかろう」


 トルストイの言葉に、海の守護者プリンケプス・マリナが、ちょっと待ったと声をあげる。


「仕方なくなんかねえよ。望んでなくてもなったなら腹ァ括って、やらなきゃいけねえことは変わんないの。殿下もさあ、山を指名したまんま放りっぱなしだし、同じ守護者として困るんだよな」


 トルストイと同じ歳の頃に見えるが、礼服をかなり着崩しているからか、印象は大きく違っている。しかし根は真面目なようで、職務を全うしない山の守護者のことは嫌っている様子が見受けられた。

 何も物を言わず、ただ周りの者の会話をにこにこと見守っていた老婆が、不意に扉の方へと顔を向ける。それに気付いた皆は押し黙り、各々が決められた席へと納まった。


「星と雲が来たようだ。さて、今日の議題は何になるやら」


 トルストイにはじめに声をかけた男──大地の守護者プリンケプス・テラは呟いた。



 ところ変わってドウトゥ地方にあるウェルタス学園の大広間では、同じ頃、今まさに入学の儀が執り行われている最中であった。

 新入生は整列させられ、皆緊張した面持ちで立ち尽くしている。

 ジャボットの付け根にはブローチがあしらわれており、ここには学年に応じて石をはめ込むようになっている。新入生の胸元には、灯りを受けてルベライトが赤く煌びやかに輝いていた。

 辺りを落ち着きなく見回す者、じっと学園長の顔を見つめる者と様々ではあったが、これからの3年間に期待を膨らませている者がほとんどだろう。

 その中でもヨハン・ウォーベックは、入学を祝い、歓迎する言葉など耳にも入らない様子で、特に緊張しているのがよくわかった。

 背中まで伸ばされた髪は、春の夕方のような薄紫色をしている。髪と中性的な顔立ちのせいで少女に見紛いそうになるが、歴とした男であった。

 彼にとって、魔法学園は憧れだった。幼いときに魔法に魅せられて以来、片時も忘れず、夢に見ていた場所だった。


 ──地方推薦枠とはいえ、本当に入学できるなんて。


 ヨハンは式用のローブのポケットに触れた。すると中に入っていたものがカサと音をたてる。その音に勇気づけられた彼は、まっすぐに学園長の顔を見据えた。


「──であるからして、諸君は将来アルビオンに貢献するため、いかなる時もウェルタス学園の生徒であるということは忘れずに勉学に励んでいただきたいと思います」


 学園長が座ると、大広間には割れんばかりの拍手が響いた。

 ヨハンも周りを見て慌てて拍手をし、もう一度学園長の顔を眺める。

 学園長は、彼が想像していたよりもずっと若かった。魔法で周囲の人間の認識を歪めて若く見せることも可能だが、学園長は動作も機敏で、恐らくまだ40代ほどであろうと思われる。

 ヨハンは書物を読み、独学で魔法を習得した。しかしさすがに1人では限界があり、推薦を受けるための試験の前には街の学校の教師に座学を見てもらったことがあった。

 その時の先生は70を過ぎたようなおじいさんであったから、魔法界の一角を担うような立場の人間が想像よりも若かったことにヨハンは驚いた。

 特に事件も事故も起こらず、式は滞りなく進んだ。

 終了が告げられて席を立つ教師が出て行くのを見送ってから、ヨハンは大きく息を吸った。知らず知らずのうちに呼吸が浅くなっていたらしい。脳へ新鮮な空気を孕んだ血液が送られ、彼はくらんと目眩を覚えた。


「それでは各自、一度事前に指示されている自室へ向かって、荷物の確認をしてください。歓迎会が19時から行なわれますので、できる限り参加をしてくださいね。上級生の皆さんが張り切って準備をしていましたから」


 その言葉が、新入生の解散の合図となった。

 しんと静まっていた広間が、途端にざわめきに包まれる。

 隣に並んでいた者と話す声と、知り合いを見つけて名前を呼ぶ声。様々な声が重なり合い、ヨハンは心の中で呟いた声すらも掻き消されてしまいそうだと思った。


 ──突っ立っていたら邪魔になるし、はやく出よう。


 ゆっくりと出口に向かっていく波を縫って、彼はもみくちゃになりながらも広間の外へ出た。わきに避け、一息つく。

 呼吸を整えると、彼は、扉の陰に男の子が蹲っている事に気が付いた。

 猫の毛のように柔らかそうなブロンドで目元が隠れているが、口元を手で覆っているところを見ると、体調が芳しくないようだ。

 ヨハンはそちらへ近付くと、膝をついて声をかけた。


「ねえ、きみ大丈夫?」


 男の子は少し顔を上げる。何かを我慢するように眉間に皺を寄せていた。


「声……」


 そう言ったきり、また視線を落としてしまう。

 ヨハンは声をかけた手前放置して行くこともできず、人の波が去るまで彼の傍にいることにした。大丈夫だろうかと躊躇いながら背中をさすってやる。特に嫌がる素振りを見せなかったので、ヨハンはしばらくそのままでいた。


 ──なんか、村の子どもたちを思い出すな。みんな元気かな?


 別れたのはつい数日前の事なのだが、ヨハンにはもう何週間も経っているように思えた。

 2人のいる場所は扉の陰になっているからか、周囲の声がやや遮断されているようだった。そうしてしばらく無言で時間を過ごして、はたと気が付いた時には大分人も捌けていた。


「大丈夫? 立てる? きついなら背負うから、とりあえず部屋に行った方がいいよ」

「歩ける。……ありがとう」


 ブロンドの男の子は立ち上がると、ぎこちなくヨハンに微笑んだ。


 ──綺麗な子だなあ。将来とんでもない美男子になるんだろうな。


 彼は変にどぎまぎしながら気にしないで欲しいと伝え、2人は並んで歩き始めた。


「俺はヨハン。今年で16になるんだ。きちんとしたところで魔法をならったことはなくて、ちょっと不安だけど、でもすっごく楽しみでさ。ああ、はやく授業が始まらないかなあ」


 ヨハンの言葉に、男の子は足を止めた。気が付いて振り返れば、ヨハンと男の子の視線が交差する。男の子は、ひどく不思議そうな目で彼を見ていた。


「あの、俺なんか変なこと言った?」


 眉を下げて首を傾げたヨハンに、男の子は視線はそのままに、口を開く。


「魔法が好き?」

「好き、かなあ。うん、好き。昔妹が魔法を見せてくれて、本当に感動したんだ。それ以来ずっと、好きだよ」


 自分自身に確かめるように好きだと繰り返したヨハンに、男の子は「そうか」と呟く。


「好きっていうたしかな気持ちがあるなら、大丈夫」


 男の子は、今度は優しく微笑んだ。

 そうして呆気にとられるヨハンを追い抜いて、寮のある方へ歩いて行く。もう気分は良いのか、彼はすたすたと進んでいった。

 大丈夫。その言葉は、ヨハンの胸の中に暖かな温度を灯し、彼の不安をとかしていった。


「あの子同室の子はきっと幸せだろうな」


 彼は呟いて、男の子の後を追った。

 魔法学園は全寮制の学校で、ひと部屋を2人で使用する。部屋は合格と共に割り振られ、基本的には同じ学年同士の者が相部屋となる。

 合格通知と共に送付される説明書類の中には部屋番号と同室の者の名前が書かれており、ヨハンはミハイルという新入生と3年間を過ごすことになっていた。

 2人は静かになった廊下をひたすらに歩いた。

 西の塔に躊躇いなく入っていき、ヨハンは嬉しそうに声をかける。


「きみも同じ塔なんだね。なんか嬉しいな」

「まあ、そうだね」


 ミハイルはちらと頬を緩めているヨハンを見遣り、再び前を向いた。

 階段を上がっていく。2階、3階……5階で廊下に出て、2人はまた並んで歩き始める。


「もしかして階も一緒? すごい偶然だ」


 今度は男の子は何も言わなかった。澄ました表情のまま進んでいく。

 そして2人は、同じ扉の前で足を止めた。


「じゃあ俺はここだから。よかったらだけど、歓迎会、一緒に行かない?」


 ヨハンの問いかけに、彼は頷く。「どこで待ち合わせようか」と呟いたヨハンに、男の子はもう耐えられないといった様子で肩を揺らし始めた。


「その必要はない。ぼくら同室だから」


 自分の言葉がまたツボにはまったのか、彼は、口元を手で押さえて笑い始める。

 きょとんとしていたヨハンは、彼の言葉を理解した瞬間、頬をわずかに染めてわなわなと震えだした。


「じゃ、じゃあきみがミハイル? 本当に?」

「うん、そう。よろしくね、ヨハン」


 いたずらっ子のように笑うミハイルに、ヨハンはからかったことを怒ればいいのか、同室であることを喜べばいいのかわからなくなった。そんな微妙な表情に、ミハイルはまた笑い出す。


「もう、いつまで笑ってるんだよ! はやく入ろう!」


 扉を開き、背中を押せば、ミハイルはようやく笑うのをやめて、涙を拭って足を動かした。


「泣くほど笑うなんて、大げさだなあ」

「それくらい面白かったんだ」


 パタンと扉が閉まり、廊下は再び静寂に包まれる。

 黄昏の柔らかな日差しが、ウェルタス学園を茜色に照らしていた。


 ──これは、魔法使いを目指す少年達の物語である。

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