10.かくして幕は引かれた

 乾いた唇はひどく重くて、呂律ろれつが回うまくらない。


「ロビン、お前は……俺を殺したいのか?」


 驚いたように目を瞠ったロビンが、すぐに口元を歪めて表情を作った。そう、浮かべたのではなく作った笑みで大げさに天を仰ぐように両手を広げる。


「稀有なる羊、面白い質問だ」


 最後の質問に相応しいと満足げに彼は何度か頷いた。


「いや、今までに殺したいと思って殺した存在ものはない。望まれるまま地にかえしただけ。コウキを殺したいと思うことはないな」


 それは答えであり、答えではない。


 じっと続きを待つコウキへ、ロビンは左手を差し伸べた。先日と同じ光景が過ぎる。


「だから、逆だ」


 言われた意味を悟って目を見開く。


 コウキの蒼瞳が零れそうなほど見開かれ、ついでぱちりと瞬きして伏せられた。自分の手をじっと見つめるコウキの葛藤を愛おしそうに見つめるロビンは、作った表情を捨てて柔らかな眼差しで微笑んだ。


「お前がオレを還してくれる」


 殺されたいのだと、慈愛の笑みを浮かべながら楽しそうに話す彼は異星人のように理解しがたい存在で、同時に一瞬でロビンの望みに納得してしまう自分がいた。


 くつくつと喉を震わせて笑ったコウキは立ち上がると、看守の制止を無視してロビンの前に立った。格子の内側で差し伸べられた左手が、右手でないことにも意味がある。


 インドでは不浄の左手とされるが、キリスト教徒では意味を変えるのだ。神の右手と悪魔の左手、彼が差し出したのは蛇を意味する悪魔の誘惑である左手だった。


 エヴァへ差し出され、アダムを巻き込んで堕落した蛇の手をじっと見つめ、コウキは緊張に乾いた唇を舐める。


「還す気はない」


 殺してやるつもりはないと言い切ったコウキへ、ロビンは心底残念そうに溜め息を吐いた。


 思い出せば、いつだってロビンはコウキを自分の側へ誘っていた。それは理性や常識の垣根を越えろという意味にあわせ、自分を殺して世界を変えろと告げていたのだろう。


 神父様を手にかけたときも、ケガをした己の命を預けたときも、誰にも語らなかった真実を口にしている間も、彼はいつだってコウキに殺されたいと願っていたのだ。だから…先の上司に殺されそうになっても生き残った。


 コウキ以外の手にかかることを嫌って―――。


 彼がたくさんの人を殺し、その血を浴びた代償とするなら『ロビンの命を奪わないこと』こそ、最高の罰になる。


 ロビンは死にたくて、でも死ねなくて、死刑宣告を受けた。公的に死んだというのに、実際はこうして利用されて生きている。


 他人は『恩恵や恩赦』だというだろう。しかし彼にとって『苦行』であり『精神を殺す退屈』でしかなかった。そんな鬱屈うっくつとした中、ロビンが見出した希望は『コウキ』だ。


 プライドの高いロビンは見下した存在に殺されることを望まない。死ぬなら己をしのぐ存在に救ってほしいと、コウキを高みに引き上げようとした。


 それが自分善がりな感情に基づいていたとしても、彼がコウキに与えた『教育』は確かにコウキの身についている。


 故に気づいてしまった。


 無意識に自分が望んでいた『死への憧れ』こそ、ロビンの『殺害理由』であり『犯行理由』だ。殺された彼や彼女らはすべて、同じ願望を持っていたから死神の手にかかり笑みさえ浮かべて息絶えたのだ。


『死を怖れたことはないな』


『逆に好ましい。だが、まだ眠る時期じゃない』


 彼は最初にそう告げなかったか? それこそが仮面の下に隠された本音だった。


「オレはユダにも劣るか」


 自嘲を口元に浮かべた彼は、取り繕った顔を捨てて目を伏せた。


 整った顔、恵まれた環境、豊富な資産、誰より優秀な頭脳、たくさんの知識―――すべてがロビンにとって不要であり、無理やり命をながらえさせられた原因だ。


「しかたない、稀有なる羊の決断なら尊重しよう」


 優雅な一礼でコウキに別れを告げたロビンは、それきりコウキに興味を失ったらしい。ベッドに腰掛け、茶革の聖書を手に取るとページを捲っていく。青紫の眼差しが淡々と文字を追って上下に流れる。


「ロビン」


 呼びかけた声に反応はなく、コウキは檻に音を立てて手をかけた。


 カシャン、金属の乾いた音にようやく連続殺人犯は顔を上げる。怪訝そうに眉を寄せる彼の表情に満足する感情が間違っていると自覚しながら、コウキはさらに間違った行動に出た。


 右手を檻へ差し入れる。


「来い」


 初めての命令形の言葉に、ロビンは無言で立ち上がった。膝の上に置いた聖書が抗議の音を立てて床に落ちる。


 伸ばした手に触れた指はひどく冷たくて、『死神』を自称する彼に似合っていた。


 冷たいことに安堵するコウキが口元を歪めて笑みをつくる。一歩下がれば、誘われるようにロビンが踏み出す。


「来い」


 二度目の命令にロビンは目を見開き、コウキの真意を探るように蒼い瞳を覗き込んだ。


 深い蒼に何を見たのか。


 ロビンは名残惜しそうにコウキの手を離し、看守を手招きする。職務に忠実な筈の男はふらりと近づいて鍵を差し出した。


 すでに支配下に置いた男が解錠した扉をくぐり、ねぎらうように看守の首を右手でなぞる。がくりと膝をついて崩れ落ちた男は呼吸をしていなかった。


 死体となった看守から取り上げた鍵で手枷を外して放り出した。ガシャリと硬い音を立てて抗議する鎖を一瞥し、ロビンは猫のように伸びをしてこわばりを解す。


 目の前の惨劇をコウキは穏やかに見つめ、以前のように糾弾きゅうだんしない。


「稀有なる羊」


「死神なのだろう?」


 冷めた一言にくつくつ喉を震わせたロビンは、さっさと歩き出したコウキに続いて研究所の廊下へ向かう。


 広いだけの空間に設えられた立派な檻と看守の死体を振り返り、肩を竦めて踵を返した。


 前方から駆けて来る複数の足音が聞こえる。監視カメラの映像に驚いた所員や看守達だろう。彼らの手には銃が握られ、武器を手にしないロビンが勝てる筈はなかった。


 しかし2人に不安はない。


 ただ、コウキは無言でロビンを振り返る。絡んだ視線が告げる音のない言霊ことだまに、連続殺人犯として名をせた男は嬉しそうに笑った。


「すべて『神』の仰せのままに」





 真っ赤に血塗られた部屋と通路、消えた職員達、見つからない死体。終焉の幕が引かれた舞台は、すべての役者が退場した後の沈黙だけが残された。



                The END or...

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