中庭の桜

gomma隠居中

「嫉妬した」

たった5文字が言えなかった、それだけの事で絶望の淵に佇むことになる。

その事を知っていたら、果たして僕は伝えていたのでしょうか。


初めての彼女ができた、という嬉しさゆえに必死だったのかもしれません。この幸せを失いたくなくて、うっかり離してしまうなんてことは絶対にしたくなくて、だから、本当に思っていることも言えぬまま隠してしまうところがあったのかもしれません。


その5文字を、素直に言えたらどんなによかったことでしょう。



演習授業で同じグループだという、それまで面識がなかったはずの男とあなたが親しげに話している。課題のためとはいえ、話し合いにしても笑みが溢れすぎていて眩しいあなたと、鼻の下を伸ばしたようなニヤケ顔でスマホ片手に何やら話しかけている男。

その立ち位置変われよ、と心で叫びながらもあなたに言えたのはただ一言。最近あいつと仲いいんだね、放課後に2人きりのパソコン室でそれだけ問いかけるのでも僕は精一杯だった。



当時携帯ショップでアルバイトをしていた彼女は咄嗟に、機種変の相談受けてただけだよう、と否定しました。そののち、こんなにものどかな笑顔を浮かべられたら。それ以上はもう、なにも言及できなかったのです。


やつと彼女さくらが付き合い始めたらしい、と聞いたのはその4ヶ月後のことでした。

そしてぼくは、新歓準備に追われる学生会館の喧騒からそう遠くない中庭で、その根も葉もないように思えた噂をあでやかに裏付ける決定的な証拠を目にしてしまったのでした。



――あなたの事が好きですと、伝えるよりもただひとこと、嫉妬した、と伝える方が僕には難しかったのです。

中庭に立つそれはそれは美しい樹が薄紅色に頬を染める季節、ぼくは大切なものをなくしました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

中庭の桜 gomma隠居中 @k1y031n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ