第24話「コンバラリアのオオカミたち」
手帳のリストを開き、通信を繋ぐ。
1、2、3。
数えながら、修理し終えた本を書架に戻す。四回目の呼び出しで通信が繋がった。
「もしもし? アンナ婆ちゃん? フランです」
『あら、フランちゃん! 久し振りね。連絡をくれたってことは、もしかして?』
「今日から店を開けることにしたよ。最初に連絡するのは婆ちゃんだって、約束してたからね」
『嬉しいわ。さっそく出かける準備するわね。それじゃ、お店でね』
通信を切り、
1階へ戻ると、すでに皆が揃っている。それぞれがカウンター席に座れば、いつものようにリョウジが朝食を出してくれる。
「今日はライ麦パンのベーコン・サンドイッチと、枝豆のポタージュですよ。はい、召し上がれ~」
「いただきます」
出された珈琲を一口飲む。窓から射し込む暖かな朝陽と、焼きたてのパンの匂い。そこにあるのは、開店前の何気ない一時。特別ではない、いつもの穏やかな日常だ。
「本当、静かですね」
コウが安堵の溜息をつきながら、うっとりと紅茶をすすった。
「記者連中もようやく来なくなったからのう」
「今の話題は、フランの弟君でもちきりだからね」
「まぁ、あんなことやっちまったら、食いつかないわけにはいかねぇだろ」
ククッと、リョウジが喉を鳴らし、煙管を銜えてニヤリとした。俺もニヤリと返して、ポタージュに口をつけた。その矢先、ドアの呼び鈴がチリリンと、いつもより少し強めに鳴った。
噂をすればなんとやら、だ。やってきたのはリズだった。ムスッとするリズの横で、秘書のレリオが丁寧に頭を下げる。なぜここへ来たのか、要件はわかっていた。
俺に言いたいことがあって来たのだろうが、こっちに来る様子もないし、睨みつけたまま入口から動こうとしない。
「そんな所に突っ立ってないで、こっちに来て座っていただけます?」
隣に座っていたロロさんが、気を利かせて端の席へ移動した。開いた隣の席をポンと叩くと、リズはようやくこっちへ来て、黙ってその隣に座った。
無言のまま、横目でチラチラと俺を見る。見兼ねたリョウジが紅茶を淹れてくれた。
「どうぞ。坊ちゃん、お砂糖は?」
「い、いらないよ……って、その呼び方やめてよ。子供じゃないんだから」
口を尖らせて、紅茶をズズッと啜った。思いのほか熱かったらしく、驚いて目を細めた。
カップを置いて、また黙り込む。そしてチラチラ。こっちから切り出さないと話さないつもりなのか。
「言いたいことがあるなら、さっさと言ったらどうなんだ?」
「……心臓、不具合とかないよな?」
「おかげさまで。今のところ問題なく動いてる。ちゃんとできてよかったな」
何も言い返しはしなかったが、リズの横顔が少し嬉しそうだった。わかりやすいやつだ。
あれから、俺はリズに設計図を渡した。体には新しい
父さんが亡くなって初めて、リズがたった1人で作り上げた最初の
実験に使われたと、レイリとコウは怒っていたが、こうして店を開けるようになったのはこれのおかげ。そこだけは感謝している。
「この調子でいけば、今まで通り製造しても問題ないんじゃないか?」
「本当に?」
嬉しそうに俺を見るが、ハッと慌ててムッとする。そこまで頑なに「僕はお前が嫌いだ!」という姿を見せなくてもいいのに。本当に可愛くない。
「何が“今まで通り”だよ。とんでもないことやったくせにさ」
バンッと叩きつけるように、
「本当、やってくれたよね」
「ちょっと欲が出たんだよ。怒ってる?」
「当然だろ」
確かに、俺はリズに
これで、誰も独占することはできず、共有という形で誰もが手に入れることができる状態になった。
「“
「俺が考えた言葉だからな」
企みが成功して満足な俺の横で、リズは溜息をついてテーブルに突っ伏した。
「最悪だよ。おかげで
「他に負けないように、さらに良い物を造るのが、これからのリズの仕事だろ。多分、父さんが望んでいたことだったと思うよ」
―― この設計図の全ての権利を、フラン・ヴァンフィールドに
これもつい最近、弁護士の早瀬が教えてくれた話だ。
父さんはずっと、この設計図を他の研究所に提供しようとしていたらしい。だが、爺さんと妻のルチアナがそれを許さず、護衛をつけるふりをして、四六時中監視していたそうだ。
「そこまで書いてあるのに、無償で公開した後に権利を僕に譲るとか、欲が無さ過ぎ」
「父さんが好きにしていいって書いてくれたから、俺の好きなようにしただけだよ。勝手なことして悪かったな」
「別に謝られても……まぁ、それなりにいいこともあったし」
もごもごと
「あんたが僕の名前使ったおかげで、会社の評判も良くなったし。ちょっとだけ……研究員達が僕を見る目が変わったっていうか」
「悪い事ばかりじゃなかったな」
「……まぁね」
ちらりと横目で見て、リズは紅茶をズズッと啜った。最後まで綺麗に飲み干し、代金を置いて席を立った。
「話はそれだけだから。それじゃあね、兄さん」
そう声をかけて、リズは店を出て行った。
パタンとドアが閉まり、スズランのモチーフの呼び鈴が
「設計図、あいつなんかに渡して本当によかったのかねぇ」
確認するように問いかけながら、空になった俺のカップに珈琲をなみなみと注いだ。
「リョウジは俺より未練ありそうだな」
「大ありでしょー。だって
「独占してどうするんだよ」
「決まってるじゃねぇか。金儲けだよ」
何を言い出すのかと思えば、少し前のリズみたいなことを口走っている。しばらく行動を共にしていたせいで、その欲深さでも移ったか。
「もちろん、質のいい最高の
「ユリアって、最近目をつけたっていう図書館の司書だよな?」
「確か、食事に誘っていい返事をもらったと、少し前に喜んでおっただろう?」
ロロさんの問いにリョウジは答えず、気まずそうに、視線を天井へ逸らした。
「またフラれたのか」
「予想の範囲内だよね」
「面白いくらいにフラれますね、リョウジ」
「う、うるさいなっ。おっさんは繊細なんだよ!」
そこで再び、呼び鈴が鳴った。開いたドアの間からアンナ婆ちゃんが顔を覗かせていた。時計を見ると、すでに開店時間の九時を過ぎていた。
「ごめんね、婆ちゃん! 今開けるよ」
朝食を手早く片付け、俺は婆ちゃんの元へ駆け寄った。身だしなみを整え、改めて深くお辞儀をする。
「いらっしゃいませ」
「ちょっと早く来過ぎたかしら?」
「俺達がのんびりしていただけだよ。さぁ、お席へどうぞ」
アンナ婆ちゃんを窓際の特等席へ――いや、その前に。ドアにかけた閉店のプレートをひっくり返し、開店へ。
ドアが閉まり、呼び鈴が静かに店内に鳴り響く。
コンバラリアのオオカミたち~情報屋ルー・ビアンカと機械心臓~ 野口祐加 @ryo_matsuba
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