一途な鬼女
冷門 風之助
その1
彼女は俺の
『彼を探して頂戴』と、尖った声で俺に言った。
『断っておきますが、私は個人的信条として、結婚、離婚に関する調査は受けないことにしています。それはご承知でしょうな?』
俺はひどく素っ気ない調子でシナモンスティックを齧り、肘掛椅子を横に向けて、窓際に貼ってある芦川いづみの顔が大写しになっている映画のポスター(無論コピーだ)を眺めた。
『そんなことは分かっているわ』また尖って言う。
『貴方の事は、平賀弁護士から聞かされています。腕のいい探偵だってこともね。だからこうしてわざわざ来てあげたのよ』
彼女の名前は、
IT関連企業を二社ほど経営し、どちらも右肩上がりの急成長。
その上小説も執筆し、2~3の文学賞を立て続けに受賞。
さらに歯に衣着せぬ率直な物言いと、何にでも噛みつく(本人は「噛みついているんじゃない。思ったままを口にしているだけだ」そうだ)姿勢が、同年齢の女性層に一定の支持を受けている。
それだけじゃない。スポーツも、学業も一度として人に負けたことがないという、正に『才色兼備』を絵に描いたような女性だ。
自分でここまで口にするんだ。余程の自信があるんだろう。
つい一週間ほど前、俺は年末の大掃除のさ中(俺だって掃除ぐらいはするんだ)に、旧知の平賀市郎弁護士から『相談に乗ってやってくれないか』という電話を貰った。
葉問加奈子については、俺だって少なからず聞き及んでいた。
個人的にはお世辞にも好きになれない部類の女性だが、そんなことで仕事のえり好みをしていたら、俺だって顎が干上がってしまう。
『まあ、取り合えず話を聞くぐらいなら』ということで承諾したのだが、土曜の午後、いきなり
俺は指で挟み、彼女が置いた写真を持ち上げた。
30代後半といったところだろうか。
黒縁の丸い眼鏡をかけ、人の好さそうな笑顔を浮かべた面長のハンサムな青年が、白い道着に黒い袴姿で、背筋を伸ばしてこちらにむかって正座をしている。
後ろに掛かっている軸には大きく、
『合氣』という文字が大書されてあり、その上には紋付き姿の白い顎鬚姿の老人・・・・・。これだけで幾らか情報が読み取れた。
『合氣道家ですか?』
俺が訊ねると、彼女は勧めもしないのに、ソファに腰かける。
『白石秀平っていうのよ。』少しばかり目を吊り上げて、忌々しそうに告げ、唇をぐっと噛み、
『この世でたった一人、私を倒した男・・・・』さも悔しそうに付け加えた。
まだ彼女が処女作を発表して、作家として世に認められたばかりの頃である。
次回作の準備のため、どうしても合氣道について取材する必要があり、出版社の紹介で、ある道場に見学へ出かけた。
生憎と師範は所用で留守だったので、息子で師範代をしていた秀平が出迎えてくれた。
合気道はまったくやったことがなかったが、ボクシング、空手、そしてブラジリアン柔術と、格闘技も幾つかこなしてきた彼女には初めて見たその技が、何だかひどくわざとらしいものに見えた。
(何よ、こんなもの、インチキじゃない)初めはそう思った。
すると、彼女の心の中を察したように、秀平が、
『どうです。一つ身体を動かしてみませんか?』と、声をかけてきた。
腕に自信のあった彼女は、その物言いが、いささか(というよりかなり)カンに触った。
道着を借り、白帯を締め(これがまた癪だった)、秀平と対戦した。
秀平は彼女より少し背が高かったが、痩せていて、お世辞にも強そうには見えなかった。
『何をやってもいい』と言われたので、彼女は自分が習っている限りの武道でかかっていったが・・・・
全く相手にならなかった。
何をやっても全く効かない。
先にこっちの動きを読まれているみたいで受け流され、突きを繰り出すとその手首を掴まれ、見事に投げ飛ばされてしまい、いとも簡単に抑えつけられ、畳の上にピンで留められたように固定されてしまった。
約30分ほどだったが、生まれて初めて味わった敗北感だった。
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