その2
彼女はその『敗北』が悔しかった。
しかも、である。そのあとの秀平の態度が如何にも紳士的で優しかったことが、余計に加奈子のプライドに傷をつけたといってもいい。
打ちのめされてばかりもいられない。
彼女はそれからというもの、熱心に合気道の習得に努めた。
『彼に習ったんですか?』
いささか嫌味を交えて俺が聞くと、彼女は気色ばんで、
『馬鹿にしないで頂戴!誰があんな男に!別の道場を探して、そこで習ったのよ』
おかしさをこらえ、俺はコーヒーを淹れてやると、一つを彼女の前のテーブルに置き、一つを俺のデスクに置いた。
昔からの知り合いで、警視庁で女性警察官相手に合氣道を教えていた有段者(無論女性である)がいた。
その彼女に頼み込んで別の道場を紹介して貰ったのだという。
流石に格闘技のみならず、スポーツ万能な加奈子である。
瞬く間に基礎を習得してしまい、普通なら初段まで最低でも二カ月以上はかかるところを、彼女は
無論、単なる才能だけではない。
『あの男に負けたくない』その情熱があったからだと、彼女ははっきりと俺に答えた。
彼女の実力は相当なものになり、通っている道場でも、後輩はおろか上級者にも
かなう者は一人もいなくなったという。
『で、貴方は満を持して白石道場に乗り込んだ・・・・』俺は腹の中ではもっと別の事を聴きたかったが、それは押さえた。
『そうよ、でも、あいつったら・・・・!』彼女の持つコーヒーカップが震えた。
加奈子はコーヒーを一息に飲み干し、ソーサーに音を立てておくと、
『いなくなったのよ!』
『いなくなった?』
やっと三年経って仕返しをする機会が訪れた。
そう思って道場に乗り込むと、そこには秀平の姿はなかった。道場主であり、父親でもあった師範に聞くと、
『彼は今アフリカの某国にいる』というのだ。
何でもその国にかつて『青年海外協力隊』でその国に出かけて武道を指導していたかつての後輩に、
『是非一度こちらに教えに来てくれないか。』といわれたのだそうだ。
しかし師範は道場を離れるわけにはゆかない。迷っていたが、師範である父親の後押しもあって、その国に出かけて、もう三年になるという。
『しかしそんなの、簡単なことでしょう。貴方が自分で行けばいいじゃないですか?』
俺がそう言うと、彼女はまた尖った声をだした。
『馬鹿にしないでよ!何でわざわざ私が行かなければならないの?それに私だって2社も会社を抱えてる身よ。そうそう日本を離れる訳にもゆかないでしょう!』
まったく、わがままなお嬢さんにも困ったものだ。
『貴方の仕事は彼を探し出して、日本に連れて帰ってくること!勿論指定のギャラの他に経費として旅費、そして成功報酬も上乗せするわ。お金さえ払えば文句はないんでしょ?』
『まあ、いいでしょう。しかし彼がどうしても嫌だといったら、こっちも無理強いは出来ませんからね。それだけはご承知おきください』
いいでしょう。その時は戻る意思があるかどうかを確認してくるだけで構わない。彼女はそういって、小切手で着手金を支払ってくれた。
しかし・・・・
『その前に一つだけ確認しておきたいことがあります。』
『何よ?』
『その国は、禁酒国ではありませんか?』
彼女は俺の問いが理解出来ないようだったが、何としても引き受けて欲しかったんだろう。黙って頷いた。
俺はにやりと笑い、こう答えた。
『分かりました。支度ができ次第、立ちます』
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