その6

 翌日、俺は早い便でまた12時間の長旅に乗った。


 特別飛行機が好きだというわけじゃないが、まあ朝っぱらから呑んだくれても、どこからも文句が出ない乗り物は、世界広しといえど、旅客機ぐらいのものだろう。


(私のささやかな力が少しでも役に立てば・・・・か・・・・)


 天下一のへそ曲がりを自認している、普段の俺ならば『けッ』とでも言いたくなるようなくすぐったい文句だが、その俺でさえ、

『なるほど、いい言葉だ』と納得した位、白石青年・・・・いや、師範だな・・・は自然な感じに見えた。


 エジプトのカイロで飛行機を乗り換え、あとはほぼ真っすぐ東京である。


 機内で二杯目(それ以上は覚えていない)のバーボンをオカワリし、俺は窓の外を眺めながら、報告書の文句をあれこれと練っていた。


 棒のようになった足と、時差ボケ(二日酔いではない。断じて!)でぼうっとなった頭を、三度風呂に入り、腕立てと腹筋、それぞれ五十回で一応立て直した後で、パソコンに向かってどうにか報告書にまとめ上げ、大手町のオフィスビルの最上階にある葉問加奈子の会社に向かったのは、帰国した翌日のことだった。


 社長室に入って来た俺の青白い顔を気にするでもなく、ソファを指差して、

『座れば?』というように目で合図する。


 腰を下ろした俺が報告書を出すと、向かい合わせに座り、ひったくるようにして受け取り、むさぼり読んだ。


『何よ?約束が違うじゃない!』目を吊り上げて俺を睨みつける。


『その前にコーヒーかコールドウォーターでも頂きたいんですがね。何しろこっち

 は朝から頭がずきずきしてるんでね』


 彼女は唇をへの字にまげ、忌々しそうにテーブルの上のインターホンを押し、秘書に居丈高な口調でオーダーをした。


 運ばれてきた水を一気に飲み干し、二杯目をピッチャーから注ぐと、彼女が


『さあ、説明してもらいましょうか?』と、畳みかけてきた。


『「約束が違う」ってさっきおっしゃいましたね?確かに連れてくることという約束はしましたが、しかし彼が今すぐ戻る意思はないといった時は無理強いはしないとも約束しましたよ。ここにあるICレコーダーに録音してあります。何だったら再生してみますか?』


 彼女の唇が震える。


『そんなに私の仕事に不満なら、今度はご自分の足で行かれることですな。これは白石氏のアドレスと電話番号です。もっとも彼の住んでいる場所は、お世辞にもアクセスがいいとは言えませんからね。すぐに連絡がつくかどうか分かったもんじゃありませんが』


 俺は請求書と一緒に、畳んだ紙片をテーブルに置き、依頼の半分は達成できなかったんだから、成功報酬はカットして貰っても構わんと言い添え、もう一度水を飲み干して立ち上がった。


『では、これで』


 その後彼女は一言も発しなかった。


 ドアのところで振り返ってみると、両腿の上に肘をつき、じっとうつむいてた。


 

 それから間もなく、俺の銀行口座に残りのギャラと必要経費だけが振り込まれた。


 

 彼女?


 弁護士の平賀君から聞き及んだところによれば、自社の重役達に『1年間休職する』旨を通達し、その間全ての権限を重役会に任せ、抱えていたその他の仕事を全部キャンセルして、西アフリカの某国に向かったそうだ。


 あんなに仕事に情熱を燃やしていた女性が何故?と誰もが不思議がったようだったが、彼女は何も答えようとしなかったという。


 一か月後、俺の家にエアメール(知っての通り、俺はネットもeメールもやっていない)が届いた。


 差出人は『白石秀平』、つまり『白石師範』であった。


 馬鹿丁寧な言葉で俺への礼が記されてあり、手紙と一緒に一枚の写真が添えてあった。


 稽古着姿の大勢の弟子たちに並んで、中央に二人だけ、黒い袴を履いた男女が星座していた。


 その女性・・・・言うまでもなく、葉問加奈子女史である。


 彼女は相変わらず固い表情を崩してはいなかったが、どことなく艶やかに見えたのは、俺の気のせいだったのかもしれない。


 そう思っておくとしよう。


                                 終り

*)この物語はフィクションであり、登場人物その他は全て作者の想像の産物であります。


 

 

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一途な鬼女 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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