その4

 俺は小林書記官の運転で一旦ホテルに着いた。


 やってきた早々、あんなことがあったんだからな。


 幾ら俺だって直ぐに行動を起こせるほど、タフに出来上がっちゃいない。


 小林氏は『白石氏は私の方から連絡しておきますよ』といってくれ、俺はその晩はひとまずゆっくりすることにした。


 そのホテルはこの国ではトップクラスのホテルだそうで、古い英国風建築(この国はかつて英国の植民地だった)が所々に残る、なかなか風格のある造りだった。


 俺の宿泊した部屋は、まあ中の中といったところで、内部もそれほど悪くなかった。

 食事もこれまた欧州風(純然たるフランス料理で、英国料理でなかったのも助かった)。


 まあ、惜しむらくはバーボンがなく、ワインしかなかったのが残念だったが。



 そうして一晩を無事に過ごすと、翌日また大使館から小林氏が、運転手兼ガイドの現地人青年を一人連れて、約束の御前10時きっかりに現れた。


 何でも、現在白石氏は首都から車で1時間ほど離れた町で、合氣道の教授をしているのだという。


 青年の名前はリチャード・ナクワレ君といい、現在23歳、大学生の頃、静岡の県立大学で学んでいたとかで、日本語は流ちょうといえないまでも、そこそこは話せるといい、また彼は日本で合氣道と柔道を少し学んでいたとかで、その町にも時折通って、白石氏の教えを受けているそうだ。


 地元の地理に明るく、母国語を操れる人間が同行してくれれば、これほど心強いことはない。


 その町は、首都から東南に約40キロのところにあり、隣国との国境付近にあるという。


 しかし、都会の1時間と、この地方の1時間とじゃ訳が違う。


 おまけに標高も千メートル近く(それでもこの辺りじゃ低い方だという)あり、舗装道路が消え、道幅は狭くなり、車二台がやっとすれ違えるくらいしかなくなった。


『この辺りで、マスター・シライシを尊敬しない人間なんかいやしません』

 ナクワレ君は快活な表情で、彼のことを語った。

 あんまり日本語は上手くないと謙遜をしたものの、どうしてなかなかのものだ。


 きっちり1時間、彼の運転する日本製4WDに揺られ、俺達一行はその町に着いた。

 町、とはいったが、人口は1万人もおらず、軒の低い土壁でトタン屋根の家が並んでいる、ひどく牧歌的な場所だった。


 車を町の広場に停めると、町の子供や女性、それに年寄りが出てきて、物珍しそうな顔で俺たちの顔を眺めた。


『今頃、若い男たちは全員農作業に出てるんです。』


 なるほど、少し見上げると、山肌に段々畑が連なっており、そこで男たちが畑仕事に勤しんでいる。


 ナクワレ君が現地語で、その場にいた70位の老人(いや、ことによるともっと若いかもしれない)に話しかけると、彼は殆ど歯のない口で笑い、俺達を案内してくれた。


 村の外れの小学校の体育館である。


 俺達が入ってくると、校庭で遊んでいた30人くらいの子供たちが俺たちのところに駆け寄ってきて、何やら話し掛けてくる。


 小林氏は片言であるが幾分現地語が理解出来るそうなので、簡単に受け答えしていたが、俺にはさっぱり分からないので、黙りこくって彼らの顔を眺めていた。


 校舎の外れにあった体育館の中から、何やら物音・・・・そう、受け身を取る音が聞こえてきた。


 端っこにあった木のドアを開け、小林氏とナクワレ君が靴を脱ぎ、きちんとお辞儀をして上がり込む。


 ここまで行き届いているとは思わなかった。


 体育館の中は、そこそこの広さがあり、その一角に畳(柔道場にあるようなビニール畳だ)が、60畳ほど敷きつめられ、そこで道着に白帯を締めた若い女性と子供(男も少しいた)が、たった一人黒い袴を履いた日本人に指導を受けていた。

 間違いない。白石秀平青年である。


 正面には『合氣道』と書かれた掛け軸。その隣には白髪白髭の老人・・・・そう、合氣道の創始者である、植芝盛平翁の肖像写真が掲げられていた。


 

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