第30話

 幸せすぎて死にたくなる、なんて話を聞いたこともあるが、こういうことをいうのか。


 自宅のソファーで躰を休めるズィークスは、そんなことを考えながら、ルブラの淹れてくれた紅茶を口に運んだ。……実に渋い。わざと失敗したな? と視線をわずかに下げると、期待するような紅い瞳が待っていた。


「……《星の欠片》と一緒に飲むとちょうどいいかもな」

「――! 私もそう思っていました。取ってきますね」


 そう言って、駆け引きめいた微笑ましい何かを覚えた竜は、いそいそと台所に向かった。甘い物好きは知っているし、怒りもしないし、言ってくれればいいのにと思う。

 ズィークスは何とも暢気な、幸せなため息をついた。


 遡ること三日前、当初は実家に帰ってそのまま雲隠れしようかと考えていた。だが、戦ったその日の夜、ルブラに抱えられて自宅に戻ってみたら、ズィークスはそのまま動けなくなってしまったのだ。


 主な症状は泥に沈んだような倦怠感と、今この瞬間もつづく万力に躰を締めつけられているような苦痛、および幻覚をおぼえそうな発熱。ルブラによれば竜血晶を使った代償であり、それゆえに竜の力をもってしても癒やせないという。


 したがって、そうするより他にしかたなく、ズィークスはベッドの住民となり、ルブラの(少しばかり失敗が多めの)甲斐甲斐しい看護を受けることになった。

 そして三日目の今日、ようやく動けるようになったのである。


「お待たせしました」


 《星の欠片》の小瓶を片手に気持ち声を弾ませて戻ってきたルブラは、ズィークスの隣に座るとさも当然とばかりに一粒を自分の口に運び、もう一粒を彼の口元に差し出した。


「どうぞ。あーん、です」

「……あ、あー……」


 ん、と放り込まれた《星の欠片》を噛み砕き、渋い紅茶を口に運んだ。この三日間ずっとそうしてきたように、ルブラはズィークスに引っ付き、鼻先を首に押し付けた。


 参ったな、これは。


 思わずニヤける。今とてつもなくだらしのない、あるいは薄気味の悪い顔をしているに違いない。引っ付いてくるルブラについては、他にできることもないし、可愛らしいし、愛しいし、何かいい匂いするし柔らかいし暖かくて文句などありようもないのだが――。

 コン、コン、と一時の幸せを切り裂くように慎ましやかなノックが響いた。

 とうとう来たか、とルブラの赤い髪に頬を擦り寄せ、ズィークスは扉に言った。


「どちらさん? ウチは今、誰もいないことになってるよ」

「……何わけのわからないことを言ってるんですか。ボナエストです。《六人会議》がお呼びです。あなたを見つけ次第連れてこいと。メルラドも、私やナーリムも一緒だと」

「だろうな。分かってる。すぐに支度をするよ」


 竜との交渉は決裂――正確には決裂したかどうかも判別できない状態かつ、決戦に向かうために色々とやらかしている。自宅にいれば、いつかこうなるとは思っていた。


「……ズィークス?」


 不安げに揺れるルブラの紅い瞳に、ズィークスは心配するなと微笑みかけた。


「大丈夫だよ。……いざとなったら、助けてくれるだろ? さ、外套をとってきて」

「はい……!」


 ようやく慣れたやり方でお世話ができるとばかりに、ルブラは静かに強く答えた。


 

 カン! と木槌を打ち鳴らし、議長が言った。


「それでは、これより《六人会議》を開催する」


 中央調停院本庁舎、最上階の大会議室では、集められた地方調停院の長六名と議長が、さながら裁判のように証言台に立つズィークスを見下ろしていた。

 もちろん、被告人として。


 しかし、通常とは異なり彼の左隣にはルブラが控え、後ろにメルラド、ナーリム、ボナエストの三人も立っている。なぜ事件に関わる五人を全員同時に呼んだのか。《六人会議》の意図が分からなかった。


「さてズィークスくん。君の無茶無謀の報告を受け、儂らはここに会したわけじゃが」


 議長は老眼鏡をかけ、手元の報告書に視線を落とした。


「奪われた機密文書とやらが、そこのルブラ殿であるというのは、本当かね」

「さようで――はっ?」


 すっかり処分がくだされるとばかり思っていたズィークスはそのまま固まった。


「……違うのかね? ここには……」


 議長は報告書を読み上げた。


「緊急の調停交渉に当たっていた隙に機密文書を竜に強奪され、奪い返そうと動いた、と。人員を集めるから待つように指示をしたものの、君は単独での強行を主張、仕方なく許可を与えた、と。メルラドくんの署名入りで、そう書かれているんじゃが?」


 なんだって? ズィークスは肩越しに振り向いた。すかさずメルラドが目を逸す。正面に向き直ると議長が何とも難しい顔をして言った。


「それと――ルブラくんが機密文書というのは、どういう意味なんじゃ?」

「はい! それについては私がご説明いたします!」


 ナーリムはすぱっと手を挙げ前に進み、腕を広げてルブラを示した。


「ルブラさんは生物学的にも、古生物学的にも、竜だと断言できます! そして竜は、文字を持たない代わりに見聞きしたもの全てを覚えられるのです! たとえば――」


 ナーリムはルブラの肩をつついた。


「ルブラさん、『英雄ヨーグ』の一節を諳んじてください」

「? 分かりました」


 かくんと首を傾げたものの、ルブラはすぐに暗唱を始めた。ところどころ発音が怪しい箇所はあるが、まるで詩人が歌い上げるような美しい声だった。やがて一節を諳んじ終えると、パチパチとメルラドが拍手しかけ、六人会議に睨まれ手を隠した。


「……くだらない! 大道芸を見たいわけじゃないんですよ!?」


 中年女性が甲高い声で叫んだ。ナーリムは静かに議長の前に進み、手を伸ばした。


「何か、ルブラさんに見せてもいい文書があれば貸していただけますか?」

「む。では、これを」


 差し出された資料の一部を受け取りナーリムはその場で反転、ルブラに書面を見せ、すぐに返した。いったい何が始まるのかと、会議室に奇妙な緊張感が漂い始める。


「ではルブラさん。お見せした文書を諳んじてください」

「はい」


 ルブラは少し恥ずかしそうに言った。


「ですが、その、わからない単語が多いので、文字をそのまま読み上げるのでもいいですか?」


 その返答に、ざわりと会議室の空気が変わった。


「構いません。どうぞ」


 ナーリムに促され、ルブラが暗唱を始めた。といっても、意味内容すべてを諳んじるのではなく、わからない単語は単純な文字列として読み上げた。しかし、一文字一句、完璧に諳んじているらしく、議長は呆れたように口を半開きにしていた。


「もうよい。……頭が痛くなってきたわい……。じゃが、時間は有限じゃ。次――」


 暗唱を打ち切り、議長は別の文書を読み上げ始めた。


「えー……なんじゃ? 機密文書でもある竜のルブラ殿は公国への亡命を希望していたそうじゃが、本当なのかね? ズィークスくん」

「えっ、あっ――は、はい……」


 ズィークスは流れを察して首を縦に振った。議長は胡乱げな眼つきでひとしきりこちらを見つめ、ボナエストに問いかけた。


「ボナエストくん。君の証言に嘘はないんじゃな?」

「もちろんです。ルブラさんは『竜であることを捨てる』と口にしました。その意味が亡命でなければ、竜がルブラさんを奪還しようとした道理が通りません。そして、彼女の亡命を見過ごしたとあれば、狼類半獣人の私は末代まで仲間に笑われるでしょう」


 滔々と述べられる証言に、なんて大胆な嘘だと、師匠はどこのどいつだと、ズィークスは吹きそうになるのをこらえた。

 ボナエストは呆れたような目でズィークスを一瞥し、続けた。


「残念ながら力及ばず拐われてしまいましたが、ズィークス・ハシェックはこの通りルブラさんの身柄を再確保しました。街が受けた被害を考えれば不問とするのは難しいかもしれませんが、情状酌量の余地は十二分にあると私は考えます」

「……それを決めるのは儂らの仕事なんじゃがな……」


 議長は老眼鏡を手元に置き、背もたれに躰を預けた。


「字面だけなら、筋は通っておる。筋は通っておるが――」


 スゥっと気配が重くなった。この短期間によく考えてくれたとは思うが、やはり言い訳としては苦しい。六人会議の他の面々の様子からして、お咎めなしとはいかないだろう。

 ズィークスは肩越しに尽力してくれた仲間の姿を覗いた。


 政略結婚を共用した後ろめたさから、妙な道に引き込んでしまったボナエスト。勤勉さは言わずもがなで、実直さは平時にこそ求められる。血なまぐさい話から距離を置き、独り立ちしてもいい頃合いだろう。半獣人初の一級調停士というのも面白いじゃないか。


 研究のために国と家族から距離をとったナーリム。同情と実利から雇ってきたが、これまでよくやってくれた。放っておいても次の道を見つけるに違いないだろうし、次が見つかるまでのつなぎにルブラの家庭教師をしてもらうというのもありか。


 そして、メルラド・デュエン・ニェーツク。血塗れの石工もどきで終わるところ拾ってくれた大恩人。私は私の見たい国を作るだけだと、そのために貴様を利用すると、そう言ってのけた嫌な奴――だが、利用するためだけに今も身を賭して守ろうとしてくれている。

 

――俺にゃ人望なんざないと思ってたんだがな……。

 

 前に向き直ったズィークスは、これでもかと議長を見据え、牙を見せつけた。


「――残念だ。せっかく話を聞いてやろうと思って足を運んでやったというのに」

「なっ――!?」


 ズィークスの不遜な発言に《六人会議》が息を呑む。いや、議員だけでなく、ボナエストもナーリムも、メルラドも、誰しもが言葉を失った。

 その反応を待っていたのだ、とズィークスはルブラの腰を引き寄せる。


「忘れておいでですか? 俺にはこの国を焼き払う力がある」

「……はぁっ!? ズィ、ズィークスくん! 何を言っておるか自分で分かっとるのか!?」


 分からないはずがない。こうなることを見越して、三日の間にルブラと話し合っていたのだ。

 最後の手段に放つ、最大の嘘を。


「せっかく上級調停官メルラドとやらの命を受け、ボナエストくんがナーリム女史をつれて調停交渉に来てくれたというのに、六人会議とやらは反故にしようと」


 多種多様な姿をもつ竜は、一頭がひとつの種族に相当する。であるならば、竜を伴侶とする自分もまた単一の種族といえるだろう。

 個人で独立国家を宣言するのに等しいが、調

 

「あ、あなた、さっきから何を言っているのかしら!?」


 たまらず議場の中年女性が金切り声をあげた。

 すぐにルブラが首を突き出し、プッ、と極小の火焔を吐いた。二人で練習をした、天井を焼き焦がさずにすむ、焚き火の種火にするのによさそうな、小さくて可愛らしい炎だ。

 しかし、竜を知る老人たちから言葉を奪うには、それで十分だった

 

「……個人で国に脅しをかけると言うのか……正気かの?」

「お忘れですか? 議長どの。天秤の襟章をつけた調停士は国家も同じですよ」

「……メルラドくんの教えかの?」


 ジロリと議長が視線を向けると、メルラドは両手を横に竦み上がった。


「まったく……豪胆というか何というか……恐れ入ったわい。ズィークスくんの野心は看破したつもりでおったのじゃが……まだまだ見誤っていたようじゃの。よろしい」


 議長は気配が鋭くし、おそらくは往時の政争を戦っていた頃の目つきでもって、言った。


「それでは、ズィークスくん……いや、のズィークスどの。此方こちらの認識が誤っておったようじゃ。もし可能であれば、引き続き交渉をさせてもらえんじゃろうか」


 ざわめく議場を一瞥し、ズィークスも応じる。


「ええ。多少の行き違いはよくあること。まずはそれを改め、交渉と参りましょう」

「――では、そのように。交渉は引き続きメルラドくんとボナエストくんに任せよう」


 カン! と議長が木槌を鳴らした。六人会議の面々がため息をつき、ズィークスは背中になんともいえない気配を感じた。


「まったく……《竜鎚》のハシェックの血は衰えたと聞いておったのじゃが、竜になってしまうとはの。想定外じゃよ。」

「議長様?」

 

 それまで黙っていたルブラが不思議そうに議長に言った。


「ご存じないのですか? ズィークスはお祖父様に似ているそうですよ?」


 ぐっと口を結ぶ議長。ズィークスが吹き出すと、背後でもぎこちなく笑う気配があった。

 そして。

 執務室に戻りボナエストとナーリムに礼をいい、大いに謙遜されながら部屋を出て、すぐ。

 ルブラがくいっとズィークスの服の裾を引っ張った。


「あの、ズィークス。私、メルラドにお礼を言ってきてもいいですか?」

「……メルラドに?」


 ズィークスは苦笑した。


「ンなことしてもロクなことないぞ?」

「でも、最初に会ったとき、私はメルラドに怪我をさせてしまいました」

「ああ……あのとき……」


 どちらかというとメルラドの口の悪さが招いた災いのようにも思えるが、ついでに寸止めしようとしたルブラの手の前に戦鎚を振り込んだズィークスのせいの気もするが。


「――分かった。けど……階段昇るのダルいな……」


 ルブラは言いだしたら意外と頑固なことを、料理は私がしますと三日間同じものを食べさせられて身に沁みていた。


「では、私一人で行ってきます」

「……えっ? いやそれは、こっちが不安に――」

「大丈夫です。ゆっくりかもしれませんが私も慣れてきました。怒ったりしません」

「ホントにかぁ……?」


 むん、と胸を張る自信ありげな竜に、ズィークスは疑いの眼差しを向ける。だいぶヒトの生活に慣れてきていたのは認めよう。だがしかしメルラドは、言ってみれば人族ではなく貴族という生き物なのだ。心配せずにはいられない。


「……じゃ、あれだ。せっかく外に出たし、帰りに仕立て屋に寄ろう。ほら、覚えてるだろ? あの白いドレス。もう仕上がってるらしいし、見てこうぜ? だから――」

「決して怒らないように、ですね? 分かりました」


 ルブラはズィークスにぎゅっと抱きつき、やがて踵を返し、てててと廊下を駆け出した。


「俺は下で待ってるからなー?」


 分かりましたとばかりに手をふるルブラに手を振り返す。執務室からボナエストの声が聞こえた。はやくも尻に敷かれてますねと言っていた。……うるせえ。

 ズィークスは手すりに掴まり立って呻きながら階段を降り、本庁舎を出た。庁舎前の泉には、今日も溢れんばかりの人々が集まってる。待ち合わせ、時間つぶし、そして相談の順番待ち。今後は彼らの仲間に加わることになるのか、あるいは、やはり彼らの相手をするのか。


 ……さて、どうなることやら。


 国家を相手に喧嘩をふっかけたのだ。そうそう楽にはいくまい。

 ズィークスは細く長い息をつき、空を見上げる。

 王都の空は青く、高く――しかし。


 たとえ空を落としてでも。


 足音に振り向くと、ルブラが驚いたように紅眼を瞬き、柔らかに微笑んだ。

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たとえ空を落としてでも λμ @ramdomyu

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