林檎
東雲
林檎
私は小説がわからなくなるとここを訪れます。
けれども反面ではそれも
というのも人間の心象や行動の
毎朝同じ時間に起床し朝食を取り、市場の開始のラッパが歌えばアルマーニ※のジャケットに身を包み鼻高々と生きた町の雑踏に揉まれに行き、(時々チャーチ※なんてのも先端に飾っているくらいです。)
昼になれば吹き抜けの西洋料理店でフランス語のメニューを読み(他にも英語とドイツ語ができました)作法に習って食べます。
夜には喧騒を抜けた一角に
たまに旧友を数人を連れて出ます。
そんなときだって彼らと一緒になって女をあれこれと物色したり密かに点数をつけることはありません。(私は正直者であることだけは誇りを持っていますので全てありのままです)
ご覧の通り私は不幸せとは常に対極であるべき人間です。
只どうしたことか訳もわからず、たまにどうも泣いて喚きたくなるときがあるのです。
確かにそうなのです。
はやる気持ちがガラス戸を押し開ける力を一層に強め、ついに足を踏み入れると店内をぐるりと見渡す作業を終えそそくさと二階に上がった。
長机は窓側から数えて三つ目の席に簡単な荷物を置き、その足で
そこでやっと己の動揺が一切に
女は初めて見る風であったが、長い黒色の髪を一つ束にしており、
「ティ。ホット」
途中何度か女の大きな真黒な瞳に自分の姿を探そうと試みたがいよいよ失敗であった。
この刹那のやり取りは先刻ガラス戸を開けたときとはまるで違った胸の高鳴りを激しく脈を打って全身を駆け上がり細胞の一つ一つにまで丁寧に警笛を鳴らし、ついに鼓膜までをも直に震わせた。
『何と美しいのだ』
そのとき私は冷静になり先ほどの光景をもう一度自身の中で再現してみました。
女の美しさには静かな内に威厳と貫禄がありそれを前にしては誰もが塵のようにさえ感じたのです。
己の知り得る言葉を全て用いたとしても到底敵わない彼女の美しさを前にして私は小説家としての未来をとうとう終えました。
私は席に戻ってからも、ティが来るまでの時間が永遠のように思えたくらいです。
幼い頃に仕事に出た母の帰宅を待ちわびる感覚です。
テレビを見ても
その遥か昔に置いていかれたすべての私が、今のこの瞬間の私を形成しています。
なんということでしょう。
そしてとても恐ろしくなりました。
もし女がティを運び終えてしまったら。
私はこの夢の永遠を願い、女が二度私の前に現れることを
ですが私は絶えず道を求める人間でありました。
これまで欲と己とを一切に切り離して生きてきた私でありましたから、そうして築き上げたこの城があの女たった一人によって壊されかけていることに酷く屈辱感を得たのです。
私が己の道と欲の鎖で縛られ
『いけない。あの女はいけないよ。お前は道を選んだ。今更何を恐れているんだ。』
今日も絶えず言い続けます。
私はアイツが去るのをじっと待ちました。
それでもアイツは、いけない。いけない。と繰り返します。
私がこの店来ることはもう二度とないでしょう。
そうして私は只、泣いて喚きたいだけであります。
林檎 東雲 @myonleyyt
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