黄金色の空へ

ながる

黄金色の空へ

「羽を選びませんか」


 黒スーツにアタッシュケースを抱えた男が、にこにこと話しかけてきた。

 ベッドの上でうとうとしていた俺は驚いて、うっかり半身を起こしてしまった。


「ああ、すみません。どうぞ、そのまま。まだ時間には早いですので」


 にこにこ顔のまま、男はそこにあった椅子に腰かけ、アタッシュケースを膝の上で開ける。なんなんだと訝しげな顔をした俺に、彼はさっと1冊のカタログを差し出した。


『華麗に飛び立とう!』


 そう表紙に書かれたカタログと男をしばし交互に眺める。


「あんた、誰だ?」

「しがない公務員です。今度新しいサービスが始まるので、それの説明に伺いました」


 言いながら男は慣れた手つきでカタログのページを捲った。


「まだ試験段階なので、纏まりが悪くて申し訳ないのですが……その分、数と種類は充分に用意してございます。こちらの中からお好きなものを一つ選んでいただいてですね……」


 ゆっくりと捲られるページに自然に目が吸い寄せられる。

 真っ白い2枚の羽。隣には小さく白鳥の写真がついている。

 茶色い羽は鷹や雀やフクロウなど。模様や風切り羽の形が違う。

 カワセミの、ライトブルーの羽。

 メジロの緑の羽。

 ページが捲られていけば、トンボや蜻蛉、蝶々など昆虫の羽も載っていた。

 男の手がパララとページを進める。


「この辺は、オーダーメイドになります。強度はまちまちですし、物によってはほとんど飛べませんが、それでもいいと仰る方もいらっしゃいますので」


 そこに載っているのは羽衣だったり、花びらだったり、戦闘機の翼だったりした。


「あ、LEDライトで装飾されたものもありましたよ! そりゃあもう、目立っておいででした」

「羽を、どうするんだ?」

「はい。もちろん、背に着けるのですよ?」

「もちろん?」

「新しい門出に、ふさわしい羽で飛び立っていただく、というサービスです。サービスなのでお代等は一切頂きませんが……どのくらい飛べたかデータを集めたいので、羽にマイクロチップを埋め込むことを許可していただきたく……」


 なんの冗談だろうか。話の荒唐無稽さにふと、これは夢かもしれないと思う。うとうとしたまま、夢を見ているのだと。


「危険はないのか? 墜落したり、訓練が必要、とか」

「羽は飛び方を覚えております。訓練も必要ありません。ただ、一度飛び立つと、次に地面に足がついたところで羽は外れてしまいます。長く楽しみたければ、草や木や建物の手すりなどを上手く利用して休憩して下さいませ」


 現在いまの技術なら、そんなことも可能なのだろうか。

 地面に降りた衝撃で羽が外れてしまうほど繊細なものならば、マイクロチップで管理して回収するというのも頷けないことではない。

 時間までに決まらなかった場合はスタンダードな物になることなど、一通りを説明して、男は腰を上げた。


「では、明日の朝、また伺います」


 そう言って部屋を出て行く男の後ろ姿を、ぼんやりと見送った。男の姿が見えなくなると、手の中に残されたカタログにじっくりと目を通す。男の話はどうでも、このカタログは美しかった。


 図鑑のような色鮮やかな写真の数々を眺めていると、遥か昔のことが思い出される。

 虫網を持って空を覆うようなトンボの群れを追いかけたこと。軒下にツバメの巣があったこと。蜘蛛の巣にかかった黄色のちょうちょの羽……

 切り株の上で一緒にクワガタやカブトムシを戦わせた、ショウちゃんの顔もはっきりと。

 どうしているだろうか。まだ、あの町にいるのだろうか。懐かしい顔に会いたい思いが膨らんでくる。


 都会に出てからは下を向いてばかりだったような。ベランダに来るのは鳩かカラスくらいで、息子が飼っていたのも、ショップで買ったカブトムシだった。

 ひとつの漏らしもなく、カタログを見終え、それを胸に抱いたまま眠りにつく。

 心は、決まっていた。



 *



「おはようございます」


 男の声に目を開ける。部屋の中はまだ暗かった。


「お決まりになりましたか?」


 ゆっくりと頷く。

 沢山の管に繋がれて、口元は酸素マスクが覆っている。それでも、絞り出すように声を出した。


「と……ん……ぼ」


 男は頷いて、椅子の上でアタッシュケースを開けた。

 中から手のひらに乗るようなサイズのプラケースを取り出す。中には4枚の羽が入っていた。それを見て、口元が緩んだ。

 そうだ。こんな状態で飛べるはずもない。


「では、こちらにどうぞ」


 男の言葉と同時に、ふわりと身体が軽くなった。不思議なことに、苦も無く身体が起こせる。繋がる管も消え失せ、男の前まで這っていけた。

 目の前でプラケースが開けられると、黒い筋の入った薄くて透明なトンボの羽が、少しキラキラとして見える。


「背中を」


 言われるがままに背を向ける。男の指が肩甲骨の辺りをつつくので、くすぐったかった。4度のくすぐったさを我慢すると、突然身体が縮み始めた。あ、と思う間もなくベッドの上は広大な広場になる。


「ちゃんと動きますか?」


 言われて、そっと羽を震わせてみる。いや。軽く地を蹴ればいいのだ。トンボは足が離れれば、自然と羽は動くようになっている。さながら繊細なスイッチなのだと俺は知っていた。

 ベッドを蹴りつけて飛び上がり、それぞれを高速で震わせながら、揚力と推進力を生みだしていく。俺はその場で小さな輪を描いた。スイスイと直線的な動きも、上昇も下降も、ホバリングも思いのまま。少しなら後ろに下がることだって出来るのだ。


「大丈夫そうですね。では、良い旅を」


 男が窓を開ける。東を向いたその窓から、港に朝日が昇ってくるのが見えた。

 金色に染まっていく街並みに心が躍る。

 俺は管に繋がれた皺くちゃな俺に別れを告げると、光の中へと一目散に飛び出した。




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