想い出の味

ながる

想い出の味

 何ヶ所か切れ込みを入れた昆布は、小さな水泡が出て来た時点で引き上げる。

 沸騰したところで鰹節を加えて火を止め、全部沈んだところを見計らって布巾で漉す。

 前日の夜に昆布と鰹節を水に浸けておくだけでもいい。

 そうやってとった出汁を鍋に注ぎ足してやる。

 琥珀色の透き通ったあっさり出汁で煮込まれたおでんは、店の一番人気だ。

 大根、卵、ちくわにはんぺん。こんにゃく、牛筋、ウィンナー。フキにつぶ貝、たらの白子。いわしのつみれにもち巾着……

 定番の具材から変わり種まで、四角い仕切りのある鍋の中には、それぞれの具材から出たうま味が溶けあっていた。


 その中から、飴色になった大根を平皿に乗せ、そのまま菜箸で四つに割ってやる。じゅわりとつゆが染みだし、閉じ込められていたかのように立ち上った湯気が、だしの香りを運んできた。迷ったものの、いつものように練りからしを皿の端に添えてから、客の前に置いてやる。


「……ほらよ」

「ありがとうございます」


 源三は、練り物に煮汁をかけながら、目の前の客をじろじろと眺め回した。失礼になるんだろう。けれど、それで客を失っても、もう構わなかった。

 元より客は多くない。嫌がらせのように周りをビルに囲まれた木造平屋のこの店は、気のいい常連客でもっていた様なものだ。そいつらも年をとり、ひとり、ふたりと欠けていく。

 子供達も跡を継ぐ気はなく、料理に興味を示した孫も「ぱてしえ」になると、外国へ留学してしまった。そろそろ潮時なのかと、つらつら考え始めていたところだった。


 珍客が、ふうふうと息を吹きかけて大根を冷ます様子は奇妙なものだった。

 少し目を細めて、突きだした口元は微笑んで? いるような気がする。

 毛深い……毛むくじゃらな? 黒い手の先はどうなっているのか割り箸を器用に操って、背中では先の白い太い尻尾が忙しなく揺れていた。


「……なあ、おまえさん」

「待って。食べてから」


 からしを箸先に取って、大根にちょんと乗せてから、四つに割った一つを器用に口に運ぶ。これなら、割ってやる必要はなかったかもしれない。はふはふとまだ熱そうに何度か口の中で転がして、やがてぎゅううっと目を閉じ、俯いた。両手がゆっくりと頬に添えられる。

 ぴこぴこと嬉しさに震える耳の間のふわふわの毛並みを、撫で繰り回してやりたくなった。


 狐。

 どうみても狐。

 毛並みのいいキタキツネが、カウンターの丸椅子に腰掛けて大根を頬張っている。


「お…………ぃしーーーい!」

「ありがとよ」


 店に来る客には時々人じゃない者が混じっている。知っていて、気付かない振りをしていた。


 だが。


 それも、人の形をしていたからだ。気にはなるものの、そういう時に限ってやけに客が入ったりして、結局確かめられたことはない。

 それがこうもあからさまだと、どうしていいのか分からなくなる。

 よろよろと入ってきて、カウンターの椅子にようよう上り、泥のついた百円玉を差し出しながら「だいこん……」と呟く狐を、源三はうっかりと客認定してしまった。

 他に誰もいなかったのは幸いだったのか。


 狐は大根を食べきり、皿のつゆまで啜ってから、ほぅっと幸せそうに息をついた。

 源三の口元が緩む。

 誰であれ、自分の作ったものを幸せそうに食べてくれるのは嬉しいものだ。そういう顔を見たいが為に、毎日店を開けてしまう。


「ごちそうさまでした! 姐さんの言った通りだった。ぽかぽかあったかなお味…………で、えっと、あの……になれば、『想い出の一品』を食べられるというのは……本当ですか?」

「常連?」


 急におずおずと上目づかいになった狐に、ははあ、と源三は顎をさすった。

 確かに、気の置けない常連客には時々“もう食べられない懐かしい味”を提供している。どこかで聞きかじった話を曲解して、どこぞの墓に供えられていた供物の味でも再現してほしいのかと思ったのだ。


「食いたいもんでもあんのか? だがなぁ……あれは教えてくれるヤツがいねぇと……」


 作れる料理には制限がある。まず材料が揃えられること。最近は各地の水道水も売られていたりするので、その辺は対応しやすくなったのだが。

 それから作り方を教えてくれて、手伝ってくれる。思い出話をしていると大抵姿を現して、喜んで手伝ってくれる。縁の薄いものは墓参りを促してやれば、連れて来られることもある。相性みたいなものもあるのか、駄目な時は駄目なので、馴染みの客にしか振舞ってない。


「何でもいいんです。誰のでも」

「……誰のでも?」


 源三は首を捻る。


「僕らは人の想いとか、感情のゆらぎみたいなのを糧にこちらにしがみついています。昔はよく狐や狸に化かされた、なんて話を聞いたでしょう? 幽霊だって急に目の前に現れたり、足や手を掴んだりして驚かすでしょう? あれは楽しんでるんじゃなくて、手っ取り早いご飯っていうか、おやつっていうか……最近はやりづらくなって、みんな色々やり方を変えてる。変えられた者が残ってる。その中でも『源さんの“想い出の一品”』は特別だって。普通の料理にも心がこもってるけど、『想い出』の詰まったそれは、もう、カクベツだって噂が……」


 よく解らねえが、と棚の上に置いてあったおはぎに手を伸ばし、もじもじしてる狐の前に出してやった。


「それもそうだが、そういうもんでいいのか? 昨夜のもんだから、ちと固くなってるかもしれんが」


 狐はまるまるとした瞳をさらに零れんばかりに見開いて、そのおはぎを見つめた。

 ごくりと唾を飲み込むのどが上下する。


「……あの、僕、もうお代……」

「それはもう客に出せるようなもんじゃねえからな。俺が食おうと思ってたんだ」


 そろりと壊れ物を掴むようにおはぎを持ち上げて、しばらく狐はじっと観察していた。

 半殺しのもち米。粒の残っているあんこ。粒と粒の間、あんことお餅の間、金色に輝くほの暖かいそれがおはぎを包み込んで、内側から輝いて見える。

 意を決したように、狐は目を瞑ってそれにかぶりついた。一口、二口、止まらないというように、あっという間に全部を口の中に入れてしまったかと思うと、身体を縮こめてふるふると細かく震えだした。


「お……おい?」


 あんまり急いでのどでも詰まらせたかと、源三は慌てて狐を覗き込んだ。最初に出したごつい湯呑に入った茶が丁度いい具合に冷めている。それをぐいと差し出した、瞬間。ぽんっと音がした気がして、源三はちょいとのけ反った。

 今の今まで狐が座っていた場所に、小学校高学年くらいの男の子が現れている。きらきらした瞳で源三を見上げてくるその子の頭には、茶色い三角耳がふたぁつ。ぶんぶんと振られている先の白い尻尾も健在だ。


「すごい……すごいよ! 源さん! ありがとう!」


 都会よりも青い空。もくもくと背を伸ばしていく白い雲。ぎらぎらと照りつける太陽は、しかし不快ではなく、冒険心をかき立てる。玄関を出る前に無理やり被せられた麦わら帽子は、すぐに背中で跳ねていた。

 清流に足を浸し、虫網で小魚を掬っては、石で囲って作った小さな生簀に放す。山に行けば、拾い集めたガラクタお宝を隠した“秘密基地”。緑のプラスチックの虫かごにはトンボやクワガタを満載させて。真っ黒になるまで遊んで帰ると、テーブルの上にいつでもおはぎが乗っていた。

 『またおはぎぃ~?』ポテチやケーキが食べたいと駄々をこねた。

 それでも。

 頬を膨らませながら一口齧れば、その柔らかな甘さが身体に沁みわたる。結局二つ目にも手を伸ばして、みんなに笑われた。

 ふるさとの味。婆ちゃんの味。

 突然倒れて亡くなった婆ちゃん。

 どうしてか、他の人が作ったおはぎは味が違って感じるんだ。


 誰かの『想い出』。懐かしくも、倖せな。それを、こんなにはっきりと。

 ぴょいと椅子から飛び降りて、出口に向かった少年は、引き戸に手をかけたところで慌てて振り返った。


「やめないでね! 僕達、お客連れてくるから! ね。お願い!」

「いや、それは……それより、おまえさん、その姿じゃ」


 聞いているのか、いないのか、外に飛び出した少年は瞬く間に狐の姿に戻って、闇の中に溶けていった。

 伸ばした腕の行先を見失って、源三はぽりぽりとごま塩頭をかく。

 さて、彼の言う客とは、人間だろうか?

 道楽みたいなもんだしなあ。

 溜息をつくその口元は、諦めたようにほんのりと両端を持ち上げていた。




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