『神よりも信ずる人に』Part2

 並んで起き上がった四つの的を前に、ミサゴはナイフを指に挟んで立つ。人の上半身の型をしたそれ目掛けて、彼女は次々とナイフを投げた。

 さほど力を入れていないように見えるが、刃は的の頭部に深く突き刺さった。

 さらにミサゴは、腰のベルトに備え付けたホルダーから、さらにナイフを放り、的の胸へと全て直撃させていく。

 投げナイフは、見た目よりも困難な技術である。空中で回転しないよう、なるだけ真っ直ぐ飛ぶようにする必要がある。これだけならサーカスで通用するが、暗殺や戦闘で使うとなれば、暗器だけに咄嗟に抜き取って放る必要性も出てくる。この両立は決して一昼夜でできるものではない。

 ミサゴは、養父であるファルコナーにこの技を教わった。と言っても、話を切り出した時はかなり渋られてしまい、護身用にとわかりやすい嘘まで交えて強く懇願し、ようやく彼を折れさせたのだ。

 思えばあの時が、養父と同じ世界に飛び込もうと決意したきっかけだった。

 過去の世界に意識が飛びそうになっていたミサゴは、突然振り向きざまに、腰から抜き取った一本を放り投げた。

 背後に居た人間に牙を突き立てようとしたそれは、刃の腹を蹴飛ばされ、空中で素早く回転した後、相手の手によって柄を掴まれてしまった。

「おっとっと、俺は修行に付き合うなんて言った覚えないんだけどな?」

「……ごめんなさい、つい手が出てしまったわ」

「手が出た? そういうのはもっと甘い展開で言って欲しいんだけどなぁ……」

 と、軽口を吐いたハヤブサに、ミサゴはもう一本ナイフを放り投げる。手持ちのナイフで弾きながらハヤブサは苦笑いするしかなかった。

「はぁ、相変わらず糖度ゼロだなコイツは。で、そんな君にファルコナーからの指令だ」

 養父の名が出て、ミサゴの背筋が自然と伸びる。ファルコナーの指示を受けただけで喜ぶ彼女を周囲はからかうが、当人は至って真剣なのである。

「大好きな相手を独り占めしたいのはわかるけどね、コイツはみんなのお仕事だ。上で待ってるから、どんな厄介事か早く確かめようぜ」

 掴み取ったナイフで手招きをする風にしながら、ハヤブサは上階へと上がった。

 あまり皆を待たせるわけにもいかないので、ミサゴは手早く的に刺さったナイフを回収してから、ほんのりと湿気漂う地下室の訓練場を後にした。





 *****





 ハヤブサ達のアジトはいくつか存在する。場所は不定であり、アパートや安ホテルなどを一時的に借りることもあれば、閉店したバーや雑貨店などを隠れ蓑にしたり様々だ。

 しかし今回はその中でも環境が良い、田舎の町外れにある一軒家だ。急行列車の止まらない人口の少ない土地だ。自然に囲まれひっそり佇む邸宅に、物見遊山で尋ねる人はまずいない。

 特にここは地下室付きなのが特徴だ。空間ごと吹き飛ばす爆弾でもない限りまず音が漏れないし、他人の目にも付かないので、射撃訓練や試し打ちの場としても遠慮なく活用できるのだ。

 訓練熱心なミサゴやハゲタカにとっては、大変都合の良い所であり、実際二人は交代で利用していた。

「さて、皆さん揃ったってことで、お仕事の話を始めようか」

 リビングの丸形テーブルに皆が集合したのを見計らって、司会役を務めるハヤブサが号令をかけた。席についた途端、場の空気が急激に引き締まり、表面ではヘラヘラしていた司会者も、目だけは真剣さを保っていた。

 まずハヤブサはテーブルに何枚かの写真を広げた。中に映っていたのは、決して笑顔で拝めるものではなかった。

 椅子の背もたれに全身を預けて干物のようになっている若い男、骨が抜かれたように床へ横たわる中年女性、呆けた笑顔を浮かべているが目の焦点が合っていない初老の男性……その他のどれを見ても正気の人間の姿とは思えなかった。

 ハヤブサは、全員が写真に目を通したのを見計らって、周囲に問いかける。

「問題です、コイツラの共通点はなんでしょうか?」

「酔っぱらいの醜態に見えるがよ。にしちゃぁ締まらねぇ顔のアホばっかりだな」

 トンビがしかめっ面で写真を一枚取り、ひらひらと振った。

「正解は、天国を求めて別世界から帰れなくなった、哀れな連中の写真集さ」

 そして次にハヤブサは手袋をはめて、一錠のカプセル薬をカメラのフィルムケースから取り出した。現物を見れば写真の意味は言われずともわかる。

「それで、このジャンキー連中と私達の仕事がどうやって結びつくわけ?」

「こいつを流してる元締めをぶっ潰せとのお達しさ。すなわち、麻薬取締官代行ってところかな」

「警察が頼りないから、私達に仕事が回って来たってことか、はぁ」

 元警官ということもあり、ノスリはうんざりしたようにため息をついた。頼りにならないと言われるのは、腐敗政権との癒着が長年深かったせいである。その清浄化もここ数年で着実に進み、警官達もようやくらしくなってきた、というところである。

 その現実をよく知るからノスリは脱力したのだろうが、ハヤブサはそれを苦笑いしながら否定した。

「出所の情報収集は必要とはいえ、元締めを生け捕りにしろって指示はなかった。つまり俺達に、警官に出来ないことやれって話だぜ、これは」

 その一言で、少し緩んでいた空気がまた引き締まる。

 ハヤブサ達は、陳腐な言い方をすれば殺し屋集団だ。ノスリは少し立場が違うとはいえ、チームと共闘するのであれば、肩書きはどうあれやることは同じだ。

 殺し屋に仕事を任せる以上、警官のように両手を上げさせる必要はない。目的が済めば、対象の生死は問われていないのだ。

「俺達の目的には関係ない仕事だろ? 気が乗らない」

 壁際に立っていたハゲタカが、瞑想しながらつぶやく。

 ここにいる男性陣は、恩人の殺害を指示した黒幕を追うため、利害の一致する国家に付いている身だ。だから、それに繋がらない仕事は断ることも許される、と契約上ではなっている。

 しかしこの契約は、原則明らかに無理な仕事や害の多い仕事を強制されないためのものだ。少なくとも、害が少ない依頼については、無下に断るわけにもいかない。

「そうは言ってもハゲタカちゃん、その手がかりが最近ないじゃないか」

「だからこそ、足を使って探しに行くべきだと言っているんだ」

「いやいや、だからこそドラッグ絡みの仕事なんて好都合だろ? 奴等が流してるかもしれないんだぜ」

 反社会組織にとって、違法薬物は欠かせない収入源である。リスクは高いが常習性が高いからこそ需要も常に高く、一度客を掴めば比較的安定した稼ぎになる。

「……で、何をさせるつもりだ」

 唯一渋っていたハゲタカがすんなり受け入れたのを見て、ハヤブサは丸めて壁に立て掛けていた地図を引っ張り出してきた。そして、赤いボールペンで中に印を付けていく。

「死体が発見された地点はここだ。バラバラで法則性こそないが、これだけでエリアはかなり絞れる」

 一番外側の印を目印に円を囲むと、二つの町が中に収められる。ひとまずはこの円の中から探りを入れるとハヤブサが提案すると、各々が頷いた。

「ではチームを分けるぞ。俺とミサゴ、ハゲタカとノスリで別れて情報収集だ」

「おい待て、俺は?」

 トンビは大きな身体を乗り出して抗議した。

「どう見てもお前は聞き込み向きじゃないだろ? たまにはデスクワークに回ってみろよ」

「何言ってんだ。ハゲタカみてぇな根暗の方が、絶対ぇ聞き込みなんて向かねぇよ」

 指まで差されて非難されたハゲタカはむっとして睨み返したが、双方譲らず目で威嚇し始めた。

 そんな二人を見かねてハヤブサが割って入ろうとした時、ミサゴを除く全員が背後の扉へと振り返った。玄関に繋がるそこに入ってくる人間は居ないはずだ。

 各々武器を手にする中、ミサゴだけは平然と歩き出し、扉の横へと陣取った。

「ご足労いただき、ありがとうございます、ファルコナー」

 その名をミサゴが口にしたと同時に入ってきたのは、全員が見慣れた顔であった。

「はぁ、肩凝りが酷くなるからそういうサプライズは控えて欲しいな」

「すまない、急いでお前達に伝えなくてはいけないことができてな」

 ファルコナーが胸ポケットから取り出した写真には、顔が原型を留めていない男の遺体が写っていた。写真を見せた後、彼は机に広げられた地図に赤い点を一つ足した。

「また被害者が出た。事態は我々が思っていたよりも深刻なのだ。私も調査に参加する」

「旦那、司令塔のアンタが出ることもないでしょう。二チームにオペレーター一人でなんとかするさ」

「いくつかの街を跨いだこの事件、間違いなく五人で間に合う規模ではない。それに若男女、様々な人間からアプローチをかける方が情報を引っ掛ける可能性も高まるだろう」

 今回、必ず男女でチームを分けたのは、双方のチームにおいて対応できる相手を増やすためだ。過去のトラウマで異性と付き合うのも億劫だという人間は多いし、逆に異性だからこそ口が軽くなることも期待できる。

 そしてファルコナーは、当人が言うようにこの中で一番年齢を重ねた人間である。だから他の面子とは雰囲気がまるで異なるし、それで得られる信頼もある。

「なら、私がファルコナーと組みます」

 するとミサゴが真っ先に申し出てきた。あまりにも迷いがないので一瞬全員が絶句した。しかしハヤブサは、その沈黙を破るとともに、ミサゴの言葉を速攻で否定した。

「それはダメ。今回は俺と一緒に行ってもらうよ」

「どうして?」

「その旦那に対するやたらと畏まった態度がさ、現場で隠し通せるとは思えないからだよ」

 ミサゴはそう言われても表情は変えなかった。しかし、小さく拳を握りしめ、少し震わせているのはハヤブサにも見えた。

 ハヤブサはミサゴの技術や腕に対しては一定の信頼を置いている。だからこそ組みたいとすんなり言えるのである。

 しかし同時にまだまだ青さも拭えない。それを理解しているからこそ、ミサゴは何も言い返せなかったのだろう。

 異論はないようなので、結局チームは先の二つに加えて、ファルコナーとトンビが組むことになった。とはいえ情報を集積する時間は必要なので、ファルコナー達は定期的にオペレーターの役割も多少は担ってもらうことになる。

「今から言っても着く頃には陽が落ちてからのスタートになるから、明日の朝一からそれぞれ行動開始としよう。じゃあ肝心の調査範囲を振り分けるのと」

 と地図を指先で叩きながら、ふとハヤブサはハゲタカに目をやった。キョトンとした視線を返す彼に、ハヤブサは不敵な笑みを浮かべた。

「アイツ、このままじゃノスリと並んだ時浮いちゃうよな。明らかに顔立ちが俺達と違う日系人だし」

「あー言われてみればそうね。なら、お姉様がちょっと変身させてあげようかな」

 と、彼女が取り出したのは化粧道具だった。

 それを見たハゲタカが目を剥いて威嚇したが、もはや彼に逃げ道はなかった。

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