『神よりも信ずる人に』Part1

 その少年は、父親のことが好きだった。

 ずっと教会に通っていた父は、神のお告げを常に聞けるようになり、それを少年に教えてくれた。

 父はお告げを聞く前、いつも何かを飲んでいた。身体を小刻みに震わせたかと思うと、笑顔でお告げを話し、お告げがないと悪魔に取り憑かれたかのように暴れた。

 長い間、お告げを貰えないと些細なことで少年を叱りつけて八つ当たりした。時には家の物を無作為に破壊し、少年も大事な野球道具をいくつも壊された。

 悲しかったが、少年はむしろお告げを授けてくれない神様はなんて意地悪なんだろうと嘆いた。



 少年がハイスクールに入った頃、父がお告げを聞く前に飲んでいるものを渡された。

 初めて飲んだ時、少年は雲の上の世界に一瞬で飛ばされた。

 そして、神の姿を見た。父よりも穏やかな笑顔で少年を見つめる神は、こう告げた。

「次はお前の番だよ」

 神の言葉とともに地上へ降ろされた少年は、口から垂れる涎を拭き取りながら、傍らの父を見た。

 父は泡を吹きながら、満面の笑みで息絶えていた。




 ******




 曇り空の下、ビジネススーツ姿の男が、ビジネスバッグを片手にスキップで街中を駆けていく。まるでミュージカル映画の歌唱シーンのような絵面は、傘を片手に降雨の心配をする周囲の人々に、少し奇異に映った。

 男はビルの間にある狭い路地へと飛び込んだ。そして、錆びた外階段を一気に五階分駆け上がり、その勢いのまま屋上へと飛び出した。

 屋上では、傍らにトラベルバッグを置いた小太りの男が、背を丸めていた。いきなりやってきた男に酷く驚いたようだが、相手がわかると露骨なまでに深く息を吐いた。

「お、脅かさないでくれよ、ドッグ」

「だって、階段に着いた時点で約束の時間まであと四〇秒だったんだ。遅刻はよくない、信頼関係を損ねる裏切り行為だ」

 そう言って、ドッグは懐からピルケースを取り出した。小太りの男はそれを見るや否や、目の色を変えて飛びつこうとするが、持ち主の片手に制止された。

「俺は約束の時間を守って、誠意を見せた。さてお前は約束を……いや、契約を守ったのかな?」

「悪かったよドッグ、新しい客は見つからなかった。だから老いぼれの店を襲って金を用意した。それでいつもの倍出すから、早く売ってくれ」

 手を震わせ、目をギラギラとさせながら、小太りの男は要求した。

 ドッグは、ピルケースを指で軽く開け放つ。中にはカプセル薬が何個か入っていて、小太りの男はさらに目を見開いた。

 しかし、ドッグはすぐにピルケースを閉じると、バッグを地面に落としてチャックを開けた。

 予測のつかない行動を取られたせいか、小太りの男はキョトンとしたが、鞄から取り出されたものを見て、顔を引き攣らせた。

「残念だが、天の神様が言っている。契約違反には厳粛な制裁を、ってね」

 背中を見せて逃げる間も、抵抗する余裕もなく、小太りの男は頭を撃ち抜かれた。命を奪われて屋上に倒せ伏せそうになった男を、ドッグは器用に片足で自分の方に引き寄せ、屋上を囲む転落防止の手摺に押し付けた。

「新しい客を連れてきたらブツをタダで提供する。ダメなら相応の対処をする。確かに俺はそう伝えたはずだが?」

 と愚痴を吐き捨てながら、ドッグはピルケースを取り出し、手慣れた手付きで中身を口の中に放り込んだ。

 噛み砕いた瞬間、彼はカエルが潰れたような声をあげ、強風でしなる街路樹のように身体を仰け反らせた。そして痙攣したように頭を震わせながら、深呼吸をしながらゆっくりと体勢を元に戻す。

 短距離走でも終えたようにくたびれた顔になったドッグは、ふいに自分が撃ち殺した男の方を見やった。

 そして、ふぅと息を吐いてから、手摺に背を預ける死体の首に蹴りを入れた。

「下へ参りまーす、ご通行の方は、くれぐれもご注意くださぁい!」

 そしてもう一度蹴りを入れると、遺体は手摺を越えて落ちいった。

 麻袋が落ちたような音がしてから、ドッグが階下を眺める。そこはドッグが通ってきた裏路地で、小太りの男が、真っ赤な華を自ら咲かせて寝転んでいた。

「アイツには、神の声は届かなかったかな?」

 誰に聞いたわけでもない問いかけをしながら、ドッグはピルケースを仕舞って、持ってきた鞄を片手に階下へと降りた。

 やがて、大粒の雨が降ってきて、男が作った赤い華は滲んで流れていってしまった。

 それを尻目に、男はバッグから取り出した折りたたみ傘を差しながら人混みに中へと戻っていった。




 男の死体は、ゴミを漁りに来たホームレスによって、翌日に発見された。

 証拠の多くは雨に流され、さりとて殺害の現場は目撃されず、人が落ちる音も「今思えば」という程度の証言しか、警察は得られなかった。

 ただわかっているのは、同様の事件がここ最近不定期で発生していること。そして、被害者全員の体内から違法薬物が検出されたことだけだった。




 ******




 ジャゼル公国には、いくつかの小規模な民間軍事会社が存在する。

 軍事会社とは呼ばれているが、大国と比べるとその規模は小さい。会社というより個人経営の事務所という方がしっくり来るかもしれない。

 実際、基本業務も、質の良いボディーガードを派遣するのがほとんどだ。主なクライアントは、ジャゼルにおける財界の大物が多く、時には命を狙われやすい政府の要人からも頼まれることがある。

 ファウルゼント・ヴィスコナーも、そんな軍事会社を立ち上げている一人だ。数年前まで政府において要人護衛の現場指揮官として働いていた彼は、職を辞した後、面識のあった軍人や警察官達に声をかけ、今の仕事を始めた。

 好調なことに、在籍する五人のメンバーはいつもスケジュールが埋まっている状態だ。そろそろ補充の人員を考える頃合いではあるが、時折自分を売り込みにくる不名誉除隊者や懲戒免職者を拾うわけにもいかない。

「失礼します、社長」

 入ってきたのは、秘書のミシィ・リリークだった。スーツに身を固め、長い髪を後ろで一つに縛った凛々しい女性である。

 彼女が大量の書類を抱えているのを見たファウルゼントは、大きく息を吐き、両肩を順番に軽く叩いた。

「お疲れのご様子ですね」

「別荘で身体を休めるつもりが、不測の事態で参ってしまってね。それより君には、しばしば社長代行を押し付けてすまないな」

「構いません。むしろ鳥達の案件でサポートできない私が申し訳なく思います」

 と言って、ミシィは書類の中から一枚の手紙を取り出した。九〇年代以降、先進国はインターネットに纏わる環境を格段と発達させてきた。ジャゼル公国でそれらに比べるとやや遅れてはいるが、それでも二〇〇四年を迎えた今年、携帯電話の普及が始まったところだ。

 それもあって、この国において直筆の手紙は未だに重要な連絡手段である。むしろ、ファウルゼントからすれば、ハッキングによって外部から簡単に情報が盗み取られると聞かれるそれよりは安心できるとすら思えている。

「このような会話をした矢先に申し訳ありません。ファルコナーに仕事の依頼とのことです」

「……おおよそ覚悟はしていたよ、カザノ」

 二人は、もう一つの仕事の顔に切り替わっていた。



  ******



 ファルコナーは表向き、政府の要職を辞した身だ。が、裏では経営している民間軍事会社を隠れ蓑にして、国防や治安維持に纏わる業務を行っていた。

 政府の要人という肩書きは権力として力を振るえる一方、何かと制約も多い。少しでも超法規的措置やアングラな手法に出たとみなされれば、マスコミの標的にされ、政府の不信感を煽る着火剤にされる。

 そして前国主であるゴライチェ派の人間は、それを狙って日々マスコミを焚きつけるネタを探しているのだ。

 少しでも余計な被害を防ぐため、ファルコナーは公務員としての立場を捨てた。元の職務を続けていれば、国主の護衛役をより上で取り仕切る身として高い地位を得られただろう。

 しかし、ファルコナーは権力よりも国の安泰を願って、自らの立場を捨てた。国主のブラーズから秘密裏に支援されたことはあるが、基本的にはそれも断っている。

 距離を置いたことで少なからずファルコナーへの警戒は薄れた。だからこそ、彼が面倒を見ているハヤブサ達が、暗殺や諜報活動など後ろ暗い仕事をこなしやすくなったのだ。

 ミシィことカザノも、似たような経緯でファルコナーに付いてきた女性である。ハヤブサ達とは普段は別行動を取り、ファルコナーの表の顔を代行することが多いが、たまにこうして情報や仕事を持ってくる。

「最近起きている、連続殺人のことはご存知でしょうか?」

「被害者全員から、違法薬物摂取の反応が出たという奴か」

「ですが、どの事件も捜査が行き詰まっています。手口が派手なものもあるのですが、そのわりに目撃証言に乏しいそうで」

「彼等に警察のような捜査権はない。国家権力を行使できない理由は?」

「残念ながら、我が国の警察は匂いがキツすぎるのですよ」

 ファルコナーは思わず鼻で笑った。未だにこのジャゼル公国の警察組織は未成熟だ。いかにも警察という顔で嗅ぎ回れば、すぐにわかってしまうだろう。

「潜入捜査局は……人手不足でそれどころではないか」

「それに、実は報道されていない被害者に政府関係者が居まして。今は露骨な捜査妨害こそないようですが、全てを国の直属期間に任せるには少々きな臭いかと」

 ファルコナーは、つい頭を抑える。ゴライチェ時代の腐敗の名残がまだ消えないという事実は、何度聞いても横っ面を殴られる気分だった。

 ふらつく上司を他所に、カザノは手元からメモを記した地図を取り出した。見ると一部が大きな円で囲まれていて、その中に赤いペンでバツ印が付けてある。間違いなくこれらは事件現場を指しているのだろう。

 円は首都から少し離れた都市を中心としていた。この国を代表する企業もいくつか居を構えており、他の国に規模は及ばずとも列記としたオフィス街である。

 逆に言えば、そんな人の集まる街において、違法薬物の蔓延が危惧されるというのは由々しき事態だ。しかも今は、売り手の人物像も規模もわかっていない。

「あとは、彼等に話を通して受け入れてくれるかだが」

「やはり、仇に繋がるものでないと、気が乗りそうにありませんか」

「いや、確かにそれが最大目標だが、彼等なりにこの国には尽くしてくれている」

「いざとなれば、ミサゴだけでも引き込んで、我々の手で動くしかないでしょう」

「ミサゴ、か」

 机に両肘を付いたファルコナーは、組んだ両手に頭を寄りかからせた。

「救ったはずの幼子を、私はどんどん深い地獄に引きずり込んでいる」

 仕事柄、写真立てすら飾ることができないが、自分が拾い育てた娘には、彼なりに愛情を持って育ててきたつもりだった。

 暗闇の中に放り込まれ、劣悪な環境下で喜怒哀楽の感情を奪われ、ただ本能的な恐怖に震えていた一人の少女。

 もう二度と、暗闇の世界と縁は作るまいと思い、ファルコナーはその少女を拾って、慣れない子育てに奔走した。

 絶対に日の当たる世界に戻してやる。そう決めたあの時から数年経って、今のこの様はなんだ?

「また、いつもの後悔ですか。不毛だと思いますよ、私は」

 歯噛みするファルコナーに、カザノが突然声をかけた。その一言で我に返ると、座ったまま改めて背筋を伸ばした。

「急ぎ、彼等と連絡を取ろう。今日はいろいろとご苦労だった。ひとまず、ゆっくりと休んでくれ。事と次第によってはまた君に協力を仰ぐことになる」

「わかりました、ファルコナー……ミサゴのこと、あまり頭で考えすぎないことですよ」

 少し呆れたように苦笑いするカザノを、ファルコナーは少し首を傾げつつ見送った。

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