002 ダイエット

 仕事を終えて、クロは真っ直ぐ家路に着いていた。

 休日前ということもあり、買い出しは明日にして今日はとにかく休もうと考えてのことだ。

 ここ最近は先日の台風の影響で仕事が溜まり、しばらく残業漬けだった。だから青年は、早く休もうとボロアパートの階段をゆっくりと、踏みしめるように上り詰めていた。

「ええと……確かカレーの残りがあったから、足りなかったらうどんも茹でてカレーうどんにして嵩増しすれば今日は何とかなるかな?」

 夕飯の献立を考えつつ、いつも通りドアノブを掴んで捻り、中へと入っていく。

「ただい……ま?」

「……ん?」

 そこにいたのは、青年のご主人様である少女、リナだった。

 いや、元々彼女の家なのだから、居るのは当然なのだが、今日はいつもと様相が違った。




 具体的には、どこから引っ張りだしたのか、左胸に校章が彩られたスクール水着を着ていたのだ。




「クック、クククロ……あっち向けっ!?」

 自らのペットであるにも関わらず、リナは若干顔を赤らめて叫ぶように命じながら、右腕で胸を、左手で股間を隠すようにしてしゃがみこんでしまう。

 クロは軽く溜息を吐きながら、そそくさと台所の方へ身体ごと向きを変えた。

「何を今更……今まで普通に全裸で過ごしてたのに」

「いやっ、これは別の意味で恥ずかしいっ!」

 クロの背後で、布が擦れる音がした。どうやら水着を脱いでいるらしい。

 とりあえず、カレーの残っている鍋を火に掛けながら食料を物色することにした。

「もういいよ~」

「はいはい……」

 適当に食材を準備してから、先に着替えようと振り返ってみれば、リナはしゃがんだまま水着を畳んでいた。全裸で。

「恥ずかしがる部分が絶対ズレてるよな、このご主人様は……」

「何か言った?」

 何でもない、とばかりに首を振ってから、クロはスーツのジャケットを脱ぎ始めた。




「……で、いったいどうしたの?」

 食事も終え、とりあえずくつろぐ姿勢になってから、クロはリナに問いかけた。彼女も食べ終わって満足しているのか、足を投げ出してお腹をさすっている。全裸で。

「いや、最近運動不足でさ~ちょっと身体動かそうかと運動着を物色してたのよ、今日」

 指された先に目を向けると、確かにそこには学校用の体操着やジャージ等、運動用の衣服が部屋の一角に散乱していた。

「それで幾つか着回してみたんだけど、やっぱり恥ずかしいわ。19にもなってスク水とかさ」

「……絶対羞恥心が逝かれている」

 別に見た目的にはセーフだと思うのだが、リナにとっては駄目だったらしい。水着も校章を除けば、どちらかと言えば競泳水着に近い構造なのだが、彼女にとっては完全にスクール水着なのだろう。

「ついでに言うとさぁ、最近太ってきたみたいなんだよね。下腹とか」

 そう言って、リナは軽く下腹部の肉を摘んで、少し肥えた所をアピールしてみせた。全裸で。

「別にそれくらいならいいと思うけど……」

「いくない。昔はここまで皮に余裕はなかった」

 クロの前に仁王立ちになりながら、リナは自分が如何に肉付きが良くなっているのかを見せつけてくる。全裸で。

「にしてもおかしいよねぇ、クロ。昔は運動なんて全然しなかったのに、今じゃ油断するとすぐにお肉付いちゃうなんて」

「そりゃそうでしょ。昔は働いてたんだし」

 ん、と首を傾げながら、腕を組んでいたリナは、その状態で座り込んでいるクロを見下ろした。全裸で。

「言っとくけど、セックスって結構カロリー使うんだよ。互いが身体を動かしているんだし。だから昔から結構大食らいだったでしょ?」

「……あ~」

 ようやく得心がいったのか、リナは後ろ頭を掻きながら、胡座で座り込んだ。全裸で。

「ついでに言うと、異常聴覚の方でも結構カロリー持ってかれてたと思うよ。人間って、感覚を研ぎすませるだけでも大なり小なりカロリーを消費するものだし」

「やっぱりそうだよね……ってちょっと待って、クロ。それ知ってて、昔と変わらない量のご飯用意してくれてたの?」

 何を今更、という表情でクロは頷いた。

「いやだって、個人的にはもうちょい肉付いていた方が好みだったしっ!?」

 クロはリナから飛んできたビンタを、どうにか片手で受け止めた。それで満足いかなかったのか、今度は立ち上がって防御状態のクロをストンピングしていく。全裸で。

「ク~ロ~……」

「いやでも、人間少し太ましい位の方が健康でいられるんだって。それ考えたら今迄が痩せすぎだったんだよっ!?」

「だからと言ってご主人様の許可なく太らせてくるんじゃないっての!!」

 気が済んだのか、足を戻して再び座り込んだリナ。クロも防御していた腕を解き、強ばらせていた身体を弛緩させていく。

「とにかくっ、明日からはカロリーを落としたご飯を用意することっ!!」

「……それって俺も?」

「当たり前だっ!!」

 流石にそれは我慢ならない成人男性のクロは、代替案を模索し、早くも幾つか思いついた。しかもこれならば、目の前のご主人様もストレスの発散になるだろうと考えてのものだ。

「だったらもっといい考えがあるんだけど……」

「……何それ?」

 若干訝しげな目で睨みつけてくるリナに、クロは思いついたことを片っ端から告げていく。主に自らの食生活の為に。




 翌昼前。仕事疲れで寝ていたクロの横で、就職を機に購入してもうすぐ二年が経つアップルフォンが鳴り響いた。

「はいもしも」

『お前リナに何言ったっ!?』

 電話越しに聞こえてきたのは、リナの異母兄であるゴロウだった。何事かと眠気を振り払うように周囲を見渡すと、何故か隣で寝ているはずのご主人様が居なかった。

 それで恐らく昨日言ったことを、彼女が朝早くから実践しているのだろうと悟り、クロはそれを説明することにした。

「彼女がダイエットしたいというので、カロリーの消費が激しそうなのを幾つか教えましたが……」

『ダイエットなんかでカチコミされてたまるかっ!!』

 どうやらショッピングやジョギングといった健全なものではなく、カチコミや喧嘩といったヤクザな手段を選択したらしい。

『どうすんだよこれ……リナの奴、どこから持ち出したのか、長ドス振り回して今兄貴と喧嘩してるし』

「いえ、以前組長から『娘に遊びに来て欲しい』とかこっそり相談されていたので、丁度いいかと」

『アホかお前はっ!! 今直ぐあいつを迎えに来いっ!!』

 一方的に切られたアップルフォンを置き、クロは軽く伸びをしてから着替え始めた。かつて、自分を育ててくれた古巣への手土産は何にしようと考えながら。




 電話を受けてから、たっぷり二時間掛けて到着したクロを、リナを取り押さえながらゴロウが怒鳴り散らしたのは、また別のお話。

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援交少女、ホームレスを飼う 桐生彩音 @Ayane_Kiryu

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