路地にて

青月クロエ

第1話

 さぁさ!よってらっしゃい、みてらっしゃい!本日も雲一つない晴天、絶好の買い物日和!歩道にずらりと並ぶ屋台へいらっしゃい!

 取れたてのオリーブの実はいかが??甘いジェラートをどうそ!濃厚な赤ワインをまずは一杯!地元の常連客も外国からの観光客も大歓迎!さぁさ、遠慮なんかせずにいらっしゃい!





 安息日の市場は何時にも増して喧騒に満ち溢れていた。

 行き交う人々の影が歩道に伸び、白い石畳を黒く塗り替える。物を落としたら拾えないし、転んだら踏み潰される。

 小さな子供を同伴させるのは少し危ないから、子供の姿は皆無に等しい。等しい筈なのに。

 通りから一本外れた路地の陰で小さな三つの影が、一つは小柄な大人くらいの大きさだが――、こそこそ蠢いていた。





「遠慮なんかするな、だってさ!じゃ、オレたちも遠慮なーくいただこうぜ??フィリッパ、あんまり顔出すなって。おまえは無駄にデカいんだし目立つだろ」

「うっせ、チビロメオ。おめーだって調子のってちょろちょろすんなよ!」

「はいはいはい、つまんないことで騒がないの!狩り場で仕事する前におまわりに見つかったらヤバいでしょ?!」

 ひび割れが目立つ壁を背に少女は少年達を窘めた。日焼けと老朽化で生成り色に変色した白壁が少女の浅黒い肌を際立たせている。

「へっ、ソフィアのくせにえらそうにしちゃって!」

 フィリッパはポケットに手を突っ込み、肩をいからせてソフィアを見下ろした。

「結果出してからえらそうにしなよ。ねー??」

「そうだぞ、フィリッパ。ソフィアの言うとおり!ってゆーかさぁ、さっさとおっぱじめようぜ!!」


 ジャリッ。薄い靴裏で踏まれた細かい砂、石ころが石畳に擦りつけられる。一歩踏み出した右足に体重を軽くかける。垢じみた帽子を深く被り直す。


「いいか??制限時間は10分。10分が勝負だぞ!」

「今日はあんた達に負けないわよ!」

「オレがいっちばん盗ってやるから!」


 少年達は路地から弾丸のように飛び出し、散り散りになって駆け出した。


 人混みで押し合いがてら、ジャケットやズボンのポケットへとフィリッパは若木の枝のような細長い手をシュッと滑り込ませる。

 難無くジャケットに手を突っ込めるのは大人と余り変わらない上背のお陰。ポケットに財布を入れている間抜けはそうそういないけれど、ハンカチ、スマートフォン、ペン、小銭なんかは案外入っていたりする。

 ロメオとソフィアには『小物ばっかりちまちま集めて』と小馬鹿にされるが、ブランド品のハンカチや万年筆なら価値はかなり高くなる。


『量より質!』が口癖のソフィアも押し合うふりして女性(中には男性も)の指から指輪をさっと引き抜いていた。いかにも成金風情、取って下さいと言わんばかりに、両手の指という指にごてごてした指輪をはめる中年女性など格好の獲物。こういうのに限って動きも反応も鈍い。

 指から全ての指輪を引き抜かれ、きぃきぃ喚く女をソフィアはちらりと振り返ってせせら笑ってみせた。


 小柄なロメオは人々の脚の間を器用に擦り抜け、落とし物、転がり落ちた硬貨(たまに紙幣も)を拾い集めてはよれたズボンのポケットへつっこんでいく。

 落とし物を拾いつつ、屋台の前に立つお客の足元に忙しなく視線を走らせる。


 果物屋の客はない。ジェラート屋のカップルもない。肉屋の年寄り三人組もない。他の店は――、ない。ないない、ないないない!


 なんだよ、今日の客は皆用心深いな!あっ、ちょっ、待った!!


 原色使いの派手な看板が目印の!籠一杯のフルーツと業務用ミキサー、大量のプラスチックカップとストローが軒先に並んだ店の前!あのおっさんが股に挟んでいるのは黒いショルダーバッグ!


 薄い顔立ちの異国人男性は会計途中だったのか、ぐんぐん遠ざかるロメオの背中に財布を握ったままで怒鳴り散らしていた。言葉は分からないけど、どうせ『泥棒!』って叫んでいるのだろう。知ったこっちゃない。


 ロメオはバッグを抱え込んで元来た道を全力で疾走する。人・人・人でごった返す通りを大人が彼と同じだけの速さで追いかけられる筈がない。


 ぜぇぜぇと息が切れ始める。身体と同じく小さな心臓が破れそう。

 腕が痺れる程大きく重たいバッグは皮革製品。無事に逃げ切れた、想像以上の大物が手に入ったと痛みよりも興奮で胸がはち切れそう。走りながら笑顔が溢れだす。


 失敗すれば牢屋行き、成功すればスリル満点な楽しい仕事。仲間との勝負に勝てば尚良し!





 10分前に飛び出した路地の奥深くへ素早く駆け込む。

 ソフィアとフィリッパとで戦利品の比べ合いをして――、最高潮に弾んだ息と胸の高鳴りはその人物の背中を目にした途端、急激に止まった。

 フィリッパよりも更に二回り、縦にも横にも大きな男がロメオを振り返る。男の前でフィリッパとソフィアが借りてきた猫のように大人しく、否、項垂れていた。


「よぉ、ロメオ。いいもん持ってんじゃないか」


 男の濁った黒い瞳に射貫かれたロメオの足はその場で縫い留められた。恰幅の良い身体を揺らして男は一歩、二歩と歩み寄ってくる。

 後ずさりしたくても足が竦んでうまく動かない。


「ほら、そいつを俺に出せ。ショバ代だよ、ショバ代!ポケットの中にも拾った金入ってんだろ??」


 先程、フィリッパがソフィアにしたように、男は威嚇じみた動きでロメオを見下ろしてくる。顔が近い。酒臭い。色々無理。

 引き攣った作り笑い、震える手で押し出すようにバッグを男に引き渡す。ズボンのポケットをまさぐって拾った金も怖々と差し出した。


「よーしよし、いい子だロメオ。お前らが路上で仕事できるのも、おこぼれ預かって食いつなげるのも俺のお陰だって分かってんだろ??さぁ、これが今日の取り分だ」




 手渡された報酬、たった数枚ぽっちの硬貨がロメオの掌中で無駄に、虚しく輝きを放っていた。





 (了)

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路地にて 青月クロエ @seigetsu_chloe

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