第10話 マツダCX5事件

七月も半ばを過ぎると日本列島は大きなビニールハウスに覆われているのではないかと疑いたくなる、そんな茹(う)だるような暑気に包まれ不快指数が一気に跳ね上がる。加えて気候の異常変動とのからみで、大雨や洪水、その結果でもある土砂崩れが多発すると、被る被害の甚大性は目を覆いたくなるほど悲惨であった。昨夜の中国地方を襲った洪水被害をラジオニュースで聞きながら、デミオのハンドルを握るつつの顔も曇ってしまう。


七月も後一週間で終わりを迎える土曜日、バアバは相変わらず祥子と雅子の世話に専念しているため城崎におらず、ジイジたる私は孫たちと三人で和泉市のナンノ氏宅へ向かっていた。五月の初旬に訪れて以来だから、ほぼ二か月ぶりのナンノ氏宅訪問であった。


「やあ、忙しいのに申し訳ない」


午後二時半過ぎにナンノ氏宅へ着くと、夫人と一緒に石段を下りてナンノ氏が迎えてくれる。ガレージにはデミオに代わってピカピカのCX5が鎮座している。


「いや、忙しくもなんともないよ。孫たちは大喜びでやって来たんだから」


「そう、ホンマに大喜びでやって来たんやから」


恐縮するナンノ夫人に、つつが気遣いの笑顔を向ける。


「CX5、とうとう買ったんだね。どう? 乗り心地は?」


「うん、CX5そのものの性能や乗り心地は大満足なんだよ。ただ購入のいきさつについて少々問題が生じてしまい、その相談のために、ジイジとつつちゃん、ひなちゃんのお知恵を拝借しようと思って先日電話を入れた次第なんだ。でも最近、銀行口座を確認したら、問題は大筋で解決してたみたいなんで、本当はわざわざ来てもらわなくてもよくなったんだけど、つつちゃんとひなちゃんの顔を二か月ぶりにぜひとも見てみたいって、そんなこっちの身勝手で。だから、敢えて断りの電話を入れなかったんだよ。ね、母さん」


ナンノ氏は、つつとひなに囲まれ嬉しそうに談笑するナンノ夫人に、笑顔で同意を求める。


「そう、家が近くだったら、毎日でも二人と会って楽しくお話が出来るのにね。さあ、家へ入ってちょうだい」


笑顔いっぱいのナンノ夫人に促され、玄関を入った正面の応接室へ孫たちの後から私も入って、ソファーに腰を下ろす。


「ね、ナンノのおじちゃん。ジイジに言ってた、CX5の購入に際しての問題って、一体どんな問題が起こったん?」


「うん。さっきも言ったようにCX5そのものは快調で全く問題はないんだけど、購入上のトラブルが生じてしまってね。取り敢えず時系列に沿って事実を説明させて貰うから、そのあとで、お三方のご意見を伺うことにするといいんだろうね。そうだね、お母さん」


ナンノ氏はコーヒーカップを並べるナンノ夫人に断りを入れる。我が家と同じで、女性上位とまではいわないが、夫人をさり気なく立てるというか、夫人の家庭内における地位がそこはかとなく感じられるナンノ氏の対応だった。


ナンノ氏の乗っていたデミオの車検が5月21日に切れるので、ちょうど乗り換えのいい機会だと考え、CX5の中古車を西関マツダの明光池店に購入の注文を出していたとのこと。30年以上もパジェロの四駆に乗っていたので、デミオからの乗り換えは四駆のCX5と決めていたらしく、一年以上前から販売係長に相談し、現実にも四駆のCX5の試乗を明光池店でさせてもらったのだった。


「4月に入った頃から、何度も明光池店を訪れ、良い中古車が出ていないかを検討してもらっていたんだよ。もちろん四駆で、装備もリアカメラや衝撃被害軽減ブレーキ等のこちらの希望を伝えてね。出来れば金額は150万円程度に抑えてもらうってことで」


ネットを検索すれば、結構安価なものが出ているが、購入後の修理や保証を考えるとやはりマツダ、特に地元のディーラーである西関マツダが一番安心できるので、ナンノ氏は西関マツダにこだわったのだった。


「ここからは資料を見てもらうと正確な事実が分かってもらえると思うので」


ナンノ氏は私と孫たちにコピーした三組のB5判サイズのつづりを手渡した。几帳面な性格がよく表れていて、時系列に沿った電話のやり取りや相談内容が分かりやすく記載されていた。


① 4月9日、係長から電話があり(12時23分)、良い車が見つかったとのことで、マルガジュに居合わせた山中君と一緒に西関マツダ明光池店へ出かける、との記載に三人が目を落とした。


「山中君というのはマルガジュのマスターの中学の同級生で、私とも親友付き合いをしているんだよ。彼は資産家なんだけど、自宅豪邸へ入る道が狭いことから我々と同じデミオに乗っているんだが、CX5に乗り換えようかなって口癖のように言っていたから、一緒に見に行こうってことになったんだよ」


② 明光池店から、係長の車で山中君と三人で、鳳店の展示CX5を見て簡単な説明を受ける。外観、年式、走行距離等全く問題のいない車で、150万円以内に収まる金額表示だったので、私は購入を決意し、三人で明光池店へ戻り、係長からより詳しい具体的な説明を受ける。車検が20ヵ月分も付いている割には140万円に収めてくれるのは、何ともありがたいと、その場で契約を締結し、手付として3万円を支払う。


③ 残金137万円は4月19日までに振り込んでくれればよいと言われていたが、4月13日にパソコンから振り込む。


④ 4月15日、係長に電話して、残金を振り込んだことを伝える。


⑤ 4月21日、係長には四駆以外の購入は考えていないことを何度も伝えてあったので、まさかと思ってはいたが、契約を結んだ車は四駆ではないのではないかとの疑念が浮かび(マツダディーラーの中古価格としては、少し安すぎる気がしていたので)、明光池店へ問い合わせると、若い社員が電話に出て調べてくれる。結果は、契約車は二駆であると判明。販売担当係長は休みだったので、本坂マネージャーに代わってもらうと、彼は驚いて、「エッ! 四駆でないとの重要事項の説明はなかったんですか!」と問うので、「四駆でない、つまり二駆であるとの、二駆の二の字が出た段階で、契約は先に進まなかったはずですから」と伝える。店長の田黒氏が出て、「契約した車の作業は中断しますから」と断言する。


⑥ 4月26日、西関マツダ明光池店を訪れ、改めて四駆を探してくれるよう内竹係長に依頼するとともに、先の二駆の代金140万円に近い車をネットで検索した結果を伝え、それらに当たってくれるよう頼む。一台はマツダオートザム岡山北店のCX5で、金額は115万9千円。あと一台は、マツダアンフィニ青森問屋町店のCX5で、金額は120万円(総額で132万円)だった。



⑦ 5月13日、西関マツダ明光池店で内竹係長と話し合う。マツダ系列の岡山北店のCX5と青森問屋町店のCX5を提示後も、何度か話し合うも、なかなか進展が見られず、真剣に四駆を探してくれているのか不信感がわいてきたのだ。つまり、明光池店としては既に二駆車の契約を締結してあり代金も受け取っているのだから、これで押し切ろうとしているのではないかとの疑念が湧いて来たのだ。そこで、最後の話し合いのつもりで、上記二台について善処してくれるよう依頼する。


「実はジイジには内緒にしていたんだけど、神戸で外科医をする長男が体調を崩して、週のうち、半分近くも、お母さんが長男のマンションへ泊まり込みに行ったりしていたんだよ」


「えー! 神戸へ来ていたんだったら、城崎へ電話してくれればよかったのに。そしたら、高速で神戸まで走ったのに」


私は思わず口に出したが、ナンノ夫妻としては城崎へ電話どころではなかっただろうし、それに気を使わせたくなくて、温泉町の拙宅への連絡を控えたのであろう。孫たちの方がよほど大人で、それくらいは気づきなさいとでもいうように、ジイジたる私に諭し顔を向けたのだった。


「ホント、御免。あの時期、というのは5月の中旬以降のことなんだけど、長男は過労からいろんな症状が出て、しかも我々も追い詰められて大変だったんだよ。いつ何時、呼び出しが来るか分からない状況で、車がなかったら大変だなって、お母さんと話し合っていた時期にデミオの車検切れが5月21日に迫っていたんだよ」


ナンノ氏としては、四駆をあきらめ、錯誤で契約は無効のはずの二駆の契約に甘んじその二駆を購入して乗るか、それとも四駆にこだわり岡山北店か青森問屋町店との商談結果を待つかの二者択一に迫られたのだった。


「ところがね、翌日の5月14日に内竹係長に電話すると、岡山北店のCX5は商談が入っていて難しい状態で、青森問屋町店のCX5に関しては足回りの写真を送ってくれるよう頼むと、『勘弁してください。足回りの写真は送れない』と言われました、って告げられたんだよ」


「ナンノのおじさん、それって、契約書の出来上がっている二駆を売りつけようって意図が見え見えじゃん。青森は雪の多い土地だから、足回りのイタミには気を付けないといけないと思われているところ、写真を送れないなんていうのは、そんな車は買うなって言ってるのと同じじゃん。ちゃんと写真まで載せて、ネットで販売している青森問屋町店が怒ってくるわよ」


ひなが突然口をはさみ怒り出す。


「明光池店の人たちはみんないい人たちで、係長も結構いい人なんだけど、どうしたことなんだろうね」


ひなの剣幕に、ナンノ氏は少々戸惑い気味である。


「結局、お母さんの意見もひなちゃんと同じで、このままずるずるじゃ契約書の出来上がっている二駆を買う羽目になるからっていうんで、マルガジュでコーヒーを飲みながらネットで検索すると、車検付きで一番早く乗れそうなCX5が滋賀県甲賀市のホンダカーズ土山店で販売されていたんだよ。息子のことがあって、デミオからCX5への乗り換え空白期間はできるだけ短く抑えたかったんで、おじさん、マルガジュから高速を飛ばして甲賀市へ走ったんだよ」


息子さんの症状を気にしながら、電話があればすぐ神戸へ方向転換するつもりで、ナンノ氏は甲賀市へ急いだとのこと。


「ホンダカーズ土山店の店長の増井さんは、以前、ウチの近所のホンダ店に勤めていて、こちらの事情をよく分かってくれてね、とりあえずマツダ明光池店の判断を待ちましょうと言ってくれて、CX5の仮契約だけを当日結んだんだよ。西関マツダで買うのがやはり一番安心できるからね。手付、解約手付ということになるんだろうけど、10万円にしてほしいというので、西関マツダが見つけてくれば、結局捨て金になるけど、安心料のつもりで支払って仮契約を結んで帰ってきたんだよ」


ナンノ氏は慌ただしかった当時を思い出し、夫人と目を合わせため息をついた。私が同じ立場であったら、後遺症の腰痛でそこまでの動きは無理だったと思うが、しかし我が家にはバアバがいなくても孫たちがいるのだ。恐らくもっとスマートに事件は解決されているだろう。そう考えると、つつとひなが随分頼もしく見えてくる。


「で、その後、ホンダカーズ土山店に西関マツダ明光池店、この両店とナンノちゃんはどんな関係を築くことになったんだろうか」


私はナンノ氏に相談内容の核心を告げるよう促す。孫たち、とくにひなが法律問題に発展するであろうことを見越して、私の横から真剣な瞳をナンノ夫妻に向けているのだ。


「うんそうだね。さっきも言ったようにアフターケアを考えると西関マツダでCX5を購入するのが一番安心できるんだよね。そこでCX5を探してくれるのを促す意味も兼ねて、翌15日に、本坂マネージャーに電話を入れ、CX5の購入というか、車を探してもらっている契約は解除すると伝えたんだよ。契約に直接関与しているのは店長と係長だけど、コンプライアンスという点では一番信頼できる人だと思うので、彼に伝えたんだ。私の意思を伝え聞いた店長と係長が本気でCX5を探してくれることを期待してね」


よほど西関マツダでの購入を望んでいたのか、ナンノ氏は契約解除の通告後も、17日まで西関マツダの返事を待った。が、結局何の返事もないことを確認すると、三日前と同じく高速で滋賀県の甲賀市へ走り、増井店長と本契約を結び残金を振り込んだのであった。


「でね、結局ホンダカーズ土山店と契約することにして、評判を呼んでいる新型ホンダベゼル―――このベゼル購入のために下取りに出されたCX5を購入したんだけど、明光池店は振り込まれた140万円は握っているし、二十カ月の車検付きとの関係で、当初の契約の二駆で収まるだろうと高をくくっていたように思うんだ。誤って契約を結んだ二駆で車庫証明を取っていたこともあるしね」


「私だったら、意地でもその二駆は買わないわ。おじさんは整形外科医のお兄さんのことがあって、悩んだんだろうけど、結局四駆を選んだのよね」


「そうだよ。フェアじゃない気がしてね。ホンダカーズ土山店販売の中古CX5購入に落ち着いたんだけど、増井店長の予想では、購入したCX5の車庫証明が取れるのは最短で5月28日だろうって話だったんだよ。21日の車検切れから一週間車がなくなるので、レンタカーかタクシーで長男のところへ走ろうねって、お母さんと話していたんだが、和泉警察に事情を話すと、21日に車庫証明を下ろすって、言ってくれたんだよ。あのときは本当にありがたかったよ」


「西関マツダの明光池店とは、ホンマ、大違いやね」


つつもしかめっ面で吐き捨ててしまった。


「いや、まあ。いろいろ事情があったんだろうけどね」


付き合いが長かったからか、ナンノ氏は明光池店に気遣いを見せる。


「当日は増井店長が滋賀県の甲賀市からやって来て朝一番で和泉警察で車庫証明を受け取ってくれて、その足で近くの陸運事務所までCX5を運んでくれたのもありがたかったよ。デミオの廃車手続きを取ってもらい、私はCX5に乗り換えて長男のとこに居るお母さんを迎えに行けたんだから」


当日の慌ただしさを思い出して、ナンノ氏は苦笑いを浮かべたが、すべてがうまくいったことの安堵が優ったのか、夫人の笑顔に相槌を打ったのだった。


「ナンノのおじちゃん。明光池店が、支払った140万円を返そうとせえへんかったんやないの? ね、おばちゃん」


つつがふくれっ面を夫人に向けた。


「そうなのよ。おじさんと報告を兼ねて明光池店へ出向いてね、代金と支払った車庫証明費用の2700円を返してもらいたいと店長に伝えると、整備費用をいただきたいって言われたのよ」


「エッ! 何よそれ。作業は止めるって言っておいて、整備費用の請求はないでしょう。おまけに問題の二駆、どっちみち誰かに売るんだから、整備費用は二重取りになるんじゃないのよ。大体そもそも二駆の売買契約は錯誤で無効なんだから、整備費用なんて発生するはずがないじゃん。おかしいわよ」


正にひなの言う通りで、整備費用の請求は言いがかりの類(たぐい)の主張であって、法的根拠の認められないものである。


「で、結局ナンノちゃんはどんな手をうったの? 我々に相談する前に車庫証明費用はさておき、代金の140万円は返されたらしいから」


「うんそうなんだ。ジイジに法律相談を持ちかける前に、西関マツダの本社総務部へ電話したんだよ。錯誤で結ばされた、契約書の出来上がっている二駆の整備案内が5月29日にマツダ本社から届いたので、どういう意図かって、問い合わせたんだよ。この不可解極まりない一連の対応には、マツダ大好き山中君もさすがに怒って、「俺、もうマツダで絶対、車買わへん!」ってえらい剣幕でね。取りあえず裁判を起こす前に、総務へ電話した方がよいとの判断で電話したんだよ」


「ホント、信じられないわ。はっきり言って、なんかとんでもなく幼稚で、悪意を感じてしまうわね。本社までそんなレベルとは思われないから、本社への電話は正解よね」


ひなも真剣に怒りだしてしまう。


ナンノ氏が西関マツダの総務部へ電話すると、お客様相談室へかけるようアドバイスを受け電話したところ、込み合っていて、後から相談室の担当者から電話があったとのことで、我々への情報とほぼ同じものを担当者に口頭で伝えたらしい。


「で、西関マツダからは何か言ってきたの?」


「うん。6月7日に明光池店の店長がウチの家を訪れ、整備案内を送ったのは本社のミスであり、謝罪します。車庫証明費用は払えません、と告げた後で、性懲りもなく整備費用をいただきたいと言い張るので、帰ってくださいって、帰ってもらったんだよ。その時、こちらが聞きもしないのに、青森問屋町店から足回りの写真は送れないと言われたんですよって、わざわざ伝えられたのには驚いたね。店長としては、四駆のCX5を探す努力をしたと言いたかったのかな。よく分からんけど」


「でも、何か月も前から探してくれるよう頼んであったんだから。その気になればもっと早く簡単に見つけられたはずでしょう」


ナンノ夫人が憮然とした面持ちで横から口をはさんだ。


「ホントに、懲りない人ね。で、おじさん。140万円の振り込みはいつあったの?」


「うん。振り込みは期待はしていなくて、お三方に相談してから裁判にかけることを考えようって、お母さんと話していたんだけど、先日銀行口座をネットで検索すると、6月11日に振り込まれてあったよ。意外だったけど、本社はまだ良識があるってことだよね。ただ、西関マツダからの振込を確認したのは、長男の口座に送金した7月16日で、送金確認のついでに口座の明細を見て気づいたんだよ」


「一件落着っていうには、あまりにも後味が悪い事件よね。私だったら、意地でも車庫証明費用と高速代をむしり取ってやるんだけど、ナンノのおじさんとおばさんらしい引き際よね」


「さあどうだろうね。いずれにしてもCX5は非常に気に入ってるんだ。運転はしやすいし、乗り心地も満足。それにクリーンヂーゼルだからガソリン車よりも環境にやさしい部類に入るしね。息子が全快したら、お母さんと三人で、CX5に乗って城崎へ伺わせてもらうよ」


「ホンマよ。おばちゃんも約束やからね」


つつの念押しで、CX5事件のいやな部分はどっかへ消し飛んだのだった。

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