エピローグ

 校庭の隅にある「部室」の縁側で、南牟礼みなみむれいずみは空を見上げて一息ついた。


 空には雲一つなく、見事なまでに晴れている。

 周囲の木々に張りついたせみの大群が朝からうるさかった。

 気温のわりに湿度が低くて、汗をかいてもすぐに乾いてしまう。

 文化祭準備の作業をするにはぴったりの天気なのかもしれない。


「南牟礼君、さあ、これでのどうるおしたまえ」

 後ろから声がして振り向くと、花巻そよぎが麦茶を載せた盆を持って立っていた。


「ありがとうございます」

 泉は一礼して麦茶のグラスを受け取る。


 喉がカラカラだったから、泉はそれを一息で飲んでしまった。

 砂糖が入っている麦茶であっさりと甘い。

 冷たくて、液体が食堂を通っていくのがそのまま感じられた。


「随分と大きなスピーカーが、たくさんあるのだな」

 梵が中庭を見渡す。


 庭には泉が運んでいたスピーカーが並んでいた。

 それらはさっき「部室」に届けられたもので、泉はそれをグラウンドの屋外ステージに移す作業の最中だった。


「はい、だって今年は、佐橋杏奈ちゃんと我らが今日子先輩のユニットがデビューした後の初ライブですもん。スピーカーたくさんで、最高のステージ装置にしないと」

 泉はそう言って曇りのない笑顔を見せる。


 アイドルになると公言した源今日子は、それを現実のものとして、デビューしていた。

 さらには、大物アイドル佐橋杏奈とのユニットを組んで、それが大大的に売り出し中だ。

 大物アイドルに在校生のアイドルも加わって、今年のステージは去年以上に盛り上がることが約束されていた。



「ところで、六角屋は?」

 梵が訊く。


「はい、お隣の女子高の文化祭実行委員が準備を手伝ってくれるとのことで、その迎えに行ってます」


「ああ…………」

 梵はそうこぼして肩を竦める。



 二人が話しているところへ、一人の女子生徒が現れた。


「先輩、向こうが終わったんで、こっち手伝います」

 ぱっつんの前髪と、困り眉の少女。


 小仙波百萌ももえ


 新入生としてこの学校に入学して、すぐに文化祭実行委員になった新人だった。

 彼女は新人にして、もうこの「部室」に寝泊まりして、主力となって活躍している。


「これは……」

 自分で手伝うと言ったものの、中庭に置かれた大量のスピーカーに百萌は一瞬たじろいだ。


「まったく…………ここにお兄ちゃんがいれば、こんなもの、お兄ちゃんに運ばせるのに」

 百萌が困り眉をさらに真ん中に寄せて言う。


「ホントだよね、まったく、先輩ってば…………」

 泉が少し遠くを見て溜息を吐いた。



「皆さん、お疲れさまです」

 そこに現れたのは、伊織ありすだ。


「なにか、お手伝いすることはありますか?」

 ありすが訊く。


「おお、生徒会長が直々に手伝ってくださるなど、おそれ多いことで」

 梵が大袈裟に言った。


 三年生になった今、ありすは生徒会長になっている。

 春の選挙で、無投票で選出されていた。

 彼女以外に適任はないと、対抗馬が出なかったのだ。


「重いスピーカー運びなど、生徒会長様には任せられません」

 梵が言う。


「もう! 先輩ったら、意地悪言わないでください!」

 ありすが抗議して、庭にいる女子四人が笑った。


 ピッピッ! ピー---!


 そこへ、校門の方から一台の軽トラックがクラクションを鳴らしながら走ってくる。


 軽トラックは、「部室」の玄関先で急ブレーキをかけて尻を振るように停まった。

 丁度、中庭の入り口あたりに滑り込む。

 遅れて周囲に砂塵さじんが舞った。


 軽トラックには、助手席に一人乗っている。


「ごめん、ごめん!」

 助手席のドアを開けて降りてきたのは、小仙波冬麻だ。


「もう! 遅いよお兄ちゃん!」

 百萌が口を尖らせた。


「小仙波君、こんな忙しいときに、どこほっつき歩いてたの?」

 ありすが訊く。


「それが、商店街の人に配達を頼まれちゃって。それを手伝ってたら時間が掛かっちゃった。酒屋さんの配達のバイクが、壊れちゃったんだって」

 冬麻がペコペコと頭を下げながら言った。


 冬麻は商店街の布団店に布団を借りに出ていた。

 軽トラックの荷台には、レンタルの布団や枕が山と積んである。



「文香先輩、ご苦労さまです」

 泉が言った。


 その泉の視線の先にあるのは、軽トラックだ。


「うん。泉ちゃんも、頑張ってるね」

 軽トラックが言った。

 白い、まだ新車の匂いがする軽トラック。


「さあ、もう一息、がんばろう!」

 軽トラックから聞こえたのは、紛れもなく三石文香の声だった。


 そう、くだんの作戦のあと、戦車から外された文香のAIやセンサー一式は、月島あおいの手によってこの軽トラックに移植されていた。

 文香は戦車から軽トラックとなって、今でもこの学校に通っている。


 そしてもちろん、文化祭実行委員を続けていた。


「さあ、お兄ちゃん、さっさとその布団を下ろしてね。そしたら、こっちも手伝って」

 百萌が言って兄の肩をポンポン叩く。


「分かった、分かったから」

 妹の百萌に追い立てられて、まんざらでもなさそうな冬麻。

 冬麻は急いで文香の荷台のロープを解いた。



「それにしても文香ちゃん、これでいいの?」

 文香に近寄ってありすが訊く。


「えっ? なにが?」

 文香が訊き返した。


「戦車から乗せ替えてもらえるなら、もっと可愛い車とか、カッコいいスポーツカーにすればよかったのに」

 軽トラックになった文香を見て、改めてありすが言った。


「ううん、これでいいの。この軽トラの方が、色々荷物も運べるし、小回りもきくし、文化祭にはぴったりだもの。それに、ちっちゃくて可愛いでしょ?」

 文香が答える。


「おお! よくぞ言ったぞ文香君! それでこそ文化祭実行委員である。いつ何時も祭のことを考えている。そのことを生活の中心に置く。文化祭実行委員の鏡である。皆、文香君に一目置くとよい」

 梵が言ってカカカと高らかに笑った。


「文香ちゃんは、花巻先輩の後継者になれるかもね」

 ありすが悪戯っぽく言う。


「なにを言うか伊織君! 私は一生女子高生である。この立場を譲ることなど、私の目が黒いうちは絶対にないのである」

 梵が言って、みんなが笑った。



 こうして今年も、文化祭が始まる。


                                 完

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まあ落ち着け。ちょっと他の娘のコト見たくらいで、俺に向けて120ミリ徹甲弾なんかぶっ放すんじゃない 藤原マキシ @kazz

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