淋しさと優しさと 2
どんなに憂うつな気分でも、朝はやってくる。
ククルはいつも通りの時間に起床し、
海を見ていると、少し心が凪いだ。
(私、ひどいことを言った……)
夫婦だからって、なんでも言っていいわけがないのに。
涙が出そうになって、拳を口に当てた。
ユルに、電話しないと。
そうは思うのに、怒られると想像したら身がすくむ。
結局、携帯の電源を入れないままに昼食の時間がやってきた。
作る気力が湧かなかったので、もう昼食は抜いてしまおうかと思いながら、居間の床に横たわって目を閉じる。
そのまま、少し眠ってしまったらしい。
「――おい」
信じられない声が聞こえて、ククルは目を覚まし、仰天した。
ユルが、見下ろしていたのだ。
「な、なんで……」
思わず起き上がり、後ずさる。
鍵を持っているから、おかしくはないのだが。
「朝一番の飛行機で来た。……お前、どっか具合悪いのか?」
「え? ううん……。ただ、寝てただけ」
「そうか。ならいいけど」
ユルは腰を下ろして、顔をのぞきこんでくる。
「お前なあ、心配かけるなよ。電話がつながらなくなったし、メールもライソも返信ないから、なにかあったかと思っただろ」
「ごめん……。気まずかっただけ」
止めようと思うのに、涙が出てきてククルは拳で拭った。
「ごめんね。ひどいこと言った……」
すると、ユルは黙って抱きしめてくれた。
「怒ってないの?」
「別に。むしろ、オレが弓削と所長に怒られた」
「なんで……?」
「オレが不安にさせているから、お前にそんなことを言われるんだって」
伽耶と弓削に怒られている光景がなかなか想像できなくて、ククルは目をしばたたかせる。
「娶ったなら、責任があるだろ――って。……ま、そうだよな。お前はオレが、信じられなかったんだろ」
「うん……」
そう、そうなのだ。
自分じゃなくていいのでは、と思ったのは――ひいては、ユルの愛情を疑ったということで。
「なあ、ククル」
ユルは体を離して、額をくっつけてきた。
「オレは、口が上手いほうじゃないんだ。それは、知ってるだろ?」
「うん」
「甘い言葉をささやくほうでもない。でもさ、わからないか? 今、オレがここにいることで伝わらないか?」
「…………」
朝一番の飛行機。
あれから心配して、急いで所長に手配を頼んでくれたのだろう。
結果として上司や同僚に怒られて。
それでも、ユルは来てくれた。
ククルが心配だから。
「うん……」
ちゃんと、ククルを大事にしてくれている。
「わかってるけど……不安で」
「そう言えばいいだろ。オレが怒るって思って言わないのは、やめてくれ。怒ったりしねえよ」
「うん……。でも、薫ちゃんになんて言おう?」
「その話か――。弓削がなんか色々アドバイスしてきたけど、忘れたな」
「え……」
「そのまま言えよ」
「そのままって?」
「オレたちは一緒に旅をして、時を越えてきた。お前がオレを意識していないのは知っていたから、オレも特別な感情は抱かないようにしていた。いつ、想いが兆したとか、ハッキリとはわからないんだ。だから、どこか……とか、そういうのは――なんか、違うんだよな」
ユルの説明に、ククルは何度もうなずく。
ククルも、そうだったから。
たしかに、祥子に指摘されて気づいたが――きっと、もっと昔から想いは育っていたのだろう。
そしてその想いは、言葉にならないもので。
幾千の言葉を費やしても、表現できる気がしない。
ユルもきっと、そうなのだろう。
「だからまあ……そういう運命だった、とでも言えば?」
「うん」
薫には参考にならないだろうが、誠実に答えるのが友達というものだろう。
「あと、なんでも言え。よっぽどじゃない限りは怒らないから」
「なんでも……?」
「クリスマスのときみたいに、我慢するなってこと」
「……」
淋しい、という言葉は飲み込んでいたのに。
ユルにはお見通しだったらしい。
「うん。私、淋しいよ」
また、涙が出てくる。
「でも、がんばるよ」
「うん」
真剣な顔で、ユルは聞いてくれて、ククルの背を撫でてくれた。
ククルは彼の胸に頭をもたせかける。
ただ、それだけなのに。
ずいぶん、心が軽くなっている。
言ってはいけないと思うから、余計に辛かったのだと、悟る。
「ユルも、淋しい?」
「淋しいよ」
一方通行の淋しさではないと確認できて、胸に安堵があふれる。
「でも、オレはあっちでがんばらないといけないからな。お前がここで祭祀を、オレが大和で討伐を。――それが使命だから」
「そうだね……」
しばらく、ふたりで身を寄せ合っていた。
まるで嵐から逃れた洞穴で、ふたりきりみたいで――。
ククルは目を閉じ、想う。
なんて幸せだったのだろう。前の時代ではケンカしながらふたりで旅をして、現代に来てからは共に学生生活を送って、大和では幽霊を交えて一緒に暮らして。
もう、戻ることのない日々が愛しい。
でも、きっと――これからの日々を懐かしむ日も来る。
哀しんでばかりではなく、夫婦になれたことを喜ぼう。
「もう大丈夫か?」
「うん。……ありがとう」
問われ、ククルは身を離す。
「――さて。じゃあ、オレは帰るから」
ユルが立ち上がったものだから、ククルも慌てて彼にならう。
「えっ!? 帰るって? 今日、泊まっていかないの?」
「明日はよりによって、休めない講義が一限に入ってるんだ」
(……そんなに忙しいのに、来てくれたんだ)
改めて、申し訳なさが募る。それと同時に、どうしようもなく嬉しくなる。
「空港まで送る! そのぐらいさせて!」
「はいはい。じゃあ行くか」
ふたりは自然に手をつないで、歩きだした。
平日の空港は閑散としていた。
オフシーズンだから、観光客も少ない。
「それじゃ、またな」
「うん――。待って!」
ユルの背を見送りかけて、ククルは叫ぶ。
「なんだ?」
ユルは眉をひそめて振り返る。
「…………なんでもない」
最後に抱擁しようと思ったのだが、土壇場になって恥ずかしくなってしまって諦めた。
ククルは「元気でね」と手を振り、見送る。
するとなぜかユルが戻ってきて、ぐいっと頭を引き寄せ――口づけしてきた。
目を白黒させている内に顔が離れ、ユルが笑う。
「じゃあな。春休みに帰るから!」
イタズラっ子みたいな笑顔に驚いている間に、彼は行ってしまう。
「ママ、映画みたいだったね」
「こら、見ちゃいけません!」
近くにいた親子の会話が耳に入って、ククルはますます恥じ入ってしまったのだった。
家に帰って、ククルは薫に電話をかけた。
『運命かあ……。なるほどねえ。そうか、理由より過程が大事なのかも。参考になったよ、ククルちゃん!』
「そ、そう?」
『実は、昨日の電話のあとにちょっと後悔したんだよね。ククルちゃんのプライベートなこと聞きすぎちゃったかも、って』
「ううん、大丈夫……。答えられないことは、ちゃんと答えられないって言うし」
あれはあれで――雨降って地固まるとなって、よかったのかもしれない。
胸につかえて言えなかったことも、言えた。
それに――
思い出して悶えそうになって、ククルは歯を食いしばる。
『ククルちゃん、どうしたの?』
「はっ。う、ううん。なんでもない」
その後、他愛ない話をして通話を終えた。
その日は依頼もなく、ククルは日課の祈りだけをして、一日を終えた。
夕日が沈みゆく海に、ククルはつぶやく。
「淋しいよ……」
手を組んで、祈りを捧げる。
ユルが元気でありますように、と。
「でも、がんばるよ」
小さなささやきは、潮騒にまじって――空気に溶けていった。
(了)
ニライカナイの童達【本編完結済】 青川志帆 @ao-samidare
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