淋しさと優しさと



 冬休みに帰ってきたユルが、また大和に行ってしまった。


 彼を見送って、まだ二週間しか経っていない。


 それなのに募る淋しさを押し殺しながら、ククルは神女ノロとしての日常生活を営んでいた。




 そんな昼下がり――


 久しぶりに薫から電話があった。


『ククルちゃん、ありがとう! 漫画の感想、めちゃくちゃ参考になったし、嬉しかった!』


 薫は漫画の投稿活動が実を結び、惜しくも受賞とならずも担当編集者が付いたらしく、少女漫画雑誌に読み切りが載ったばかりだ。


 ククルは信覚島の本屋まで連絡船に乗って、雑誌を買いにいった。


 何度も何度も読んで、感想をしたためた手紙を編集部に送った。


「いえいえ……。本当に感動したし、すごいよー。薫ちゃん。漫画家さんになっちゃうんだもん」


『まだ読み切り一本載せてもらっただけだから、漫画家と名乗れるかは謎だけどね……』


 薫は謙遜していた。


「ううん、漫画家さんだよ!」


『あは。ありがとう……。ところで、ククルちゃん。ちょっとお願いがあるの』


「お願い? なに?」


『次回作の構想を練っているんだけどさ……。ヒーローがヒロインのことが好きな理由にいまいち説得力が出ないんだよね。そこで、運命的な恋愛を成就させたククルちゃんにずばり聞きたいの』


「え!?」


 いきなり話題が自分のことになって、にわかに慌てる。


『雨見くんって、ククルちゃんのどこが好きって言ってた?』


「え? えええ!?」


『答えづらいのはわかるけど、参考にしたいから! お願い!』


 薫の質問に答えたいのは山々なのだが……


(い、言われてない……よね?)


「ごめん、薫ちゃん。かけ直していい? 思い出すから」


『うん! いつでもいいから、よろしくね』


 通話を切ったあと、ククルは携帯の画面に映る自分とじっとにらめっこをした。


 しばし記憶をたぐったが、やはり――


(告白はされたけど、どこがいい……とか言われてないよねえ)


 そう考えると、不安になってくる。


 ユルは、自分のことを受け入れてくれる女性であれば、ククルでなくても好きになったのではないかと。


 ちくりと胸が痛む。


 左手に視線を落とすと、白金の指輪が光る。


 不安になるのは、離れている時間が長すぎるせいだろうか。


 携帯の画面をタップすると、時刻が表示された。


 午後六時。


 仕事にはまだ早いし、大学の授業は終わっているであろう時刻だ。


 サークル活動をしていたら出ないだろうが……


(ええい! 思い切れっ!)


 ククルは緊張しながら携帯を操作し、ユルの携帯にかけた。


 四コールぐらいで、応答があった。


『――はい』


「わ、私……ククルです」


『知ってる。表示されるんだって、何回説明すればわかるんだ?』


「う」


『まあいい。どうかしたのか?』


「あのー。すごく、どうしようもない理由で電話かけちゃった……。ごめん、忙しい?」


『……今、移動中なんだ。急ぎじゃないなら、夜にかけ直すけど』


「うん、全然急いでない。お願いしていい?」


『ああ。じゃあな』


 さっさと電話が切られて、ククルは電話をテーブルに置く。


 机に突っ伏して、また左手を見やる。


 移動中ということは、どこかに行っていたのか。


(……誰かと?)


 そんなことを考えてしまう自分が嫌になってくる。


 離れても平気だと思っていた。淋しくなんてないって言った。


 それでも、いざ離れてみると――とても淋しい。


 気持ちが通ったあとだからこそ、余計に。


 インターホンの音がして、ククルは立ち上がった。


 きっと神女ノロへの依頼人だろう。


「はーい!」


 両手で頬を叩いて、しゃんとしてから、ククルは玄関に急いだ。




「なにかに憑かれたみたいなんです」


 ククルは、壮年の男性と、彼の息子であろう高校生ほどの少年を見つめた。


 少年は父親に肩を貸されて、ぐったりしていた。


信覚島しがきじまから来たんです。ここには、とびきり評判のいい神女ノロさんがいるから、と」


「そ、そうなんですか」


 それほど評判になっているのは、生き神だったおかげだろうか。


 ククルは霊力セヂはともかく、まだまだ経験不足だという自覚がある。


(しっかりしないと)


 気合いを入れ直して、ククルは少年の顔を見つめた。


 たしかに、少年の顔は土気色で、嫌なものが滲んでいた。


「……取り憑かれてますね。祓うので、浜辺に行きましょう」


 海神の末裔だから、ククルの力は海辺で更に高まる。


 そのため、お祓いをするときは浜辺で行っていた。


「なにがこいつに取り憑いているんですか?」


「そんなに強いものではないみたいなので、彼のなかにある状態だとよく見えないんです。祓ってみないと、わからないかと。なにかに取り憑かれそうなところに行きましたか?」


「……友達と、海に行っただけ……昨日の夕方に……」


 少年が、かそけき声で答える。


 人間にとって海は「異界」だ。特に夜の海には魔物マジムンが潜むゆえに、警戒しなくてはならない。海で死んだ人間の死霊も漂っていることもある。


 少年に取り憑いているのは、魔物マジムンか幽霊かのどちらかだろう。


「――さ、浜に」


 ククルが促すと、親子は大儀そうについてきた。




 少年に憑いていたのは、小さな魔物マジムンだった。


 それを祝詞で祓うと、ずいぶんさっぱりした顔になった。




 お代をもらい、彼らを見送ったあと、ククルは家に戻る。


「ただいま」


 しん、とした家の沈黙が今日はなぜか答える。


 今まで、ククルは高良家や伊波家に下宿させてもらっていたし、大和ではユルと一緒に住んでいた。


 大和では祥子もいたし、賑やかだった。


 こうして、ひとりで暮らすのは、初めてだから――淋しさが染みるのだろうか。


(広すぎるんだよね……そもそも)


 そんなことを思いながら、ククルは夕食の支度をすべく台所に向かった。


 


 電話がかかってきたのは、ククルが夕食を食べているときだった。


「はい」


『――で、話って?』


「うん……言う前に、怒らないって約束してくれる?」


『そんなことできるか』


 相変わらず、融通が利かない性格をしている。


『さっさと言えよ』


「うーん。じ、実はね……薫ちゃんが漫画を描く参考にしたいから、ユルが私のどこを好きになったか知りたいんだって」


 一気に言ってしまうと、恐ろしいほど長い沈黙が返ってきた。


『…………』


「もしもし? ……やっぱり、怒った?」


『――怒ったというか、呆れた。友達が大事なのはわかるが、オレたちのことを描くのはやめさせろ』


「ち、違うよ。薫ちゃんは、私たちのことを描くんじゃないの。相手役の男性が主人公を好きになる過程に説得力を持たせたいから、だって。それで、私に聞いてきたんだけど……私、言われてないし。わかんないし。だから、電話したの」


『…………』


「黙っているのは、心当たりがないからなの?」


『は?』


「ユルは、自分を受け入れてくれる女の子なら、私じゃなくても好きになったの?」


 言ってしまってから、ククルは血の気が引くのを覚えた。


「ごめん。なんでもない。忘れてっ!」


『おい――』


「じゃあねっ」


 電話を切って、携帯を遠くに投げる。


 畳に落ちた携帯が着信音を鳴らしたが、ククルは両手を顔で覆って、とても出られなかった。




 昨日は気まずすぎて、携帯の電話を切って眠ってしまった。


 ユルからいくつも着信が入っていたが、無視して。


(明日、謝ろう)


 そんなことを思いながら、眠った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る