砂雨

もりひさ

砂雨


「砂時計で永遠が測れないのと同じことなのよ。私達にも結局どこかに終わりがあるの」


 リリーはそう言って砂丘の冷たい中腹に腰を下ろした。

「そう思わない?」

広い、闇天井の空を小さな星が所々に散らばって支えている。


「わかんないよ」


 アランはそう言って肩で息をする。


「一体こんなに遠い所まで歩いてどうするつもりなんだい?僕達の獲物なら集落の近くに沢

 山あるじゃないか」


「同じような所に行ったって面白くないじゃない。せっかく夜なんだもの。私たちが明るみにしていない所まで歩いてみたいわ」


明るみにしてない所かあ。とアランは少し濁した後


「僕は多分、こうやって長い時間歩くのが嫌いなんだな。普段集落でやらないしその分僕の眠る時間は失われるからね」と言ってリリーの横に座った。


 地平は見渡す限り塵混じりの砂に埋もれているのに風一つない。手元を照らすランプの先にある暗闇に目を凝らすと先住者の住居の跡が転々としている。


 “先住者は我々の祖先であり今の私達の生活を作った人々です”


 集落の授業で先生がそう言っていたことが頭をよぎる。

それと同時にリリーが学校へ通っていないことも思い出されてなんだか寂しい気持ちになってリリーを見た。


「あれはきっとはくちょう座なのね。それでこっちには塵みたいになってる星がたくさんある。ほら、きっとあの星々が天の川なのよ」

「集落で習ったわけじゃ無いだろう?リリーは本当にすごいな」


照れ笑いを浮かべるリリーの頰が少し赤らむ。

 

アランには集落の人々が彼女をどう思っているかを容易に想像することができる。


 食料となる枯木の見分け方は知っているのに木の名前は一つも知らない。

 先住者でも思いつかないような美しい詩を唄うことができるのに集落で習う先住者が残した詩作術は一つも言えない。


 集落の人々に彼女はいつでも軽蔑され、無視されていた。

 だから彼女の詩を聞くことができるのは彼女が行動する夜の時間に彼女と共にいるアランだけだった。


「アランちょっとだけ聞いていてもらえる?」


 その言葉が彼女と彼女を取り巻く世界へ引き込まれる合図。


 彼女が詩を唄う時の言葉は異様に難しく繊細であった。


 しかし、少し前に集落のおさに彼女の詩を書き写して持っていった所いたく涙を流し詩を作った者を血眼になって探したことがあったからそれっきりアランはリリーの詩のことをあまり集落では言わなくなった。


 今日の夜のリリーの詩の意味はだいたいこうだった。


 “広い銀河の星々はみんな輝いているのに、とある星達が他の星と同じように輝いていることが嫌になって、この地平に砂雨になって逃げてきた。


 その銀河から落ちてきた星達が折り重なり、私たちは今星粒の砂漠の上に立っている”


「砂雨ってなんだい?」

「なんだと思う?」


 全く想像もつかないアランは

「わからないよ」と言って肩の力を抜いた。


 しかしこの時アランは今までの疲れが急に抜けきり彼女の言う星々の砂粒である地面に吸い込まれていくような気がして、リリーが行く所まで行ってみよう。という気になっていた。


「じゃあ私と一緒に来て見てみようよ」

 リリーは案の定そう言って立ち上がった。


「この辺は流砂があるから気を付けていかないとダメだよ」

「うん、わかった」


 リリーは落ち着かないような雰囲気でアランが立ち上がるのを待つ。


 そして二人はまた歩き出した。


 アランの持っているランプが二人の似たような足跡と宇宙の慣れ果てにある砂粒を一瞬ずつ明るみにして進んでいった。



 ーー



 砂は先住者が築き上げたと思われる遺築物リジェクトからはみ出して一杯になりその上からさらに降り注いでいた。


 アランは再び授業で聞いたことを思い出す。

 先住者が建てたこの遺築物は降り積もる砂の堰き止めを目的としていたそうだ。


 そこでようやくアランはリリーの言っていたの意味を掴んだ。


 確かにそう考えてみれば円形状の塔が凄惨で見え切った戦いの果てに打ち捨てられ傷だらけで立っているのがわかる。


 「ここにこうやって降ってくるから人はみんなちゃうのよね」

 「そうなんだろうね。ちょっと前に集落の長の母親が埋もれたよな」


 埋もれる。

 集落の誰にも平等に訪れる終わり。


 歳をとるごとに集落の人々も自分も徐々に砂の中にめり込んでいく。

 そうして最後砂を振り払う力がなくなると自然に砂の中に埋もれていくのだ。


 先住者も怖かったのだろう。恐れたのだろう。

 いつか来る終わりを、見る果てのない暗い夜のような未知の存在を。


 ならば、ここに獲物がある確率は高い。


 アランはポケットから折り畳みのスコップを取り出し砂雨の降り注ぐ塔の付近を掘った。砂は思った以上に軽くすんなりとスコップを受け入れた。


「お、あったあった」


 アランは次々と覆いかぶさる砂を掻き分けて少し黒みがかった人の頭蓋骨を取り出した。


「久しぶりに完成形だな。リリー今日は随分と取れそうだ。今度会う時はどこかに連れて行ってあげるよ」


「ホント?じゃあ私も一生懸命探さないとね」


 二人は手探りの灯りと折り畳みのスコップで頭蓋骨を探し続ける。

 不意にリリーが言った。


「どうして私達は頭蓋骨を探しているの?」


「僕達の集落では先住者の頭蓋骨はの対象だからね」


「シンズルモノって何?」


 意外だった。

 あんなに難しい言葉を織り成すリリーは信ずる物という一件すると身近で当たり前な集落の風習を知らなかったのだ。


「僕達が今の生活で飢えることがなかったり、不自由なく暮らすことができるのは、先住者の知恵と愛情と慈悲のお陰なんだ。だから先住者の遺留品とか遺築物には先住者の意思が宿っている、僕達が迷ったり飢えた時、間違った方向に進まないように教えてくれるんだよ」


 リリーは少し考えて

「間違った方向って何?」

 と問い詰めた。


 アランは予想しなかった問いに正直に


「実は全部集落で習ったことだから全然まだよくわかっていないんだ」

 そんな風に濁して俯いた。

リリーの問いを濁してしまう自分が嫌いになっていく。


 しばらくの沈黙で砂雨が砂とぶつかる音が辺りに漂っていく。


「みんな、先住者の教えを受けて安らかに生きているの?」

「先生はそう言っていたよ」


“先住者に従えば誰もが飢えず、この食料の乏しい土地で安全に平和に生きていくことができる”

やはり顔も浮かばない先生の言葉。身体に染み付いている。


「そんなの違うわ」


リリーは珍しく真剣な顔でアランを見た。


「飢えればきっとみんな隣の人だって殺して食べると思うわ。自分達が飢えたことがないからと言って全く知らない集落の孤児すらも飢えたことがないと思うのは愛情でも優しさでもないと思う」


 一気にそう言ってリリーは塵混じりの空気を吸い込んで溜息を吐いた。


「集落の人達のその信ずる物にはきっと完成はあっても信ずる物自体が良くなることはないのでしょうね。きっと彼らには生まれた時からある一つの正しさがずっと心の中にあって変わろうなんて少しも思わない」


濁すこともできない。

アランは乾いた瞳の奥で打ち叩かれるような衝撃を覚えていた。


 「本当に退屈で埋もれてるみたいな生活」


 リリーはそう結んだ。

 その瞬間アランは自分もリリーが言う彼らの一人なのだと感じた。


“みんなが信じてるものが本当に正しいかどうか、それを決めるのはアラン自身よ”


リリーの心がアランにそう告げたような気がして俯いた。

 それこそ、底なしの流砂に落っこちていくような気持ちだった。



 ーー



 翌日の朝、長の元に向かったアランは掘り出した頭蓋骨の換金を済ませて、授業に入った。

 しかし寝不足と歩き疲れのせいか瞼は上がらず一日中呆然として古い書き板を見ていた。


 自分は天の川の輝きに甘えて銀河から逃げることもしない臆病な星の一つなのか。


 そんな思考が頭の中を行き来し今日の夜リリーにどんな顔をして会えば良いのかわからなくなっていた。



 ーー



 夕方、いつものようにリリーの家を訪れると家の中はがらんどうで彼女が身支度をして家を出た形跡だけが残っていた。


 アランはこの上なく嫌な予感を確かに感じ、集落の周辺からくまなくリリーがいそうな所を探した。

 集落の外れの枯れ木の群れ、リリーの家の裏窓、屋根裏、


 そんな所にいるはずもないのに。


 答えは既に出ていた。

 そしてアランは歩き疲れて痙攣する足を抑えて塔の近くまで来た。


 彼女の持っていたスコップが持ち主を失って塔の近くで途方に暮れていた。

 アランは僅かな可能性にかけて必死にスコップで辺りを掘った。


 リリーはいた。


 深い流砂に沈んで息もしないで眠っていた。


 アランは次から次へとリリーの眠りを守るように覆いかぶさる柔らかい砂を掻き分けてリリーの冷たい体を抱えると冷たさがアランの手に砂と共に流れ出てくる。


 砂雨が降り続く、星々の夜。


 塔にかかる塵にようなの星を振り払ってアランの叫び声が遠い世界のどこかへ飛び散った。


 ーー


 木造りの建物の中に大小無数の砂時計が展示されている。


「砂時計というのはさしずめ複数の宇宙のようなものですな。終わりがあるように見えてその質量を人間が想像すればするほど大きく膨張していく。だからこそ私はこの砂時計の中に永遠を閉じ込めておきたいのです」


 館長はそう言って得意げにレバーを下ろした。


 すると建物を覆う歯車が重苦しい音を立てて動き出し、全ての砂時計が足並みを揃えてひっくり返りもう一度同じ時を刻み始める。


 互いに寄り添い再び落ちていく砂。


 砂時計の一つ一つに小さな小さな世界があり私達が知り得ない誰かが生きていることを私達は誰も知らない。


 終わっては元に戻り、また終わっては降り注ぐ。繰り返し続ける。


同じ結末、同じ最後を。


 そんな沢山ある世界の中の一つ。

 小さな手置きサイズの砂時計があった。


そして私達も知ることができない、顔すらもわからないが言った。


「砂時計で永遠が測れないのと同じことなのよ。私達にも結局どこかに終わりがあるの」


 その砂時計は今、最初の一粒を零し始めた。

















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砂雨 もりひさ @akirumisu

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