一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトルを思い出せない

@smile_cheese

一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトルを思い出せない

『世界の終わりはびっくりするほど呆気なかった。宇宙人がやって来るわけでも、隕石が落ちるわけでもない。世界の終わりはインスタントラーメンを作るくらい呆気なかったんだ。』



セミが鳴き始め、いよいよ夏が始まろうとしていた頃、高校一年生の上村ひなのは学校まで続く長い坂道を自転車を押しながらゆっくりと歩いていた。

日向坂(ひゅうがざか)と名前の付いたこの坂道がひなのは大好きだった。

毎日通っている道なのに、いつも違った色で溢れているこの坂道はひなのにとって特別だった。

今日もひなのは大好きなBase Ball Bearの曲を聴きながら、真っ直ぐと学校に向かっていた。


??「おはよう、ひなの!」


後ろから元気な挨拶と共にひなのの背中をポンっと叩いたのは、クラスメイトの松田好花だ。

その後ろには同じくクラスメイトの丹生明里と渡邉美穂もいる。

四人はいつも一緒に行動を共にしている、いわゆる仲良しグループというやつである。


美穂「そう言えばさ、知ってる?また小坂先輩が高本先輩に呼び出されたらしいよ。」


噂話が大好きな美穂が嬉しそうに話を切り出した。


好花「また?で、今回も若様が絡んでるの?」


と、呆れつつも興味津々な表情で好花が聞いた。


美穂「どうなんだろう?あの二人いっつも張り合ってんじゃん。若様に一番好かれてるのは自分なんだー!って。」


明里「ご贔屓の二人だもんね。」


美穂「けど、二人とも浮か浮かしていられないんじゃない?どうやら若様の新たなご贔屓さんが現れたらしいのよ。」


好花「え、本当に!?」


美穂「これは確かな情報よ。二年生の金村先輩って知ってる?駅前のお寿司屋さんのところの。」


好花&明里「うんうん。」


美穂「この前、若様が金村先輩に何か話しかけてたらしいのよ。何でも初ガツ・・・痛っ」


突然、その言葉を遮るように誰かが美穂の頭を軽く小突いた。


??「何くだらないこと言ってんだ、ミホワタナベ!」


好花&明里「あ、若様!」


そこに居たのはクラスの担任である若林だった。

面倒見がよくユーモアに溢れた授業を行うことから生徒たちにも人気があり、上から目線で少しSっ気のあるところが女子たちには好評で、みんなからは『若様』と呼ばれている。

そんな若林だが、特定の生徒を贔屓するところがあり、特にバレー部の小坂と弓道部の高本がお気に入りらしいことは明確だった。

しかし、若林の態度に多少不満を抱きつつも、本当に彼を悪く思う生徒はいなかった。

ただ一人、上村ひなのを除いては。


若林「全く、変な噂を広めるんじゃないよ。先生困っちゃうだろ。なあ、上村?」


ひなの「え…は、はい。」


ひなのは若林のことが苦手だった。

彼の贔屓に対して不信感を抱いていた。

そのため、いつも少し若林とは距離を置いた接し方をしていたのだ。


若林「なんだよ、上村。元気ないな。そんなんじゃ今日一日もたないぞ。」


うつむいて黙りこむひなの。

若林は居心地悪そうな感じで頭を掻いた。


??「先生、遅刻しますよ?」


声のする方を振り返ると、そこには先ほど噂になっていた小坂菜緒が立っていた。


若林「おー!こさかなじゃないか!」


あからさまにテンションが高くなる若林。

自然と二人並んで校門に向かい歩いていく。


明里「お似合いだよね、あの二人!」


好花「あーあ、私も若様に贔屓してもらいたいな!」


キラキラとした目で若林たちのことを煽る二人。


小坂「ほら、何してるの?あなたたちも急がないと、おしゃべりばかりしてたら遅刻するわよ。」


三人「はーい!」


ひなの(なんで?なんで、先生は贔屓なんてするの?先生はみんなの先生なのに。嫌だな…)


ひなのの思いをかき消すように鳴り響いた学校のチャイムが今日も一日の始まりをゆっくりと告げる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



お昼休みの時間。

ひなの、好花、明里の三人は給湯室にインスタントラーメンを作りに行った美穂を待っていた。

すると、お湯を入れたばかりのラーメンを持ちながら美穂が慌てて戻ってきた。


美穂「ねえねえねえねえ!大ニュース、大ニュース!!!」


好花「ちょっと、美穂危ない!とりあえずラーメン置いて落ち着きなって。」


美穂「落ち着いてなんかいられないって!さっき誰かが廊下で話してたのが聞こえてきたんだけどね、若様がなんと…」



美穂が次の言葉を叫んだ瞬間、ひなのの周りだけ音が消えた。



目の前には椅子から立ち上がり、抱き合いながら喜んでいる好花と明里がいた。

美穂も跳び跳ねながら何かを叫んでいた。

その拍子に膝を机にぶつけてラーメンがこぼれてしまったが、そんなことはお構いなしの様子だった。

ひなのだけが他の三人とは明らかに違った困惑の表情で座っていた。



真っ白だった。

何もない真っ白な空間にひなのただ一人。



若林が結婚する。

その突然の言葉にひなのは頭が真っ白になった。


考える。真っ白になった頭の中を塗りつぶすように必死に考える。


ひなの「そうか、私、本当は先生のこと…」


ひなのは気がついてしまった。

若林と距離を置いていたことが、実は不信感や苦手だからという理由ではなかったことに。

ただ、近づくことが、触れることが怖かっただけなのだと。

頬を伝う涙がそれを確信に変えていた。

本当は近づきたくて堪らなかった。

自分のことをもっと知ってほしかった。

けれど、気がついたときにはもう何もかもが手遅れだった。



『世界の終わりはインスタントラーメンを作るくらい呆気なかったんだ。』



真っ白な空間から抜け出したとき、

ひなのは保健室のベッドで横になり、一人天井を見上げていた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


苦しい。

今すぐここから逃げ出したい。

知っている人が誰もいない場所に。


そうだ、私が大好きな小説の世界になら。

小説はいつだって私を一人きりにしてくれるし、決して私を独りぼっちにはしない。


そう、私の一番大好きな、


大好きな、


あの、


ん?


おかしい。

あんなに毎日のようにみんなに話していたのに。



どうして?





【一番好きだとみんなに言っていた小説のタイトルを思い出せない】





ストーリーもぼんやりとしか思い出せない。

それも段々と消えかかっている気がする。

表紙のデザインもそこに書いてある字体も覚えているのに、小説のタイトルが思い出せない。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


ひなのは保健室から抜け出すと廊下を一目散に走り出した。


??「ちょっと、ひなの!どこに行くの?」


ひなのが倒れたと聞いて様子を見に来た幼なじみの久美がすれ違い様に声をかけるも届かない。

鞄に付けられた人参のキャラクターのストラップが荒々しく揺れている。

ひなのは学校を飛び出すと、そのまま真っ直ぐ家へと帰り、自分の部屋の本棚や机の上、押入れなどを手当たり次第に探しまわった。

それでも、そんな小説はどこにもなかった。


ひなのは布団に潜り込み、声を押し殺して泣いた。

そして、しばらく泣いて、泣き疲れるといつの間にか眠っていた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



どのくらい時間が経っただろうか。

外では日が落ち始めている。

友人たちは今頃どうしているだろうか。

若林先生は…などと考えていると、一通のLINEが届いた。




『美術室に行け』




差出人が誰かは分からなかったが、

美術室ということは学校の誰かなのだろう。

一体誰が。その答えを確かめるために、ひなのは再びあの長い坂道を登って学校に向かった。


ひなのは誰にも気づかれないように美術室の扉をそっと開いた。

薄暗い美術室はいつもよりなんだか寂しく感じた。

ひなのは辺りを見回してみたが、誰もいない。

ただ、一冊のノートが置いてあるだけだった。

表紙のデザインもそこに書いてある『上村ひなの』という字体も覚えている。

そのノートはひなのが買ったものだった。

ひなのはノートを手に取り、ページを開いてみた。



真っ白だった。

いくらページをめくってもそこには何も書かれていなかった。

ただ、何度も書いては消してを繰り返したような跡がくっきりと残っていた。


??「覚えてる?そのノート。」


振り返るとそこには久美が立っていた。


ひなの「あのLINE、もしかして久美ちゃん?」


久美「好花たちから大体のことは聞いた。あんた、保健室でうなされてたって。何度も繰り返すように小説、小説って。」


ひなのはただうつむくしかなかった。


久美「ひなのはさ、将来小説家になりたいんでしょ?そのノートは夢の第一歩だって、よく話してくれたじゃない。読んだ人たちが一番好きだと言ってくれるような小説を書くんだって。そのために買ったノートなんでしょ?」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


思い出した。

私は私自身が一番納得のいく、一番好きだとみんなに言えるような、そんな小説が書きたかったんだ。

でも、全然納得がいくものが書けなくて、何度も何度も書いては消して、結局は白紙のまま、いつの間にか書くことも諦めてしまっていたんだ。


小説のタイトルが思い出せなかったのは、自分の書いたストーリーが好きじゃなかったから。

納得のいくものが最後まで書けなかったからだ。

タイトルなんて、最初から付いていなかったんだ。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


久美「諦めるのは簡単だけどさ、今ならまた書けるんじゃない?それに、若林先生もまだ帰ってないみたいだけど、このままモヤモヤした気持ちのままでいいの?」


久美の言葉で我に返ると、ひなのはノートを抱えたまま美術室を飛び出して走り出した。


久美「頑張れ、上村ひなの。」


ひなのにはもう迷いがなかった。

若林を探して校舎中を走り回った。


??「こら!廊下を走らない!」


その大きな声に驚いて、ひなのの足はぴたりと止まる。


ひなの「あ、春日先生。」


春日「どうしたんだい、上村くん。そんなに急いでどこに行こうっていうんだ。」


ひなの「あの、私、若林先生を探していて。夢中で、その、すみません。」


春日「若林先生?ああ、確か教室にまだ居たと思うが。」


ひなの「ありがとうございます!」


お辞儀をして再び走り出そうとするひなのを春日が呼び止める。


春日「上村くん!廊下は走らない。」


ひなの「はい!すみません。」


春日「頼むな。」


急かす気持ちを抑えて、ひなのは教室に向かった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



教室では若林が一人黒板を掃除している。


ひなの「若林先生!」


若林「ん、上村?なんだ、早退したんじゃなかったのか?もう体は大丈夫なのか?」


ひなの「はい、ご心配をお掛けしました。」


ひなのが深々と頭を下げると、しばらく沈黙の時間が続いた。


ひなの「先生、結婚するって本当ですか?」


ひなのの声はとても細く、震えていた。

若林は少し困惑しながら照れながら頭を掻いた。


若林「参ったなこりゃ。誰から聞いたんだ?あっ、ミホワタナベだな。まったくあいつときたら…」


ひなの「私、若林先生のことが好きです!」


若林の言葉を遮るようにひなのは叫んだ。

あまりにも突然のかとに面食らった表情の若林。


若林「上村、一体どうしたんだ?そんな…大人をからかうんじゃ…」


と、言いかけたが、ひなのの真っ直ぐな目を見て彼女は真剣なのだとすぐに理解した。

理解はしたものの、次の言葉は決まっている。


若林「ごめん。」


ひなのにも分かっていた。

ただ、このたった三文字がひなのにはとても辛く、苦しい言葉だった。


若林「上村が先生のことを想ってくれたように、先生にも大切にしたいって想う人が出来たんだ。俺はその人を一生かけて守っていかなくちゃいけないんだよ。」


ひなのは静かに頷いた。

泣くのを必死に堪えていたが、もうこれ以上止めることは出来なかった。

大粒の涙がひなのの頬を伝う。


若林「怖かったよな。でも上村な、本気で伝えてくれたんだろ?本気でな、先生に想いをぶつけてくれた気持ち、それ大事にしようぜ。」


涙でぐしゃぐしゃになりながら、ひなのは何度も何度も頷いた。

そして、ハンカチで涙を拭いきると、さっきまでとは違った少し大人な表情をしたひなのがそこにはいた。


若林「大丈夫か?一人で帰れるか?」


ひなの「大丈夫です。それに、一人じゃないので。」


振り返ると、そこにはいつもの三人が扉の隙間から様子を伺っていた。


若林「あいつら…しょうがないな、まったく。」


ひなの「先生、私まだ先生のこと諦めてないかもしれませんよ?結婚が上手くいかなかったら教えてくださいね。」


三人の元にゆっくりと歩き出したひなの。


若林「おいおい、上村。今のは素直に祝福してくれる流れだっただろ。」


若林は苦い表情を浮かべながらもどこか嬉しそうだった。


ひなの「私、いつでもどこでも変化球なので。」


好花「ひなのー!!!」


美穂「よく頑張ったね。あんた頑張ったよ!」


明里「よし、今からファミレスで激励会しよう!」


ひなの「みんな、ありがとう。」


ひなのは独りぼっちではなかった。

だから、もう小説の世界に逃げ込む必要もないのだ。



『世界の終わりはインスタントラーメンを作るくらい呆気なかったんだ。』



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


三人と別れ、家に帰ったひなのは真っ直ぐ机に向かい、あのノートを広げた。

今の自分になら書ける気がする。

一番好きだと言える自分だけの小説が。


タイトルは…









『 初 恋 』 

    上村ひなの


Base Ball Bear『初恋』より。

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