ファアアアンの人

たまじま

第1話

僕たちは毎日毎時毎分毎秒、自分が思い感じている以上の音に囲まれて生活している。

例えば、工事現場の壁に張り付いている電光掲示板。そこに記された今の音の大きさを表すデシベルがゼロになることは決して無い。たとえ工事をしていなくても、何らかの音がそこかしこに存在し、センサーを刺激しているからだ。

ただ僕たちは今の自分に不必要だと思った音を、脳が自動的に意識からシャットアウトする便利な仕組みを持っている。

何かに追い込まれていたり、注意深くアナウンスを待っていたり、最近よく鳴るようになったスマホの自然災害のアラートなど危機を知らせる音、それら以外は無音と錯覚して生きている。あるいは、Bluetoothや有線経由で送り込まれる自分にとって心地よい音に包まれて生きている。


さて、この世の中には世界中にファアアアンの人が存在する。そうでない人とその素質を持つ人の違いはハッキリしていて、ちょっとしたことを試すだけでファアアアンの人であること、あるいは将来ファアアアンの人になる可能性が非常に高い人であることが明らかになるのだ。

ちなみに、僕はファアアアンの人のうちの一人だ。同じファアアアンの仲間とは一人だけ交流している。ファアアアンの人は案外多く存在するのだが、普段それを本人が意識していることは無い。ファアアアンの人は大変だ。デシベル表示がたとえ僅かな値であっても、思考が一瞬停止して身体の動きも制限される。しかもそれを周りの人は理解してくれない。「何故分からない? 何故聞こえない? 何故? 本当に? 冗談じゃなくて?」僕たちはよくファアアアンの人でない人々に対して思う。僕たちが改めて自分がファアアアンの人なんだな、と再認識するとき彼らはいつだって「何も聞こえないじゃん」もしくは「五月蝿いよね」と言う。


もし君がファアアアンの人に興味を持ったとしたら家の外に出て時間を潰せる場所を探すだけでいい。ファアアアンの人々は主に屋外でその特徴を現すからだ。

お勧めのスポットをいくつか挙げて見よう。

小さな森から降り注ぐ萌黄色の光と子供達のお互いを呼ぶ声が眩しい昼間の小さな児童公園のベンチ。高校生達が電線の上のスズメのように軒先で並び、コーヒー牛乳と揚げ物を頬張るコンビニの駐車場。

 あるいは僕の場合で言うと、駅から各駅停車に乗り終点にあたる都会のハブ駅前の騒がしい交差点、そこにある植木のレンガという都会の10cm幅もない硬く冷たい簡易ベンチだ。

もし君が僕よりお金持ちだったなら他の選択肢もある。オフィス街、特に出版社の多い地区の喫茶店で窓際の席に座り、珈琲を飲んだり週刊誌や文庫本、最近はタブレットになるのだろうか。 それらに目を通しながら外の様子をじっと見る。あるいはストリート系から高級ブティック系につながる大動脈と言われる大動脈を結ぶ網目の道路のカフェ。他にも首都を環状に走る二本の幹線道路沿いのファミリーレストラン。一番のお勧めは……沢山挙げ過ぎて混乱させてしまったかもしれない。 とにかく、道路に面している長時間居座れる場所に行くことだ。

 

 すると、結構なペースで歩いていたのにいきなり立ち止まったり、歩いていようがスマホを見ていようが信号待ちをしていようが構わず後ろを振り返ったり、遠くを睨みつけてもの凄く顔をしかめたり、どこかを見つめてにこやかな笑顔になったり、何を追いかけているのか目線の動きに合わせて首をぐるりと回したりする人々をポツポツと見ることができると思う。彼等がファアアアンの人だ。

ファアアアンの人を見つけることに慣れてきたら今度は車道を見てみよう。行き来する車両の中に大体一割か二割の割合でバイクが混じっていることが分かるはずだ。郵便屋さんはあんなに沢山走っているのに街中でバイクの姿を見かけるのは結構珍しいことだと気が付くだろう。次は更に視野を広げて車道と歩道、両方を視界に納めてみる。するとある法則に気が付くはずだ。それはファアアアンの人が反応するのはバイクが通るとき、ということ。

 そう、ファアアアンの人とはバイクの音に過剰に反応してしまう人々のことを指すのだ。なんだそんなことか、と君は思うかもしれない。しかし、ファアアアンという音に誘われて振り返り、隣に居る付き合ってひと月の彼女の方に顔を戻した瞬間「いい加減、私の話ちゃんと聞いてよね!」とビンタを食らって振られてしまう。そんな悲劇の人となってしまうことだってあるのだ。世の中にビンタという物が本当に実在することを認識し、かつそれを食らうという希有な経験をした。僕はそれでもファアアアンの人であることを誇りに思うし、この神様からの贈り物にケチを付けようとは思わない。世の中、何が大切かは人それぞれなのだ。

 ファアアアンの人という呼び名は僕が考えた物ではない。僕が唯一交流しているファアアアンの人である人物が考えた名称だ。その娘について語るには少しだけ時間を過去に戻さなければならない。


 約半年前。僕は渋谷と原宿の間を通る世に言うシブハラ通りをのんびり古着屋を冷やかしながら歩いていた。お金のない学生であり、アメカジファッションをこよなく愛する僕は定期的にこの通りをパトロールする。自慢のバンソンやショット、スピワック、ダルチザンにエビス、ビンテージの505、ニューエラのキャップコレクション、スニーカー代わりの英国産マーチンもこの通りで調達したものだ。僕はスニーカーは2足しか持っていない、定番アディダスと流行りのニューバランス。その代わり、ブーツは和洋ブランド合わせて5足だ。履く頻度もブーツの方が圧倒的に多い。何故なら、僕はバイク乗りだからだ。バイク乗りの足元はしっかりと足を守ってくれるブーツに限る。ただし、夏場は色々なことを覚悟しなければならない。


その日は午後からの授業が休講になり、真面目な大学生である僕は図書館ではなく、ロケ地として有名な銀杏並木が色付きはじめた街へと繰り出したのだった。渋谷と原宿を結ぶ道路は意外と色々な種類のバイクが多く行き来する為、絶好のストリート系バイクのウォッチングポイントなのだ。本気系カスタムは奥多摩へ行けば沢山居るし、電飾やウーハー付等とにかく派手なカスタムが見たければ高速道路の大きいサービスエリアへ遠出すればいい。

とにかく、その日はストリート系カスタム車を何台見られるかなとワクワクしながら大学前発のバスに乗り渋谷まで移動した。鼻から吸い込む排ガスが混じったひんやりとした空気が心地良い。

ダトトトトト……早速一台背後からやって来た。シングルエンジン、やや排気音が大きい。ヤマハのSRでマフラーはスーパートラップに変えてある、と頭の中でバイクの姿を形作った。僕はその場で立ち止まってバイクが姿を見せるのを待った。思った通り、トラッカーカスタムのSRだった。

これは幸先がいいとご機嫌で歩いているうちに数台のバイクの車種とカスタム内容を前から後ろから音で判断した。ハーレーダビットソンからカブまでバリエーションは豊富だ。全て正解だった。

僕は大いに満足しながら歩き、いつもの通りへ差し掛かろうとしていた。そこで僕と全く同じタイミングで後ろを振り返ったり立ち止まったりしている少女が居ることに気が付いたのだ。

少女はドロロンドロロン……とハーレー独特の三拍子が聞こえた途端、歩みを止めて車道の方を向いた。そして、数台の車の後で颯爽と駆けるハーレーの姿を見て満足げに微笑み、またテクテクと歩き始めた。今度は後ろからカブ系エンジン排気音が聞こえてきた。シフトダウンが四つ、これはモンキーだな、と僕はその場で立ち止まった。彼女のことがふと気になった。彼女も僕と同じように信号待ちをしている車が止っている方向を見つめている。暫くしてシフトアップの音と共に銀色のマフラーを付けたモンキーが僕らの前を横切って行った。思わず目が合った彼女は少し戸惑った様子を見せたが軽く会釈をした。僕も会釈を返した。すると、驚いたことに彼女は生真面目にも横断歩道を早足でこちらへ向いて歩いて来たのだった。

僕は不審者として連行される自分の未来を想像した。


 「すみません、お伺いしたいのですが、この辺りに詳しいですか?」と首を傾げながら思ったよりも落ち着いた声で言う彼女は正直ものすごく可愛らしかった。ものすごく好みだった。平均より少し低い身長の僕と並んでも15cm程低いだろう身長と、ぼっちゃりちょっと手前の身体。くりくりとした人の感情に敏感そうな深い茶色の二重のたれ目、手入れの必要などなさそうな綺麗な曲線を描いている眉、ぽってりとした柔らかそうなピンク色の唇が映える白い肌、セミロングの前髪が綺麗とはいえ、正直垢抜けていない髪型もこの際ポイントアップの材料だ。

今日はもうこれくらいにしておいて下さい神様! と思う位に良いバイク達と超可愛い少女を前にしていた僕は気を付けの姿勢で市場のマグロみたいにカチコチになった。

心の中で10カウントした後、上から下まで彼女を改めて眺めると、美少女であることは変わりないのだが、着ている白いワンピースも、キャスケットも、レギンスも柔らかそうなショートブーツもどれも新品ばかりのように思えた。右手には何かが入った紙袋を持っている。耳に髪の毛を掛けながら僕の方をじっと見ている。僕は緊張で上ずる声を引っ張り出した「ちょっとした服屋さんや古着屋さんなら分かる程度だけど」。彼女は、ほっとした様子でサコッシュを引っ張り上げた。そうか、なで肩なんだな。「Gパンとか……デニムの修理屋さんがこの辺りにあるって調べて来たんですけど、似たような路地ばっかりで迷ってたところだったんです」とスマホの画面をこちらへ向けた。「Gパン修理の店なら分かるよ」「本当?! もし良かったら場所を教えて頂けると大変助かるんだ……けど」急に目の焦点が合わなくなった彼女の身体を肩を掴んで支えた。見た目よりもずっと軽い。顔色が尋常じゃなく真っ青だった。「顔真っ青だよ、貧血?」「いつものことだから、大丈夫」とサコッシュをまさぐって、いくつかの錠剤を僕から隠すようにして飲んだ彼女はしばらく道端のコンクリート造りの階段で休んだ。僕は彼女の方をあまり見ないように雲の数を数えた。僕なら体調が崩れた時にジロジロ見られたくないと思ったからだ。

 僕を見上げて彼女が「大丈夫」と頷いた。念のため自動販売機でスポーツドリンクのペットボトルを買って彼女に差し出した。

デニム修理屋さんはここから三本程道を平行移動した場所にある。

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