最終話:それがお前なんだよ
残っていた最後の霊力。それがなにかに吸われてしまう感覚。二郎はおぞましい悪寒に思わず身震いした。
『油断大敵ですよ。時すでに遅しですが』
その声には聞き覚えがあった。
『貴様、キヨか』
『あら、よく覚えていらっしゃいましたこと。ええ、ええ、キヨですとも。貴方にはあの子の糧になってもらいます』
『貴様、俺に取り憑いてどうするつもりだ』
予想だにしていなかった。ここが現世だと侮っていた。今思えば、キヨは普通の霊にしては力がありすぎたのだ。かつて渡り合ってきた幽世の悪霊たち。その狡猾さが脳裏によぎる。
『俺を使って刑事に手柄を立てさせるつもりか』
『そうですよ。不憫なあの子のためにもこき使って差し上げますわ』
かつて刑事は言っていた。自分は出世から取り残された落ちこぼれだと。キヨも昇進できない刑事の不甲斐なさを𠮟責していた。
『その男を操ったのは貴様だったのか?』
『ご想像にお任せします。と言いたいところですけど、それは違いますわ。わたくしはただあの子のために貴方を利用するだけです。ずっとその機会をうかがっておりましたのよ。そろそろ観念なさってくださいまし』
成仏せずに留まる霊の執着心。それを軽く見ていた。可愛い可愛い孫に対する祖母の気持ちをなぜ見誤った。
ここは幽世ではない。現世だからといって油断しすぎていたのだ。キヨに限らずとも、憑依される危険があることを忘れるなんて、とんだ大馬鹿野郎だ。
「二郎さん、どうしたんですか? 二郎さん! 返事してください! 二郎さん!!
」
由沙を見たまま突然動きを止め、固まってしまった二郎。彼の両肩を揺さぶりながら、彼女は必死に呼びかけ続けている。しかし二郎はなにも反応することができない。憑依されてしまった自責の念が、彼の心を
癪なことだが、いかな二郎であっても取り憑かれたキヨに
このままではマズい。もう霊力は残っていない。くさびを打ち込まれたせいで指一本動かせない。なにか手は無いか。二郎は必死に考える。
「二郎さん!! 二郎さん!! 二郎さん!!」
ものすごい形相で二郎の顔を由沙がのぞき込んでいる。その目から、じわりと涙があふれだした。その涙にぬれた顔を網膜に焼きつけながら、申し訳なさと無念さに押しつぶされそうになったが、それでも彼はあきらめなかった。意識までは乗っ取られまいと気力を振り絞る。
「二郎さん!!」
『ギョェェェェェ!』
由沙が二郎の名を叫び、力強く抱きついて彼を押し倒したときにその奇跡は起こった。二人の間から突如あふれた霊子の光。それを浴びたキヨが、けたたましい叫び声をあげながら彼の体から追いだされたのだ。魂に打ち込まれたくさびは砕け散っている。キヨは怨嗟の声を残してどこかに隠れてしまった。
こんなこともあるもんだなと二郎は心底思う。たまたま由沙に身につけさせていた彼特製のお守りが、彼女が抱きついてきたことで偶然キヨを祓ったのだ。
「二郎さん! どうしたんですか」
「全てが終わった。もう一歩も動けん」
「なにかあったんですよね。なんで言ってくれなかったんですか!」
由沙は怒っていた。顔をくしゃくしゃにして泣いていた。あふれた涙がぽたぽたと二郎の顔を濡らしていく。キヨに体を乗っ取られて口を動かすことさえできなかったが、そんな言い訳をする彼ではない。かわりに、優しげな笑みを返す。
「すまんすまん。だが、お前のおかげで助かった」
「わたしじゃ力になれないかもしれません。足手まといかもしれません。でも、わたしってそんなに頼りないですか!」
よほど悔しかったのだろうか、由沙は
「泣くな由沙。お前はお前の仕事をした。お前がいなければこの事件は解決できなかった。お前がいなければ糸川奏も俺も助からなかった。だから頼りないとかそんなことじゃねぇ。お前にしかできないことがある。俺にしかできないこともある。だから泣くな」
「うふふ、わたしってダメダメですね。いつもいつも失敗ばかり」
そう言いながらも由沙は、二郎の横顔を優しく撫で、ようやく微笑みを返してくれた。
「ああ、たしかにダメダメだ。美人でもねぇし、しつこいし、後先考えねぇし、諦めが悪い」
「ヒドイ言われようね」
由沙は涙にぬれた頬を膨らませてみせるが、その顔は笑顔だった。さっきまで悔しそうに泣いていたというのに、この切り替えの早さは彼女の取り柄でもある。
「だがな、それがお前なんだよ。俺はそんなお前を気に入ってんだ。貫けばいい。お前はお前がやりたいことを貫き通せ。なにがあろうと俺が守ってやる」
「カッコいいこと言っちゃって。でも、それが二郎さんですよね。分かりました。元気になったらどんどんテレビに出ましょう。わたしが必ず仕事を取ってきます」
「ほどほどにな」
そんなことを話しているうちに、バタバタと足音が響いて部屋が光で照らされる。警部と刑事は状況に目を丸くし、波留はホッと胸をなでおろしていた。
「終わったのですね」
「ああ、全てが終わった。そいつが糸川奏の誘拐犯だ」
駆けつけた警部が、気絶している犯人二人を懐中電灯で照らし、その顔を浮かび上がらせ、確認している。警部は糸川奏を襲っていた男に光を固定し、納得顔で口を開いた。
「なるほど、彼でしたか」
「知り合いか?」
「彼女が通う高校の用務員です。怪しいところはありませんでしたが、まさか彼だったとは」
警部は悔しげにそう言ったが、悪霊に操られていたのでは本人にその記憶はない場合が多い。分からなかったとしても恥ではないのだ。
「悪霊に操られていたからな。その悪霊が憑いていたのがコイツだ。糸川奏誘拐と喜多川みゆ殺害の主犯、テレビKTの新井だ。見覚えがあるだろう?」
「もちろんです。しかしなるほど、そういうことだったのですね。流石です。全てが繋がりました。あとは我々の仕事です。二郎さん、本当にありがとうございます。そしてお疲れさまでした」
深く頭を下げた警部が刑事に指示をだし、二人が拘束された。しばらくしてパトカーと救急車のサイレンが鳴り響くなか、波留の肩を借りた二郎たちは廃墟を後にした。
三人で事務所の車に乗り込み、坂道を下るなかで由沙が二郎に肩を寄せる。
「二郎さん。体調が戻ったらお仕事頑張りましょうね」
「ああ」
―― 完 ――
強面霊能者とちょいブスマネの事件簿 九一七 @kuina917
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