第41話:霊能捜査――その八

 ここは由沙には暗すぎると思い、二郎が海側のカーテンを開けると、わずかに差し込む夜景の明かりが、寝かされた糸川奏をぼんやりと照らしだした。


「えっ!? ど、どういうこと?」

「さらわれた糸川奏だ。その男が犯人だろう」


 二郎は糸川奏の裸体から視線を外し、うずくまる男の襟首をつかみ上げた。強引に左手一本で男を持ち上げ、苦しんでいるのもお構いなしに右の拳を鳩尾に叩き込む。男はぐったりとして白目をむいた。


「良かった。息があるわ。んんー、でも解けない」

「なら掛布団をかけて温めてやれ。すこしはマシになるだろう」


 由沙は糸川奏を縛り上げているロープをほどこうと悪戦苦闘している。しかしあいにく、ロープを断ち切る刃物は持ち合わせていない。


「由沙、スマホ持ってるか?」

「えっと……あるわ」

「波留さんが表まで来ている。状況を報告してくれるか」

「波留さんね」


 今この場を離れるのはマズいだろう。幸いなことに、波留ならばこの状況を打開できそうだった。しかし、二郎はこの状況が、油断すべきものではないと判断している。


 由沙を襲っていた男には、彼女を操れるほどの力がない。そんなことは見てすぐに分かった。ならば、この男も操られている可能性が高い。もしくは自主的にかかわっている共犯だ。


 スマホの前で唾を飛ばす由沙を常に視界の片隅に置き、警戒をしながらも二郎は考える。そこで気絶している誘拐犯と、由沙を操った犯人であろう新井が繋がっているのは間違いない。繋がっているからこそこの場所なのだろう。しかし、それはどうでもいいことだ。犯人二人の関係性など、警察に任せればいいのだから。


 そんなことを考えているときだった。


 ごくごくわずかな違和感。警戒している今だからこそ気づけた綻び。彼だけにしか捉えられないであろうその綻びに、二郎は口の端を吊り上げる。


「そこか!」


 極めて小さな霊子の揺らぎ。それが部屋の片隅に漂っていたのだ。二郎はとっさに霊力を練り上げ、部屋の隅に向けて力を解き放った。空間が歪み、もやが現れる。そのなかから、見覚えある男が現れた。テレビKTプロデューサーの新井だ。二郎の推測は間違っていなかった。


 禍々まがまがしい靄をまとった新井は、不気味な笑みを浮かべている。その顔は、いつものおちゃらけたものではなく、酷く醜悪に歪んでいた。


「まさか見つかるとはな。見くびりすぎたか。だが、貴様ごときが我をどうこうできると思わぬことだ。そこな小娘もようやく我がものにできそうなところを邪魔ばかりしおって。だが貴様さえ消えればどうとでもなる。生意気なその醜女共々、貴様も喰らうてくれようぞ」


 普段二郎は、霊力を体内の深奥にぐっと抑えこんでいる。だから新井は彼の力を誤認しているのだろう。しかし本来の霊格でいえば、二郎の方が上だ。けれども、肝心要の霊力が枯渇しかけている今は、その立場が逆転していた。


 二郎にも誤認があった。現世で活動する悪霊のほとんどは、幽世のそれと比べて大した力を持たない。けれども新井の中に巣くう悪霊は、その存在と力をずいぶんうまく隠していた。二郎でも気づけなかった隠ぺいの巧みさは侮れない。隠されていた霊力も、彼の想定を完全に上回っていた。靄として可視化できるほどの霊力がそれを物語っている。


 このままではマズい。電話を掛けていた由沙が、新井が垂れ流す霊力にあてられてスマホを取り落とした。彼女はぺたんと崩れるように座り込み、驚愕の顔で目を見開き、震えながら新井を凝視している。


「いつもと喋り方が違うな、新井さんよ。今までの態度は芝居か?」


 少しでも隙を作ろうと話しかけながら、二郎はゆっくりと新井に近づいた。もたもたしている時間は無い。新井から漏れた霊力に由沙が中てられているのだ。間合いに入った瞬間、二郎は残り少ない霊力で右手に刃を瞬時に形成し、振り上げるように切りつける。


「その程度では効かぬなぁ。我の結界を破るのに力を使い果たしたか。哀れなものよ」


 二郎の斬撃は靄に受け止められてしまった。彼の霊力は底をつきかけている。二度にわたる結界破りと形成した霊力の刃で、残っていた霊力の大半を消費していたからだ。二郎の呼吸が急激に荒くなり、とうとう片膝をついてしまう。その態勢で顔を上げ、勝ち誇った様子の新井に憎々しげな視線を送る。


「どれ、まずは邪魔な貴様から喰ろうてやろう」


 新井が靄を操り、満足そうに二郎を覆い隠した。その瞬間を待っていたかのように二郎の体がブレる。


「ぐをっ!」


 二郎は新井を油断させようと芝居をしていたのだ。幽世で幾多の悪霊と渡り合ってきた彼の経験が活きた。たしかに彼の霊力はほとんど残っていない。だからこそ油断を誘う罠を張った。


 二郎は油断していた新井にタックルするように抱きつき、そのまま体重を乗せて押し倒した。馬乗りになったと同時に、上着に忍ばせていたお札を新井の額に押し付ける。


「な!?」


 二郎はその体制のまま、刃に使っていた霊力を練り上げ、指先の一点に集中させていく。


「油断したな新井さんよ。これで終わりだ」


 極限にまで圧縮された霊力の波動が、お札の力で動きを封じられた新井の要を貫いた。もがき苦しむ新井は急速に霊力を失い、死んだように気を失うのだった。


 新井の体から、喰われていた幾体もの霊が姿を現し、辺りを漂う。


「お前たちはもう自由だ。お前たちを喰らった悪霊もこのとおり倒した。だから迷わず成仏しろ」


 霊たちはしばらく二郎の周りを漂い、『ありがとう』の一言を残して消えていった。その中には、多喜川みゆの霊も含まれていた。彼には送ってやる力は残されていない。しかし、この様子ならば迷うことはないだろうと安堵した。


 正直危なかった。それが窮地をしのいだ二郎の偽らざる気持ちだ。けれども、今は由沙のことが心配だった。


「由沙! 大丈夫か」

「うん、わたしは大丈夫。でも、どうして新井Pが? なんでこんなところに?」


 由沙は納得いかないような顔で座り込んでいる。二郎は彼女の隣に、寄り添うように腰を下ろす。


「お前がしつこいから新井に操られただけだ」

「そうだったんですね。わたしが余計なことをしたから……」


 二郎が首だけを回し、静かになった由沙の様子を伺おうとしたところで、しかし事態は急転する。

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