最終話「僕の魔王、わたしの邪神」
あの日の戦いを
邪神ニャルラトホテプの暗躍により、ウルス共和国は滅亡した。そして今また、レヴァイス
先日と同じか、それ以上に混雑した往来の中で、灯牙は王宮前に立っていた。
「クトゥグア様、ソリアは……あの子は大丈夫でしょうか」
彼女の、いつになく心配そうな声に灯牙は頷く。
「心配ないよ、アルテア。ソリアさんは、本番に強いタイプだと思うから」
「そ、そうなんです! ソリアは昔から要領がよくて、いつも堂々としていて……わたしは、そういうの、ダメで……だから、魔王をやるのも、心細くて」
「それも過去の話、そうだろ?」
「はい……今は側に、クトゥグア様が。……灯牙様が、いてくれます」
混雑の中、前の方で式典を見たいと無理に進む者たちがいる。その一人に背を押されて、
すぐに灯牙が支えれば、顔とか音が驚くほどに近い。
今日も
以前よりアルテアは、少しだけ表情が柔らかくなったような気がする。
「す、すみません、灯牙様」
「ああ、気にしないで。それと、さ」
「?」
もう既に、アルテアは魔王ではない。
厳密には、今は魔王ではないのだ。
かつて二つの超大国を相手に挙兵し、大きく時代を動かす原動力となった少女……今はただ、灯牙にだけ優しく
その真っ直ぐな
「も、もうさ……灯牙、って呼び捨てにしてくれないかな。リアラさんみたいにさ」
「は、はい! で、では……呼びますね? 今から、呼び捨てにします。いいですか?」
「ど、どうぞ……そう改まらなくても」
「いえ! その、わたしが心を許す、初めての
「そ、そう。俺と……僕と、同じだね。僕も、アルテアを特別に思ってしまうよ」
今は、今この瞬間だけは、ただの少年少女でいたい。
多くの群衆が待ちわびる、歴史的瞬間に立ち会うただの二人でいたいのだ。
そして、いよいよ式典が始まった。
王宮のバルコニーに、着飾った
割れんばかりの大歓声に、彼女はそっと右手をあげて清聴を求めた。背後には、騎士の礼装に身を固めたソリアも一緒だ。こうして見ると、リヴァイスの
一度アルルは振り向き、ソリアの頷きを拾って民衆に口を開いた。
「この場に集いし我が
母なる皇帝を称える歓呼の声が、一人の少女に殺到する。
灯牙は、周囲で声をあげて大地を踏み鳴らす民に圧倒された。
今、帝國の民は長き戦争から真に開放されたのだ。
そして恐らく、二人の邪神も、魔王を演じた少女も歴史の中で忘れられてゆくだろう。この日をアースティアは、輝ける未来への一歩として記すことになるのだ。
「余は決断した。新たにウルスの民を受け入れ、その国土を
一度言葉を切って、アルルは民の驚きを見渡す。
どよめく者たちに対して、彼女ははっきりと簡潔に今後の方針を伝えた。
「今日を持って、レヴァイス帝國はその帝政の歴史に一区切りをつける。今後は憲法なるものを制定し、ウルスの地の手法も交えて
――これよりアースティアは、それ自体が一つの国となる。
確かに、アルルはそう宣言した。
これが、この世界の最初で最後の建国宣言。
異世界アースティアは、そのまま皆のふるさとの名になるのだ。
一瞬の沈黙、そしてざわめき。
「アルル様、万歳! アースティア、万歳!」
誰かが叫んだ。
それが新たな声を、万感の絶叫を呼ぶ。
あっという間に灯牙は、激しくにらいだ空気の中で熱気に圧倒された。アルテアも同じようで、
勇気ある決断を
実は、あの戦いのあとのアルルとの会談で、灯牙が提案したことだ。憲法を制定し、少しずつ
「でも、不思議です……灯牙、ウルスの地では民主共和制というのは」
「僕も世間を知らないから、言えた口じゃないけどね……ようするに、王様か議会かってのは、方法論に過ぎない。帝國みたいに、一人の女性が全てを取り仕切った方がいい時代もある」
「これからは、そうではないと?」
「戦争は終わったからね。得られた平和を、全員で分かち合うために、そのために……誰もが国家の運営に対して責任を持たなきゃいけないんだ。なにかあったら自分のせいだぞ、って言い聞かせて、頑張らないとね」
恐らく、新たに出来たアースティアという国は……前途多難だろう。
エルフやホビット、ドワーフといった亜人たちとの間には、まだまだ確執が多い。ウルスの民も、すぐにはレヴァイスの風土には
また、既に遠くウルスの地では、あの狂った統制社会の後継者を名乗る者たちも現れているという。
その影に、あの男の気配を灯牙は感じていた。
だから、灯牙は再びアルテアと新たな戦いを始めるつもりだ。
その時、燃える炎のクトゥグアに戻るその瞬間までは……彼女とぬくもりを分かち合っていたい。人の中で人として、新たな未来の可能性に希望を見出していたいのだ。
「それにしても、凄い混雑だ……そろそろ行こうか、アルテア」
「は、はいっ!」
「本当にソリアさんに会わなくて、いいの?」
「心配でしたが、大丈夫です。いつか再会するその時まで、わたしはもっと強く……あっ!」
強く背を押されて、胸の中にアルテアが飛び込んできた。
少し背の高い彼女が、じっと間近で見詰めてくる。互いの呼気が肌を撫でれば、大衆の声が遠くへ徐々に遠ざかる。
自然とアルテアは灯牙に目線を合わせて、瞳を閉じた。
その桜色の
思わず灯牙が、ゴクリと喉を鳴らしたその時だった。
「ゴホン! ……クトゥグア、なにをしている。アルテア様とくっつきすぎだ!」
「ほほほ、
ギギギギギと首を巡らせれば、すぐ側にリアラとトレイズが立っていた。二人共、既に旅支度を終えている。
「い、いつから見てたの……リアラさん。トレイズさんも」
「いい雰囲気だったので、どう茶々をいれてやろうかと思っていたが……まあ、いい。アルテア様、引き続き私はお仕えします。いつまでもお守りしますので!」
「私もまだまだ付き合うとしましょう。我が錬金術も、お支えしますぞ」
そう、灯牙たちにはまだやらねばならぬことがある。
既にもう、新たな闇が
一度や二度で、あのニャルラトホテプがアースティアから手を引くとは考えられない。相変わらず邪神を召喚するシステムは健在で、それは未来永劫変わらない。
すぐにトレイズが、簡潔に報告してくれた。
「今、一度滅びたウルスの中に
「……奴だろうな。うん、わかった」
「では、計画通りに?」
「ああ。リアラさんも、いいのかい? 今なら、レヴァイスに戻ることもできるけど」
かつて
そして、最後にもう一度灯牙はアルテアに確認する。
「アルテア、君もいいの? これからまた、戦いになる。今度は、世界の敵の敵になるんだ。それも天敵にね」
そう、徹底的に今後も戦い、その都度勝利しなければならない。灯牙は邪神として、何度でもあの男の復活を焼き尽くさねばならないのだ。
人の心は弱く、激動の時代は常に闇をはらんでいる。
その心の
そのために再び、魔王軍は密かに決起するのである。
「もう、迷いも
「君が魔王で?」
「あなたが邪神だと!」
「じゃあ、今この瞬間から僕は……俺は炎の邪神クトゥグアだ」
相変わらず、アルテアの顔には呪いの
灯牙はこれからも、見えぬ心の炎だけを燃やして、全てを照らして温めるつもりだ。
「じゃあ、行こうか……みんな! これから俺たちは、歴史の闇に生きる影だ。これより魔王アルテアの軍勢は……希望の光を輝かせる闇になる」
新たな戦いは、誰にも知られず静かに進むだろう。
もう、この世界には覇を競う国はないのだ。ようやく一つにまとまった世界の、その裏側で灯牙は仲間たちと共に戦う。平和が
「では、参りましょう……灯牙。いえ、我が邪神クトゥグア」
「ああ、我が魔王アルテア。みんなもいいね? 何度でも、繰り返し蘇る奴を倒し続ける。いつか必ず、奴の闇そのものを
こうして灯牙は、僅かな仲間たちと旅立った。
彼の戦いは歴史に記されず、誰にも讃えられることはない。
それでも、アースティアの明日を照らす灯火は今日も
ここから先は全て、邪神と魔王として添い遂げ合った、少年少女の物語なのだった。
お前が魔王で俺が邪神! ながやん @nagamono
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