最終話「僕の魔王、わたしの邪神」

 あの日の戦いをさかいに、異世界アースティアは激動の時代を迎えた。

 邪神ニャルラトホテプの暗躍により、ウルス共和国は滅亡した。そして今また、レヴァイス帝國ていこくもその歴史を終えようとしていた。

 先日と同じか、それ以上に混雑した往来の中で、灯牙は王宮前に立っていた。

 すでに周囲は人がごった返していて、誰も灯牙をあの日の邪神クトゥグアとは気付かない。旅装りょそうのマント姿でケープをかぶってるからだが、それは隣の少女も同じだった。


「クトゥグア様、ソリアは……あの子は大丈夫でしょうか」


 目深めぶかくケープを被った声は、アルテアだ。

 彼女の、いつになく心配そうな声に灯牙は頷く。


「心配ないよ、アルテア。ソリアさんは、本番に強いタイプだと思うから」

「そ、そうなんです! ソリアは昔から要領がよくて、いつも堂々としていて……わたしは、そういうの、ダメで……だから、魔王をやるのも、心細くて」

「それも過去の話、そうだろ?」

「はい……今は側に、クトゥグア様が。……灯牙様が、いてくれます」


 混雑の中、前の方で式典を見たいと無理に進む者たちがいる。その一人に背を押されて、華奢きゃしゃなアルテアはよろけた。

 すぐに灯牙が支えれば、顔とか音が驚くほどに近い。

 今日も可憐かれん美貌びぼうは、炭火のように温かな笑顔を湛えていた。

 以前よりアルテアは、少しだけ表情が柔らかくなったような気がする。


「す、すみません、灯牙様」

「ああ、気にしないで。それと、さ」

「?」


 もう既に、アルテアは魔王ではない。

 厳密には、今は魔王ではないのだ。

 かつて二つの超大国を相手に挙兵し、大きく時代を動かす原動力となった少女……今はただ、灯牙にだけ優しく微笑ほほえんでくれる。

 その真っ直ぐな眼差まなざしに、思わず灯牙は視線を反らした。


「も、もうさ……灯牙、って呼び捨てにしてくれないかな。リアラさんみたいにさ」

「は、はい! で、では……呼びますね? 今から、呼び捨てにします。いいですか?」

「ど、どうぞ……そう改まらなくても」

「いえ! その、わたしが心を許す、初めての殿方とのがたです。……そういう方なんです、灯牙は」

「そ、そう。俺と……僕と、同じだね。僕も、アルテアを特別に思ってしまうよ」


 今は、今この瞬間だけは、ただの少年少女でいたい。

 多くの群衆が待ちわびる、歴史的瞬間に立ち会うただの二人でいたいのだ。

 そして、いよいよ式典が始まった。

 王宮のバルコニーに、着飾った母皇帝ぼこうていアルルが姿を現す。

 割れんばかりの大歓声に、彼女はそっと右手をあげて清聴を求めた。背後には、騎士の礼装に身を固めたソリアも一緒だ。こうして見ると、リヴァイスの剣姫けんきは今日も凛々りりしく美しい。

 一度アルルは振り向き、ソリアの頷きを拾って民衆に口を開いた。


「この場に集いし我が臣民しんみん! 誇り高きレヴァイス帝國の民よ! が母皇帝キタブ・アルル=アルジーフである」


 母なる皇帝を称える歓呼の声が、一人の少女に殺到する。

 灯牙は、周囲で声をあげて大地を踏み鳴らす民に圧倒された。

 今、帝國の民は長き戦争から真に開放されたのだ。

 そして恐らく、二人の邪神も、魔王を演じた少女も歴史の中で忘れられてゆくだろう。この日をアースティアは、輝ける未来への一歩として記すことになるのだ。


「余は決断した。新たにウルスの民を受け入れ、その国土を併合へいごうする。一等市民も二等市民もない、新たな国の新たな民として共に進むのだ」


 一度言葉を切って、アルルは民の驚きを見渡す。

 どよめく者たちに対して、彼女ははっきりと簡潔に今後の方針を伝えた。


「今日を持って、レヴァイス帝國はその帝政の歴史に一区切りをつける。今後は憲法なるものを制定し、ウルスの地の手法も交えてまつりごとを行うのだ。余は、レヴァイス最後の母皇帝として宣言する!」


 ――

 確かに、アルルはそう宣言した。

 これが、この世界の最初で最後の建国宣言。

 異世界アースティアは、そのまま皆のふるさとの名になるのだ。

 一瞬の沈黙、そしてざわめき。

 ささやきとつぶやきが伝搬でんぱんする中で、誰もが不安に打ち勝った。


「アルル様、万歳! アースティア、万歳!」


 誰かが叫んだ。

 それが新たな声を、万感の絶叫を呼ぶ。

 あっという間に灯牙は、激しくにらいだ空気の中で熱気に圧倒された。アルテアも同じようで、えるような歓びの声に身を寄せてくる。

 勇気ある決断をたたえる声の中、気付けば自然と灯牙はアルテアを抱き締めていた。

 実は、あの戦いのあとのアルルとの会談で、灯牙が提案したことだ。憲法を制定し、少しずつ立憲君主制りっけんくんしゅせいへと移行すること。その中で人材を育て、ウルスで機能不全を起こしていた民主主義を、この地で今度こそ築き上げてゆくのだ。


「でも、不思議です……灯牙、ウルスの地では民主共和制というのは」

「僕も世間を知らないから、言えた口じゃないけどね……ようするに、王様か議会かってのは、方法論に過ぎない。帝國みたいに、一人の女性が全てを取り仕切った方がいい時代もある」

「これからは、そうではないと?」

「戦争は終わったからね。得られた平和を、全員で分かち合うために、そのために……誰もが国家の運営に対して責任を持たなきゃいけないんだ。なにかあったら自分のせいだぞ、って言い聞かせて、頑張らないとね」


 恐らく、新たに出来たアースティアという国は……前途多難だろう。

 エルフやホビット、ドワーフといった亜人たちとの間には、まだまだ確執が多い。ウルスの民も、すぐにはレヴァイスの風土には馴染なじめないだろう。

 また、既に遠くウルスの地では、あの狂った統制社会の後継者を名乗る者たちも現れているという。

 その影に、の気配を灯牙は感じていた。

 だから、灯牙は再びアルテアと新たな戦いを始めるつもりだ。

 その時、燃える炎のクトゥグアに戻るその瞬間までは……彼女とぬくもりを分かち合っていたい。人の中で人として、新たな未来の可能性に希望を見出していたいのだ。


「それにしても、凄い混雑だ……そろそろ行こうか、アルテア」

「は、はいっ!」

「本当にソリアさんに会わなくて、いいの?」

「心配でしたが、大丈夫です。いつか再会するその時まで、わたしはもっと強く……あっ!」


 強く背を押されて、胸の中にアルテアが飛び込んできた。

 少し背の高い彼女が、じっと間近で見詰めてくる。互いの呼気が肌を撫でれば、大衆の声が遠くへ徐々に遠ざかる。

 自然とアルテアは灯牙に目線を合わせて、瞳を閉じた。

 その桜色のくちびるが、艶めき濡れている。

 思わず灯牙が、ゴクリと喉を鳴らしたその時だった。


「ゴホン! ……クトゥグア、なにをしている。アルテア様とくっつきすぎだ!」

「ほほほ、流石さすがに流石。実に眼福」


 ギギギギギと首を巡らせれば、すぐ側にリアラとトレイズが立っていた。二人共、既に旅支度を終えている。勿論もちろん、行く先は灯牙たちと同じだ。


「い、いつから見てたの……リアラさん。トレイズさんも」

「いい雰囲気だったので、どう茶々をいれてやろうかと思っていたが……まあ、いい。アルテア様、引き続き私はお仕えします。いつまでもお守りしますので!」

「私もまだまだ付き合うとしましょう。我が錬金術も、お支えしますぞ」


 そう、灯牙たちにはまだやらねばならぬことがある。

 既にもう、新たな闇がうごめき始めているのだ。

 一度や二度で、あのニャルラトホテプがアースティアから手を引くとは考えられない。相変わらず邪神を召喚するシステムは健在で、それは未来永劫変わらない。

 すぐにトレイズが、簡潔に報告してくれた。


「今、一度滅びたウルスの中に暫定政府ざんていせいふを自称するやからが集まっておりましてな。既に何人か、報国ほうこくのための献身体けんしんたいと称して若い乙女が連れ去られておるようです」

「……奴だろうな。うん、わかった」

「では、計画通りに?」

「ああ。リアラさんも、いいのかい? 今なら、レヴァイスに戻ることもできるけど」


 かつて白百合しらゆりの騎士と呼ばれた女傑は、涼やかに笑うだけだった。

 そして、最後にもう一度灯牙はアルテアに確認する。


「アルテア、君もいいの? これからまた、戦いになる。今度は、世界の敵の敵になるんだ。それも天敵にね」


 そう、徹底的に今後も戦い、その都度勝利しなければならない。灯牙は邪神として、何度でもあの男の復活を焼き尽くさねばならないのだ。

 人の心は弱く、激動の時代は常に闇をはらんでいる。

 その心の隙間すきまに、奴は忍び寄る……這い寄る混沌となって、誘惑を囁くのだ。

 そのために再び、魔王軍は密かに決起するのである。


「もう、迷いもうれいもありません。灯牙、あなたが言ってくれたのです」

「君が魔王で?」

「あなたが邪神だと!」

「じゃあ、今この瞬間から僕は……俺は炎の邪神クトゥグアだ」


 相変わらず、アルテアの顔には呪いの紋様もんようがある。右半身にびっしりと、みにくあざのように広がっている。だが、その痛みさえも彼女はいつくしんでくれた。

 灯牙はこれからも、見えぬ心の炎だけを燃やして、全てを照らして温めるつもりだ。


「じゃあ、行こうか……みんな! これから俺たちは、歴史の闇に生きる影だ。これより魔王アルテアの軍勢は……希望の光を輝かせる闇になる」


 新たな戦いは、誰にも知られず静かに進むだろう。

 もう、この世界には覇を競う国はないのだ。ようやく一つにまとまった世界の、その裏側で灯牙は仲間たちと共に戦う。平和がまばゆく輝く光を、より尊く感じるための暗がりに沈むのだ。


「では、参りましょう……灯牙。いえ、我が邪神クトゥグア」

「ああ、我が魔王アルテア。みんなもいいね? 何度でも、繰り返し蘇る奴を倒し続ける。いつか必ず、奴の闇そのものを焼滅しょうめつさせてみせるさ」


 こうして灯牙は、僅かな仲間たちと旅立った。

 彼の戦いは歴史に記されず、誰にも讃えられることはない。

 それでも、アースティアの明日を照らす灯火は今日もく……終わらぬ戦いを終わらせるために。

 ここから先は全て、邪神と魔王として添い遂げ合った、少年少女の物語なのだった。

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お前が魔王で俺が邪神! ながやん @nagamono

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