第34話「決意の牙に希望を灯せ」

 不思議と今、灯牙トウガは冷静だった。

 ともすれば、冷徹に思えるほどに頭が冴え渡っている。まるで、万全に勉強して望むテスト当日のような気分だった。

 逆に、ニャルラトホテプは動揺している。

 その内心の驚きが、手にとるようにわかった。


「さあ、決着をつけよう。ニャルラトホテプ、今ならまだやめられる……お前が望むなら、元の世界へ帰ってもらう!」


 灯牙の言葉に、ニャルラトホテプはほおを震わせた。

 まるで痙攣したように、唇の片端が引きつり始める。


「なっ、なな……なに言ってやがる! オレサマは、あんなクソみたいな生活に戻るつもりなんざねえ!」

「そうか。なら、それもいい。ただ、このアースティアを……俺たちの未来の希望を、オモチャにするのだけはやめてもらう!」

「俺たちの未来だぁ? おいおい、なんだそれは」

「まだわからないのか? ここは、この世界は――」


 突如、灯牙の背後で悲鳴が響いた。

 振り返れば、母皇帝ぼこうていアルルが苦痛に顔を歪めている。彼女は剣を落とすと、その場に崩れ落ちた。そして、あらわな肩から首に向かって、這い上がるように呪いの紋様もんようが広がってゆく。

 それで灯牙は、ニャルラトホテプの攻撃に備えてアルテアを下がらせた。

 すぐに人垣から、ソリアが飛び出してくる。


「クトゥグア、武器を!」

「サンキュ、ソリアさん! 母皇帝を頼む……今度は絶対に死なせはしない!」


 ソリアが放ってくれたのは、灯牙が持ってきた武器の数々だ。

 宙を舞う剣、ほこつちなた……それらを全て、受け取る側から周囲に突き立てる。あっという間に、灯牙をぐるりと囲む武器の森が地面に広がった。

 今日はありったけの武器を、持てる限り持ってきた。

 初めて使う物や、実戦向きではない物もある。

 だが、魔王軍の時代からアルテアが収集してきた業物わざものばかりだ。

 それらを前にしても、魔力を高めるニャルラトホテプはますますたかぶるだけだった。


「この世界のことなんざ、知ったこっちゃねえ! オレサマはっ、ようやく手に入れたんだ! 誰にも馬鹿にされねえ力と、本当に心から楽しめるゲームをよぉ!」

「お前のふざけた楽しみのせいで、沢山の人が泣いてきた。遊ぶならせめて、誰にも迷惑がかからない方法を考えろよな」

「いいんだよ、俺はいいんだ! 許された! あれだけ現実で屈辱くつじょくを味わい、クソみたいにしいたげられてきた。だからこれはっ、オレサマへの救いのボーナスゲームなんだよ!」


 不意に、大地に敷き詰められた石畳いしだたみが波打った。

 あっという間に生えた草花が、巨大な樹木となって全てを飲み込んでゆく。

 大衆は突如の大混乱に放り込まれて、新たな悲鳴がさらなる混沌を生み出していた。

 そう、混沌……やはりニャルラトホテプは、観念して悔い改めることはないようだ。そして、彼になにがあったかをぼんやりと灯牙は察する。

 どこか、ニャルラトホテプとして召喚された男は、灯牙に似ていた。

 そして、決定的に違い過ぎる。

 現実世界での不幸が、二人にはあったと思う。

 その反動で、ニャルラトホテプは鬱憤うっぷんを晴らすように力をむさぼり垂れ流す。それは、召喚主の命を吸い上げ、人々の平穏を見出して血を呼ぶのだ。


「くっ、まずは周囲のみんなを……アルテア!」

「はいっ、クトゥグア様!」


 灯牙はすぐに、アルテアの両手を縛る鎖を引き千切る。

 邪神の魔力を封印していても、人並み外れた怪力は健在だ。

 自由になったアルテアは、すぐに帝國ていこくの民を逃がそうと走り出す。

 だが、既にニャルラトホテプが生み出した異形の樹木が動き出した。巨大な魔樹とでも言うべき、人のように歩いて迫る怪異。

 大通りはあっという間に、阿鼻叫喚あびきょうかん地獄絵図じごくえずと化した。

 しかし、灯牙には頼れる仲間がいる。


「クトゥグア様! おお、アルテア様も! 流石さすがも流石、流石過ぎますぞ!」

「クトゥグア、周囲の雑魚ざこは私たちに任せろ!」


 駆けつけてくれたのは、リアラとトレイズだ。

 二人は、逃げ惑う民を誘導しつつ、うごめく邪木と戦い始める。僅かだが、ホムンクルスの兵士たち、そしてウルス共和国から合流してくれた反乱軍の仲間たちも一緒だ。

 見れば、圧倒的に優位な中でニャルラトホテプは苛立いらだっている。

 彼も知っているのだろう……こういう時、勢い付いているのがどちらかを。

 灯牙は黙って、周囲の武器から愛用の大剣を手に取り、引き抜く。


「覚悟しろ、ニャルラトホテプ……お前がアルルの身体を使い切る前に、俺が倒す!」

「へへ、笑わせやがるっ! なんだ、ええ? 炎は封印か? ナメプかましてんじゃねえぞ、うらあ!」


 ダン! とニャルラトホテプが地面を踏み締める。

 あっという間に、無数のつたが触手のように灯牙へ向かってきた。

 だが、それを切り払って地を蹴る。

 あっという間に、二人の距離を灯牙は殺した。

 肉薄の距離に飛び込めば、驚愕きょうがくに目を見開く敵の表情がはっきりと見える。


「お前の戦い方は、もう知ってる。俺は……一度学んだことは間違えない!」


 慌てて距離を取ろうと、ニャルラトホテプが背後へと飛ぶ。

 そのスピードを超えて、灯牙は追い詰めるように剣を振るった。


「クソッタレ、ひっつくんじゃねえ! オ、オレサマだって腕力にものを言わせりゃ」

「ニャルラトホテプ、お前……やっぱり、離れて魔力を使った戦いしかしてこなかったんだな。それも、自分の手を汚さぬようにああやって!」

「そ、それがどうした! 俺はプレイヤーなんだ……駒を動かすプレイヤーなんだよ!」


 大地をつかさどる力を持ち、一度に無数の異形を操るニャルラトホテプ。さらには、全身を植物に変えての遠距離攻撃も得意だ。

 だが、それは灯牙から言わせればかたよった戦い方だ。

 自分を安全な場所に置いて、決してリスクを背負おうとはしない。

 そんなニャルラトホテプを今、確実に射程内に捉えている。

 だが、敵も必死で抵抗した。

 あっという間に、轟音と共に風圧が灯牙を襲う。


「くっ、ギガントルーパー! そうだ、こいつがまだいたか」

「ヒャハハッ! 最強の駒は最後まで取っとく……まさに切り札だぜ! やれっ、ギガントルーパー! オレサマ以外、綺麗サッパリ吹き飛ばしちまえ!」


 空を覆う影が、地響きとともに着地する。

 飛来したギガントルーパーの、その鬼の形相にも似た顔が光り始めた。瞳から発せられる光線は、大軍をもたやすく焼き尽くす。

 こんな市街地で使われれば、大惨事は免れない。

 だが、灯牙は一人ではなかった。


「クトゥグア様! 今こそ共に……下僕しもべの星よ!」


 アルテアは、半裸のままで両手を天へとかざす。

 灰色の髪がふわりとたなびき、周囲の空気が沸騰ふっとうしたように震え出した。

 魔法を、それもとびきりの大魔法を使う気だ。

 邪神と呼ばれる旧世紀の人類が、このアースティアのために残したシステム。無数の衛星を巡らせ、もはや魔法としか呼べない奇跡を励起れいきさせることわりだ。

 すぐに灯牙は、目の前のニャルラトホテプを掴み寄せる。

 首根っこを押さえて、そのままギガントルーパーへと跳躍した。


「なっ……無駄だぁ! レベルを上げて物理で殴っても、それでオレサマが倒せるかよ!」

「黙ってろ! いや、むしろ黙らせる!」

「ぐっ、なにを」


 灯牙は片手でニャルラトホテプを吊し上げ……そのまま、暴れるギガントルーパーへと突っ込んでゆく。そして、今まさに破壊の光が解き放たれんとする、巨神の顔面へと敵を叩きつけた。

 邪神として召喚された人間は、尋常ならざる頑強さと生命力を持っている。

 だが、それを承知で灯牙は腕力を爆発させた。

 小さく「へぎゃっ!」とうめいて、ニャルラトホテプが冷たい鋼鉄の装甲に埋まる。


「ク、クソが……手前ぇ、こんな……」

「俺が炎を使えない、使わないと知って……めてたのはお前じゃないのか?」

「オレサマが?」

「そうだ。リスクをおかさず、常に自分を守って相手をいたぶる。このギガントルーパーもそう……自分の手を汚さずに相手を攻撃する、そんな手段ばかりお前は選んできた」


 だが、灯牙は違う。

 それを今から証明する。

 ニャルラトホテプが手駒を集めたように、灯牙の元に集ってくれた仲間たちがいるのだ。さらに言えば、灯牙を求めて欲し、未来を望んで召喚してくれた少女がいるのだ。


「うおおっ! アルテア、今だっ!」

「はい! 下僕の星よ、獄炎ごくえんとなりて集え……触れる全てを灰燼かいじんと化せ!」


 灯牙ごと、ギガントルーパーを巨大な炎が飲み込んだ。まるで荒ぶる龍のように、紅蓮ぐれんほむらが荒れ狂う。その苛烈な業火の中で、ニャルラトホテプは悲鳴さえ上げられない。

 周囲の空気をも燃やし尽くす炎に、ギガントルーパーすらも動きを止めた。

 星をも砕く最凶最悪の文明兵器は……絶火の中で徐々に溶け始めていた。

 灯牙だけが平然と、ニャルラトホテプを押さえつけたままたたずんでいた。


「ぐ、あ、ぁ……何故、手前ぇ……」

「俺は炎の邪神クトゥグア。俺を燃やせる炎などありはしない。お前は……邪神特有の耐性みたいなものがあるんだろうが、時間の問題だ。終わりだよ、ニャルラトホテプ」

「ぅ、く、はぁ……クソ、がぁ」

「お前はまた、次なる召喚主によって戻ってくるだろう。その時はまた、何度でも俺が焼いてやる。ふざけたゲームが嫌になるまで、何度でもな」


 灯牙はすでに、元の世界に帰らぬ覚悟を決めていた。

 愚かな戦争の末に、自らの母星を失った未来の人類。彼らが後悔の中で残した希望が、このアースティアなのだ。ここに生きる新しい人類は、同じ過ちを繰り返す中でみつけるだろう……融和と調和に満ちた、本当にまぶしい未来を。

 ならば、その日が来るまで灯牙は戦い続ける。

 牙無き者の牙となりて、人々を守り続けるのだ。

 そして、そんな灯牙に希望をともしてくれる少女の声。


「クトゥグア様……灯牙様っ!」

「ああ! これで終わりだ……俺の、僕たちの」

「わたしたちの!」

「覚悟の一撃っ、だああああああっ!」


 ニャルラトホテプは既に白骨化して、その骨さえも灰となっていた。そして、ギガントルーパーもドロドロとマグマのように灼けた鉄となって崩れてゆく。

 灯牙は剣を振り上げ、炎を纏った炎そのもとなってえた。

 アルテアの魔法が刃に宿って、烈火が剣に収束して膨らんだ。

 天をく巨大な炎の刃は、太古の忌むべき遺物を両断し、消し飛ばしたのだった。

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