第33話「託された希望と、祈りと願いと」

 三度みたび灯牙トウガは、光に包まれる。

 一度目は覚えていないが、自ら命を捨てた時だ。

 二度目はアルテアが、灯牙の命を守るために。

 そして今、三度目……今度は灯牙が、アルテアを救うために。


「じゃあ、ちょっと行ってくる。って言っても、こっちの世界じゃものの数秒だと思うけど」


 ソリアは今、短い呪文をとなえ終えた。

 天空を巡る下僕の星が、邪神召喚のメカニズムを逆転させる。

 周囲の人々がどよめく中、そっと灯牙はソリアのほおに触れた。

 徐々に呪いの紋様もんようが消えてゆく肌を、伝う涙が濡らす。


きみ、絶対だよ……絶対、姉様を助けて」

「任された! 大丈夫だよ、ソリアさん」

「お願いね。うん、大丈夫……だよね? 姉様、きっと上手くやるもの。悔しいけど、姉様とクトゥグアは……ふふ、焼けちゃうな。君の炎より、ずっと熱くて、だから焼けちゃう」


 今、灯牙は再び邪神としての契約を解除された。

 その肉体は光そのものとなって、空気の中へと溶け消える。

 おどろきの声を無数に浴びながら、灯牙は元の現実世界へと吸い寄せられ始めた。

 あっという間に意識が遠のき、一瞬の後に世界が遠ざかる。


「くっ、これだ……ここから! 頼むぞ、アルテア!」


 巨大な光の輪が迫る。

 それをいくつもくぐり抜けながら、徐々に灯牙は元の世界へ向かっていった。周囲は上も下もなく、前後左右の感覚もない。無数の輝きが濁流となって溢れる、それはまるで違う宇宙の深淵のようだ。

 そんなまぶしさの中で、以前とは違って灯牙は冷静に周囲を見渡す。

 よく目をこらせば、灯牙を導くゲートのような円環えんかんを、他にも行き来する光がある。


「そういえば、前は無我夢中で……あれって、いったい」


 すぐ近くを飛ぶ光、粒子のかたまりのような気配に触れる。物質的な質量も感じず、熱さも冷たさもない。ただ、伸ばした手が接触した瞬間――灯牙の脳裏に情報が雪崩込なだれこんできた。

 漠然ばくぜんとだが、灯牙は理解した。

 恐らく、この邪神召喚のシステム自体が、本来は別の目的で造られたものだ。

 そして、それを生み出した旧世紀の人間たちは……去ってしまった。

 自ら母星たる地球を粉々に砕いた挙げ句、何処どこかへ行ってしまったのである。


「な、なんだ? 声が……頭の中に直接!」


 無数に行き交う光の筋は、その全てが高圧縮された情報だ。そして恐らく、この空間は全てが情報化された世界。それがなにを意味するかはわからないが……断片的な意味と真意が、灯牙の頭へと注がれる。

 不意に、それは男の声となって響いた。


『システム正常……これより我らは、種の保存のために散らばり旅立つ』

「この声……!?」


 とても落ち着いた声だった。

 ともすれば、枯れ果てた哀愁あいしゅうのようなものさえ感じる。

 諦観ていかんの末にさとったような、そんな声だ。


『地球は破砕され、残った核を中心にガス雲が発生。超圧縮された重力源と成り果てる前に、我々は比較的大きな破片を回収、地球の環境の再現に成功した』

「それって……地球の落涙アースティアのことか」

『だが、そこに我ら人類の居場所などない。母星すら破壊する程の星滅戦争ノーデンス・ウォー……その咎人とがびとたる我らにできるのは、二つ。文明の叡智えいちを遺跡に封印すること。そして――』


 衝撃的な言葉が続く。

 灯牙はただただ、光の奔流ほんりゅうに流される中で耳を傾けた。

 そう、異世界アースティアは造られた楽園。そして、小さな平面大陸の世界だ。旧世紀の人類、いわゆる邪神と呼ばれる者たち……彼らが絶望のふちから希望をつないだ、最後の楽園である。


北部人類史研究所きたべじんるいしけんきゅうじょからの検体を、新たな人類として解き放つ。下僕しもべの星による魔法制御によって、本システムとの連動も完全なリンクを完了した』

「……このシステム、邪神召喚の仕組みのことか」

『これより我々は、旅立つ。宇宙の深淵か、ときの彼方か……それが外宇宙、別の銀河系なのか、それとも未来なのか過去なのか。時間と空間の概念すら超越した先へと、飛び立つ』


 そこに、探究心や好奇心の喜びは感じられない。

 まるで、自分自身を追放するかのような物言いだ。


『もし、地球の欠片に芽生えた文明が……我々とは違う、闘争より調和を重んじてくれたなら。その時、より優れた人類はこのシステムを用いて我らを呼んでくれるだろうか? 同胞としての帰還を許してくれるだろうか? それは今、誰にもわからない』


 そして、徐々に細く小さくなってゆく、声。

 灯牙は逆に、全身が受肉のような感覚に引っ張られ始める。

 高密度の情報が交錯する渦の中から、誰かが……あの少女が召喚する声が聴こえてくるようだった。

 最後に、男の声が灯牙の中で溶けて消える。


『我らが希望を求める時、希望もまた我らを求めると信じて……これより旧人類は、あらゆる次元へと拡散し、消えてゆく。その先に新たな生を授かるならば――』


 ――今度こそは、と名乗って神話をつむごう。

 そう残して、男の声は消え去った。

 それは、取り返しのつかない愚行を犯した、灯牙たちの未来の言葉。遥かなる刻の果てにて、灯牙の子孫たちは地球を消滅させてしまう。その懺悔ざんげの言葉と共に、このシステムは造られた。

 本来、邪神召喚のことわりは……


「勝手な話、だよな。でも、誰かが希望を求めるなら……あの子が希望を欲するなら! 僕が……俺が、その希望になる!」


 瞬間、空間が弾けて捩れる。

 幾重いくえにも重なる光のを抜け、徐々に灯牙は物質化してゆく自分を感じていた。

 そして、全てが白く染まる。

 同時に、大地と空との間に邪神は顕現けんげんした。

 耳に飛び込んでくるのは、ニャルラトホテプの怒号だ。


手前てめぇ! なにを……なんの呪文だっ! それは、それはあ!」


 すぐに灯牙は、一歩踏み出し両手を広げる。

 全裸だったが、気にせず空気の冷たさに身をさらした。そして、蹴り飛ばされた少女を全身で受け止める。抱き寄せれば、そのぬくもりは以前と全く変わらなかった。

 それは、灯牙を今この瞬間に再召喚したアルテアだった。


「クトゥグア、様?」

「そうだ。僕は戻ってきたよ、アルテア」

「あ、ああ……灯牙様」

「そして、俺は倒さねばならない。邪神クトゥグアとして、奴を!」


 ようやく視界が、徐々にクリアになってゆく。

 以前と変わらぬ美貌のアルテアは、大粒の涙を双眸そうぼうから溢れさせていた。いつもまし顔で無表情な彼女が、泣きじゃくっている。

 そして、その全身に徐々に呪いの紋様が浮き上がった。

 灯牙が今まで振るってきた力、焼いてきたものの代償だ。

 再びアルテアは、妹ソリアに預けていたきずなあかしを取り戻したのだ。


「大丈夫か、アルテア。痛みは」

「ええ、平気です。灯牙様と……クトゥグア様と繋がっていられるなら、痛みさえ愛おしいのです」

「や、ちょっと誤解を招く表現はよしてね。そ、その……まだ、そういうのは早いからさ」

「誤解、とは? あっ……!」


 赤面したアルテアは、顔を手で覆った。

 そんな彼女を支えつつ、灯牙は鋭い視線を投げかけた。

 その先には、全身を震わせるニャルラトホテプが立ち尽くしている。

 恐らく、こちらの世界ではものの数秒だっただろう。

 ソリアが邪神の契約を解除し、灯牙を元の世界へ帰した。

 その瞬間にはもう、阿吽あうんの呼吸でアルテアが再召喚を実行したのである。


「クソがぁ! どういうこった、クトゥグア! 手前ぇはあの時、魔王ちゃんが」

「そうさ、元の時代に戻って……そしてまた、帰ってきた。お前を倒し、アルテアを救うために」

「何故だ、なにが面白くてそんなことしてんだよ、あァ!? オレサマのゲームを、これ以上邪魔すんじゃねえ!」


 激昂げきこうに吼えるニャルラトホテプを前に、灯牙は驚くほどの冷静さを感じていた。

 今、心はいで静かに猛っている。

 怒りも憤りもなく、ただただ胸の中に抱くアルテアが温かかった。

 このぬくもりを守る、それだけがはっきりとした決意をたぎらせる。


「お前という人間を理解しかけている、ニャルラトホテプ」

「なにぃ? ハッ、オレサマのなにがわかる! クソみてぇな人生が一変して、ここじゃオレサマは最強だ! アースティアって盤上ばんじょうこまを並べて、共和国も帝國ていこくも思うままだぜ!」

「俺はゲームというものを知らない。けど、ゲームにしてはいけないものを理解している。頭ではなく、ここでしっかりと今! 感じている!」


 自分の薄い胸を、拳でドン! と叩く。

 灯牙にとって、同じ邪神にして最強の敵……それがニャルラトホテプ。目的は不明だが、ゲーム感覚で二つの超大国を行き来し、歴史の影で戦争継続のために暗躍していたという。


「ニャルラトホテプ、お前には……。違うか?」

「……だから、なんだ」

「お前はただ、自分の力を使いたいだけの子供だ! 目的のためには手段を選ばない、そういうのとは真逆の人間! 手段のためには目的なんかはいらない人間なんだ!」


 ニャルラトホテプの嫌な笑みが、凍った。

 そして、灯牙はどこまでも白く燃え上がる。

 真っ白な覚悟は一片の汚れもなく、ただ一つの目的を掲げていた。そして、達成のための最良の手段を自ら封じて歩み出る。

 レヴァイス帝國の中枢、母皇帝ぼこうてい以下全ての臣民しんみんが見守る中……最後の決戦が始まろうとしていた。

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