後編
目覚めたところは箱の中だった。床から振動を感じる。記憶を辿って推測すると、私はこの星の生物に捕まって、例の乗り物に乗せられて処刑か何かに向かっているところだろう。
こんなところで死ぬのはまっぴらだ。私には愛する妻も、去年、産まれたばかりの娘もいるのだから。絶対に生きて帰ると約束して宇宙へ出たのだから。
私は痛む頭を抑えながら立ち上がった。丁度その時、箱の動きが止まった。
私は後方についていた扉に思いきり体当たりを喰らわした。
扉が勢いよく開き、近くに立っていた生物が後ろに転倒した。
私は端末を素早く操作し、透明モードに切り替えた。この機能によって私の体は背景にカモフラージュし、他の者の目に映ることなくこの場から逃走することができる。
私は白と赤の二色が使われたその奇妙なデザインの乗り物を背に、無我夢中で走り続けた。いつの間にか空は暗くなっており、まん丸な白い衛星の放つ光が地表を照らしていた。
だいぶ人が少ない通りまで来て、私は走るのをやめた。全力疾走のせいでスーツの中は蒸し暑くなっている。そこで私は気が付いた。
この星は私たちの星とこれだけ類似しているのだから、この地表にも酸素が存在しており、スーツなしでも呼吸ができる可能性は十分にある、そう思ったのだ。私はバッグから空気検査装置を取りだして、空気の状態を調べた。
私の予想は外れていなかった。この星には酸素が十分にあるのだ。だが悲しいことに、スーツを脱ぐことは不可能だった。酸素はあっても、この星の大気は汚れ過ぎていたのだ。装置の空気汚染度が限界値を大幅に上まわっている。こんな空気を吸ってしまったら最後、私は卒倒して二度と息を吹き返すことはないだろう。
スーツを脱ぐことは諦めて、近くにあったトンネルの端の方に寝転がり、体を休めた。
端末を見ると助けが来るまで、残り十六時間と表示されている。
私は温かい家族の事を思い浮かべながら、冷たい夜の眠りに落ちていった。
*****
スーツの警告音が頭の中に鳴り響き、私は最悪の目覚めを迎えた。私は重大なミスを犯してしまった。透明モードを切り忘れて寝てしまったのだ。おかげで起床時には、スーツエネルギー残り十パーセントの警告音が鳴り響いていたのである。
私はすぐさま透明モードを切り、端末で救助時間を確認した。
残り、六時間。
スーツエネルギーは計算上、あと六時間とちょっと耐えることができるようなので、私は最後の探索を始めることにした。
少し歩くと本屋らしきものが目に入った。私は中に入って初めて本というものを目にした。私たちの星でも昔は本が読まれていたということは知っている。
しかし、随分前に全ての書籍がデータ化されたことにより、本というものの存在価値が徐々に薄れていき、いつの間にやら昔のものになっていたと聞いている。
私は分厚い本を一冊、棚から取りだしてページをめくってみた。
原始的な感覚はしたが、これはこれで趣きがあると感じた。
データの方が確かに便利だが、この本という媒体にある独特な臭いや感触、重みは味があって感慨深い。
私は、客と思われる生物が店を管理している生物に見たことのない金属を渡して、本を購入しているのを目にした。
あれがこの星で使われている硬貨なのかもしれない。無論、そのようなものは持っていないので、私は周りの生物にバレないよう、気になる本を次々とバックパックに放り込んでいった。中にはこの星から観測できる宇宙について書かれているような本もあり、非常に研究の参考になりそうだった。多種多様な本を満足するまで詰め込むと私は外へ出た。
この本は研究員にこの星の言語を解読してもらってから、じっくり読むことにしよう。
ちょっと道を行くと、また気になる店を発見した。中から一人の生物が出てきたのを見ると、彼の耳(だと思われる部位)にはコードのようなものが刺さっており、私はそれを見て、その生物が音楽を聴いているのだと直感した。
私たちの星でもしばしば、音楽は国境を越えて伝わると言われるが、星を超えても音楽があることに私は心を動かされた。
私は迷うことなくその店に入った。そこにはたくさんの機器が置いてあり、私はその中から一つの箱を開け、中に入っていた機器を色々といじくり回してみた。しばらく試行錯誤してようやく電源をつけることができると、機器に接続されたコードを耳に当てた。
それは紛れもなく、この星に来てから最も胸が高鳴った瞬間だった。
私の耳には母星にある音楽とは全く違う感覚の音楽が流れてきた。
それはまるで流星群のように美しく煌めき、ブラックホールのように力強く、深いものを感じさせ、私を幸福で包み込んだ。
手にした機器の画面にはこの惑星の絵が表示され、その下には曲名だと思われるうねうねした文字が表示されている。
私はその曲を何度も何度も、繰り返し聞いた。私は時間の流れるのを忘れた。
端末へ届いたメッセージを見て、私は現実に引き戻された。そこには「残り十分。直ちに救助位置で待機せよ」と表示されていた。
うっかりしていた。
私は機器をバッグにしまい、店を飛び出して救助位置へと向かった。人がごった返している道路に差し掛かったとき、危機は訪れた。
スーツの充電が残り三パーセントをきったことで、節電の為に擬態モードが解除され、私は本来の姿に戻ってしまったのだ。周りにいた生物たちは突如現れた私の姿を見た途端、顔色を変え、叫び声を上げて、散るように逃げ回った。
しばらくすると、制服だと思われる服を着た生物たちが現れ、私を追いかけ始めた。彼らからは殺気が感じられたので、私はなんとしても捕まるものかと走り続けた。
命からがらで救助位置に辿り着くと、タイミング良く救助船が目の前に現れたので、開き始めたドアの隙間へ滑り込むようにして私は船に飛び乗った。
制服を着た生物たちが私の後を追ってすぐそこまで来ていたが、救助船を見ると危険だと感じたのか距離を取って見守っていた。
救助船は私の乗船を確認すると即刻この星を発った。私は窓に張り付いて遠ざかっていく青い星の姿を目にしっかりと焼き付けていた。
その星は四十八時間前に見た物より、美しく輝いて見えた。
探査機の不時着から月日は流れ、私の娘は三歳にまで成長した。私は娘のことを、目に入れても痛くない程愛おしく思っているのだが、あの星の生物たちもこのような感情を抱くものなのだろうか。
あれから研究班による星の研究は進み、その研究結果によって私たちの星でも変化があった。
その大きな例として私があの星から持ち帰った曲に影響を受けたアーティストたちが、音楽の新しい時代を創り始めている。だが私にとってあの星から持ってきた一曲は特別な存在だった。誰にも真似することの出来ない美が具現されたものだった。
私は言語の解読が進んだという知らせを聞いて、研究班にあの曲の題名を尋ねてみた。
彼らはそれを「チキュウ」と読むと教えてくれた。そしてそれは、あの星に住む生物たちが名付けた、あの星自体の名称でもあると説明してくれた。
私は研究員に礼を言って研究室を出た。
廊下の窓から外に目をやると、小さく懐かしい青い星の姿が見える。
ついに戻ってきたのだ。私はこの瞬間を待ち侘びていた。
私はあの星に恋をしてしまったのだった。危険や恐ろしい事も少なからず経験したが、それ以上に私はあの星の魅力が輝いて感じられた。
私はあの星から救助されたあと、しばらくは母星であるピェリュネティャ星で休息を取っていたのだが、その休暇中にもあの星で目にした光景や、起きた出来事について記憶を遡ることが度々あった。
私は現在、あの星の言語を勉強中で、読む際は研究員に毎回翻訳を手伝ってもらっている。しかし少しづつあの言語を学んで身につけ、いつかはあの星から持ってきた本を自力で読みたいと考えている。
そして今、これから私は「チキュウ探索隊」のリーダーとして、あの星に再び降り立つことができるのだ。そう考えるだけで心は舞い上がる。
今回の調査の第一目的は、この星の音楽や本と言った資料をできるだけ多く持ち帰る事だ。そして我らはこの星についての研究を進めていく。
私はいち早く、この星の他の音楽を聴いてみたくてたまらない。まるで誕生日プレゼントを楽しみにしている子どもにでも戻ったような気持ちだ。
徐々に窓から見える青い星が大きくなってくる。
「着陸まで五分。全員配置につけ」
私は座席に座ってシートベルトを締め、着陸ボタンを押す。
「ただいま、チキュウの大気圏に突入」
眼下に広がった青い星に目を奪われる。
私はその星の名前をもう一度呟いてみる。
チキュウ。
良い響きだ。
青い星 滝川創 @rooman
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