四、うつつのゆめ(了)
ニシムラ・ハナが意識を取り戻してから二日後。現場を張っていた捜査官が、ニシムラ・リュウジの身柄を確保したとの連絡が入った。
警察署に入ってきたところをタカナシと出迎える。ニシムラ・リュウジは、姉のニシムラ・ハナに似た真面目で温厚そうな青年だった。なるほど、確かにタカナシの言う『ストレスが溜まりやすい』青年だと思った。
「ニシムラ・リュウジさんですね」
「あ、はい、えっと……」
別に凄んだわけでもないのに、ニシムラ・リュウジは肩を振るわせ、所在なさげに視線を泳がせる。
「駄目ですよホズミさん。ホズミさんはご自分の想像以上に強面なんですから」
それはニシムラ・リュウジに声をかける前に言ってほしかった。お前わざと言わなかったのか、とタカナシに視線を送るが、タカナシは無視してニシムラ・リュウジに話を進めた。
「ニシムラさん。二日前にお姉さんの意識が回復しました。先にお会いになりますか?」
「え、でも俺……いいんですか?」
「はい。あなたに反省する意志があればですけど」
笑顔で応えるタカナシに対して、こいつ、刑事をやっていなかったら今頃は……などと余計なことを考えてしまった。
「お前、刑事じゃなかったら今頃犯罪犯してたんじゃないか?」
「静かにしてくださいっ。聞こえないでしょっ」
聞こえないもなにも、俺達は刑事なのだから、堂々と病室の前で警備していたらいいのではないだろうか。
ニシムラ・リュウジを姉の入院する病室に送り届けた俺達は、警備中の捜査官と警備を交代したのだが、タカナシが出歯亀よろしく、病室のドアの隙間から、中の様子を覗き見ていた。
「出歯亀って、『女風呂とか覗く変態』って意味じゃなかったでしたっけ」
「覗きの時点で合ってるだろ。それより俺の考えてること読むな気持ち悪い」
タカナシが部下となってからは嘆息が尽きない。黙って病院の白い壁を凝視していると、タカナシが開けたドアの隙間から話し声が聞こえるかどうかの音量で、耳をボソボソと刺激する。
「ホズミさん。知らんぷりして聞き耳を立てるより、堂々と覗いた方が潔いですよ?」
「職権乱用してる奴に言われたくねぇよ」
俺と話をしながら、タカナシが「あ」と、間の抜けた声を漏らした。中で何か起こったのかと身を乗り出そうとして、タカナシが手で制した。
「どうした」
「ホズミさん、事件です。ニシムラ弟の告白をニシムラ姉が受け入れました」
なんだ、驚かせるな。俺がホッと息を漏らすと、タカナシが「でも他人から見たら近親、」と言いかけので口を塞いでやった。
「仲睦まじい姉弟に茶々を入れるな。無粋だろうが」
「え~」
お前なら、ニシムラ・リュウジが姉に伝えた言葉の意味が分かっていると思っていたんだがな、とタカナシに言いかけたが、それこそ無粋というものなので、口を噤んだ。
「ちなみになんだが、『自分なんて生まれてこなければよかった』って件について、何か言ってたか?」
「ああ、それなら会話の冒頭でニシムラ弟が謝ってました。で、ニシムラ姉が許してました」
「そうか」
ならいい。あの二人ならこれからもやっていけるだろう。
「なるほど。出歯亀とは、さすがタカナシさんですね」
「お前も感心するな。立派な職権乱用だ」
ニシムラ・リュウジの身柄を警察署に送った後。昼食を買いにタカナシとコンビニへ入る手前、例のツナギにダッフルコートを羽織った夢原と出くわした。
「ふふ。タカナシさん、そういうのお上手ですからね」
「本人に言ってやるなよ。ただでさえ調子に乗ってるんだから」
タカナシは先にコンビニへ入り、アンパンと二百ミリリットルの牛乳パックを手に、会計の列に並んだ。まったく、昔の刑事ドラマじゃなるまいし。
外からコンビニの店内を眺めながら、俺は口を開いた。
「……姉さん、いつまでこんなことを続けるつもりだ」
隣にいる相手に聞こえる程度の声で言ったつもりが、声のトーンから俺が怒っていると思ったらしく、夢原――姉さんは「心配かけてごめんね」と言った。
別に謝ってほしいわけじゃない。俺は後ろ頭を掻き、言葉を探す。
「いや、俺はただ、姉さんには静かに暮らして欲しいと……」
どもってしまった俺と、小さい姉さんの姿がガラスに映る。姉さんは、困ったように笑っていた。
俺は、ニシムラ・リュウジのような言葉をかけることはできないし、言葉にするにも時間をかけ過ぎた。
その時間は、俺と姉さんの間に壁を作った。俺は老いに向かって歳を重ね、姉さんだけ、あの頃の姉さんのまま。だから、俺もあの頃の俺で接することはできない。
もし、ニシムラ姉弟のように、俺も姉さんとずっと一緒にいられたら。もし、俺がホズミの家に養子として行かなければ。俺は、姉さんを救うことができただろうか。
腹立たしい。現在が。今の姉さんが。何もできない自分が。本当に腹立たしい。
奥歯を噛み締めていると、タカナシが会計の先頭に立った。それを見計らうように、姉さんは両手を後ろに組んで、俺の懐に飛び込んできた。
喉の奥から変な声が出て、一瞬心臓が止まった気がした。姉さんの体を支えようと腕を伸ばしたが、力が入らなかった。
「姉さん。馬鹿な真似はよしてくれ」
「なにが馬鹿なものですか。もうこんな機会はないのよ?」
力なく項垂れる片腕を持ち上げ、手で顔を覆った。こんなところ、タカナシに見られたらどうするつもりだ。
「人の気を知ってて……本当に、姉さんはずるい」
「んふふ~」
顔をぐりぐり押しつける姉さんを、俺は受け入れることも、突き放すこともできない。情けない。こんな顔、誰にも見られたくない。
「ヒサヒコ。姉さんを愛してくれてありがとう」
姉さんが俺の名前を呼んだだけで、今度は心臓が跳ね上がった。俺が言うべき台詞を、姉さんは俺の代わりに代弁した。
「本当は、家族みんなに愛してほしくて、みんなと家族になりたかった。でも、頑張れ頑張るほど、お母様は私を突き放した。そうすることでしか、自分の癒すことができないと、頑なに思ってらっしゃったわ」
姉さんは、物心付く前から、自分が望まれて生まれたわけではないことを知っていた。親父に置いていかれてからは、お袋から愛されたがっていた。そのためにならどんなこともした。その努力を、兄貴と俺は知っている。
だがお袋は姉さんを憎み、兄貴が倒れてから、一層その憎しみを深くしていった。それでも姉さんはお袋から愛されたかった。親父に裏切られ、傷ついたお袋を愛したかった。
「お兄様とヒサヒコは私を愛してくれたけど、お母様は一人ぼっちだった。当たり前よね? 私がお母様を傷付けたのだから。家を出てからは、罪悪感で頭がいっぱいだったわ」
姉さんも俺と同じように、悔いを残してあの家を出た。取り戻せない時間を、残りの時間に費やした。
だが姉さん、と俺は声を絞り出すように言った。
「そんなことしたって、終わった時間は取り戻せない。第一、姉さんが生まれたのだって、元々は親父のせいだ。親の責任を、子どもが償う必要はないんだ」
「そうね。姉さんも、だいぶ後になって知ったわ」
だいぶ後。大人になってから、という言い方を避けるように、姉さんは笑った。笑って、俺を見上げた。
「だから私には、『夢原涙子』が必要だった。私が私として生きるためには、『夢原涙子』にならなければいけなかったの」
姉さんは吹っ切れたように言うが、そこに至るまで、姉さんはどれだけお袋のことで胸を痛めたのだろう。俺の想像を超えるものだったのかもしれない。
「あの時、『生まれてこなければよかった』なんて言ってごめんね。大丈夫。もう心配いらないから」
まるで惜別の言葉だ。そう言って離れようとする姉さんの頭に、俺は軽く手を置いた。
「馬鹿。心配いらないって言ってる奴が一番危ないことぐらい、お前だって知ってるだろ」
驚いた顔の姉さんを久しぶりに見た。俺だって驚いている。でも、今だから言える言葉を伝えたかった。
「今のお前は『夢原涙子』で、俺は赤の他人だか、あの頃の俺達は確かに姉弟だったんだ。お前が『夢原涙子』で居続けるなら、俺はいつでも力になる。だ、だから、その、なんだ……」
急に今の状況が恥ずかしくなり、思わず口籠もってしまった。顔も心なしか熱いし、姉さんは俺の様子を察して笑っているし。
悔しくなって姉さんの髪をわしわし乱すと、姉さんもふざけて「ぎゃー」と言った。
「だから、お前が俺を『おじ様』と呼んでいる間くらい、心配させてくれってことだ。夢原」
俺の手から解放され、ぐしゃぐしゃになった頭を抱えた夢原は、気恥ずかしいような、照れたような笑顔を浮かべて「はい」と応えた。
本当に分かっているのは疑わしいが、取り敢えず信じることにしよう。それが夢原にとっても、『夢原涙子』になる道を選んだ姉さんにとっても、きっといいことだから。
ちなみにタカナシはというと、コンビニで会計を済ませた後、仲睦まじそうにしている俺と夢原の邪魔をしないよう、コンビニの雑誌を立ち読みして時間を潰していたらしい。
「いやぁ、ホズミさん。ごちそうさまでした」
「うるさいっ」
「ははははは」
両手を合わせるタカナシに向かって握り拳を上げた後、自分の昼飯を買うため、俺はコンビニへと入っていった。
ついでに『持つべきものは有能な部下だ』という発言も訂正しよう。部下は持つべきだが、扱い方に注意せよ。特に有能な奴は、こちらの足元を見ることがあるのでなお注意されたし。以上。
トポグラフ・マッパー夢原涙子 遥飛蓮助 @szkhkzs
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