その4/4

 ちょっと待て。お前らの組織だか何だかはハルヒの動向を逐一監視してるんだったよな。人一人が校内のどこにいるのかだって把握できるっていうのに自分たちが苦労して集めた試験結果はみすみす盗られるってのはなんだかチグハグな感じがするぜ。

「仰る通りです。通常であれば北高内でコソ泥が盗みを行うなど不可能です。人っ子一人でも不審者が侵入しようものなら昼間だろうと深夜だろうと僕たち『機関』のメンバーが秘密裡に取り押さえることが可能です」

 つまり、今回は通常じゃないって言いたいんだな。

「そう考えるのが妥当でしょう」

「仮にお前の言う通り誰かが俺たちの回答用紙を盗み取ったとして、何が目的で誰が困ることになるんだ? 再試を受ける羽目になる俺はもちろん困るが」

「それは分かりません」

 分からないのかよ。じゃあそんな無暗に深刻ぶることないじゃないか。

「分からないから危惧する必要があるんです。涼宮さんが熟考して導き出したご自身に関するデータには必ず重要な価値があります。そこにあなたや、僭越ながら僕らのデータもあればなおのことです。そして、それを盗み出したのは『機関』の裏をかくような存在です。その存在が一連のデータを何に使う気なのか、どういうスケールのことをしようとしているのか、今のところ見当もつきません」

 とはいってもたかがマークシートの回答用紙だぜ。重く考えすぎじゃないのか?

 なあ長門。もし仮に俺たちの答案がどっかの誰かにいいように使われたとして、どんなことが起きるんだ? ハルヒが世界を作り替えちまうー、みたいな、またそんなやつか。

 長門は昨日から引き続き読んでいる洋書のハードカバーから目を離してこちらに向き直った。しばらく沈黙したまま俺の顔を見つめていたが、一向に返事をくれないので再度声をかけようとした時、ようやく口を開いてくれた。

「回答用紙そのものにはさしたる意味はない。そこから得られる情報には相応の力があるが、涼宮ハルヒのそれ程ではない」

 ほら見ろ。長門もこう言ってるじゃないか。と言った俺の声に被さるように長門は続ける。

「最大の効力を発揮したとしても、この天体の表面温度が平均二百三十三度前後上昇する程度」

 まごうことなき人類史の終焉じゃねえか。

「涼宮ハルヒのように新しい情報を生み出すわけでも時空間に干渉するわけでもないから影響は小さい。現実的な範疇」

 そりゃあお前はそんだけ暑くても生きていられるかもしれないが、俺たちは確実に全員茹で上がるぜ。朝比奈さんは長門の言っていることがいまいち伝わり切っていないのかきょとんとしたお顔、古泉は立ったまま絶句している。長門さんよ、一体どういう理屈でそんなことになるっていうんだ?

「過程を説明するのは難しい。様々な影響と効果が重なり合った場合にのみその結果が導かれる。バタフライ効果」

 じゃあその最悪のケースが実際に起きる確率はどのくらいなんだ。

「確率という不完全な概念では答えにくい。ただしよほどのことがない限りそのような事態にはならないと思われる。現状無視しても構わないレベル」

 だとよ。古泉聞いたか?

 朝比奈さんが安心したようにふぅーっとそよ風のような溜息を漏らす一方で古泉はシリアス顔のままだ。あんまり慣れない顔を続けてると疲れるだろうし、とりあえずお前も座ったらどうだ? というか、そんなに失くした答案が気になるんだったらお前らで探してこいよ。そして俺を謂れの無い再試から救ってくれ。

 古泉は腕を組んだまま顎の先や前髪を指先でつまんで、意識的なのか無意識なのかは分からないがあっちを向いたりこっちを向いたりしながら考えを巡らせているようだ。

「すみません長門さん、僕からも一つ質問をさせてください。その事態を引き起こしかねない物盗りの素性を、長門さんや情報統合思念体は把握されているのでしょうか?」

「していない。現段階ではそれを確認する必要性は低いと判断している」

 ダメ押しだ、俺にももう一つ質問がある。

「朝比奈さん、この件で未来からの連絡とかはないんですか?」

「ありません。昨日の連絡の時も特に何も言われませんでしたし、一応さっき問い合わせをしてみたんですけど、特に指示はなかったです」

 未来からの連絡がないということは、未来人にとっては今回の件は既定事項だってことだ。

「今のところは、ですね。この後いつ未来から伝達があるか分かりませんし、もしかしたら一度その万一の事態が起きてしまうことこそが未来人にとっては正しい歴史なのかもしれません。今回はどんな無理難題であったとしても何かしらの連絡があった方が気が楽でしたね。連絡がありさえすればそれに対応することはできるのですから」

 珍しく悲観的なコメントだな。

 古泉には悪いが、俺はあのハルヒ謹製答案パワーで人類滅亡という仮説が現実になるとはこれっぽっちも思ってない。長門も警戒する必要はないと言っているし、朝比奈さん(大)も今回は出る幕はないようだ。第一、もし地上の書物が残らず燃え上がるレベルの気候変動があったら未来に人類がいること自体が疑わしくなるし、もし未来人がいないなら当然朝比奈さんもこの場にいないはずだ。

 だから俺は正直なところ、何故古泉がここまで例の答案にこだわるのか、今一つ理解しかねていた。

 ただ、古泉のいつもと違う顔を見るに、こいつなりに責任を感じているのかもしれないとも思った。もし何かが起きるとすれば全部こいつらの蒔いた種だからな。

 いつまでも不気味な顔をされていても気味が悪いし、他に急ぎの用事があるわけでもない。こいつの尻ぬぐいに付き合ってやるのも悪くないか。

 そう思う一方で、仮に失せ物探しをするにしても、それがどんなところにありそうなのかという情報が一切なく、それを盗み出した犯人がどこの誰なのか不明であり、今どこにいるのかも、そもそもの目的さえ分からない。おいおい、何だこのノーヒントを徹底した不親切極まるクイズゲームは。こんなのを俺たちだけでどうやってクリアすればいいんだ?


 ん? 俺たちだけ?


 そう。俺は重要なことをすっかり忘れていた。

 俺たちは俺たちだけじゃない。このSOS団に不可欠な、というか団そのものと言うべき存在がまだこの場に来ていなかったことを。それに気付いた瞬間には時すでに遅しだった。

 部屋の外で爆発でも起きたのかってくらいの盛大な音と共に、部室のドアも吹っ飛べと言わんばかりの勢いで、そいつはやってきた。


「みんな聞いて! 昨日のなんか変な試験の答案用紙を教師共が失くしたんだって!」


 鞄とそれを持つ腕をぶんぶか振り回して、瞳に百万ワットの輝きを灯したハルヒが部室に飛び込んできたのだ。

「あいつら血眼になって探してるみたいだけど、それより先にあたしたちSOS団でそいつを探し出してやりましょう! 放課後宝探しゲームのスタートよ! あとキョン、あんた昼休みに岡部からその話聞いてたでしょ? ダメじゃないそういう面白そうな話はあたしにすぐに報告しなきゃ!」

 お、おう。

 古泉の顔をチラ見すると、ギリギリ苦笑いと言えるか言えないかの瀬戸際といった感じの珍妙な表情を顔面に貼り付けている。お前、この前校内でのハルヒの居場所はリアルタイムで分かるしコントロールもある程度できるとか言ってなかったか? こいつ相当焦ってやがるな。

「いいわね、キョン!」

 と言って暑苦しい瞳と幸福度百パーセントの笑顔を俺の鼻先にぐいっと押し付けてくる。思わず半歩引いて視線を逸らしてしまった。

「まあいいんじゃないか? 教師の失態をカバーするのは健全な学生の務めだろ」

 ハルヒは俺の適当極まる返事に満足したのか、笑顔の幸福度を百八十パーセントぐらいに高めて一人で気を吐いている。

「さあ、そうと決まったら善は急げよ。校内中を探し回って失われたドキュメントを探し当てるの。誰よりも早くね!」

 なあ古泉。長門か朝比奈さんでもいいんだが、俺たちはひょっとしてこれから①人類滅亡がかかってるやもしれない完全ノーヒント宝探しを、②ハルヒの目の前でそれと気づかれずに遂行しなきゃいけない、ってことなのか?

 なんてこった。無茶ぶりクエストの難度が一瞬にして更に飛躍的に上がりやがった。どうすりゃいいんだ、これ?

「あたしね、いつかこんな日がくるだろうと思って名探偵と探検隊のコスチュームを用意しておいたのよ。今回の場合どっちがいいかしら? インバネスコートだと今の季節にはちょっと暑いけどまあそこは気合でどうにかすればいいわ。さあみくるちゃん、お着換えするわよ!」

「えっ、ええっ、あたしが着るんですかぁ?」

「当り前じゃない! さあ早く着替えるわよ!」

 ハルヒは呆然と立っていた朝比奈さんを一瞬で絡め捕り、部室の片隅にあった段ボール箱の中を物色して厚手のコートやら鹿撃ち帽やら水筒やら双眼鏡やらを取り出しては物色し始めた。いつの間にそんなものを部室に持ち込んでたんだ?

 とりあえず、朝比奈さんがひん剥かれる前に部室を退散せねば。

「あ、キョン! まずはお隣さんを襲うことにするわ。灯台下暗しって言うしあいつらの部室なら教師共もすっかり見落としてノーマークかもしれないからね。今すぐ行って家宅捜索五秒前だって通達しておいて」

 教師共の灯台はこんなところにはないと思うぞ。発想がとことん自己中心的な奴である。なお、ハルヒの言うお隣さんとはSOS団アジトの二つ隣に部室を構えるコンピ研のことだ。以前SOS団の準メンバー扱いにするようなことを言っていた気がしたが相変わらず評価はあんまりだな。

 俺と古泉はお着換えタイムとメッセンジャー業務のために文芸部の部室を放逐されることになったが、今は都合がいい。

「おい、これからどうする?」

 ドアを閉め、一応コンピ研に向かいながらハルヒに聞き取られないよう声を潜めて古泉に話しかける。当の古泉は引き続き暗澹たる顔つきだ。

「情けないことですが現状全くのノープランです。一つだけ言えるのは、答案を盗み出した犯人はまだ校内にいる可能性が高いということです」

「どうしてそう言える?」

「涼宮さんが答案を提出したのは今朝のことでしたね? そして今日の日中『機関』は北高に出入りする人物を確認していないんです。ですが……」

 ですが、何だ。

「相手がもし超時間的、超空間的存在だとすれば『機関』の目を盗んで犯行に及んだ可能性は十分に考えられます。また、仮に犯人が校内に残っていたとしても、今こうしているうちにも下校する生徒達に紛れて脱出してしまっているかもしれません」

 と言って古泉は唇を噛んだ。

「すみません。今回の件は完全に僕たち『機関』の勇み足です。世界を守っているようなことを言っておきながら、まさか逆のことに加担してしまうなど……」

 と言って古泉は唇を強く噛む。

 よせよせ、心底口惜しそうな横顔もいつも通りハンサム面でやけにムカつくし、お前に泣きベソかかれても俺にはフォローしきれないぞ。

「相手はお前らの計画を利用するような奴だ。お前らがあの試験をしようがしまいが、何かしらの方法で同じようなことをしただろうよ。もしかしたら俺たちが分断されるようなもっとヤバい事態になっていたかもしれん。とりあえずハルヒと一緒にお宝探しをしてみようぜ。ひょっこり出てくるかもしれないし、もしかしたら今回もあいつがミラクルパワーでどうにかしてくれるかもしれんしな」

 と、俺は何故か古泉のご機嫌取りをしながら(何で俺がそんなことしなきゃいけないんだ?)コンピ研のドアノブを握った。


 古泉のおかしな様子にあてられて俺もいつになく前向きなフリをしたのがよくなかったのかもしれない。

 下手の考え休むに似たりという諺があるが、この直後、俺はどうせ似てるんだったら下手に考えたり動いたりせずどこか安全な場所で安穏と休んでおけばよかったと後悔するような事態に直面する。


 コンピ研の部室のドアノブを握ってから、扉を開いて中に入った記憶がない。俺はいつの間にかコンピ研の部屋の中にいた。

 即座に背筋に寒気が走る。

 瞬間的に異常事態に気付いたから、というのもある。それ以上に、さっきまで俺に汗をかかせていた温度が全く感じられないのだ。

 コンピ研の部室の中は、薄暗く青白い走査線のような光が縦に横にと走る異界と化していた。二度と見たくなかった幾何学模様。俺は以前にも何度かここに来たことがある。

 反射的に振り返る。そこにはさっきまで手の届く距離にいたはずの弱気な古泉の姿はない。ドアもない。

 この経験は初めてじゃない。これはいつか見た展開と光景だ。決していい思い出とは言えない類の経験だったことは間違いない。

 異様な空間に声が響く。


「キョン君お久しぶり。一か月、いや二か月ぶりかしら?」


 俺はこの声の主を知っている。聞くたびに全身に悪寒が走る声。

 視線をゆっくりと部室の奥に戻す。

 そこあったのは、異界の床でのびているコンピ研の部長氏と、楽しげに微笑む朝倉涼子の姿だった――



『北高生ロストドキュメント(後)』へ続く

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北高生ロストドキュメント(前) いしじまえいわ @ishijimaeiwa

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