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ルクレツィアへ。


 お返事が遅くなってごめんなさい。アンジェリカです。こういうときでもないと、手紙を出す機会なんて滅多にないことだろうから、わたしに任せてってメアリーに頼んで筆を持ってます。初めてのことだから、上手く書けているかちょっと心配。

 まずは、近況を伝えたらいいのかな。

 わたしたちはなんとか元気にやってます。あなたが見たエワルドからは想像もつかないでしょうけど、こっちで彼は村中の人の農機具や子供の玩具の修理なんかを任されていたから、そういう伝で知り合った人が大勢いるの。みんなとても優しい人たちで、事情を話したら毎日誰かが様子を見に来てくれてる。それからね、猟師の人がメアリーの人形を交易所に卸すのを引き受けてくれて、売上も好調みたい。娯楽の少ない地域だから、恋人や子供への贈り物に買って帰る人が多いんですって。

 近況はこんなところ。メルツェルを追っていたときみたいに、もっと色んなことが起こったら、沢山のお話が書けたのに。ここは良くも悪くも長閑なところだから。

 語れるお話がない代わりに、振り返って考える時間は沢山できた。木陰で風に吹かれたり、窓辺で夜空を眺めたりしながらね。

 わたしは大切な人がいなくなると自分がどんな風に代わってしまうのか、解らなかった。エワルドが資料として読み耽っていた本は、彼がいなくなったら棚の飾りになって、エワルドがコーヒーを飲むのに使っていたカップは食器になった。彼がいたっていう証が至るところにあるのに、本も食器も、研究室で今もランプを点滅させ続けているあのわけの分からない大きな機械も、わたしの中で意味合いを変えちゃった。ううん、違う。意味がなくなっちゃった。ねえ、ルクレツィア。自分の世界から誰かがいなくなると、後に残った見えるもの全部が、嘘みたいに思えるものなのね。どこにあるものも、全部が本物じゃない気がするの。何もかもが、もうわたしにとって何でもない。

 こことは違う、エワルドのいる世界がどこかにあって、わたしだけが違う世界に迷い込んだんじゃないかって。そんなことばかり考えてる。悲しいって、こういうことなのかな。合ってる? エワルドも同じような思いを、ずっと隠し持っていたんだろうか。

 楽しかったら、笑えばいい。エワルドに遊んでもらっていた近所の子供たちはそうしてた。頭にきたら怒鳴ればいい。でもね、悲しかったら――この気分はどうすればいいのか、わたしにはちょっと、分からない。

 なんだか、世界がどんどんからっぽになっていくみたい。大切なものは永遠じゃないから、次々に壊れて、消えていくし、忘れちゃう。失うばかりじゃないっていうのは解かるわ。きっと、いつだってどこかで何かが芽生えている。新しい出会いってやつ。

 でもね、それは失ったものと等価にはならない。異性を取っ替え引っ替えして失恋の埋め合わせができるっていう人のことを羨ましく思うことはあるけれど、歳月を重ねて価値を高めたもののほとんどは、新しいものじゃ替えが効かない。新しいことをしたり、未知のものを見つけたり。そういうことだって大事でしょう。だけど、新しいものにばかり目を奪われて育むってことを忘れてしまったら、手に入らないものもきっとあると思うの。

 エワルドと培ってきたものをここで終わらせないためにも、あなたが教えてくれた人に会ってみるつもり。でも、会うのはわたしだけ。今、メアリーはエワルドの傍で少しずつ自分の人生を取り戻そうとしてる。だから、思わせぶりなことを言って、彼女に過度な期待を持たせたくないの。誰かや何かを追い掛け回すので忙しくしてばかりじゃ、自分が何者なのか解かんなくなっちゃうからね。目の前のことに集中して、日々起こることを全身で感じることが必要な時期ってあるでしょう? メアリーには、わたしのルーツを探る旅に出るって言うつもり。嘘じゃないわ。ヴェルダの研究者だっけ? 彼女がわたしの記憶を司っている装置を作ったっていうのなら、彼女の勤め先はわたしの出生地で、そこを訪ねることは里帰りみたいなものだからね。

 不安がないわけじゃない。今まではどこへ行くのにも、いつもエワルドの声と一緒だった。軍事基地の倉庫に潜り込んだときも、警察署の事務所を漁ったときも、病院の霊安室を蹴破ったときも、そう。思い返せばいつも……なんてことをさせてくれたんだろう、エワルドは。

 ……それはともかく。

 これからわたしは、わたしの冒険をすることになる。初めての一人旅で海を越えるっていうのは、ちょっと……いや、かなり怖い。知り合いなんて一人もいない。土地勘だってない。エワルドの復活に見込みはあるのか。それを問い質す前に、目的地まで辿り着けないんじゃないかなんてことも考えちゃう。そもそも、大変な思いまでしたのに、徒労で終わる可能性の方が高いんだもの。

 考えれば考えるほど、出発を先送りにしたくなる。痛感したわ。頭は心配性で、成功を保証してくれるものを絶えず望むけれど、どこを探してみたってそんなものは何時まで経っても見つからない。

 悩んでも、能天気を決め込んでも、やるべきことは結局、前に進むことだけなんだよね。

 この手紙があなたに届く頃、わたしはヴェルダを目指す船の甲板にいるはずです。多分。技術博覧会のあとは、お互いに顔を合わせてる暇がなかったし、一度ちゃんと挨拶するべきかもとも思ったんだけど、ロバートの話では相変わらずあなたは忙しいみたいだから、帰ってきてからのお楽しみにとっておくことにしました。そのときは、メアリーとエワルドも一緒に会いに行けるよう、祈ってください。

 その日のためにも、エワルドには早く元気になってもらわないとね。あなたと再会できたときのことを思ったら、なんだかちょっとやる気が湧いてきた気がする。わたし、頑張るわ。エワルドのことを待ってくれている人のためにも、これまで彼の後押しをしてくれた人のためにも。

 そして、わたし自身のためにも。

 ゴミ箱に突っ込まれたり、下水の波に揉まれたり。この身体を汚された文句だって、エワルドにはまだ満足に言えてないんだから。


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愛のために蘇った男たち @sumochi

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