6-3

「そういえば、渡してくれと頼まれてたんだ」

 帰り際にロバートは胸元から一枚の封筒を取り出した。

「これって?」

「王女からだ」

「メアリーにも挨拶ができたら良かったんだけどな」ロバートは頭を掻いた。「やっぱり、嫌われているか?」

 赤い封蝋に妙な動物の模様が捺されている。

「挨拶ならさっきしたじゃない」

「たった一言だけな。目も合わさず。それで、すぐにまた屋敷にこもった」

「これ、王女から?」

「そうだ」

 わたしは封筒を陽の光に当てて中を透かそうとする。

「あなたって、意外と気にするタイプなのね」

「あいつが思いつめる原因を作ったのはおれだ」

「どうして?」

「アーバン大鉄橋に連れ出さなければ……」

「あの橋に行かなくたって、いずれ知ったことよ。それに――」

「それに?」

「人はそう簡単に他人の人生まで背負えないっていうのは、メアリーだって良く解かってる」

 わたしは封を開けてみようとして見せた。ロバートに止めようとする気はなさそうだ。わたしは本当に封蝋を割る。

「まだ気持ちの整理がつかないだけ。その内、夕食だって一緒に食べられるわ」

「そうか。……ああ、そうだな」

 ロバートは屋敷の窓に目をやった。

「そのときはぜひ、おれの娘に会ってやってくれ。人形作家の道に興味があるらしい」

「そうね。伝えとく。メアリーもきっと喜ぶと思う」

 ――会ってみる価値がある人を見つけた。

 手紙にはそう書いてあった。同封されていたのは、あの日巷で配られていた技術博覧会のパンフレットと、渡航チケットが二人分。技術博覧会のパンフレットには展示品の紹介欄に朱色の丸印が一つだけ書き加えられている。

 出品者は、ヴェルダ出身の女性。警ら機関にある捜査課の研究部長を務めているそうだ。人の頭に蓄えられている記憶や知識を吸い出そうっていう計画のようで、研究が進めば、事件の目撃者から正確な情報を入手したり、容疑者が隠している秘密を引き出せるだろうって彼女は期待している。

「記憶には、認知に基く属性が割り振られていて、その属性は経験から生まれる唯一無二の基準から成るらしい」

 帰り際のロバートとの会話。手紙を読みながら首を捻るわたしに、彼は自分の手帳を見ながらそんなことを言っていた。

「つまりは、そうだな。……お前、エワルドのこと好きか?」

「もちろん」

「おれは嫌いだ」

「喧嘩売ってる?」

「そうじゃないさ。一人の人物とってみても、おれとお前じゃ印象が違う。その印象っていうのを属性って呼んでいるらしい」

 それで、とロバートは続けた。

「属性は経験から生まれた基準で個々人が定義したものって言っただろう? つまり、それがどんな属性を帯びているかを定義するために、記憶は前段階の記憶とヒモ付けられているってことなんだ。だから、記憶が帯びている固有の属性を外部から精確に観測できたら、芋蔓式に特定の人物の頭の中を再現したり、具体的な事柄についての記憶だけを抽出できるようになるかもしれない」

 文脈が頭を素通りしてそうな読み方をしていなければ格好もついたんだろうけど、あのときのロバートは覚書に操られているみたいだった。

 その研究がわたしたちとどんな関係があるのかってことは、手紙の続きに書いてあった。

「エワルドとアーサーの記憶が納められた集積装置も、それから、アンジェリカ。あなたの頭の中も、そのヴェルダの研究員が設計したもののようなの」

 エワルドがこの女性と知り合う機会は……まあ、あるか。技術博覧会が開かれているのは、そもそも研究者同士の交流の場を設けるためでもあるって話だし。

 あの装置からエワルドを取り戻せるってことなんだろうか。ヴェルダでどんな研究が行われているにしろ、二人分の記憶が一つの容器の中で混濁してしまった状況なんていうのは特例中の特例で、そんな事態を想定しているとは思えない。

 だけど、

 だけど。

 身体っていうのは、自前の能力を発揮して、自分自身が何者であるかを表現するための出力機だって信じていたから、エワルドは何があっても最期までもがいた。そうせざるを得ないことをする。それだけ。これをしなくちゃ自分じゃない。そう思えるものに挑まなければ、自分が自分である必要なんてどこにもないでしょう?

 エワルドと寄り添うのがわたしの生き方だ。命を吹き込まれた義理じゃない。これは彼と暮らした歳月に育まれた想い。

 適う見込みが薄いからって理由で、この想いをわたしの中で自己完結させるのは勿体ない。

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