6-2

 コークストンの街で暴れ回っていた死体の群れは、陽が沈む少し前になって一斉に沈黙した。真相を知らない人たちの間で死体の起動と停止は陽光と関連付けられ、軍部も新聞屋もそれを否定しなかったとロバートは言う。人体実験、人体改造、研究成果の暴徒化、支配者層による組織の私物化。どれも責任の所在を定める前に明るみになったら困るものだから、調査中っていう定型文を盾にしながら、落としどころを探っているらしい。

「被害は最小限に抑えられた」

 原因が何なのかも公表できないくせに、軍部は事態の収束をまるで自分たちの手柄みたいに発表した。

「おれたちにも箝口令が敷かれた。被害者の中には、外国の高官もいてな。最早〈豊穣会〉の存続がどうのという程度の話じゃ収まらなくなっちまって、お偉方は途方に暮れてる」

 数台の大型馬車を引き連れてわたしたちの家(エワルドの屋敷)にやってきたロバートは、部下に荷卸しの指示をしながら、コークストンの近況を話してくれた。

「いい気味ね」

「エワルドに全て被せようっていう腹積もりの連中も、中にはいた」

「何それ」

「王女が阻止したよ。騒動の渦中から生還したっていう事実を上手く使ってな。……不幸中の幸いってやつなのかね。真実を目の当たりにしたおかげで、おかげで特定の派閥が王女に取り入る隙もない」

「今回のことで幸いなんて、一つもないでしょ」

「メアリー・リードは生きていたんだろう?」

「それを一番望んでた人が今や『あんな状態』だし、エワルドがあれじゃ、メアリーだってなんのために帰ってきたのか解からない。わたしだって……」

「まだ目を覚まさないのか。あいつは」

「眠っているわけじゃないからね」

 記憶や感情が他人と融合したことで、アーサー・グリーンは自我の根拠を失った。それはエワルド自身にも起こったことで、円筒状の記憶媒体の中には二人分の記憶と感情が、誰のものという区分なしに納められている。区分なしというのが重大だ。複数の本のページを全部解いて、無秩序に繋ぎ合わせたものを想像するといい。できたものは基が何であれ、元々の価値を失っているだろう。感覚器官を共有してそれぞれの感覚でものを見るの(わたしとエワルドの関係)とはわけが違う。

 自我を失ったアーサーとエワルドの間に境はなく、記憶媒体の中で一つの情報の塊と化した。それはつまり、アーサーでなくなった情報の塊は、アーサーとして国中に潜んでいる死体に命令を下すことはできなくなったってことで、エワルドでなくなったエワルドは……復讐心から解放されたってこと。

 そのおかげでコークストンで暴れ回っていた死体は沈黙し、他の町や村で市民に成り済ましていた死体も暴走するようなことはなかった。

「だけど、死んでいるわけでもない。そうだろう?」

 王立兵器工廠の地下深くで奇妙な機械に埋もれているところをロバートの部下に発見されたエワルドは、コークストンの一番大きな病院に搬送された。そこでルクレツィアの勅命による大がかりな検査と治療が繰り返されたけれど、治ったのは外傷だけ。脈も呼吸もあるのにどうして目を覚まさないんだって医者は首を捻っていた。

「死んでないってだけ。生きているわけじゃない」

 博覧会の会場で意識が確認されたメアリーも、エワルドと同じ病室に搬送された。周囲の人が彼女に事情を伝えるのを渋ったせいで、数日の間、メアリーはエワルドが起きないのは疲労のせいだって思っていたらしい。真相を伝えるのはわたしの役目になった。

「エワルドが自分を犠牲にして守ったのに。誤魔化し誤魔化しやっていかないと、成り立っていかない世の中なんてね」

 容体が安定すると、メアリーはこれまでの記憶を見せてほしいってわたしに頼んできた。メルツェルを追って軍の研究所や基地に忍び込んだあとなんかに、見落とした手がかりがないか、エワルドは〈棺桶〉を通じてわたしの記憶を探っていたこともあるくらいだから、外からわたしの記憶を覗き込むこと自体は難しくない。アーバン大鉄橋の件以来ロバートの事務室がある庁舎の倉庫に押し込まれていた〈棺桶〉が、病院に引っ張り出された。

「これってちょっと、縁起でもないんじゃない?」

 わたしは搬入作業の指揮を執っていたロバートに文句をつけた。

「そうは言っても、これを運び込む場所なんて他にどこがあるよ?」

 そこに長時間あっても不自然じゃなくて、誰の気分も損ねない場所を探すと、〈棺桶〉を置く場所は霊安室ってことになるそうだ。わたしはあんまり納得してないけど。

「なんだか、もう一度死ねって言ってるみたい」

「あいつの真似か?」

「何のこと?」

「その嫌味だよ」

「これって嫌味なの?」

「……まあ、いいけどさ」

 諦めたみたいに言うのは止めてほしい。

 誰かがわたしの記憶を覗く間、わたしは自分の記憶を整理するのに集中しなくちゃならない。人が眠るのも似たような理由だってエワルドは言っていた。

 しばらくの間、おやすみ。

 そして、おはよう。

 呆気ないのは仕方ない。寝ている間のことなんてそんなものだ。わたしの集積装置に溜め込まれた記憶を呼び起こして、他人が理解できるよう描写するのに、仕組まれた回路が轟音を立てながらフル稼働していたことも、全部は無意識の内のこと。いびきだってかいてる当人はやかましく思ったりしないでしょう?

 わたしが目覚めると、メアリーは既に別の部屋でお茶を飲んでた。わたしも同じテーブルを囲って、それとなく彼女の顔色をうかがった。これまでの経緯を知った感想は? なんてことを聞く気はない。あるわけないだろう。そんな質問はあまりにもデリカシーがないし、それに、何を感じたかはだいたい解かってる。〈棺桶〉を使うっていうのは、共感するっていうこと。わたしの記憶を覗き込む過程で生まれたメアリーの感情の一部が欠片になって、わたしの中に残っている。

 木箱の運び込みを手伝おうとしたらロバートの部下に邪魔だって追い出されたわたしが、屋敷の軒先でしばらく拗ねていると、ロバートが部下たちから離れてこちらにやってきた。

「これで、荷物は全てだそうだ。しかし、本当に良かったのか?」

 ロバートが言っているのは、積荷のことだ。兵器工廠の地下で見つかった記憶集積装置と関連機材の一式。工廠の職員は自分たちの財産だと主張したそうだけど、それならば一連の騒動の発端は兵器工廠にあると認めるのかと質問したところ、一転して大人しくなったらしい。

 内務省に財務省、警察庁に科学技術庁やどこぞの財閥。あれを解剖したがっている部署が多い中で、持ち出すのは至難だぞと愚痴を言いながらも、ロバートはこうやって「彼」を家に帰してくれた。

「『あれ』を解析するのにも、エワルドの面倒を看るのにも、コークストンの方が設備が充実してる」

「正しいかって聞かれたら、頷けない。でも、生きるって正しいことをするだけじゃないでしょう? 利益や効率の良し悪しじゃなくて、それをしないと自分の一生が破綻しちゃうっていうことが、誰にだってあると思うの。幸せのためじゃない。自分が自分だって胸を張るためにすること」

〈棺桶〉から出てきたメアリーは数日の間ほとんど無言だったけれど、エワルドの屋敷に向かう汽車の個室で、おもむろに口を開いた。

「問題だらけの毎日だった」メアリーは言う。「お金だとか、時間だとか、誰かの承認だとか。二人して色んなものを追い駆け回してた。あれが足りない、これが欠けてる。そればかり気になるってつまり、自分であることに嫌気が差していたからだと思うの。能力なり、境遇なり、ね」

 メアリーは過ぎ去っていく車窓の景色を眺めながら続けた。

「お互い、自分とは違う何かに成ることを望んでた。だけど、わたしが一緒にいたいって思っていたのは、他の誰でもない、エワルドなの」

「エワルドだって、あなたのことしか考えられなかった」

 わたしがそう言うと、メアリーは寂しげな目をしてはにかんだ。

「取り返しのつかない事態になって、ようやくわたしたちにとって本当に必要だったものが何なのかに気づいた。……わたしたちは、わたしたちであるべきだった」

 車内で見たメアリーの横顔を思い浮かべながら、わたしはロバートに続きを言った。

「少なくとも、わたしたちは一緒にいるのがわたしたちらしい生き方なんだと思う」

 メアリーに感化されたからなのか、それともわたし自身から芽生えたものなのか、そこのところの区別はついていないけれど、どちらにせよ、エワルドとメアリーの間に立ったわたしだから見出した結論なのは間違いない。

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