5. 今後に期待だ

「練習通りにやれば良い。……案ずるな。私が援護する」

「援護って……」


 呆れた様子で万結羅は顔の側に浮かぶマーレイを見やる。叩けば落ちそうなそんなちっこい身体で、いったいなにをしてくれるというのか。

 しかし、万結羅の疑念もいざ知らず、マーレイは面積の小さい胸を張った。


「私は守護獣トトの末裔だぞ? 頼りにならないはずがないだろう」

「……だったら、はじめっからマーレイが追っ払ってくれればいいのに……」


 言っても無駄だと思っても、言わずにはいられなかった。だってもう、全てが理不尽すぎる。


「来るぞ!」


 鋭いマーレイの声に、くさくさしかけていた万結羅は、は、と顔を上げた。パンク女が拳を突き出すのに合わせて、火の球が飛んで来た。万結羅は横に飛び退いた。普通では出せない、人の背の高さを越える跳躍で相手の攻撃を躱す。

 それを見たパンク女はもう一度ジャブを打ち、火の球を飛ばす。着地地点に飛んで来たそれを、転がって躱した。


「ほう、いい動きだ」


 手を着いて起き上がった万結羅に向けて、感心したようなマーレイの声。


「当たれば死ぬんだから、必死になるわよ……っ!」


 返しながら立て続けに飛んで来る火の球を、後ろに飛んで躱す。しかし、回避もだんだん追い付かなくなってきた。万結羅はその場で靴を鳴らす。

 カ、カカ、タン。


「水よ!」


 声に応じて、万結羅を包み込むようにシャボン玉が現れる。薄い膜のそれだったが、蒸気を発しながら飛んで来る火の球を打ち消した。


「おお……」


 はじめて実践で使った魔法に、我が事ながら思わず感嘆の声が出る。


 マーレイが言うには、この銀の靴で魔法を使うには、靴を打ち鳴らす必要があるらしい。つまり、呪文を唱える代わりに、タップダンス紛いなことをするわけだ。ステップは多岐に渡り、凄い魔法ほど難しくなっていくとのことだが、タップダンスどころか普通のダンスすら(体育の授業を除いて)したことのない万結羅が、一度にいくつものステップを覚えられるはずもなく、とりあえず守りの技であるこのシャボン玉の魔法を含めたいくつかを集中的に覚え込まされた。

 まあ、それはもう大変だった。普段意識して足首を使わないだけに、辛かった。しかも踵のある靴なのだ。倒れないようバランスを取って、ステップも正確にして、なんて気を回すところも多かった。

 そしてなにより、見本がない。先生マーレイはイヌであるからステップを踏めるはずもなく、代わりに擬音で教えてくれたわけなのだが、これがまたいまいちよく分からないし、低いオジサマイケボのオノマトペがあまりにシュール過ぎて、集中力を欠いた。万結羅の頭の中では、敵のボスが擬音語を発するシーンがずっと再生されていた。笑いを通り越して、何故か居たたまれなくなってキツかった。


 閑話休題。


 はじめての魔法の効果に呆然としている間に、保護膜が消えていったので、万結羅は再び気を引き締めた。そこに相手の攻撃が飛んで来て、跳躍して避ける。この人間離れした跳躍ももちろん銀の靴によるものだが、これはステップは必要とせず、テンプレで備わった効果らしい。ちょっと助かった。

 それからまた、逃げて、防いで、の攻防が続く。


「逃げてるだけかい、お嬢ちゃん!」


 火の球の猛撃の間に投げ付けられる声に、万結羅は呻いた。攻防なんていうが、万結羅が一方的に防いでいるだけである。このままでは埒が明かない。


「だったら……」


 一度大きく跳躍して離れたあと、ステップを踏む。この短期間で万結羅が覚えた、水の守りとはまた別のステップ。


「これでぇ、どうだっ!」


 カンッ! と靴をアスファルトで打ち鳴らすのと同時、その足元を起点として突風が一直線に吹き荒ぶ。


「……くっ」


 女が両腕を顔の前に翳して庇う。顰めた顔の横で、ピンクに染められた髪がバサバサと揺れた。踏ん張った足が女の後方に押されていくところを見ると、相当な風圧だ。


「くそっ、このくらいで……っ!」


 女が片方の腕を突きだす。その指先から白い光が駆け抜けた。風を遡って飛んで来た閃光に、万結羅は悲鳴をあげて地面に転がり込む。

 せっかく引き起こした風が止んだ。


「いった~いっ!」


 叫びながら、地面に手を着いて立ち上がる。そこにまた閃光が飛んで来て、慌てて飛び退った。あれは本当に痛かった。静電気の痛みだ。ばち、という凄い音がした。ただ、痛いだけで痺れる感じとか、命の危険を感じるようなのはなにもなかったのだけれど――。


 でも、痛いものは痛いし、嫌。


「ったく、どいつもこいつもぉ……」


 火の球や閃光を必死で躱しているうちに、だんだん腹立たしくなってきた。万結羅はただ、祖母に高校入学を祝ってもらっただけである。それなのになんで、こんな痛い思いをしなければいけないのか。そもそもなんで、祖母に貰った靴を狙われなければいけないのか。

 凄い魔法の靴だから、だなんて理由にならない。

 カ、と銀の靴でアスファルトを蹴る。スプリントのごとき走りで万結羅は敵に接近し、相手に中段蹴りを打った。


「身勝手なことばかり言って! 私のことはお構いなし!? てゆーか、おばあちゃんに貰った靴寄越せと言われて、はいどーぞ、って差し出すわけないじゃないっ!」


 怒り心頭の万結羅は、叫びながら次々に蹴りを打っていく。喧嘩慣れしていない素人の雑な動きだったが、突風のステップが簡単で短いこともあり、自分でも器用なことに合間にステップを踏んでいたので、蹴りの動作と一緒に風が巻き起こって女もなかなか反撃できないようだ。


「だいたいなんで強奪前提なわけ! 実力主義だかなんだか知らないけど、一度くらい『譲ってください』って頭下げたっていいんじゃない? あげないけどね!」

「なんだい、それは! 下げ損じゃないか!」

「知るか! 一度くらいは常識的な行動を取れって話っ!」


 女の抗議を一蹴し、物理的にも一蹴り加えて相手を突き放すと、とにかく、と叫んで、腰に手を当て指を突き付けた。


「強奪はお断りだし、話も聞く気ないから、とっとと帰ってもらう!」

「はい、そうですか、って帰るはず……」


 と反論しかけた女の表情が一変した。きょろきょろとただの住宅街の小路に過ぎないはずの辺りを見回した後、まさか、と呟いて信じられないものを見るかのように、ばたばたとはためくピンク色の髪の隙間から万結羅を凝視した。


「いつの間に、こんなものを……」

「ふん、素人と思って、甘く見たようだな」


 万結羅の顔の横に、糸で吊ってぶら下げられたかのように、マーレイが下りてくる。その小さな身体が左へと煽られて、自分で右に立て直し……を繰り返しながら、ドヤ顔(推測)で相手を見下ろす。

 

「だが、竜巻トルネードによる転移は、ドロシーの専売特許だ」


 さっと青ざめたパンク女を取り巻くように、風が渦を巻いていた。地面の砂を巻き上げる程度だった微風は、いつの間にかパンク女の髪の毛を激しく煽るほどに成長し、女を空気の渦のなかに閉じ込めている。万結羅たちもその余波を食らって、スカートの裾を風ではためかせていた。マーレイがふらふら飛んでいるのも、その所為だ。


「あ……」


 目の部分に女を置いていた竜巻は、やがてその中心をずらしていった。背後からそっと女を持ち上げると、その身体を振り回しながら上へ上へと持ち上げていく。


〝オズの魔法使い〟でカンザスにいたドロシーは、竜巻に巻き込まれて家ごとオズの国へと飛ばされた。マーレイによると、あれは銀の靴を手に入れる前のドロシーが風を操ることを得意としていたことを示唆して作られたエピソードであるらしい。その末裔である万結羅たちも風を操る資質を備えているらしく、だからさっきのように蹴りの間に風を起こしたり、こんな竜巻を引き起こす術を仕込んだりなんてことを存外簡単にこなすことができたのだそうだ。


 竜巻捕まった女は、恨み言を万結羅へと投げつけながら、空高くへと上っていく。六階建ての高さまで行き着くと、ぽいっと外に放り出され、悲鳴を残して二つ三つ向こうの道へと落ちていった。


 思いの外あっけない終わりに、万結羅は呆然と空を見上げていた。それから彼女の追撃の可能性を考え、次第に面倒くさくなっていって、放っておくことに決めた。魔法使いであるなら、死ぬようなことはないだろうし、自ら災いを招き寄せることもないだろう。また女が襲いかかって来る可能性もあるかもしれないが、それについてはこのイヌを働かせることにする。


「ふぅ……まずまずといったところだな」


 そのイヌは、パンク女が飛んでいった空を見上げ、満足げにそんなことを言っていた。人間なら腕を組んで頷いていそうなその様子に、万結羅は青筋を立てた。


「えらっそうに……。結局何もしてくれなかったじゃない!」


 いきり立つ万結羅に向けて、マーレイは片眉を持ちあげた。


「おや、誰が魔術を教えたと思っている? それに、この作戦も立てたのは私じゃないか」

「それは、まあ……そうだけど」


 否定できなくて、少しだけ怒りが萎む。しかもマーレイは周囲に幻惑の術を張ってくれていて、誰かにこの魔法少女の姿を見られないようにしてくれていた。だから、完全に役立たずと罵ることはできない。

 ただ、万結羅が痛い思いをする前に、もう少し物理的に助けて欲しかった、とも思うのだ。〝守護獣〟やらを言い張るならば、なおさらに。

 いじけて足元を蹴り出す万結羅に、それに、とマーレイは付け加えた。


「手助けは必要がなかったからな。正直、はじめての戦いでここまでできるとは思っていなかった」


 それから、まるで孫を誉める好好爺のように眉の端を少し下げる。


「さすが、レイシーの孫だ」


 上から目線なのは変わらないのだが。

 褒められたような気がして、ほんの少しだけ万結羅の心は浮き立った。しかし、すぐに我に返るとマーレイからそっぽを向く。


「そ、そんなんじゃほだされないんだからね! おばあちゃんから譲り受けた以上、銀の靴は守るけど、今回みたいな戦いなんて、絶対にもうしないから!」


 今回のことで分かった。戦いなんて、痛いだけでやっぱりかっこいいものなんかじゃない。魔法少女なんて、フィクションだから面白いのであって、それが現実になるだなんて、冗談じゃない。

 とはいえ、万結羅はもう、否応なしに魔法に関わってしまった身である。今後、正当防衛くらいは仕方がないかもしれない。が、それはギリギリのギリギリまで粘った後の話だ。こっちから攻撃なんてしないし、されたらとにかく逃げ回る。戦うのは、逃げられなかったときだけ。そう決めた。

 だが、この守護獣とやらは、万結羅の決意などなんのその、だ。発言など聞いていないとばかりに悉く無視し、勝手に魔法少女の今後について、計画を企てているらしい。


「今後に期待だ」

「だから、しないってばぁっ!!」


 実は一番の敵はこのイヌかもしれない、と万結羅は密かに思い、今後マーレイに振り回される未来を思って撃沈しそうになった。



 これがその、少しばかり大好きな祖母を恨んでしまいそうになる万結羅の日々の、はじまりである。

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銀の靴を打ち鳴らせ! 森陰五十鈴 @morisuzu

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