星と夜咄
外に出ると、夜の風がクラーレの体を包み込んだ。
他に明かりらしい明かりは全く無い闇の空間。何かが潜んでいそうだと、意図せず感じてしまう。
それまで好き勝手に飛んでいたシロが微かに震えながら体をすり寄せてきたのも、無理はないと感じた。
シロを抱えつつ、外に掛けられてある梯子を伝い、宇宙船の屋根の上まで登る。とん、と登り切り、身を乗り出した直後だった。
誰かが座っていた。身構えた直後、その存在は頭をこちらに向けた。
「クラーレ。どうしたんだ」
「……いやあんたこそ」
頭部はテレビの形をしており、体は人間の形をしているが、全て無機物で構成されているロボット。
ハルはいつものようにトレンチコートを羽織って、宇宙船の屋根の上に座っていた。腕にはココロが抱かれていたが、彼女は眠っていた。
「ココロが夜泣きをしてな。泣き止ませるために、外の空気を吸わせてみた。あと、星を見る為でもある。クラーレはどうしたんだ」
「……まあ、俺もそんなとこだ」
「そうか。では、隣どうぞ」
「お、おう……」
ハルは体をずらし、少しだけ奥へと移動した。そうしなくても他にクラーレが座る空間はあるのに。クラーレはしばらく立ち尽くしていたが、深く吐息を漏らすと、ハルの横に遠慮がちに腰掛けた。
「そうだ。私が飲もうと考えていたんだが、クラーレに渡した方が効率的だろう」
急にハルが言った。居心地が悪いわけではないがどこか緊張しているような、絶妙な落ち着かなさを抱いていた時だった。
は、と隣を見ると、相手は脇に置いていた水筒を手にしていた。
「どうぞ」
水筒の付属品であるコップに中身を注ぎ、クラーレに渡してくる。それをすぐ受け取れなかった。コップとテレビ画面を交互に見る。
「口は付けていないから、安心して欲しい」
「いやそういう意味じゃねえんだが……」
クラーレに浮かんだ戸惑いを、衛生面による不安と捉えたらしい。うーんと唸ったが、クラーレは結局コップに手を伸ばした。
一口飲んだそのお茶は、クラーレの知らない味だったが、とても美味しかった。地球まで来る旅の最中に寄った星のどこかで手に入れたものなのかもしれなかい。
ハルはこのように、地球以外の星で手に入れた食料などを備蓄している。隙あらばシロが食べようと狙っているため、時折軽い攻防が繰り広げられていたりするのを目撃する。
「なんかあんたって、ちょっと変わってるよな」
「そうだろうか」
コップに注がれたお茶の水面を眺めながらぽつりと呟くと、ハルは少しだけ首を傾げてきた。
「ロボットって、こういうお茶とかも、時間が勿体ないって言って飲まない印象があったんだが……。あんたって割と三食きっちり食べてるよな。たまに無機物食べてる時はビビるけど」
「そのことか」
合点がいったとばかりに、ハルは頷いた。
「食べるのはエネルギー変換のためだ。エネルギーが切れたら動けなくなる。機能が低下する。動けなくなったら、万一の時大変にリスクが高まる。このお茶も、星の観測時間の合間にエネルギーを必要分補給しようと考えたからだ」
「……全部打算で動いてるわけか」
「全く以て、その通りだ。結果が見込めるのであればやる。何も見込めないのならやらない。ただし、場の状況にそぐわないケースでは、その限りでない」
ほお、と声なのか息なのかわからない音が口から発せられる。クラーレは自分の膝に肘を立て、頬杖をつきながらハルの横顔を見た。
「なんかあんたってあれだよな、融通が利くよな、割と。微妙な所がずれてるけど」
ハルは、いわゆるロボットの特徴である“空気が読めない”気質がない。例えば立ち去ってほしいときには立ち去ってくれるし、取ろうと思っていたものを取ってくれる時もある。
こく、とテレビ頭が上下した。
「いっぱい勉強した。人間の顔色から感情の機微を分析する力を会得するため。人間との円滑な交友関係を結ぶ方法を、たくさん勉強した。でも、わからないことのほうが圧倒的に多い。無機物と有機物の差は大きい」
ハルが上を向く。シロがお座りし、頭を上に向ける。釣られてクラーレもそちらを向いた。
最初は闇しか見えなかった空を凝視していると、うっすらと小さな光達が浮かび上がってくる。
完全に光を見て取れるようになると、頭上には幾多もの星が瞬いていることが理解できる。星を見ていると、心が落ち着いてくるのがわかる。
「人間は、不思議な生き物だ。心を持っている。どんなに考えても全容の理解が出来ない心を持っている。心とはどういうものか、なぜ生き物に心があるのかもわからない。心は、人間は当たり前に持っているが、それは決して当たり前の存在ではない。限られた存在しか持ちうることができないものだ」
クラーレは自分の心臓のある辺りを触った。
心。無いことは想像できないが、確かにあるのも当たり前のことではないのかもしれない。事実隣にいるロボットは、心を持たない存在だ。
「私は、心がないが。心は、貴重で、大変に大切なものだと、そう考えている。その計算を信じ、行動している」
沈黙が流れた。耳を澄ませば星の瞬く音が聞こえてきそうな気がしたが、実際に耳に届くのは虫の鳴き声やたまに吹く風の音くらいだった。物言わずただ輝く星を、クラーレはじっと見つめていた。
「ずっと迷っていることがある。何度も計算をし直していることがな。結果は変わらないのに」
星に向けられた意識が、横から聞こえてきたその台詞に移動する。
文面だけ見れば一人言なのかそうでないのかよくわからないものだったが、クラーレはわかる気がした。これは、自分に向けられた言葉だ。
「君達を巻き込んでいる現状について、だ」
何に対してなのかは、言われずともわかった。どういう反応を返して良いかわからず、星空から視線を外す。
「私一人で逃げ切るのは、不可能だ。必ず追い詰められる。だからこうして守って貰っているわけだが、それが本当に君達にとって良い事なのかわからない」
ハルは語り続ける。静かな声の合間にココロの小さな寝息が混じる。
シロがクラーレとハルの間で丸まった。時折ぴくぴくと耳を動かすだけで他の動きが鈍いのを見るに、眠たいのかもしれない。
「判断が誤っているのではと、幾度も頭脳に対して疑問を抱いた。もし誤った判断を下しているのなら、早急に矯正せねばなるまい」
ハルは星空から目を外さない。ずっと見ている。一方クラーレは、目線を上空に戻すことができないでいた。
淡々とした口調で語られれば語られるほど、胸の内側に何かが募っていく。
「考えるんだ。私が君達といることは、間違っているのではないかと」
コップを置いた。こん、と高い音が鳴った。びく、とシロが首を起こした。クラーレは、夜の空気を肺の中に取り込んだ。
「あんたらと出会えたから、俺にも、居場所が見つかった。それは、あんたが、ミヅキ達と出会っていたからだ。そのおかげで、俺はこの場所が、自分の居場所だと考えられるようになった」
ハルがこちらを見た。ぼんやりと明かりが灯るテレビ画面としっかり目を合わせる。
普段は面と向かって絶対に言えない言葉の数々だというのに、今は抑えきれなかった。勝手に口から出てくるのだ。
「だから俺は、あんたと出会えたことが、間違いだなんて微塵も思っちゃいない。きっと、ミヅキも、ソラも、ミライも、皆同じ気持ちだろう」
シロが起き上がり、ハルを見上げてピイと一声鳴いた。自分も、と言っているようだった。
風が軽く吹き、闇の向こうで木々がざわめいた。そうか、とハルの口が動いた。
再びハルが星を見た。クラーレも上を向く。目が慣れた為か、先程よりもより多くの星を見つける事が出来た。
「私は、必ず逃げ切ってみせる。ダークマターには捕まらない。決して、諦めることを、選択肢には入れない」
語り口は、依然として淡々と紡がれる。だがクラーレは、少しだけ違うと思った。絶対に揺らがないであろう、重さと堅さを、その声の中に感じ取ることができた。
「君達の持つ心を、守ってみせる」
その一言は、宵闇に沈んだ。静寂な星空の中に溶けていった。言葉そのものが、まだ周りのどこかに、形を保って残っている気がした。
「おう。頑張れ。……俺も、俺なりに、頑張るからな」
「ありがとう」
心の内にあった言葉を発した事による羞恥が、今頃になて襲ってきた。そわそわと落ち着かなくなる体を誤魔化すため、わざとらしく大きな伸びをする。
「もう、いっそどっしり堂々と構えてりゃいいんだよ。悩む必要無いだろ、あんまり」
「それはできない」
あくまでも軽い調子で言った。だが星から頭を戻したハルから発せられたのは、非常に重々しさを感じる一言だった。
真っ直ぐ向けられるテレビ画面は、夜のしじまを見ている。周囲に立ちこめる闇に、視線を注いでいる。
「誤りを防ぐため、判断には一層慎重にならないといけない。私は、かつて判断を誤ったんだ。私のせいで、ある人間が、道を踏み外した。私の判断が間違っていたせいだ」
無機質な声が、感情の一切籠もらない声が。いつまでもクラーレの耳に残っていた。
「だから、君達の心を、なんとしてでも守りたいんだ。今度こそ」
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