コズミックトラベラー・サイドストーリー

星野 ラベンダー

しろの心

 皆、ぼくのことを「シロ」と呼びます。だからそれが、ぼくの名前なんだと思います。ぼくもこの名前を、とても気に入っています。


 宇宙船のリビングでボールを追いかけたりして遊んでいたら、お腹が空いてしまいました。ぺた、と床に体をくっつけてしまうと、すっかり力が抜けてしまいました。もっと遊びたいのに、体が動きません。由々しき事態です。


 ごはん食べたいなあ。そう思ったぼくは、背中に生えている翼に力を込めて、ぱたぱたと宙へ浮かび上がりました。


 少しだけ開いていたドアの隙間をすり抜けて、リビングの外に出ます。早く大きくなりたいなあと思うけれど、こういうとき小さな体は便利です。


 鼻をひくつかせながら、ふよふよと廊下を飛んでいきます。他の部屋のドアが目に入る度、中に入ってそこにあるものでいっぱい遊びたい衝動に駆られます。


 でも今は我慢です。お腹がぐうぐうと鳴ってて、遊ぶ力が湧き上がってこないのですから。


 目的地まで真っ直ぐ飛んでいきます。でも飛ぶスピードが遅くて、なかなか自分が思うよりも目的地が遠いです。

 もっと大きくなったら翼も大きくなるはずだから、早く飛べるようになるんだろうなと思います。


 床下に続く扉をくぐって、階段を下りて。真っ直ぐ進んでいくと、天井が高くなってきます。

 行き止まりのドアを開けて、その向こうの景色が目に飛び込んできた瞬間、ぼくの胸が大きく高鳴りました。


 その部屋には、美味しそうなごはんがいっぱいしまわれています。

 ここは、食料が備蓄されてある部屋です。今ぼくがいる星は地球という名前だそうですが、そこの星じゃない食料もしまわれています。


 つまり、まだぼくが食べたことのないごはんが、いっぱいあるのです。

 選び放題です。食べ放題です。わくわくしてきて、ぴょんぴょん飛び跳ねたくなりました。


 どれを食べようかなあ。悩んでいる時間も惜しくて、とりあえず一番近いごはんを食べようと口を開けました。


「やめなさい、シロ」


 びく、と体が震えて、その拍子に床へ下り立ってしまいました。振り返ると、背の高い影が、ぼくにかかっていました。テレビの頭が、ぼくを見下ろしています。


 このひとはハルといいます。人間じゃありません。ロボットというんだそうです。


 昔、どうしてもお腹が空いて、このひとの足に齧り付いてしまったことがあります。怒ってはいませんでしたが、叱られました。

自分でも、あの時のぼくはどうかしてたんだと思います。


 どうしてここにいるの、とぼくは尋ねました。こっそり見つからないように、細心の注意を払っていたのに。


「食料庫に来ては駄目と言っただろう」


 返ってきた言葉は、ぼくの質問の答えじゃありませんでした。それもそのはずです。ぼくの言葉は、人間には通じません。ロボットにも通じないのでしょう。


 もう一度飛んで、ハルの頭の横辺りまで浮上します。ハルは何やら食料を一つ一つ見ては、手にしたメモ帳に何かを書くということをしていました。多分、点検をしているんだと思います。


「どうしたんだ、シロ。……撫でて欲しいのか?」


 ハルがこっちを見ました。頷くと、頭の上に手が伸びてきました。


 この人の手は冷たいです。でも触られるのは嫌じゃありません。もっと撫でてほしいですが、あんまり触ってくれません。言葉が通じたら、伝わるのでしょうか。


 ハルからは、感情が見えません。でも怖いとは思いません。一緒にいたら、落ち着くからです。


 せめて嬉しい事を伝えたくて尻尾をぱたぱた振ったら、ハルはふむ、という声を口にしました。


「プレアデスクラスターは頭が良い種族だと聞いていたが、言語がわかるまでとは。いや、まだデータが足りないな。分析するには情報が不足している……」


 ぼくだってさすがに言葉はわかります。ぼくが、皆の言葉を喋れないだけなのです。


 そのことを訴えようと、更にハルの横顔に近づいたときです。むんず、と尻尾を強い力で掴まれました。


 痛い、と声を上げながらそちらを見ます。


 ハルの背中におぶられている赤ちゃんと、目が合いました。真っ白い髪に赤と青のオッドアイ。ココロがおんぶ紐の中から、ぼくの尻尾を掴んでいます。


「い、う、あ~」


 ココロは怖いです。喋ってる言葉はわからないし、いつも触ってくるのはいいですが、力加減が全然なってません。小さいと侮るなかれ、乱暴です。それに、いつも尻尾を掴んでくるのはやめてほしいです。とても痛い。


「やめなさい、ココロ。シロから手を離しなさい」


 こうやって、いつもハルがココロを止めています。ココロの手の力が緩んだのを見計らって、ぼくは脱出しました。また掴まれる前にと、急いで食料庫から抜け出します。


 「うあ、あう~!」と、背後から泣き出しそうなココロの声がかかりました。


 タチの悪い事に、ココロには悪意が全然ありません。

 ぼくのことは好きなんでしょう。だからしっかり拒否することも防衛することもできないのです。ココロを傷つけるつもりはないので。


 ココロも早く大きくなって欲しいです。そうなったら、力加減ができるでしょうし、ココロの言葉もわかるようになると思うのです。


 食料庫から出て、廊下を進んでいたときです。そういえばお腹がぺこぺこだったことを思い出しました。段々と目の前がふらふらしてきます。体にも翼にも力が入らなくなって、飛び続けることが出来なくなり、気がついた時には床に落ちてました。


 と。向こうから、足音が近づいてきました。匂いを嗅いで、思わず顔を上げました。


「お、シロ。どうした。大丈夫か」


 その人は屈んで、ぼくを抱き上げてきました。柔らかい声に、優しい匂い。ぼくはクラーレを見上げました。


「お腹空いたのか」と聞いてきました。何度も頷くと、クラーレは笑いました。嬉しそうでした。


「よし、じゃあこっち来い」


 そのままクラーレは、ぼくを自分の部屋に連れて行きました。入った瞬間、ぼくは大きな声を上げてしまいました。


「外の掃除してる最中にな、集めといたんだ。好きな石があったらいいんだがな」


 クラーレがぼくの前に出してきたのは、籠に盛られた石でした。サイズも色も匂いも全部ぼくの好みです。

 クラーレを見ると、向こうは頷いてきました。ぼくは石を口に入れました。とっても美味しい味でした。味もぼくの好みにぴったりだったのです。


 お腹が空いていたのもあって、もぐもぐ食べ進めていきました。見る間に石が無くなっていきます。ぱくぱくと食べるぼくを、クラーレは優しい目で見ていました。


「本当に上手そうに食うよなあ、シロは。石が美味しそうに見える日が来るだなんてな」


 そう言うと、クラーレはまた笑いました。


 クラーレの匂いはとても優しいです。口調は荒っぽいですが、いつも優しい匂いがしているので、怖いと思ったことは一度もありません。


 撫で方も優しいです。クラーレに撫でられると、いつも眠くなってしまいます。ずっと撫でていてほしいなと思う触り方です。


 そうこうしている間に、籠の中が空っぽになりました。まだまだ食べられそうですが、とりあえず満足です。


「よしよし、よく食ったな」


 ありがとう、と言うと、ぼくの頭を撫でてきました。尻尾を振ると、クラーレは抱っこして頬ずりしてきました。


 温かそうな笑顔です。心が緩む笑顔です。そういえばクラーレは、この笑顔をハル達に見せたことはありません。

 こんなに素敵な温かい笑顔なんだから、皆にも見せれば良いのにと思います。ぼくだけ見ているのはなんだか勿体ない気がします。


「遊びに来たよー!!」

「こんにちはー!」

「お邪魔しま~す!」


 聞き覚えのある声が、外からしました。はっとクラーレは体を離すと、咳払いしてさっきの笑顔を消してしまいました。


 クラーレと一緒に部屋を出てリビングに向かうと、そこには美月と、穹と、未來がいました。ハルもいますしココロもいます。皆集まっています。


 近づくと、美月がすぐにぼくを撫でてきてくれました。勢いのある撫で方ですが、これも好きです。


 美月はとっても明るい匂いがします。お日様みたいにぽかぽかする匂いです。一緒にいると、元気な気持ちになれます。


 美月本人がとても明るい性格なのだから、当然でしょう。いつも皆を照らしている。自分の心のままに生きる姿はとても眩しいです。


「よしよしシロ~! 可愛いなあもう! 良い子良い子!」

「美月美月、私も~!」


 今度は未來が撫でてきました。よしよしと撫でていたかと思えば突然カメラを構えて写真を撮って、また撫でるを繰り返してます。


 未來は不思議な匂いがします。地球人とはちょっと違うような、上手く言葉に出来ない匂いです。でも、良い匂いであることに変わりはありません。


 またシャッターを切ったので、上手く撮れてる、と聞きました。未來は目を落として写真を確認すると、僕に向かって頷きました。


「うん、よく撮れてるよ~!」


 こういう風に、未來は時々、ぼくの言っている事がわかるような発言をします。だから不思議な匂いがするのでしょうか……。


 未來はふわふわしていて、例えるとするなら風のようです。掴み所があるようでないです。けど、その風は春風です。だから、暖かい心の持ち主なのは間違いないです。


「元気にしてた? 調子はどう?」


 穹の手がぼくの頭を撫でました。かけた声も手つきもどこか控えめで、一歩引いた態度です。


 穹の匂いはとても穏やかです。でもそこには、いつも何かに我慢しているような匂いも感じられます。言いたいことを言わずに笑っている。穹の顔は、そんな風です。


 だけど穹の匂いは、本当に穏やかなのです。草原のようです。または静かな泉でしょうか。嘘偽りのない穏やかな匂い。


 穹は、とても心の優しい人間なのでしょう。何かを我慢している匂いも、その優しさから来ているのかもしれません。せめてぼくの前では、素直な心を見せてほしいです。


 ぴょんぴょん跳ねると、穹が笑いました。楽しそうでした。

 ジャンプして空を飛んでその場でくるくる回ったりすると、今度は皆が笑いました。


 美月も、未來も、クラーレも、ココロも。皆楽しそうです。部屋の中が、賑やかで、凄く居心地の良い空間になりました。


「今日はね、宇宙船でお昼を食べようと思って来たんだよ! まだまだ暑いし冷やし中華とかどう?!」


 美月が拳を高く上げます。


「もう、全部自分で決めるんだから……」

「良いね良いね~、私冷やし中華好き~!」


 穹が呆れたように頭を振り、未來が手を合わせて鼻歌を口ずさみます。


「冷やし中華……?」

「知らないの? じゃあやっぱり今日作って皆で食べよう! 美味しいよ! ハルもね!」

「うん。実際に作って実際に食べるのは良い経験になる。もちろんだ」


 クラーレが首を傾げると、美月が興奮気味に高い声で言いました。ハルが頷くと、ココロが楽しそうに腕をぶんぶん振りました。


「あと人生ゲームも持ってきたんだよね~! また皆でやろう!」

「む……。私が前回最下位になったあれか」

「ハルさん、ずっと計算してたのに、何が駄目だったんでしょうね~?」

「いやあれは俺もちょっと笑ってしまった、っていうか笑ってたな、うん」

「やっぱりこれは運なんですよハルさん……。僕もあまり強くないので……」


 楽しそうな声で満ちます。ぼくは、なんだかとても幸せな気持ちになって、ずっと空を飛んでました。

 

 この日々が、ずっと続いてほしいです。皆と、ずっと一緒にいたいです。


 けれど。時々、怖い匂いのする人達が襲ってきます。喧嘩は嫌いです。戦うのは怖いです。


 でも、ぼくも、精一杯頑張ります。この空間を邪魔するのなら、ぼくだって黙ってはいない。守りたいです。


 けど、ぼくは体も大きくないし、力も無い子供で、ブレスを吐くくらいしか出来ません。


 早く、大きくなりたい。なぜって、皆の力になりたいから。皆のことが大好きだから。


 ぼくの心が、そう言っているのです。

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