冬の感謝祭

 冬のある日。静けさと平穏が満ちていた空気が、前触れなく騒々しい音と共に破られた。


「遊びに来たぞー! 受け取れ“マーキュリー”!!!」

「うわああ!」


 ばーんとドアが開かれ、間髪入れずに飛び込んで来たのは赤色をした短髪の少女だった。両手で握られているおもちゃのバズーカの砲口がこちらを向く。次の瞬間、凄まじい速度で何かが発射された。標的である青色の髪をした少年が反射的にしゃがみ込んだ直後、後ろの壁に勢いよく何かがぶつかり、床に落ち転がっていく音が響いた。


「ふっ、隙だらけなのよ!」


 赤髪の少女の後ろから、もう一人顔が覗く。金色の髪に青色の目をした少女は、してやったりとばかりに口角を上げた。


「おい! なんだ一体!」


 少年は立ち上がりながら二人に詰め寄った。黄の瞳の中に、動揺と怒りが混ざっている。その目に一切臆することもなく、赤髪の少女は軽い調子で言った。


「今日は冬の感謝祭の日だろ? あたい達からあんたに感謝を伝えようと思ったんだ。な、“ビーナス”ちゃん!」

「うん、“マーズ”!」


 金髪の少女に振り返った後、ドッキリ大成功、とお互いの両手をぱちんと合わせる。少年は体の中にある全ての酸素を外に出す勢いで息を吐くと、一気に口を開けた。


「これのどこが感謝だ!」


 確かにバズーカで発射され床に転がっているものは、小さな袋に包まれたお菓子だった。お菓子をこんな風に渡してくる人は、宇宙広しといえど間違いなくこの幼馴染み二人だけだろうと、少年は確信した。


「大体さっきからなんだ、セプテット・スターのコードネームで呼び合って」


 お菓子を拾い上げながら、少年は尋ねた。なぜか先程から二人とも名前でなく、“コードネーム”を口にしている。そしてそのコードネームは、宇宙に名を馳せる企業、ダークマターの幹部社員集団に設けられるものであった。


 ふふんと“マーズ”は仁王立ちになると、高らかに言い放った。


「そういう遊びだ!」

「遊びかよ」

「半分本気のな! ダークマターで営業が一番得意な奴には、マーキュリーの称号が与えられるんだぞ! あんたにぴったりじゃないか?」

「そうか?」“マーキュリー”は曖昧に首を傾げる。すると、“ビーナス”が苦笑した。


「何謙遜してるのよ。シアンさんの元で学んでいるんだもの、ぴったりだと思うわよ」


 だが“マーキュリー”は頷かなかった。凄いのは彼の師であるシアン本人であり、自分が凄いこととは繋がらないと思っていたからだ。

 そんな心情など露知らない“マーズ”は、赤い瞳を煌めかせながら握り拳を作った。


「あたいはな! 精神力が一番強い者に与えられる称号の、マーズを目指す! “ビーナス”ちゃんは、ビーナス以外無いな!」

「うふふ、当然よ! 花形は私のものよ!」


 ビーナスのコードネームを与えられる者は、心身共に最も美しい人、と決まっている。謙遜する様子など一切見せず、“ビーナス”は髪をかき上げた。


「馬鹿らしい」

「なんなのよ! あなたって本当に夢がないわね!」


 途端に“ビーナス”が目をつり上がらせ批難を露わにした。“マーズ”も「そうだそうだ!」と何度も大きく頷く。


「宇宙でいっちばん強いセプテット・スターに! この三人でだったら絶対なれるっての! 一緒に目指そうじゃないか!!」


 おー、と天井に向かって拳を高く突き上げる“マーズ”と、それに続く“ビーナス”を、“マーキュリー”は冷ややかな目で眺めた。


「強いって、ちょっと趣旨が違うんじゃないか……」


 小さく呟いても、すっかり自分の世界に入っている二人の耳には届かない。少年は、肩を竦めるしかなかった。

 セプテット・スターになることは、普通の比ではないほどの栄誉あること。本人や親戚縁者はもちろん、関わりのあった者全て、果てには子孫にも、強い名誉と栄光がつく。


 それだけに、なると言ってなれる程簡単なものではない。道のりはあまりにも険しく、現実主義の“マーキュリー”の頭は冷静で、とても自分にはできるはずないと考えていた。


「……でも、それで先生がもっと楽になるんだったら……」


 目指してもいいのかもしれない。無意識の内に、呟きかけたときだった。


「やあやあ、いらっしゃい二人とも!」


 騒ぎを聞きつけたのか、長い水色の髪を高い位置に結わえた男性が部屋に入ってきた。“ビーナス”と“マーズ”がお辞儀をしながら挨拶した後、二人はシアンに近寄った。


「シアンさん! これあげます!」

「感謝祭のプレゼントだ! 受け取ってくれ!」


 シアンに差し出したのは、リボンがけした小さな箱だった。ちょうどお菓子が入っていそうな箱。“ビーナス”のリボンは装飾のつく丁寧で凝ったものだったが、“マーズ”のリボンの結び方は少々歪だった。


 シアンは二つの箱を見比べ、薄い黄色の目をいくつか瞬きさせた。間が一つ置かれた後、ぽかんとしていた顔が輝くばかりの笑みになった。


「わああ、どうしたんだいきなり! ええ、ちょ、こんな可愛い子達から貰えるだなんて! 私は嬉しい、とても嬉しいよ! ありがとうねーーー!!」


 お菓子を受け取った後、よしよしと“ビーナス”と“マーズ”の頭を撫でる。二人に対し優しい眼差しを向けていたが、ふいに視線が上がった。呆れた様子を隠せていない“マーキュリー”と目が合うと、笑顔がにやりとしたものに変わった。


「もうねえ、この子にも見習ってほしいよ。だってこの弟子、私に感謝しようっていう気を全然見せてくれないんだもの。……ねえ、私に感謝祭のプレゼントはないのかい?」


 大袈裟に震わす声は、嘆きが嘘だと明白に伝わる。それが癪に障ったのか、“マーキュリー”の目がかっと見開かれた。


「誰がお前になんかっ!」

「お前じゃないよー、シアンだよー。大先生だよー。……あ、そういえば」


 弟子の怒りをさらりと躱しながら、シアンは三人の子供達の顔を見比べた。


「どうして君達、さっきからセプテット・スターのコードネームで呼び合ってるんだい?」

「そういう遊びなんですよ」

「いずれは現実になる夢だがな!」


 “ビーナス”と“マーズ”の説明に、シアンはそうか、と一回頷いた。


「きっと君達ならなれるだろう! 君達がなってくれたら、ダークマターも宇宙の未来ももっと明るいものになるだろうさ!」

「うおお! ノってくれてありがとな、シアンさん!」


 シアンの微笑ましい視線が“マーズ”に注がれる。そんな彼の顔を、“ビーナス”はじっと見た。


「どうしてシアンさんって、ダークマターに入らなかったんですか? シアンさんなら、セプテット・スターにも絶対なれたでしょうに」


 首を傾げながら、“ビーナス”が尋ねる。シアンは苦笑しながら左手を手刀の形にし、顔の前で振った。


「いやー、あそこって入社試験、物凄い難しいし厳しいって聞くじゃない。それに、組織で働くのがてんで合わないんだよ。私は自由でいたいんだよねえ。セプテット・スターとしてじゃなくて、ウルトラスーパースペシャルカリスマバイヤーとして、この名を宇宙に轟かせたいんだ。それが私の夢! ま、もう既にカリスマバイヤーとしてなら宇宙中に伝わってるけどね!」

「全然伝わってないだろうが」


 “マーキュリー”がぼそっと吐き捨てると、シアンは片方の耳に手を添えた。


「今何か聞こえた気がしたなあ。幻聴かな。ねえ、二人はどう?」

「何も聞こえなかったぞ!」

「私も!」

「お前ら……」


 友人二人はにべもなく首を横に振る。ここに自分の味方はいないのかと、“マーキュリー”が頭を抑えたときだ。“マーズ”が先程からずっと下ろされてある、シアンの右手に注目した。


「あんた、さっきから何持ってるんだ?」

「ああ、これ? なんか知らないけど、私の部屋にあったんだよ。感謝祭のお菓子かな。手紙もついてたけど、差出人の名前書いてなかったからわからないんだよねえ」


 “マーキュリー”もそこを見て、言葉を失った。彼はそれに、見覚えがあったからだ。シアンが持っていたものは、黄色のリボンがかけられた青色の箱だった。


「……っ?!」


 さあっと血の気が引いていくような感覚が、“マーキュリー”を襲った。継いでやってきたのは、爪先まで燃え上がるかのような羞恥心。


「あら……?」

「へええ……?」


 全てを察したのか、“ビーナス”と“マーズ”が冷やかすような、意地の悪い笑みを浮かべる。“マーキュリー”は顔を伏せた。全身が小刻みに震えていた。真っ赤になって俯く弟子に、師は口をおさえて笑った。笑いすぎて、目にはうっすらと涙が滲んでいる。


「さてと」シアンは“マーキュリー”の前へ、箱を差し出した。


「言葉がなければ伝わらない。手始めに、私にこれをプレゼンしてごらん? “マーキュリー”を目指すのならね?」

「……お前、やっぱり最悪な奴だな」


 それが誰からの贈り物か、もう答えは出ているのに、言わせようとしている。“マーキュリー”はシアンを睨み上げたが、それで引いてくれる相手でないことはわかっていた。予想通り、師範は飄々とした調子で手をひらひらと振った。


「なんとでも。直接ありがとうを聞きたいって思うことの何がいけないんだい? あ、あとお前じゃなくて大先生ね!」


 せめてもの抵抗か、“マーキュリー”は小さく舌打ちした。その音と被せるように、シアンが指を鳴らした。


「じゃ、この弟子が口を割ったら、皆で大きいケーキを作ろう!」

「わああ、本当かよっ!」

「きゃああ、嬉しいわっ!」


 “ビーナス”も“マーズ”もその場で何度も小さく跳びはねた。その場で回転したりスキップしたり、全身で喜びを表現している。シアンの言った皆の中に、自分も有無を言わさず入っているのだろうと、“マーキュリー”は思った。


「……はあ」


 浅く息を吐き出した彼は、微かに口元を緩ませた。

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