数年前にあった日常

※Part5以降のネタバレを含みます








 「おい、ハル……」


 その青年は、重く沈んだ声で話しかけてきた。普段からそのエネルギーはどこから生成されているのかまるでわからないほど、一日中テンションが高くずっと明るい青年の様子からして見ると、まず滅多にないことだった。


「どうしたんだ」

「俺に……落ち着いた性格になるにはどうすればいいか……教えてくれないか……?」


 どんなに鈍感な人間が見ても一秒とかからず気づくような思い詰めた表情をして言った台詞に、ハルは軽く首を傾げた。


 研究室にいつもみたいに体当たりで入ってこなかったときから、即座に何かがおかしいとわかった。

 入ってきた青年の、両肩をがっくり落として顔を下げてよろよろとした足取りで歩く姿を見た瞬間、100%に近い確率で何かがあったと容易に分析出来た。


 青年はそのまま倒れ込むように椅子に座ると、両肘をテーブルにつけて手を組み、そこに額を乗せた。それからそのまましばらくの間無言を貫いていた。何があったのか聞こうとしたとき、冒頭の台詞が飛び出したわけだ。


「俺って……うるさい、だろ……?」

「確かに一般的な人間が普段発する声の大きさと比べると、君の声はかなり大きい部類に入る」

「つまり」

「うるさい」

「やはりそうだよな!」


 テーブルに額を打ち付けた後で、「こういうのが駄目なのか!」と青年は弾かれたように顔を上げた。直後、自分の口を両手で塞いだ。


「駄目だつい声が出てしまう! と言っている間にまたこれだ!!」

「感情が豊かな証拠と考えられるし、気にすることではないのではないか?」

「気にしなくてはいけないんだ!!」


 青年は机を両手でばーんと叩いた。直後、「またやらかした……」と頭を抱える。


 なぜ普段は気にしないようなことを、こんなに気にしているのか。ハルはデータベースに保存されている記憶の中から、青年がこんな風になった原因とみられる可能性が高い出来事がないか検索をかけた。そして一つ、これとみられる一件を見つけた。


「君がそうも自身のうるささに対して気にしているのは、先日上に呼び出された一件が関係しているのか?」


 尋ねた瞬間、机に突っ伏していた青年の体がわかりやすく硬直した。かくついた動作で頭が上がり、「……そう、だ」と言いにくそうに頷かれる。


「なるほど。あの一件か。あまり騒がしくすることを禁じられている国立資料館で、騒がしくしていた集団を見つけた君が。

──“貴様らああああ!!!!!! ここは!!! 静かに過ごす場所だ!!! 周りの迷惑を!!! 考えろっっっ!!!!!!”と大声を荒らげ注目を浴びクレームを受けた。ちなみに今の声量は実際と比べてだいぶ音量を絞っている」

「…………」


 ちょうど青年と一緒に資料館に来ていたハルもその現場に出くわしたのだが、あの青年の怒鳴り声といったら、周りの人も騒がしくしていた集団も全員唖然とさせるものだった。


 明らかに青年のほうがマナーを守っていない立場にあったが、青年を責める者はいなかった。その場にいる全員が、ただただ口をぽっかりと開けて、青年を眺めるだけだった。


 青年もその時の事を思い出したのか、顔を両手で覆った。


「室長どころかセプテット・スターからも、誇りあるバルジ研究員が、公共の場でなんという迷惑行為をするんだときつく叱られたな……」

「君はとりわけ将来を有望視されているからな。今後の将来に支障を来してはいけないだろう」


 もちろんこんな問題を起こして何のお咎めもないというわけにはいかなかった。すぐに会社に報告がいき、セプテット・スターに直接呼び出されて、青年は一人、こっぴどく絞られる羽目となった。

 相当絞られて思うところがあったのか、戻ってきたときの青年の落ち込みようといったらなかった。


 青年は長い時間をかけてため息を吐き出した。


「それでな……同僚や先輩やら、とにかく手当たり次第に聞いてみたんだ……。俺は、うるさいのかどうか、をな……」

「結果は?」

「50人に聞いて50人がうるさいと答えた!」

「そうだろうな」

「それから同じ研究室の同僚達に、俺のうるささをどう思っているか聞いてみた! そうしたら、いきなり大声を出すときがあるから心臓に悪いとか、耳が痛いとか、鼓膜破れそうとか、見てて疲れるとか、視界に入るだけで体力消耗するとか、散々好き勝手に言われたんだ!」

「忌憚の無い意見を貰ったんだな」


 ぐううう、と青年は声にならない声を上げた。


「だから聞いているんだ……。どうすれば、もっとハルみたいに、落ち着いた性格になれるのかを、な……」

「なるほど。だが無理だ」

「何を簡単に言い切っている?!」

「私のようになることはできない」


 ハルははっきりと言い放った。


「私には心が無い。よって、感情に揺れ動くことも無い。だから君や周りの言うような、常に冷静な状態でいられるんだ。つまるところ“うるさい”は、人間の特権だ。

たとえどんなにうるさくてもそれが心の証明となるし、それはとても貴重なことだ、どんなにうるさかったとしても」

「やめろ、うるさいを連呼するな!!」

「これは申し訳ない。だが無理だ。君は落ち着いた正確にはなれない」

「なぜ決めつける?!」


 青年は目を鋭くつり上がらせた。


「俺も気を付ければハルのように静かに物事に対処できるぞ!」

「不可能だ」

「はあ゛?!」

「先日のように、静かにしなくては行けない場所で騒がしくしている者を見かけたらどう対処する?」

「……そうだな、近寄って冷静に諭して相手に納得してもらう」

「また耐えきれずに声を荒らげる確率が95.86%と出た」

「なんだその確率は……」

「では道で泣いている子供を見かけたらどうする? 道に迷っている人間と出会ったら? 喧嘩している人間と遭遇したら? 犯罪やいじめに巻き込まれている人間がいると知ったら? 事の大小問わず、とにかく何らかの理由で酷く困っている人間を見つけたら?」

「……感情に流されず、冷静に一つ一つ対処していく所存だ」

「いや無理だろう」

「お前なあっ!!!」


 ばん、と一度訴えるように机を叩いたあと、青年はため息を吐き、おざなりに頬杖をついた。


「本当にどうすればいいのだ……。由々しき事態だぞこれは……」

「そんなにどうしても気になるというのなら、いっそ物理的に何も言わないようにするといった方法をとる、とか……」

「おおおおおお、それは名案だっ!!!」


 いきなり青年は椅子を鳴らして立ち上がった。両目を炎でも宿らせたかのように爛々と輝かせながら、「ありがとうハルッ、やはりお前は頼りになる!!!」と騒ぐだけ騒いで、風のように研究室を出て行った。


 ハルは計算をした。その結果、近い将来、何か良くないことが起こる確率が高いと算出され──要するに人間で言う「嫌な予感」が、ハルの中に芽生えた。




 ハルの予測は、数日後に命中した。頼まれていた研究データを届けに青年の所属する研究室に向かったところ、部屋に入った瞬間に、異変に気がついた。


 少々感情が豊かすぎる青年が所属しているからか、この研究室は他の研究室よりもずっと賑やかで、いつも騒がしい。それが今日は、波打ったように静かだったのだ。更に、部屋にいる人間達が皆一様に、顔色や挙動などわかりやすく異変が起こっているのを感知した。


 そのためハルは、部屋に入ってすぐ近くにいた人間に、何があったのか尋ねた。相手はいきなりのハルの登場に驚いてきたものの、すぐに「あれなんですが……」と部屋の一角を指さした。


「ハルさん、確かあの人と仲が良かったですよね……? 何があったのか知りませんか……?」


 どこか怯えも含んだ冷ややかな声音だった。指さす先を確かめると、そこにいたのはハルのよく知るあの青年だった。プログラム制作中とみられ、パソコンと向き合っている青年の口には、猿ぐつわが巻かれていた。


「……あれは一体?」

「いやあの、ある日突然、口に布を巻いて出勤してきたんですよ」


 数人が集まってきて、小声で青年の様子を説明し始めた。


「絶対に取らないんですよ、一日中つけているんです」

「ここ最近、何を話しかけても何をやっても喋らなくて、何かこちらに用があるときは筆談かジェスチャーのみでして」

「さすがに食事の時は外してますけど、その時も一言も喋らないんです。やっぱりその時も筆談なんですよ」

「なんだかもう、部屋が静かすぎて落ち着かなくて……」

「そうそう。ソワソワするっていうか」

「……なるほど」


 ハルはすぐに、青年の不可解な行動の原因に目星をつけることができた。発言データを振り返った結果、自身に責任があると判断したハルは、青年のもとに近づいた。


 名前を呼ぶと、はっと相手はこちらを向いた。途端、青年の両目がぱっと見開かれ、嬉しそうに笑ってきた。


「何をしているんだ、一体」

「?」

「それのことだ」


 猿ぐつわを指さすと、青年は合点がいったように何度も大きく頷いた。自分で自分の猿ぐつわを指さした後、その指を交差させ「×」の字を作った。


 恐らく、これでうるさいと感じられずにすむ、などと言いたいのだろう、と推測した。ふむ、と浅く頷く。


「来なさい」

「?」

「ちょっと来なさい」


 青年の眉間に皺が寄った。パソコンを指さし、首を左右に振ってくる。ハルは腕を組んだ。


「いいから保存して、来なさい」


 青年は更に強くかぶりを振った。ハルは一歩分近寄った。


「──いいから来なさい」


 声を低くすると、うっと青年の口から妙な音が漏れた。体を硬直させていた青年は、やがて小さく頷き、保存作業に取りかかった。




 総合研究室まで戻ると、ハルは椅子に座らせた青年と向き直った。


「さて、その猿ぐつわのことだが」

「……」

「いい加減とりなさい。というより外したほうがいい」

「……?! ……!」

「だから外しなさい」


 すっかり動揺した様子で周りに視線をさ迷わせたりおろおろしていたが、やがてネジが切れたようにぴたりとその動きを止めると、青年にしては静かな動作で猿ぐつわを取った。


 布を両手で握りしめながら、「はーーーーーー……」と深い深いため息を零した。


「ここ数日きつかったのではないか?」

「当たり前だろう!!! 喋らないとはこんなに難しく大変なことなのかと初めて知った!!! 実は限界寸前だった!!!」

「だろうな」


 しばらく声を出していなかったという話だったが、青年の声の大きさは一切衰えていないどころか、逆に強さが増していた。

 よほど我慢を強いられていたのだろうと推察できるし、それに伴って疑問も浮かんでくる。


「なぜここまでする? そんなに自分にとって辛いことなら、無理をする必要性は存在しない。それによって心身に異常が生じたり等リスクを負う可能性が高いと見られるし、こうまでして気にする意味は……」

「覚えておけ、ハル。俺は、“ここまでする人間”なんだ」


 神妙な面持ちで、ふいに青年はそう言った。鋭さすら帯びている紫紺の瞳が、ハルを真っ直ぐに捉えている。


「毎日を平和に、心穏やかに、幸せに、笑顔に過ごせる。この宇宙に生きる全ての人達が、心のままに生きられる。このダークマターで、バルジ研究所で、そんな世の中になるものを開発し、研究し続ける。

それが俺の一生の夢だ。いや、夢じゃない。達成すべき目標だ。その為なら俺は、何も惜しまない」


 知っている、と。ハルがそれだけ返すと、ふっと青年の表情が緩んだ。普段からしょっちゅう見せているような満面の笑みとは違う、物静かな笑い方だった。


「人が喜んでる姿を見ると、俺も嬉しくなるんだ。その笑顔が、自分の力でもたらせたものだったら、尚更嬉しい。だからこの夢を、叶えたいんだ。偽善だと思う奴もいるだろうが、別にそれはいい。

……ただ、俺のこの性格が、誰かを傷つける要因になっているのかもしれないなら、な。早急に正さなくてはいけないと、そう思ったんだ」


 青年の笑顔が薄れ、視線がゆっくりと下がっていった。


「資料館での大声も、俺のほうが遙かに迷惑だった。……俺は、このままでは、駄目だろう」


 呟くように、それでいて絞り出すように発せられた声だった。口に巻いていた布を握りしめる手は、わずかに震えていた。


「それは違う、決して」


 青年が顔を上げた。不意を突かれたようで、何度も瞬きをしていた。

 ハルは机の上に置いていた両手を組んだ。


「起こった事はどうしようも出来ない。過ちだと感じた部分は、反省して、次にいかしていけばいい。だが、自分は自分だ。無理に変わる必要は無い。

なぜなら君の性格に、君の心に、救われた者は数多くいるからだ。これから先救われる者も、数多く現れる。これらは私のコンピューターの分析結果だ。

君は、君のままでいい。これからもずっと。私は、そう考える」


 青年の反応を窺えば、相手はぽかんと目を丸くさせていた。どこを見ているかわからない目をしており、ハルは青年の顔の前で軽く手を振った。それでも無反応だった。


 どうしたのかと考えた直後、青年の顔に、みるみるうちに笑顔が広がっていった。それは先程の静かな笑みからはずっと程遠いものだった。


「あ」

「あ?」

「ありがとう、ハルっ!!!!!」


 勢いよく青年は頭を下げてきた。その風圧でハルの羽織っている白衣が軽く靡いた。


「目が覚めたような思いだっ……!! とても心が軽くなった、本当にありがとう!!! 凄いなハルは!!」

「特に褒められるようなことではない」


 ハルがしたことは、ただ膨大なデータ量の中から、青年が立ち直る確率の高い言葉を選んで並べただけ。それでも青年は心の底から嬉しそうだった。紫色の目は両方とも曇りなく輝いていた。


 青年は、勢いよく椅子から立ち上がった。


「よし、俺は俺だ! これ以上、性に合わないことはしない! うるさいのは多少気を付けるとして、それでも、このまま俺の道を進んでゆくぞ!」

「職員達が、皆して君の様子を心配していたようだったから、立ち直れたようで何よりだ」

「心配をかけさせていたとは……。申し訳ないことをしたな……。今すぐ戻って謝罪せねばならんな!」

「そうしたほうがいい。君が静かで落ち着かないという声もあった」

「なんだと、うるさいと言っていたくせになんだそれは! ……全く人の心ってものは面白いな!!」


 思い切り笑った後、青年は一般的なものより大きめの声量で、「ハル!」と名前を呼んだ。


「“君は君のままでいい。”お前からそう言われて、とても嬉しかったぞ!!」

「そうか。それは、何よりだ」


 青年サターンの笑顔に、ハルは頷いて返した。

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