第4回 それは狂気か愛か(前編)

「高倉さん、本当にこれで“愛の式場”が姿を現わすんですか?」


「分からん。だが、試せるもんは試しておきたい」


 桃花を尾行して“愛の式場”の出現を待つ、高倉警部と森岡。特に変わった点も無くただ桃花を監視している時、求めていた変化は起きた。


「……高倉さん! 桃花が! 桃花が消えました! …………高倉さん?」


 森岡が声を小さく上げて高倉を呼ぶと、そこには桃花だけでなく高倉も姿を消していた。


「高倉さん!? 高倉さん!?」


『久しぶりですね、森岡さん。私です。覚えているでしょうか?』


「だ、誰ですか! どこから見ているのです!」


 森岡は辺りを見渡すが、そこには誰も居ない。誰も居ないどころか、声は直接頭の中で響いているように感じる。


『私はどこからでも貴方を視ていますよ。こう言えば、思い出すでしょうか。たった一つの愛を守るために――』


「――その愛を犠牲にすると誓いますか?」


 ――同じ頃、愛の式場にて。


 高倉は式場の中心に向けて銃を発砲した。が、その銃弾は若い男には当たらず、奥の大きな石像に命中した。


「見事な外しっぷりですね、高倉警部」


「本当は今すぐにでもお前の頭を撃ち抜いてやりたい所だ。だが、その前に聞いておきたい。お前、“あの時”の何を知ってる?」


「全て、です。貴方があの時に知りたかった全ての事です」


 男が不敵な笑みを浮かべた瞬間、式場に教会の鐘が鳴り響いた。頭の奥まで響いてくるような大きな鐘の音に、高倉は体勢を崩した。


「高倉警部、まだそう焦らないで下さい。貴方はまたここへ来る。そこで、貴方も誓う事になるでしょう」


 高倉が体勢を戻して男の方へ視線をやると、もうそこは式場では無くもと居た路地裏だった。パトカーが到着し、桃花は警官によって逮捕されているところだ。


「高倉さん! 大丈夫ですか、どこに今まで居たんですか!?」


「あ、あぁ、また後で話す。お前こそ大丈夫か?」


「はい、特に何もありませんでした。それにしても……」


 二人はこの一瞬に起こった出来事を頭の中で整理することで精一杯だった。辺りの声や音が聞こえるはずもない。高倉は誰にも聞こえない程小さな声で、けれど芯のある声で呟いた。


「いいか、愛の式場の正体を必ず突き止めるんだ……」


 森岡は何も言わず、高倉の拳に溜まっていく力をただ見つめていた。





 ――翌日の朝。警察署にて。


「はい、高倉さん。いつものコーヒーです」


 森岡は高倉のデスクにホットの缶コーヒーをトンと置いた。高倉は一瞬その缶コーヒーに視線をやったかと思えば、再び手に持つ資料に視線を戻した。


 森岡は高倉の背後まで寄っていき、肩の上から顔を覗かせる。


「十年前の事件ですよね、それ。高倉さんがいつも見返しているので調べてみました。最近は見返す頻度も多いようですが……」


 高倉は資料をデスクにバサッと置き、缶コーヒーを開けて一口飲む。たった一口飲むと、高倉は缶コーヒーをデスクにドンと置き、ゆっくりと森岡に視線をずらす。


「よく見ているようじゃないか。その観察眼なら様々な事に活かせるんじゃないか? 例えば休憩時間の邪魔をしない様に配慮するとかな」


 高倉はそっと立ち上がり、ライターと煙草、茶色のトレンチコートを持ってそのまま屋上へと向かって行った。




「すぅ~……ふぅ……」


 この場所からは何でも見える。車の渋滞、都市を巡る救急車、信号機を待つ人々。幾つも並ぶ高層ビル、そしてその中で働く人々、上司に叱られる人々、生きる意味を失った人々。


 夜になればそういった騒がしさも美しさへと変わり、病んだ人々はその影へと消えていく。で、また同じ日を繰り返すのさ。


 何度も。何度も何度も何度も。


「すぅ~……ふぅ……」


 この煙草の煙で、病んだ世界なんて消えてしまえば良い。俺自身も、この煙と共に。


「何だ、やっぱりここに居たのか」


 背後から嗄れた声が聞こえた。姿を見なくても誰か分かる。


「署長、どうしたんです?」


 腹の大きな、傍から見ればただの白髪のおっさんが、この警察署の署長だ。身体が縦にも横にもでかくて、存在感はあるが、威厳はあまりない。


「……煙草、一本貰って良いか?」


「お身体を壊さない程度にどうぞ」


「ご心配どうも」


 署長は俺と同じように、屋上の手すりにどんと寄りかかった。そしてポケットからライターを取り出して、口に加えた煙草に火を点ける。


「すぅ~……ふぅ……ここからの眺めは最高だな。そう思わんか、高倉?」


 「そうですね」と俺は気だるそうに答える。ここまではいつもの会話のテンプレートだ。本題はここからだろう。


 署長は煙草をもう一度、いや今度は軽く吹かすと、案の定口を開いた。


「何か考え事や思い詰めている時に、お前は必ずここに来る。知ってるか? お前の嫁の花奈かなが言ってた事だ」


 その言葉に思わず煙草を取り出そうとしていた手が止まる。


「花奈からしてみれば、お前の事は何でもお見通しだったんだろう。思い返してみても、お前と花奈は良いコンビだった。お前たちになら、どんな仕事を依頼しても解決してくる。そんな最高のコンビだった……」


 署長の言葉がそこで詰まった。何を言おうとしていたのかは何となく想像できる。それが想像できれば、なんで今日ここに署長が来たのかも説明がついた。次に署長が口にする言葉はこれだろう。


「もう……」


「もうこの件から手を引け、ですか?」


「……そうだ。いいか、いくら“あの時の事件”に酷似しているからって、彼女が帰って来るわけじゃないんだ。残念だが、彼女は死んだんだ。お前には守らなければいけないものが他にもあるだろう。まだまだ手の掛かる娘さんや、森岡だって……」


 ――あなたには守る愛が無いの?


 呪いのようにこの言葉が俺に付き纏う。それは花奈からだけじゃない。こうして形を何度も変えて、この言葉は俺に付き纏う。


「署長、想像してみてください。あの時の容疑者がまだいて、その容疑者の目撃証言が今再び現れたとしたら。当時大切なものをいくつも奪っていった犯人の可能性がある人物ですよ。あなただって、きっと追い詰めたくなるはずだ。心当たりはあるだろ」


「……その先には何も待ってない。あるのは虚無だけだ。追い詰めたって、その先に求めるものはないんだよ。求めているものは、もっと別の場所にある」


 署長は煙草を灰皿に捨ててからふと屋上の入り口に目をやった。俺も署長の目線の先を追うと、そこには入り口でこちらを窺う森岡の姿があった。


「どうやらお待ちの方がいるみたいだ。では、失礼するよ。あぁ、あと……」


 署長は去り際に俺の真横に立った。そして誰にも聞こえないような小さな声で呟く。


「君のやり方は危険だ。私もそろそろ誤魔化しきれなくなっている。もし本当にあの時と同じ事件ならば、行動には気を付けることだ」


 それだけ言うと、署長は去っていった。まったく、言いたいことだけ言って場を乱していく、勝手な署長だ。署長が屋上の扉を開けると、入れ替わるようにして森岡はこちらに駆け寄ってきた。


「どいつもこいつも、全く俺を休ませない気か?」


「休憩中に申し訳ないです! ですが、次の“愛の式場”を誘き出す作戦を思いつきまして……」


「……話してみろ」


「はい!」


 森岡は手に持っていた資料を屋上のベンチの上に広げた。森岡は広げた資料の中から一番見せたいものを手に取りながら説明を始める。


「これまでの傾向から考えるに、“愛の式場”は対象者の大切なものが失われた時に現れると推測します」


「だろうな。恋愛が破局した、自分の築いた世界が崩れた、突然の事故で愛する人を失った……どれも大切なものを失ったタイミングだ」


「そうです。つまり我々が求める“愛の式場”を出現させるには、特定の人物を精神的に追い詰める、もしくはその瞬間に居合わせる必要がある訳です。ですが、それでは我々警察が市民から疑われてしまい、信頼性を落としてしまいます」


「そうだな。現にそれはさっき署長にも指摘された。じゃあ、どうするつもりだ? その計画を話すためにここに来たんだろう?」


「そうです。そこで僕が考えた作戦は、我々が大切なものを奪う立場に回ればいいのです。それも、正義の味方として」


「……と、言うと?」


 森岡は一つの資料を俺に差し出した。それは最近近くの交番にストーカーの被害届を出している女性のものだった。


「その女性は頻繁に届くラブレター、尾行、不法侵入に悩まされています。注目してほしいのは……ラブレターです」


 なるほど、そういう考えか。なかなか面白いことを思いつく奴だ。真面目に話しているし、もう少し黙って聞いているとしよう。


「“愛の式場”は大切なものを失った時に現れる。このストーカーの大切なものは被害にあっている女性です。つまりその女性を救うということは、ストーカーの大切なものを奪うということです。これが」


「合法的かつその場に居合わせる方法か。なかなか悪趣味だが、嫌いじゃない。やってみる価値はあるだろう」


 俺は煙草を灰皿に捨て、屋上の出入り口に向かって歩いていく。今回の計画はなかなか面白くて見所がある。これなら……。


「そうだ森岡。今回の件、お前が主導してみろ。女性への聞き込みから何までお前が主導するんだ。俺はそのサポートにつく」


「……! はい、やってみます!」


 自信に満ち溢れた若い声が、俺の背後から聞こえてきた。





 ――夜、高倉邸にて。


 家の電気は消え、俺以外の住人はみな寝てしまったようだ。俺は玄関の通路を通りリビングに出る。それから右側にキッチンがリビングと繋がっているため、右のキッチンへと向かい冷蔵庫を開ける。


 ……冷蔵庫の中央の段に缶ビールがいくつか並んでいる。俺は二、三本持っていき、リビングのテーブルに向かう。椅子をテーブルの下から引き、どっと腰掛ける。そして缶ビールの栓を開けて、ビールを喉の奥に鱈腹たらふく流し込む。


 流し込んだ後、俺は缶ビールをテーブルの上に置き、そのままテーブルに突っ伏す。


 ……トン。トン。トン。


 誰かが階段を下りてくる音が聞こえる。音の大きさと重さからして、沙絵さえではない。恐らく家政婦の奈緒美なおみだろう。


「英昭さん……。また煙草とお酒ですか? あれほどお身体に良くないと……」


「煙草はしてないだろう」


「煙草の臭いがします」


「別にいいだろう。身体を悪くするのも死ぬのも俺の勝手だ」


「では娘の沙絵ちゃんはどうなるんです! まだ15歳で不安な年頃でしょうに……!」


「お前に何がわかるってんだ!」


 俺は無意識的にテーブルの上に重い拳を力一杯に振り下ろした。息が詰まりそうになる。俺は気づけば若干過呼吸になっていた。


「……奥様はもういらっしゃらないのです。あなた方は歳が離れているにも関わらず、素晴らしい関係だった。少なくとも、私にはそう見えました。あなたは違ったのですか? あなたに、守るべきものはないのですか?」


――あなたには守る愛が無いの?


 俺には、ずっとその言葉が呪いのように付き纏うんだ。

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愛の式場 柄針 @tukahari

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