第3回 愚かな愛(後編)
私は
私はこの世の全てが嫌い。金も男も女も、全ての人間とモノが嫌い。全部自分のことばかり、綺麗事を並べて本当は自分を守りたいだけ。自分を失いたくないから綺麗事を並べて逃げ道を作る。自分が得する為の道を作る。
そんな身勝手な世界が嫌い。
私はあの医者と関係を持ち、一晩ホテルで泊まった。事が済み、私は少し買い物をするために外へ外出した。たった数十分だったわ。帰ってきた頃にはあの医者は無様な姿で死んでいた。
「何で死んだのか?」なんて疑問は心底どうでもよかった。寧ろ、彼の死体を見ても何も感じなかった。私がしたことと言えば、とりあえず警察に電話して外に出たくらい。あぁ、後は警察の事情聴取に付き合った程度かしら。
とにかく、私は彼の死に何も感じなかった。
私は時々「この世界から全ての人が消えてしまえば良いのに」と思うことがある。そうしたらどれだけ世界が浄化される事か。きっと楽な世界になるのだろう。
けど、そんな幻想は決して叶わない。だから、私は考えを改めることにしたの。私は、私だけを愛することにしたの。綺麗な私。誰からも愛される私。誰からも尽くされる私。誰からも追われる存在である私。そんな私でいることにした。
私がこの世界で唯一好きなもの。それは私自身。
けど、その平穏は崩れた。
誰かが、私の手口を公表した。
私は男や女までもを騙す詐欺師だと。
私は少し遠くへ逃げる準備を始めた。けれど、今回はそう上手くはいかなかった。私の元に年老いた警官から直々に電話がかかってきたのだ。もうこちらの居場所はバレている。もうどこにも逃げられない。
何故。何故なの。私は、この世界に存在したかっただけ。この世界は皆、自分が落とし穴に落ちないようにまず他人を蹴落とす。そうして道の安全が確保された所で渡るのよ。私はそんなこの世の全てが嫌いで、自分だけを愛すことにしたのに。それでもこの世界はそれを許さないのね。
全てに絶望したその時、全ての時が止まった。同時に、私が顔を上げるとそこには扉があった。縁が花のアーチで覆われた両開きの木製の扉。
――新婦、前へ。
どこからともなく聞こえる声。それは私の頭の中に響き渡る。私は吸い込まれるように、その扉を両手で開く。扉は徐々に開かれて、中からは眩しい光が漏れ始める。あまりの眩しさに私は目を瞑った。
次に目を開けた時、私は真っ白な教会の中にいた。教会の奥には身体中を花で装飾されて羽を大きく広げた男の銅像があり、その下にピンク色のカソックを着た若い男が立っていた。
――新婦、前へ。
何か違和感を感じた私は何となく自分の服を見てみる。気づけば私はウェディングドレスに身を包み、手にはブーケを持っていた。全てに説明がつかず、全てがおかしい。おかしいのだけれど、そんなことはどうでも良いと思う私がいた。
――新婦、前へ。
私は教会の奥に向かってゆっくりと歩いて行く。私がある程度奥まで進むと、若い男はタロットカードの‟lovers”が表紙に描かれた聖書の様な本を開き始めた。そして、そこまで進んで私はある事に気が付いた。
本来であれば新郎がいる位置に、ウェディングドレスを着た新婦が立っている。やはりおかしい。これは結婚式の真似事で、ただの結婚式ではない。様々なことがおかしい。けれど、それに違和感を持たなくなってしまうのがこの不思議な空間だ。
私はようやく若い男の元に辿り着き、もう一人の新婦の隣に立った。それを確認した男は、聖書の様な本に視線を落として口を開いた。
「渡辺桃花。またの名を胡桃沢茜。貴女は自分を愛していますか?」
私は少し鼻で笑い、何の躊躇いも無く答えた。
「ええ。当たり前じゃない。私は自分のことが好きよ」
「そうですか。では、何故貴女は自分の事が好きなのですか?」
「またそんな質問を……。いい? この世界はみんな自分の事ばかり考えているの。信じられるのは自分だけ。だから私は私の事が好きなのよ」
「それは、貴女もこの世界の住人と同じ……という事でよろしいでしょうか?」
「……は?」
男は聖書から視線を上げて、私の目をじっと見つめる。
「貴女もこの世界の住人と同じ、自分の事ばかり考えている人間ということです」
「違う! 私はあんなごみクズの様な奴等と同じじゃない!」
掴みかかろうとした私だったが、何故か体が動かない。まるで地面に釘や接着剤で固定されたかのようだ。男は動じることなく私に言葉を並べたてる。
「貴女は自分勝手なこの世界が憎い。自分が落とし穴に落ちないように他人を蹴落とすこんな世界が憎い。だから、貴女は自分だけを愛することにした。貴女は愛した自分を守る為に、他人を騙す道を選んだ」
「違う……違う……!」
私は無意識に手で耳を塞ぐ。
「自分だけを愛し、他人の言葉を聞かない。必要であれば自分を守る為に他人を蹴落とす。そんな貴女はとことん自分勝手であり、この世界の住人と何ら変わらない。寧ろ、自分を自分勝手と認めない貴女の方がより醜いのではないのですか?」
「違う!!!!」
叫ぶ私の声だけが、この教会に響き渡った。私の目からは涙が溢れ出し、手も震えていた。
「私は……あいつ等とは違う。あんな、クソみたいな……」
「両親……ですか?」
「……っえ?」
「貴女を日頃の鬱憤の憂さ晴らしに使用した両親ですか? 貴女は生まれた時から信じられるものが無かった。周りも貴女の思いに到底気付くことは無かった。それもそのはず、周りは自分の事だけで精一杯だからです。だから、貴女は周りを信じず自分だけを愛することにした」
「なんで……何でアンタがそれを知っているのよ? ここは何なのよ……?」
「ここは愛を失った者に開かれる式場、“愛の式場”です。この世界に存在する“愛”を試す為に存在する場所です」
「愛を……試す……?」
「貴女が持つその“愛”は本物ですか? 自分を守る為に生み出したその“愛”は果たして本物の“愛”と言えるのでしょうか」
「私は……」
分からない。もう、私は分からない。私の愛が本物なのかなんて分かる訳がないじゃない。私は彼の言う通り、周りの奴らと何ら変わらないごみクズ。自分を守る為に自分を愛した自分勝手な女。周りに男が集まって優位に立てた時の優越感に浸っていたただのごみクズ。でも……。
「私の愛は本物よ。愚かでもごみクズでも、その時感じてたものは本物。その時に感じた優越感、快楽は全て本物。だから、私のごみクズの様な愛は本物よ。どう? これで満足した?」
「……貴女の愛は本物であると証明されました」
男はただそう言い放って、私の事などお構いなしに聖書のページをめくった。
「では、貴女はそのたった一つの愛を守るために、その愛を犠牲にすると誓いますか?」
「は? 出来る訳ないじゃない! 何を言っているの?」
「貴女は現在警察に追われています。その原因は貴女のその“愛”にある。故に、貴女が警察から逃れるためには貴女のその“愛”を無かったことにしなくてはならない。無かったことにして過去を改変する事で、貴女が警察から追われることは無くなる。警察から追われることが無くなれば、貴女が最も愛する貴女を守ることが出来る。貴女というたった一つの愛を守るために、貴女の愛を犠牲にするのです」
何を言っているのか分からない。そんな訳の分からない事……例えそれが可能であったとしても、自分を愛することを諦めろだなんて……そんなの……。
「そんな事、やっぱり出来る訳ないじゃない!」
「良いのですか? このまま元の世界に戻れば貴女は確実に捕まる。そうなれば貴女の理想であった自分が、貴女の愛する自分が失われるのですよ?」
その瞬間、私の後ろで教会の扉が開いた。扉の向こう側は眩しい光で見ることが出来ない。けれど、声が聞こえる。賑やかで、聞き覚えのある声が。あれは……沢山の男の声と、私の声。沢山の人からもてはやされている私の声。
あれこそが私の望む私。あれこそが私が愛した私。この世界で唯一信じることの出来る存在。あれを失うなんて、出来るはずが無い。
「貴女の隣に立っているその新婦のベールをめくってみなさい」
男は私にそう告げた。先程から何も言葉を発さずただ私の隣に佇んでいた存在。どこか人間味を感じられない不気味な存在。私は彼女の顔を覆うベールにゆっくりと手を伸ばす。そしてベールをめくった向こうにあった顔は――――私自身だった。
「貴女が最も守りたいもの。その人のたった一つの愛が、ここに現れるのです。ここでその愛を犠牲にすることを誓い、誓いの口付けを交わす事で貴女の愛は守られる。この先永遠に、貴女の愛は失われないのです。さぁ、選びなさい」
――たった一つの愛を守るために、その愛を犠牲にするか。
――自分を守り、その愛すらも失うか。
私は今まで、クソみたいな人生を送ってきた。そんな中で、自分の生き方を見つけたんだ。けど、その生き方は他の奴らと何ら変わらない生き方。なら……。
「私の答えは、『誓わない』だ」
「……本当に良いのですか?」
「ええ。理由はいくらでもある。まずは、そうね、警察に捕まっても確実に私の愛が失われるわけじゃない。捕まっても私は私を愛する事が出来るし、釈放されたらまた名前でも変えて遊べばいい。まぁ、世の中そう簡単にはいかないけどね。あとは……」
私は思わず少し笑ってしまった。
「愛なんて、一つとは限らない。何度も変わっていくものでしょ? 生きていれば、その内新しい形の愛を見つけるかもしれない。奴らと一緒になるのは御免だから、新しいものを探そうと思うしね。だから、誓う必要は無い」
「……やはり、この世界の“愛”は変わってしまった。尊いはずのものが、軽るんじられる様になってしまった。だから、世界には“歪んだ愛”が生まれてしまった」
「そうね、確かに世界には“愛”なんて言葉だけが溢れて、純粋なものは無くなってしまった。それでも、私たちは歪んだその愛を“愛”と呼ぶのよ。自ら新しい形の“愛”を生み出すのよ」
「まさに愚かな愛だ」
その瞬間私の立っていた床は消え去り、そのまま私の身体は暗い闇の底へと落ちていった。
次に目を覚ました時、そこは路地裏だった。冷たい雨が降り注ぐ、孤独な路地裏。これまで何をしていて、何故ここにいるのか思い出せない。けれど、何故か不思議と清々しい気分だった。まるで生まれ変わったかのようにスッキリとした気分だった。
……近くでパトカーの音が聞こえる。もう終わりにしよう。年貢の納め時よ。
私は彼らに捕まった。けれど、やはり不思議と悪い気はしない。
もう一度、今度はちゃんと、生きていける気がしたから。
――数日前。
森岡は高倉に言われた通り、直近の資料を調べてあの病院で見た女の素性を探していた。すると驚いたことに、恋愛の被害に関する資料で何件もあの女の姿を見つけた。だが、よく見ると名前やら顔やら手口やら様々なものを変えて行動していたらしい。
「高倉さん! あの女の素性が分かりました!」
森岡は高倉のデスクに持ってきた資料を得意げにばら撒いた。その資料を一つずつ手に取り、鋭い目つきで見ていく高倉。そんな高倉に、森岡は簡単に説明を始めた。
「本名は渡辺桃花。現在は胡桃沢茜と名乗っているようです。被害報告はあるものの、なかなか尻尾が掴めないようで確保に至っていないようです。それと……」
森岡は桃花の資料のある部分に指を指した。
「家庭環境がかなり悪かったようで、近親相姦、虐待、その他諸々の過去を持っているようです」
「なるほど……だから逃げ込むために自分だけの世界を作ろうとする訳だ。つまり、彼女にとって大事なものは“自分”だ。となれば、それを崩してやればいい」
「高倉さん?」
「情報を集めるぞ。桃花を尾行するんだ」
――数日後。
ラブホテルの前に車を止めて桃花を張り込みしていた高倉警部と森岡。ホテルから桃花が出て行ったその時だった。
シルクハットに黒のタキシード、ピンク色の杖を突いた老紳士が一人ホテルの内部へと入って行った。その姿に、高倉は見覚えがある。
頭を過る“あの日”の出来事。
――妻の追う事件。
――各地で起こる行方不明事件。
――そして。
――○▽△×※※○□。
高倉は車を飛び出し、老紳士を追った。階段を上っていく老紳士。その姿を見つけた高倉は駆け足で追いかける。だが、微妙に距離は離れており追いつくことが出来ない。そうしている内に、高倉は老紳士の姿を見失った。
高倉は老紳士の跡を探す。だが、どこにも彼の跡は残っていない。もう諦めて帰ろうとしたその時。ホテルの廊下で一部屋だけ扉が開いていることに気がついた。
高倉はその部屋をゆっくりと覗き込む。
部屋は荒れ果てており、何者かに荒らされた様だった。しかし、窓も開いてなければ、どこか別の入り口から外に出た様子もない。犯人は部屋の中か、もしくはもう外に行ってしまったはずだ。
ふと視線を落とした時だった。
そこには先日大学病院に訪問した時に会ったあの医者がいた。
ただし、それはもう既に死んでいたが。
あの医者は素っ裸で身体を切り刻まれ死んでいた。その姿はあまりにグロテスクで、普通であれば目を背けるであろう姿だった。
高倉は部屋を見渡す。すると、床に旅行予定が落ちている事に気がついた。その場所と日時を確認したその時だった。エレベータが止まった音がした。
高倉はすぐさま部屋から出て扉を閉じ、その場から去った。
車に戻ると、高倉は森岡にすぐさま肩を掴まれた。
「高倉さん! どうしちゃったんですか、急に車から飛び出して……」
「あの医者が死んでた」
「え?」
「あの医者だよ。俺たちが病院で面会した」
「え? え? な、どういう事ですか?」
「俺にも分からねぇよ。だが、次に桃花が行きそうな場所は分かった。あの医者が急に死んだ事で、アイツもそう簡単に次の行き先を決められないだろう。だから、もともと予定していた場所に無意識に行くはずだ」
――数日後。
高倉達は桃花が行くであろう場所に指名手配を出した。そうして、桃花の作り上げた理想を崩す作戦にしたのだ。だが、高倉達は他の警官とは隠れて別行動する。二人には桃花を捕まえるよりも知りたい情報がある。
「いたぞ、桃花だ」
「高倉さん、本当にこれで“愛の式場”が姿を現わすんですか?」
「分からん。だが、試せるもんは試しておきたい」
そうしてしばらく時間が経った頃、外でパトカーの音が鳴り響き始めた。その時だった。あの大学で感じた全ての時が止まる様な感覚を、高倉は感じ取った。そして次の瞬間、気付けば真っ白な教会の中に居た。
「ここは……」
まるで結婚式の式場の様に飾られたベンチ。花で全身を装飾されて羽を広げる大きな像。何かが異様なのだが、それを言葉にすることが出来ない。
「おい……森岡……森岡?」
高倉は辺りを見渡すが、そこに森岡の姿はない。
「彼はここに居ませんよ。まだ、ここに来る価値が無いので」
若い声に少し低さが混じる男の声。その声の方へ振り向くと、そこにはピンク色のカソックを着た若い男が立っていた。
「高倉さん、やっと……いえ、また会えましたね。待っていましたよ」
「貴様、何者だ」
高倉は男に銃口を向けて威嚇する。だが、男は動ずること無く会話を続ける。
「今はそんな質問に意味はありません。貴方もそんな幼稚な事を聞くためにここまで来た訳ではないでしょう? 貴方が本当に聞きたいのは、貴方が本当に知りたいのは、あの日の真実だ。貴方の奥様が死んだ、あの日の」
「……何故、お前がそれを知っている……!」
「さぁ? 何故でしょう、思い出してみてください。それとも、また目を逸らして逃げるんですか? だから言われたのでしょう?」
――あなたには守る愛が無いの?
高倉は引き金を引いた。
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