その14-弥栄を

14.


 銃声が響いても、外で控えているはずの歩哨の兵士たちは入ってこなかった。イシカワはわたしのほうには目もくれず、前方にうつ伏せに倒れた三船を見つめて、ただ言った。

「おもての兵士はわたしの仲間の諸君が対処してくれています。隣の三殿のほうで待機している兵士たちには、一度目の銃声は三船さんが放送のための演出として空砲を撃つことになっていると説明していますからまだ大丈夫でしょう」

 イシカワは天皇の前に進み出て、横に倒れた三船を見下ろした。そしてもういちど銃口をその真下に突き付けた。その銃口は皇宮警察官だった松永が所持していたP230だった。

「軍人はいつも最後には自分が死ねばそれで終わりだと思っている。困ったものだ」

 イシカワはそういって、突き付けた銃口を外し、三船を跨ぎ越して、天皇のそばに立った。そして、さきほどの三船と同じようにこんどは天皇に銃口を突き付けた。わたしはわけがわからず一度カメラの画角を外そうとしたが、イシカワが、

「カメラを下げるな。そのままにしろ」

 と、怒鳴った。わたしはイシカワのその語調と声の大きさに驚いて、言われるがまま構えて硬直してしまった。

「言ったでしょう。わたしには天皇を殺す覚悟がある、と。まあ、三船さんも最後はどうするかは正直成り行きに任せるみたいでしたけど」

 イシカワはわたしに向かって言った。笑顔はなかった。しかし、ときおりみせる冷たい顔つきでもなかった。イシカワは拗ねた子どものように視線をどこにも向けず、目を背けた。それはイシカワが初めて見せる心からの侮蔑の表情だった。

「三船さんはね。けっきょく本気で嘉手納を乗っ取ってそこで天皇を囲うなんてことができるなんて考えてませんでしたよ。かりに国民にそんな要請をしたって、けっきょく政治のトップが不在で、すべてにおいて無責任なこの国の人間の誰がそんな決断をくだせるっていうんでしょうか。いや、よしんば三船さんの要請が仮に世論を動かして、この国の人間が三船さんに嘉手納をわたそうという決断をしたって、だれがアメリカと交渉します?だれがアメリカを動かすことができるんですか?この国の国民にとって天皇はたしかに現御神かもしれないが、アメリカにとってみればただのひとりの人間でしかない。それは何年も前にはっきりしたことだ。断言しましょう。アメリカが天皇のために、いや日本のためになにかをすることはない。それはアメリカにとってそんなことが必要ないからです。それはひょっとするとわたしたち国民自身ですらその必要はないかもしれない。いや、わたしは悲観して言っているのではないんです。日本という国。日本人というその国の民。そう呼ばれる人間はそもそもがそういう存在なんですよ。日本人は日本のためになにかをしない。裏を返せば、日本人は自国のためになにかをすることによって日本人になるのではないのです。あっけらかんと、ただ日本人は本来的に日本人としてあるだけで日本人なのです。それはこの天皇という象徴によってです」

 かつて、こんな言葉があった。

――ask not what your country can do for you—ask what you can do for your country.

 だが、この国の人間にその問いかけは必要ない。なぜなら我々の国にはただ目の前に鏡のように象徴がそこにあるのだから。イシカワはそう言っている。

「もっとも、その本来性はいまは自明のものではないようですね。我々を巡る国論とそれに伴う行動、それがこの国をいま二つに分けて壊そうとしている。皮肉なことですね。この国のためになにか行動をしようとすれば、それはこの国を壊すことになる。三船さんは国家をハードフォークさせるといいましたが、国家にハードフォークはありません。ただ国家は革命か独立しかありません。分岐した国家などただの別の国家でしかないでしょう。それは近代というイデオロギー上の定義というよりも、象徴というシステムが一と多という、一人によって多数を定義するシステムだからです」

 わたしはそういう出来もしない理想を語るだけで、なにかをしたつもりになるのは嫌いです。イシカワはそう吐き捨てるように付け足した。

「わたしはべつにこの国を壊そうというわけではありませんよ。わたしはアナーキストではないんです。一と多において、ただ一を取り去り散乱した多を作りたいわけじゃない。言ったでしょう。わたしはこの国のシステムをメインフレームからクラウド化したものに変えたいんですよ。それは何よりも歴史を単一のものから複数化させることになるからです」

 歴史を複数化させる。それは具体的にどういったことを意味しているのだろう。

「昨日の話の続きをしましょう。五十嵐さん、わたしがあの生物学研究所で勤めていたことはお話ししましたね」

 話の続き、とイシカワはその言葉通り、また語り始めた。

「お話ししたとおりあの研究所ではじつにさまざまな研究班が組まれていました。それは表向きの生物学はもとより裏の生物学研究として生命工学や製薬部門に特化した化学、遺伝情報工学、わたしが所属していた生物情報学、この分野には宣命体や万葉詞をプログラミング言語として読み取る研究グループなんかもありました。それらから少し離れたところだと社会伝播に関する研究をメインに取り扱っていた社会科学部門や、文化人類学、歴史学、それから物語論としての文学なんかも研究されているんですよ。それらはすべて皇室に資するためですが、その皇室に資するところということの意味はただ一つ万世一系、いや正確にいえば萬葉一統のためということです。つまり天皇というシステムの存続のための総合的学問所というわけです。いま、宮内庁のアーカイブルームのなかに特殊電算記録と呼ばれる皇室にまつわる資料と研究成果の一部を統合してデジタル化したものがありますが、その編纂も書陵部の依頼で我々生物学研究所の所員がおこなったのです」

「わたしは大学のとき図書館情報学を戯れにやったことがありましてね。研究所の専攻研究分野とべつにその編纂チームの端役として加わったのです。そのときにわたしは皇室にまつわるあらゆる資料をみました。それは終戦の際の御聖断のときに真実何が起きていたのかという近現代史にまつわるタブーや本当の神器がどこにあるのかという秘匿情報、週刊誌報道の切り抜きや宮内庁が独自に収集している世界各地の天皇に関連すると考えられる伝説などありとあらゆる情報です。なかには一般に公開すれば皇室のありようが問われうるものまで含まれていました。もちろん、そういったゴシップも興味深くはあるかもしれませんが、わたしはある日そのなかで戦前の民俗学者が残したある論文集を見つけました。記録によれば、その民族学者が発表したそれらの論文は発表と同時に学会の注目は集めたものの当時の新聞紙法のもとメディアには乗せられず、民族学者自身ものちにとある大逆罪の事件に連座して無期刑になっています。もっともその大逆罪の適用じたい隠蔽されていて、それすら内務省特高方面の資料分類のなかで機密扱いになっていました。もっともこういった機密は当時にあっては珍しいものではなく、結構な数の研究者がかげながら捕まっていたようです」

「わたしはその論文集を読むうちに一つの物語を思いつきました。その物語がわたしに天皇というメディアのコンピュータライズのアイデアを与えてくれました」

「古代、現在では日本と呼ばれる地球の一地域に一つの家族集団が暮らしていました。『彼等』はもう長いあいだこの地域に住んで、その長さはもはや『彼等』の先祖がどこからやってきたのかもわからないほどの「長く」でした。『彼等』は現在、おもての研究で言われるように海の向こうの大陸からわたってきたのか。あるいは地底から湧いて出てきたのか。はたまた宇宙から雲を掻き分け降臨してきたのか。あるいはその混合としての集団なのか。それはいまのわたしたちですらわかりませんがとにもかくにも『彼等』はたしかにこの地にいました。『彼等』は『彼等自身』について問いを持ちました。それはすなわち『わたしたちはどこからきてどこへいくのか、そしてわたしたちは何者なのか』というあの根源的で人間ならだれしもが持つあの問いです。『彼等』はまず自分たちがどこから来たのかを考えました。じつをいうと『彼等』が考えた彼等自身のルーツはさっきわたしが話したような現在の研究とそれほど変わるところはありませんでした。面白いですね。『彼等』が『彼等自身』どこから来たのかを考えたのかというと、それは自分たちの集落の外れにある崖から望む荒れ狂う海の常世、あるいは夜になれば物の怪が呻く声が聴こえる森の深奥の異界、あるいはものの文献によれば『彼等』は薄暗い松明しか持たない世界で遠く光る星を崇めたという話もあります。『彼等』は自分たちの頭上にある動かない一つの星をみつめそこを故郷だと思ったのかもしれない。重要なことは、これはさっき話したように研究や実証のある学説という意味ではなく、『彼等』が自分たちのルーツを探るようになったという事実のほうです。その答えには真実はないし、それは永久にわかるはずのない問いです。もっといえばそれは現代のわたしたちにおいても同じです」

「『遠い過去に根が沈み込んでいる信仰や慣行の最初の起源について我々は何も知らず、また、けっして何も知ることはないだろう』」

「『彼等』の起源への問いに答えはありません。ただ、『彼等』が自分たちへの起源に想いを巡らせたということだけは事実なのです。それはわたしたちがそうだからです」

「さて、つぎに『彼等』は自分たちがこれからどこに行くのかを考えた。それは彼等が定住生活を始める前はさきほどの起源の問いよりもより切実な問いで現実的な問いだったのでしょう。『彼等』は猪や川の魚、森の木の実や果物を求めて旅をしていた。そんな『彼等』にとって自分たちが最後に行きつく『彼等』の終着点はいったいどこなのだろう。『彼等』はまたそうも考えたに違いありません。そして、その問いにもまた答えはない。それはその旅に終わりはないからです。旅はいまも続いています。あるときは東征と称して東の土地を攻めて、あるときは海を越えて南の離島や大陸を攻めて、いまやそれは空を越えて星の向こうまで行くのかもしれない。あるいはそれはこの場所に留まるのだとしても旅は続くのです。なぜなら、旅というものは場所という空間だけではなく、時間という場所の、すなわち時空間の移動であるからです」

「そして、最後に『彼等』は『彼等自身』のことについて考えました。自分たちは何者か、と。まるで幼い子供のような、思春期の青年のような問いですが、『彼等』は愚直に考え、そして自分たちが何者でもないという事実に怯えました。けっして答えのないその問いに『彼等』はたしかに怯えた。そして、これらの問いの集約点こそが天皇という象徴のメディアに他ならないのです」

「我々はどこから来たのか。我々はどこにいるのか。我々はどこへ向かうのか。我々は何者か。我々がこれから向かう先に我々は存在するのか。我々がここに来るより前にいた場所に我々は本当に存在したのか。それが天皇です。この問いこそが天皇とわたしたちが呼ぶものの正体です。それは答えではありません。むしろ証明に近いものです」

「それは、我々がどこから来てどこへ行き、そして何者であるか。その問いが発せられた。そう問われてきた。そう問い続けられていく。そして今も問うている。そう問うものがいた。そう問い続けていくものがいる。そして、そう問うのが我々だ。それが天皇という象徴の証明なのです。象徴天皇というのは、その証明のメディアなのです。天皇というのは『彼等』が伝えてきた『彼等』の存在証明という問い。いや、問いという存在証明。それは最初は『彼等』の親から子へ、そしてその孫へと、口誦によって伝えられ、そしてそれは体系的な物語になり、その物語という情報が物質として受肉化した。いわばその物語の現れが『天皇』という一人の存在を持つようになったのです。おそらく、天皇という人間存在は当初のその口伝の物語のひとりの登場人物に過ぎなかったのでしょう。ですが、いつしか一人の登場人物は物語を呑み込み、その『彼等自身』が物語になった。『彼等』は『天皇』になったのです。『彼等』という物語の『天皇』は、物語媒体そのものになった。そして、それが一人の人間からやがて『血』という形象化した物理媒体になったのです。そして『天皇』は遂に『彼等』として、『彼等』のたった一つのメディアとして2000年以上も受け継がれていくことになりました。昨日お話しした新嘗祭のその祭祀の本義は、一人の人間の世界データとしての生体電気信号パターンの保存をおこなうことだといいましたね。じつのところ、あれは本来であればたった一つの電気信号パターンが保存されればよいのでしょう。その電気信号パターンこそ原始の日本人であった『彼等』が伝えた『天皇』の『証し』なのです。しかし、その継承は一人の人間存在すべての世界データを副産物として保存することになり、そして大嘗祭においてはそのすべてをファイル移動することになります。歴史とは本来受け継がれている『彼等』という問いに伴走する副産物なのです。そして、一人の人間存在を保存形式として使う以上、それは唯一性の高いアナログメディアとならざるを得ません。そして、天皇がただ一人であるのと同じように歴史はただのひとつに、単一化されたものとならざるを得なくなったのです。おそらく、2000年以上ものあいだ単一の歴史として受け継がれてきた『天皇』の影には、いくつものうち棄てられてきた『天皇』があるのでしょう。『天皇』である『彼等』とはべつの『彼等』、『歴史』と『世界』があったのです」

「だからね。わたしは開放したいんですよ。その『天皇』というシステムをアップデートしたいんです。その単一的な『歴史』を、単一的な『天皇』を。かつて口伝の物語であった『天皇』はそのデータ量が増大するにつれて生体というファイル形式にならざる得なくなった。そしてそれは歴史の独占を許すことになった。だから、わたしは2681年後のこんにち、わたしは天皇というシステムをよりふさわしいものにアップデートする。物理的歴史メインフレームである『天皇』はきょうをもってソフトウェアとして『配信』され、この国の新しい『彼等』にインストールされる。わたしは歴史を終わらせたいわけじゃない。むしろ、継続させていきたい。より広く開放されたものとして。それはいくつもの土地に伸びていく根のように。いや、星の浮かぶあの空の雲のようないくつもの可能世界としてです」

「三船さんはけっきょく『放送』によって言いたいことをいって、それで適当に自分だけ懺悔した気になって、それで米軍がここに踏み込む段階になったら、天皇と一緒に死ぬつもりだったのでしょう。それじゃあ、やっぱりけっきょく自爆テロと一緒だ。くだらない。自爆テロなんて最悪だ」

「わたしは三船さんとは違う。技術者として確実に世界を変える」

「五十嵐さん、わたしがあなたに求めるのは『放送』ではなく『配信』です。まあ、やってもらうことに違いはないんですが。そのカメラはIoT装置として自動的に8K映像データを符号化して送信することができる。それはなにも中継車をなくして、カメラマンの機動性を高めることができるだけじゃない。なによりもそのカメラは超大容量の電子データを送出する一つの基地局になるということです。言い換えればそれは一人の人間の世界データである電気信号パターンを送波することができるということです」

 イシカワは皮手袋着けた手でポケットから一枚の四角を取り出す。松永を昏倒させたあの白いカードだった。

「人間が死ぬときあなたは頭のなかがどうなるか見たことがありますか。脳内の電流が一瞬行き場を失ってショートするみたいに閃光が走るんです。このカードは人間をより強力なかたちで電化させることができると言いましたね。でも、簡単な話でカードの裏面を翳すと力の向きを逆転させることができるんですよ。中学生のときに習ったフレミングの法則と考え方は同じです。このカードに対する力の向きと磁界の方向を調節してやって、電気の流れを逆転させてやる。人間の死の瞬間に脳内を駆け巡る電流は通常一瞬脳内に帯電したあとそのまま最後に身体の末端部にいき地面に吸収されていきますが、こいつを使えば脳内から上方向の皮膚表面へ生体電流の流れを変化させてなかの電気回路に世界データを書き込むことができる。実験はすでに成功していますよ。現に松永さんは皇嗣殿下の世界データを受電されたんですから。人対人のパターンでもうまくいくかどうかは正直わかりませんでしたが、パルスパターンのフォーマットが同じだから符号変換化が不要だったようですね。もちろん、今回の場合そのカメラ、ひいてはすべてのIoT製品に対応するように一般化しないといけませんが、それは既に調整済みです」

「ちなみにこのカードとじつはそっくり同じ機能をするものが天皇の宝物のなかにありますが、それが神鏡です。どうやら神鏡は近代に入ってから化学的に製作されたHDDに類する装置のようです。伝説やそのほかの神器はすべてこの鏡を補完するためのカバー・ストーリーなのでしょう」

「あとは陛下から唯一無二の『天皇』としての世界データをおしいただいてそのカメラを基地局として信号処理し、この国のありとあらゆる電化製品に『配信』をすれば完了です。もちろん、NHKの主調整室からスカイツリーを始めとする各電波塔、BSのための衛星によるテレビ装置への『配信』もありますが、さらにそこからさまざまな受信装置への符号化は自己増殖的に行うはずです。順番としてはまずはテレビ、そして二次的に各種IoT装置と通信端末、そしてそこから最終経路として人体です。この国で最初に新しく『天皇』という神になるのは、家電装置であり、その神域になるのは家電量販店なんですから、これもひとつの八百万の神といえるかもしれませんね」

「国内を駆け巡る『天皇』の世界データから逃れられる存在はありません。あらゆる存在がその影響を受けるでしょう。たとえ、どこかの山奥で自給自足の暮らしをしていたとしても、最終的には地面に流れ込んだ地電流となってすべての土地が微弱に電化します。そして、そのときになって、地表面の存在物と地中の地電流が無限回路として結ばれすべてはつながります。そして、この国に存在するすべては『配信』された世界データによってひとびとは皇紀2681年の歴史を受け継ぎ『天皇』になるのです。もはや『天皇』はただ一つのハイリスクのメインフレームとしての機関ではなくなります。そして、これからは一対多の象徴ではなく、国民全員が『天皇』になり、ひとりひとりの世界データが『歴史』になるのです。そうして『世界』と『歴史』は複数化します」

 イシカワの表情がわからない。ただ愉快で笑っているのか、義憤が達成されて悦に浸っているのか、それともすでに狂っているのか。目の前でイシカワの顔の筋肉が動いているのがわかるが、それが何を意味しているのかが分からない。

「これこそ真に革命だとは思いませんか。ここからはあくまで理論的予測にすぎませんが、無数の『天皇』はやがて各端末ごとに常時接続され、それらがSNS、カメラアプリケーション、音声ソフトなどと連合しそのビッグデータが集積していくつかの仮想的な情報集合存在を作り上げるでしょう。もちろん国民が望めばその存在に対して文字通り直接の接続も可能です。やがてそれはP2P型天皇という移行期を得て、離散しつつも接続的な分散型の集積計算機関となるでしょう。そのときになれば新しく生成されている各個人との仮想国土とともに連結され、そのなかであくまで概念上ではありますけど、新しいメタ・ユニバースたるメタ・日本ができているはずです。そして、『天皇』はそこに至って真に天孫として降臨される」

 イシカワは天皇の冠を無造作につかむとそれを殿の片隅に放り投げた。そして、その手でカードを額に掲げた。そして、ふざけてピッとカードリーダの口真似をした。イシカワは天皇にP230を向けたまま、立たせた。そして、引きずるようにして正面扉から一段一段降りていく。両脇の兵士は背後から首を切られて死んでいる。わたしはそれを追うように後ずさりして画角からアウトしないように気を付けながらカメラを全力で固定させる。わたしはもはや撮影を進んで自らがおこなっている。

 イシカワは歩きながらカメラに向かって言う。

「わたしは天皇を殺すんじゃない。わたしは『天皇』を新しく再臨させるんだ。新しい自由で複数化されたより開かれた天皇がきょうから我々を統治する。それは決して反自由主義的でもでもない。もしあなたたちすべてが『天皇』になることをどこか意識がつながれたゾンビの群れのような世界を想像しているならそれは間違いだ。我々の明日からの生活は何も変わらない。ただ我々のささいな優しさも残酷さもすべて『歴史』として余すところなく承認される。我々は意思を喪うどころか、これからも憎しみ合い、笑い合い、泣き、怒る。我々は今後自由に議論し、自由に殺し合い、自由に愛し合う。ただ『天皇』という価値のために。我々はなにも強制されない。我々はこれからもわたしたちの祖先である『彼等』と同じように我々がなぜ生まれたのかを、いかに生きるべきかを真剣に問うことができる。つまり、『天皇』のためにいかに生きるかを。なんどもいうがそれは自由を捨てることじゃない。ただ、これからは自由は目的じゃなく手段という一つ下の位階に、その高御座から降りるだけだ。そして今日からその玉座に座るのは天皇なのだ」

 イシカワは前庭の中央まで来た。イシカワは歩みを止めた。

「我々は今日からみな『国民』ではなく『象徴』になる。『天皇』として」

 そして、イシカワは向けた銃口に力を込める。

すべてがスローモーションのようだ。

足元に跪き、ただされるがままの男は最後に力をふりしぼるように、口を上下する。だが、力のないその言葉は警蹕の声によって掻き消される。

 雨が降り始めていた。

だが、太陽は隠れず雲間から燦然としたその姿を現したままだ。

日輪は降りかかる水滴一粒一粒に光を放射し、拡散する。

警蹕が振動する。


おおおおおおおおおおおおおおおおおしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。


「それでは陛下さようなら。また会いましょう。弥栄を」

 銃声が響いた。それがわたしがその年の御代にきいた最後の銃声だった。


おおおおおおおおおおおおおおおおおしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。


「天皇陛下万歳」

 囁きが漏れた。それはわたしの口からだった。 

 新しい御代が始まったのだ。


                                     了


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2021年11月23日、お前は天皇になる! アドリアーナ @mrhiyoko

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