その13-新しい時代
13.
わたしたちには子供ができなかった。
大学を出て就職をして仕事にも慣れて、激務だがそれなりにある種の生活のパターンのようなものを獲得して過ごしていたころだった。幸いにも、大学時代のジャーナリズム方面に「進学」した先輩の勧めでなんとなくエントリーシートを書いてみたらそのまま雇われて、わたしはその協会のなかに入ることができた。わたしはその「協会」で、半分公務員のような待遇と国民の金、そして放送法に守られ働くことになった。一緒に大学を出た友人たちとも、仕事の同僚たちともそれなりにやっていたし、田舎の両親のもとには帰ってこそいなかったが、ことさら疎遠というわけでもなく連絡はきちんとるようにしていた。日々繰り返される仕事と日常生活、そして周囲に対してわたしはひとつのパターンを作り出すことができていた。
だが、孤独というのはただ漫然とぼんやりとそのパターンから産まれ落ちる。
わたしは孤独だった。それはなにも誰かに裏切られただとか、青年期特有の愚かでありながら人生の一時期だけしか感じることのできない強烈な焦燥でもなく、そのときのわたしの孤独はただ柔らかく、そして全身を包むぼんやりと温かい微睡みのような孤独だった。
寂しくはなかったし、辛くもなかった。仕事柄人と話す機会は多いし、そもそもわたしは本来一人でいるのことを苦痛に感じるような人間ではない。むしろ、学生の頃は大勢で騒いだりすることを疎ましく思っていたくらいだから、それは自分にとって望ましいものだったのかもしれない。
わたしはそのとき自分のこれまでの平凡な人生をただ傲慢に、ただ冷静に評価し、そしてこれから先の人生においてもおおむね同じような見方をしていた。世相や社会がどれほどはしゃぎわまろうと、ただわたしは変わらず世相や社会、そしてそのときの状況に何も与えず、何も残さず、ただ息を吸って、そしてただ息を吐いて、ただ観察だけして死んでいくだけなのだろうと思っていた。
実際、それはいまも変わらない。わたしひとりが社会を変える力なんてないし、これはただ強がっていうのではなく、すくなくともわたしひとりなら当分はその援助などなにもなくても生きていけるだろうとも思っている。もし仮にそうでないとしても、もし仮にそれでわたしが死んでしまっても、いったい何があるだろう。
入局したばかりのころに、わたしより七年うえの先輩が歓迎会の席で言っていた。人生は一杯のビールだ、飲み干せばあとにはただ空のグラスが残るだけだ。周囲はどういうわけかその先輩の言葉をポジティブに受けとったようだが、わたしにはその先輩のいうことがよくわかるような気がした。けっきょく、その先輩は協会を辞め、フリーランスで戦地にいったらしい。
なにもない。わたしはいまでもそう思っているし、そのころもそう思っていた。わたしは協会のなかで、その不偏不党のなかで、社会を眺めそう考え、いつしかわたしは世界のことを外側から考えるようになっていた。
世界。もちろん、わたしはその世界という言葉をどこかの哲学者のように大げさにとらえて抽象的に考えていたわけではないし、一部の同僚のように隣国、あるいは海の向こうの国の問題をばかばかしくも真剣に憂いていたわけでもない。世界をそういうふうに大げさに扱い、そして語り、使命感をもってコミットしようとすることはけっきょく救済を求める振る舞いに過ぎない。そもそもわたしは、社会、という言葉も、世界、という言葉もそこまで厳密に使い分けていなかったしその違いもわかっていない。ただせいぜい、世界という言葉を日常のなかで手遊びとして弄び、それを自分とそれ以外というぐらいに大雑把に使っていたにしか過ぎない。
寂しくはなかったし、辛くもなかった。ただひとり隔絶していく感覚。
まるで閉館した誰もいなくなったあとの水族館を一人で巡っている。
そう例えるのがいちばん的確に思えるような感覚だった。世界はガラスケースの向こうにあり、そこで大小の醜い魚たちが水の中で狂ったようにそのなかでクルクル泳ぎ回っている。自分はただひとり暗い廊下でそれをひたすら見て回っている。そして、じっとその水槽の中の運動を眺めていると、だんだんと自分が水のなかに溶けて、薄くなって、わからなくなるような、そのなかの泡になって水上で弾けて消えてしまうような、そんな感覚だった。
何度もいうが、寂しくはなかったし、辛くもなかった。
ただ強烈に眠かった。
そんなふうにただ無為に時間が過ぎていきやがて時が流れるのを感じられなくなりそうなころ、わたしは親交のあった人間の紹介で一人の女を紹介された。そして、わたしは紹介されたその女と様々な事情で時間をともに過ごすことが増え、なんとなくなりゆきで付き合うことになった。
当時、その女、つまりあとでわたしの妻となるその女とわたしはなにを話していたんだろう。
わたしには、本を読んだり映画を観たりすること以外にとくに珍しい趣味はこれといってない。ブラームスのピアノはよく聴くが、それは小さいころ音楽をかけて寝る両親のせいで、ただ習慣になっていただけで好きかどうかはわからなかった。妻も似たようなもので、ブランドを買い漁るような浅ましい趣味がないのはよかったが、つまらない女だなと自分のことを棚に上げてわたしはそう思ったのを覚えている。
わたしたちには話すことがなかった。
わたしは妻と出会って以来変わった。世界は輝きだし、わたしはわたしの人生になにか素晴らしいものがもたらされた。孤独というものは癒されないまでも、ただそれと向き合い分かち合いながら生きていくことはできるもので、そしてその決心をわたしは持った。
なんてことがもちろんあるわけがなかった。
いくらなんでもそんなばかげた話はない。
妻とわたしがそのころ交わした会話のなかで唯一思い出せるもの。それはたしかこんなふうだった。
「さいきん、みょうに忘れっぽいのよね」
「忘れるってなにを?」
妻の答えは覚えていない。たぶん、どうでもよかったのだろう。
妻には悪いが、わたしはそのときいつでもただ妻に別れを切り出されたら、なにを思うこともなく、それを受け入れていただろうし、わたしは妻のいる人生もいない人生も大した違いはないと思っていた。妻がわたしのそばにいるのはただ偶然だった。
だから、その当時まだ籍を入れずに、妻を連れて田舎に帰ったときに両親が妻を品定めをする視線に気づいたとき、そして妻がそれを満更にも思っていないことに気がついたとき、ただ、ああ、それじゃあ、とたまたま親切心をなんとなく発揮して、結婚をしようと思い立っただけだった。
いや、親切心などではない。わたしはひとつ告白をする。たいしたことではないが。
それはおそらく嫌気だったのだ。それはなにか不貞腐れと捨て鉢と復讐のようなものだった。いま思い返してみれば、そのときにわたしが感じた両親に対する、そしてそれをまんざらでもなく思っている女に対する嫌悪、そのかすかな強烈さだけが、そのころのわたしが感じた唯一の強い感情だったかもしれない。
いずれにせよこれまでそばに妻がいなかったこととある一定のタイミング以降で妻がいること。それはただ同じくらいの質量をもった偶然だった。
わたしはどれだけの時間をその女と過ごそうとあの柔らかい孤独が晴れることはなかった。それはもしかしたら孤独と名付けるべきものではなく、むしろある種の、重み、だったのかもしれない。そうだ。「耐えられない軽さ」、かつてそんな言葉があったはずだ。この眠気の誘うような「世界」という時間の長さと空間の広がり。人はただそこでなにかを覚えただ忘れてただそこに存在するだけ、そして存在しなくなるだけ。そしてあとには何も残らない重さ。わたしはそれをむしろすこしみっともなく陶酔がちに孤独と名付けていたのかもしれない。
そんなただそこにあっていつか消えてしまう自分という重さのない世界。それをぼんやりと考えていたらわたしはいつのまにか一つのことが気になり始めた。それは自分が死んだあとの世界。子どものことだった。
「もしもし」
「さっきは悪かった。それで話の途中だったな。どうだ、ほかに何かわかったことはないか。それとインタビューはアーカイブから見つかったか」
「ええ。ありましたよ」
「見つけましたよ。ふつうに棚差しのSDDのなかに残ってました。社会部共用クラウドストレージにダウンコンバートしてあげておきましたからログインして確認してください」
「すまんな。面倒かける」
「いえ、それはいいんですけど。ただほんとうに送ってきてもらった人であってるんですよね」
「どういうことだ」
「うーん、それじゃあ名前のほうが間違っているのかな。五十嵐さんが送ってきた画像の人はイシカワって名前じゃないですよ」
「え」
「さっき、言おうと思ったんですけど、検索で引っかかったのは別の人物の名前です」
「でも、医療ジャーナルの研究論文の奥付に経歴が載ってたんだろ」
「ええ。でも、それは共同研究だから、その画像の人物の共同研究者なんですよ。その人物が『イシカワさん』なんですよ。ほんとうにその男の名前はイシカワって名前であってるんですか」
「それじゃあ、おれが聞いたのは偽名ってことか?その『イシカワ』って名乗っているこいつは誰なんだ」
「うーん。でもたしかにそのイシカワなる人物と関係は深いようです。生物学研究所で働いていたりその後にNTTを勤めていたり、そのイシカワのベンチャーにも参加しているみたいですから、個人的親交もあるんじゃないでしょうか」
「名前は?共同研究者なんだからそいつの名前も載ってるだろ」
「ええ、載ってます。名前は……」
そうして小口はイシカワの本当の名前を口にした。そして、小口は最後にちなみにと付け加えた。
「その本物の『イシカワさん』のほうは23区同時爆破事件のときに、御家族といっしょに巻き添えになって亡くなられているようですね」
翌朝、わたしはわたしのための休所として用意された便殿で起きると昨晩通信課の兵士からあらためて渡されたカメラの動作を確認した。確認を終えると、御拝廊下を渡って賢所へ向かった。新嘉殿のほうで放送を始める前に、一度三船とそこで落ち合うことになっていた。
賢所に入ると三船が正面扉前に立っているのが見えた。背後の正面扉から斜めに差しこむ光が空気を輝かせ、三船の立つその前方に影が濃く領土を作っていた。三船は軍人らしく背筋をきちんと伸ばしてただ腰だけを折り曲げて頭を垂れ、目を閉じていた。三船は長いあいだ礼の態勢を崩さなかった。やがてゆっくりと瞼を開くとそっと物音を一つもたてないように顔をあげた。両脇からまっすぐに伸ばした両手を静かに持ち上げると、まるで触れないものを触るように、そっと目の前の手綱に触れ、引いた。三船が手を放すと、手綱の先で吊るされた鈴が揺れて透明な神音が一斉に賢所の内に響いた。神音は長く余韻をもって、だんだんと冬のなかに溶けていった。
三船はわたしに気がつくと悪戯がみつかった青年のようにばつが悪く穏やかに微笑んだ。そうしてこんどはわたしに向かって目礼した。
「おはようございます。これだけ荒らしておいて拝礼などずいぶんと勝手なものでしょう」
「柏手は打たないんですね」
「ええ。ここにはもう神様はおられますから。いちおう聞いた通りやってるんだけど、これで作法はあってるのかな。候所で監禁している掌典たちにこれだけはやっといてくれと頼まれましてね。人質のわりに彼ら彼女らもなかなか非常識なところがある」
非常識、と非難するわりに三船には、その要求が嫌ではないようだ。わたしは三船の苦笑いからそれを推察する。こんな状況になっても自らの神職としての務めを果たそうとする掌典たちの意固地な気質にもしかしたら軍人と同じ性質を感じているのかもしれない。
それからわたしと三船は新嘉殿のほうに向かった。三船はイシカワが先に起きて放送の準備をしてくれていると言った。三船は歩きながら話した。
「これでようやく義理が果たせます」
三船は足元を見ずにただまっすぐ前をみて歩いた。
「義理ですか」
「ええ」
それ以上三船はなにも話そうとしなかった。
それからわたしと三船は一言も口をきかないまま神嘉殿に向かって進んだ。
なぜわたしと妻には子供ができないのだろう。
わたしと妻で病院にいったこともある。だが、原因はわからなかった。いや、医師はいった。原因は存在しない、と。少なくともお二人にはそういった医学的所見は認められません、と。つまり、端に、できない、ほんとうにそれだけということらしかった。医師はこういったことはさいきん珍しくないのだと言った。男も、女もどちらも原因もなく、ただ、できない、ということが。
四軒目か五軒目か、そのころになっても、わたしたちはまったく同じようなことを言われて、わたしたちはその医師たちのいうことを信じることにした。ああ、これはわたしたちにはできないのだな、と。その悟りにも似た気持ちは、医学的なものや科学的な診断よりももっと根本的な理解だった。
わたしたちには子供は産まれない。
わたしたちには新しい「世代」はやってこない。それはなにかが障害になっているのでも、誰かが妨害しているのでもない。
ただ、わたしたちはこれより先に行けない。
まったくただのなんの理由もなく、わたしたちのまえにはシャッターが降ろされているのだ。その理由のなさにはリアリティがあるような気がした。
そのころでは、妻もわたしと同じように毎日眠気に襲われて仕方がなかったようだった。わたしが遅くに帰ってきて、妻は晩御飯だけ用意して、すでに寝床に入っている。わたしもただ黙ってそれを食べて、翌朝妻が目覚めるより早く出かける。そんな日が長く続いた。
一度だけ、わたしは、これじゃあすることもできないから、ますます子どもなんてできないよ、翌朝たっぷり寝るのはいいけど、せめてぼくが帰るまで起きていてくれよ。ごはんも冷たいから温め直してほしい、と、そっと文句を言ったことがある。妻は一言、「それじゃあ、外で食べてくれば」と言った。妻はさいきん浅い眠りからか夢を見ることが増えたのだという。それはわたしがイメージする「世界」とよく似ていたが少しだけ違っていた。
妻は暗い廊下のなかで、多勢の人たちと並べられた大きなたくさんの水槽を眺めている。そこまでは一緒だ。だが、水の中で浮かんでいるのは魚ではなく、たくさんの赤ん坊だった。赤ん坊たちは泳ぎもせず、ただ水槽のなかで浮かんでいる。水槽の横には医師がいて、周囲の人間が水槽の中を指さすと、胎児は消えて、その人間も消えていく。廊下は冷房がききすぎていてひどく寒く、早く抜け出したい。だが、自分にはどうしても胎児を選ぶことができない。そうこうしていると周囲はどんどん胎児を選んで消えていく。そして、水槽の中の赤ん坊はいなくなり、周囲の人間もみな消える。さいごには医師もどこかにいってしまい、妻はひとり冷房の効きすぎた廊下で、何もない水槽と取り残される。
わかりやすい夢ね。妻は目を動かさずに笑った。
その話をわたしにしてから妻はわたしが帰ってくるまで起きているようになった。ただし、その日から妻はゴミバケツをわたしの胃袋と勘違いし始めたのだった。
なにもない空間というのに耐えられなくなってきたらしい。それはつまりたとえば、空っぽの冷蔵庫とか、何も入っていない本棚とかだ。そういうのをみるとノイローゼを起こしそうになるのだという。わたしは妻が食べきれないほどの食料を買い込むのも、読まない本を大量に買うのも、必要もないクローゼットを買って、そこに服を詰め込むのも、ただ眺めていた。それ以外になんのしようもなかった。妻は、やがて、家じゅうの使っていないコップや鞄に新聞紙を詰め始めた。洗濯機も電子レンジも当然ダメ。そのほかありとあらゆる空間にものを詰め込んだ。だが、最後には家という空間にものを充たしきることはできないと気付き、最後の足掻きとばかりに20台くらい加湿器を購入した。
どうして。とわたしが尋ねた。
せめて空気を充たしておきたい。と妻は答えた。
わたしは大笑いした。それがノイローゼというものだよ、と。
それから乾燥していた我が家の湿度は上がった。
わたしが生きてきて最初の死体を見たのはそのときだった。
それは胎児の死体だった。
その日はわたしはもう何軒目かわからなくなった産婦人科にきていた。都内のめぼしい大きなところは妻とすでに巡礼を終えていたので、たしか個人で経営している小規模な産科だったはずだ。結果を聞きにくだけだから、と妻は用事でいなくわたしだけが来ていた。そのころにはいよいよ、産科にいくのはわたしだけになっていて、妻はどちらかというと精神科に行くほうに夢中になっているようだった。
わたしは暖房がききすぎて馬鹿に暑い待合室で呼ばれるのを待った。隣に座った女が暇つぶしに話しかけてきた。わたしはこんなところにくる人間とは口もききたくなかったから、無視しようとしたが、女はわたしに一方的に話し続けた。産科の待合室は静かでその女の声ばかりが響いた。
女はわたしたちと違い、「きちんと」医学的問題があり、病気として子どもができないのだという。正確にいうと子どもはできるにはできるのだが、いつも自己免疫疾患できちんと母胎内で成長せず、流産を繰り返しているのだという。
女は何回もやると癖になるというが、どうも自分がそれだと言った。抗リン脂質抗体という化学物質が胎盤内の絨毛において血液の凝固を阻害しているらしい。治療のためにアスピリン注射を打っているがどうも効き目がみられない。女はさらに話し続けた。女の声は枯れていて、すでに若さというものが感じられなかった。その声はわたしの妻に似ていた。
流産には、人工的なものと自然的なもの二つがあるのだけど、そのうち自然流産の発生率はだいたい一割程度といわれていたのがいまや三割にちかい割合で増加しているんですって。我が国では妊娠22週未満で中絶することを流産というのだけど、そのなかでも12週以降の死産を後期流産、それ以前のものを前期流産というのね。時期だけじゃなくて、その状態においても流産にはいくつか種類わけができて、だいたい六つくらいなの。切迫流産、進行流産、完全流産、不完全流産、稽留流産、化学的流産ね。わたしの場合は完全流産で、これは胎児がお腹のなかからなにも残さずに排出されることをいうの。あなたは流産した赤ちゃんってみたことある?なんかねえ、ぶよぶよの真っ赤な海月の小さいみたいな血の塊が鼻血みたいに股の間からどんどんどんどん流れ出ていくのよ。わたしが最初に流しちゃったときはトイレで、そのときはショックで便器のなかに手を突っ込んでわたしの赤ちゃんを探したわ。血の塊をいっこいっこ手で洗って、探してみたら、二センチくらいで、人間のかたちもありゃしないんだけど、でもおめめもついていて不思議とあかちゃんだってわかるのよ。わたし、そのぶよぶよをみていたら、なんだか涙が出ると思ったんだけど、、実際は怖くなってまたトイレに流しちゃったのね。いまごろあのぶよぶよどうしているかなあ。下水管をとおって、東京湾に流れ出て、いまごろは太平洋にでもいるのかしら。ときどき考えちゃうのよ。わたしがこうしてなんかいもなんかいも流産しちゃうのはあのときの赤ちゃんをちゃんと扱わずそのまま棄てちゃった呪いなんじゃないかって。でも、こうも思うのよ。その流したぶよぶよがね。太平洋で、海に流れた放射能と一緒になって突然変異を起こして、ぶよぶよのまま巨大化してきてこの街を壊しに来たらおもしろいだろうなあって。ふふふ、ゴジラみたいでしょ。母親のわたしを追いかけてきて復讐に来るのよ。でも、そうなったら、なんかいい話じゃない。わたし言うわよ、ちゃんと。よく産まれてきたねって。
女は中の診察室から呼ばれたといってようやく話を止めて立ち上がった。それから、わたしはようやくその女の顔を見た。わたしは意外な相貌に呆気にとられ、思わず、目を見開いていしまった。皮膚には深いしわが目立ち、唇は青く、耳は大きかったが重力に逆らえず垂れ下がっていた、髪は白髪というにはあまりに薄汚く、鼻は曲がっていた。
それから老婆は口の端を歪めると、去り際にポケットに手を突っ込んでいたわたしの手を取り、掌になにかを押し付けた。そっと、開くとそれは小さな、ほんとうにちいさなまっくろに干からびた赤ちゃんのミイラだった。老婆は歯の欠けた口を開くとわたしの耳元で囁いた。
嘘。ほんとは流産するたびに集めてるの。赤ちゃん。
そして、老婆は奥の診察室に消えていった。
あとからナースの一人が申し訳なさそうにわたしに近づいてきて説明をした。あの老婆はこのあたりでも有名ですぐに妊娠したといって産科を訪れる頭のおかしい婆さんなのだという。当然、妊娠したというのは妄想で、そのたびに産科の医師が精神科に連れていくのだという。
わたしはただ呆気に取られて、ぼうっと老婆が消えていった診察室を眺めていた。
掌には、渡されたミイラの赤ちゃんの小さな目がわたしを見続けていた。
わたしの名前はついに診察室から呼ばれることはなかった。
中には既に昨日のまま純白の絹を身に纏った天皇と傍らに立つイシカワがいた。天皇はいまだ虚ろのままだった。驚くべきことに庭の四隅の篝火はまだ煙を上げ続けていた。
わたしはすこし歩いて距離を取って天皇を日の丸構図にして画角を作った。
わたしは録画ボタンを中継送信モードに設定して、送波のための周波数帯域を渋谷のNHKセンターに送るために合わせた。すでにセンター内の主調整室には、連絡して電波受信後に自動で全国の送信所に送られるように手配済みだった。わたしは起動を確認すると、一度中継送信モードから外して、録画ボタンを押して再度停止させた。そして、再び中継送信モードに切り替えスタンバイした。
「大丈夫ですよ。いつでもいけます」
三船は頷くと、進み出て天皇の側のイシカワと場所を交換した。
三船は9ミリ拳銃を取り出して、それを横の天皇の絹がくくられた立纓の冠に突き付けた。
「お願いします」
三船はいった。
わたしは三船からほんのわずかだけ緊張を感じ取った。
そして、わたしは祭祀を始めるようにそっと録画ボタンを押した。
それは隣のイシカワがP230を抜いて三船の額をめがけて引き金を引いたのと同じタイミングだった。
小口がクラウドに上げてくれたインタビュー映像にはたしかに爆発に巻き込まれ額に煤のついたイシカワが映っていた。わたしとイシカワがそこでたしかに出会っていた。わたしは友人と来ていたというイシカワに質問していた。ばかげた質問だ。騒ぎのなかで、きっとわたしも動転していたんだろう。
爆発が起きた直後どういうふうに感じられましたか。
――驚きました。でも、ちょっと楽しいなって。新しい時代が来たみたいじゃないですか。
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