おとりもち

山田沙夜

第1話

 母は産まれも育ちも名古屋市内だけれど、祖父の在所は岐阜県。濃尾平野が終わって、低い山々が連なるあたりにある。

 祖父に連れられて、子どもだった母は弟の征男叔父さんと一緒に、正月には年賀へ行って干し柿を貰い、春先には土筆を採りに岐阜へ行っていたという。

 初夏にはさくらんぼや桃を貰い、夏は井戸で冷やした西瓜を食べ、胡瓜や冬瓜を貰って帰る。

 九月のなれば栗の収穫を手伝い、農協へ持っていくように選別もした。

 師走の終わりごろに餅つきに行き、餅を貰ってくる。

 そんなふうに年中行事の呼び出しがあるので、母と叔父は従兄弟姉妹たちとは仲がよかった。

 曾祖父母が亡くなり、母の伯叔父や伯叔母たちが彼岸へ渡り、従兄弟姉妹たちも老齢になって、岐阜の在所は遠い故郷になり、祖父も母も征男叔父も滅多に行かなくなっていった。


 岐阜から久しぶりの電話がかかってきた。

「あらあ、みのさん。お久しぶり」

 スマホを耳にあてたかあさんの楽しげな顔がすっと曇った。

「土葬?」

 かあさんの従兄弟稔さん、通称みのさんからの電話は、たいてい親戚の誰某が亡くなったというものだ。年齢的にしかたがないけれど。

 土葬?

 晩ごはんを食べはじめたばかりのとうさんとわたしは、とうぜん聞き耳をたてる。その様子を感じて、かあさんは電話をスピーカーにした。

 

 伯父貴が死んだ。

 伯父貴の遺言で土葬をする。

 通夜は土曜、日曜に葬式。

 準備に「おとりもち」があるが、おとりもちの手順をしっかり知っている者がもうおらんで、形式的なことはやらんし、やれんで。

 そんでも墓穴掘りと飾り物は作らんといかん。

 ついては土曜の昼前には来て欲しい。日曜の葬式にも出席してほしい。

 

 今日は木曜日だ。

 

 ついさっきまで笑い転げていたかあさんの元気が消えていた。

 母とみのさんの伯父貴、つまりわたしの大伯父が九八歳で亡くなったのだ。九八、数え年なら九九、ということは白寿。大往生だ。

 大伯父さんに会ったことはあるらしいけど、わたしの記憶の端っこにでも隠れているのか、まったく思い出せない。


 とうさんもかあさんも、新婚だった四十年前に、大伯父の妻、おばば様の土葬を経験している。

「ちょうどいい、新婚んさんの顔見せと挨拶を兼ねて、おれの代理で行っくるといい」

 常々「おれは田舎から逃げてきた人間だ」と自認していたおじいちゃんに、体よく押し付けられ、知らぬが仏で在所の本家へ出向いたのだった。

 とうさんにとって人生ただ一度の経験になった土葬だが、生粋の名古屋っ子のとうさんは、もし二度めがあったらぜったい逃げる、二度と行かん、ぜったいに嫌だと固く心に決めたのだそうだ。

 言葉通りとうさんは、おじいちゃんの本家へ二度と行くことはなかった。

 うちのおじいちゃんもおばあちゃんもとっくに鬼籍に入り、かあさんに回ってきた御鉢はもうどこにも回せない。

 電話してきたみのさんの困り果てた声を聞いたかあさんは、「欠席」の二文字をとうとう口にすることができなかった。


「そもそも、おとりもちって何?」

 わたしはかあさんの答えを待つ。

 かあさんの沈思黙考、数分間。こういう時の一分はとても長い。


 芋焼酎用の湯を沸かしていたとうさんが、すっとダイニングを出て行き、かあさんの回答より早く二万円を持って戻った。テーブルに諭吉様を二枚並べて置く。

「岐阜駅往復のタクシー代でございます。よろしかったら……」

 平身低頭を装って、行く気はないとアピールしているらしい。

「いっしょに来てなんて言わないから。これ、いらない」

 かあさんはとうさんをキリリとにらんで諭吉様を遠ざけ、一瞬で表情を変えてにっこりとわたしを見た。

 やだ……なんか怖い。

 とうさんはしめしめとばかりに芋の煮っころがしを一つ口に放りこみ、沸騰した湯を焼酎にそそいだ。芋焼酎のにおいが部屋に満ちる。


「おとりもちってね、……相互扶助かな。昔、村の組とか集落とかに冠婚葬祭があると、組のみんなで執り行なっていたってたんだよね。昔は結婚にしても葬式のしても、そういう業者はなかったじゃない。特に田舎はね。

 でもいろいろ決まりごとがあったみたい。たとえば催事の当事家はおとりもちのやり方に口を出せないとかね。おまかせしちゃうんだと思う。丸投げってとこかな。

 お葬式だと通夜や葬式の準備をおとりもちのみんなで仕切るのね。みんなの食事を作ったり、棺桶を作ったり、参列者が持つお飾り花や、紙で三途の川の渡し船を作ったり、墓穴を掘ったり……とにかく大変なのよ。

 でもねぇ、みのさんの言うとおり、もうきちんとしたやり方を知ってる人はいないかもしれない。

 みのさんのうろ覚えだけが頼りなのかもね。それならそれで、その方が気楽な気もするけど。

 本家の村では、三〇年ほど前から徐々に火葬が増えてきて、平成の市町村大合併で近隣四つの村が合併して市になり、市営の火葬場ができてからは、もう土葬をしなくなったのよ。

 どうも伯父さんは、どうしても土葬じゃなきゃダメだと言い張っていて、遺言を残しておいたみたい。墓穴を掘る場所まで指定してあったんだって。

 村役場にも、市になってからは市役所にも、弁護士同伴で土葬の申し入れをしていて、了承を取り付けてあるのよ 」


 大伯父さんに子どもはいない。しかも大伯父さん以下の弟三人妹二人はとうに亡くなっている。うちのおじいちゃんは七〇歳で亡くなった。

 そんなわけで、大伯父の弟の息子みのさんに御鉢が回ってきた。みのさんの従弟妹たちは、男が五人と女はわたしを含めてふたり。

 その従弟妹たちもそれなりに高齢で、認知症が進んでいたり、体調を崩したまま外出がままならなかったり、遠方の者もいたりで、葬式に参列できるのは、みのさんと邦さんとかあさんだけだった。


 もしかしたらわたしには、初対面になる又従兄弟姉妹たちがいるのかもしれないと思った。それほど岐阜の在所は遠くになっていた。


 群馬に住んでいるかあさんの弟、征男叔父さんはなんだかんだと理由を並べて欠席の意思が固い。遠方の利などを感じてしまう。


「里乃、運転お願いね」

 わたしは、ひぇぇ……と思ったが、フリーで仕事をしてはいるが、家賃はもちろん生活費も入れていない限りなくパラサイトな居候の身として、断るすべはない。

 妹には一歳と三歳の子がいて、今回のことで声をかけるのは義弟にも気が引けるし、仮にもとうさんに幼児二人のお守りを任せるのは、とてもじゃないが不安すぎる。


 土曜日、雲は多いがとにかく晴れた。

 八時半ちょっと過ぎにエンジンをかける。

 高速道路を使って片道二時間強。本家の近くには状況不明の田舎道が待っている。不安でいっぱいだ。

 かあさんは本家への道順を覚えていないので、ナビ頼りになる。

 しかもかあさんは「峠の六地蔵さまにお参りしたいから、そっちの道を通って」とわがままを言う。

 本家への道のりは忘れても、六地蔵さまはしっかりと覚えているのだった。

 そして無事、赤い頭巾をかぶり、赤い前掛けをつけた六地蔵さまに手を合わせることができた。六地蔵さまはよくお世話されていて、赤い頭巾も前掛けも古びていない。


 ナビの指示通り、県道を右折すると道が細くなった。

 対向車とすれ違えるギリギリの道で、急に運転に自信がなくなる。もとよりなけなしの自信なので、心細い限りだ。対向車がないことを祈るしかない。

 低い山が近く、右に雑木林が続いた。

 雑木林が遠ざかると、道の両側は畑と民家がランダムに並んで、窮屈な感じがなくなった。

 どの家の庭にはたいてい柿の木がある。柿色が空と雲に映えている。

 注意深く気を抜かないように運転する。

 ゆるやかなカーブが続き、見通しは悪い。

 前方に年季の入った青い小型パワーシャベルが走っている。追い越すに越せない。ナビに従い、のろのろと後をついてゆく。

 かあさんは眠そうだ。

 パワーシャベルが左のウインカーをだし、生け垣と生け垣の隙間のような道に入っていった。

 わたしはまた少しスピードを落とす。早足程度の徐行運転だ。

「あ、その家だよ……その家だったと思うけど……たぶんね」

 まったく頼りがいのないナビゲーターだ。

 実際、生け垣と思われる高野槙の背が高くて、生け垣の向こう側に家があるのかどうかわからない。運転席からは屋根も見えない。

 わたしは高野槙、赤芽樫、青木あたりは見分けられる。もちの木もね。

「え……とね、家の裏手が駐車場になってるはず……なんだけど。長いこと生け垣の手入れがしてないんだね。剪定しないとのびのびと伸びちゃうわ」

 生け垣が終わると、駐車場というか空き地があって、車が五台停めてある。大急ぎで雑草を刈ったのだろう、ススキとセイタカアワダチソウが二方に壁をつくっていた。

 高野槙の隙間に、傾いた壊れそうな裏口の木戸を通り、裏庭に入った。しばらくお天気が続いていて、地面がぬかるんでいないのは幸いだ。


 大伯父さんの庭は、学園祭の準備でもしているかのようだった。

 ブルーシートの上で男性二人と女性が四人が作業をしている。携帯用椅子や厚い座布団に座って、しゃべりながら手を動かしている。七〇歳前後がそれ以上の年齢の方々と思う。

 デフォルトのように大きな柿の木もある。高い枝は物置を覆い、生け垣を越えている。大きくて形のいい柿がたくさん実っている。

 柿の木の下ではどう見てもテレビのクルーが三人、撮影をしていた。

 音声マイクとカメラ、MCは女性だ。三人の若さが目立っている。

「あれ、ケーブルテレビの取材。記録を残しとくんだと」

「みのさん、久しぶりねぇ。これ、長女の里乃」

「はじめまして。里乃です」

 稔さんにお辞儀をした。

「ありがとな。来てくれるだけで、ありがたいワ。おとりもちだもんで、当家の人数が少ないと体裁悪くてかなわん」

「たいへんだね」

「まったくだて」


 大伯父は長く老人保健施設で暮らしていて、認知症も進んでいたらしい。なんといっても九八歳なのだ。

 土葬という遺言がなければ、みのさんと数人の組の人たちとで葬式をだして火葬するつもりだったようだ。

 ところが遺言どおり、大伯父が亡くなると老健から弁護士へ連絡が行き、土葬の運びとなった。


「弁護士も気の毒がってくれたに。岐阜市に事務所を持っとる弁護士だけど、もともとここの者だで、事情はようわかっとるもんで……。

 同級生の土建屋がユンボを出してくれたもんで、今、墓穴を掘ってもらっとる。

 だもんで、邦に墓場に行ってもらっとるが。ほんとに助かるて。

 ほんと、伯父貴が死んですぐは、どうしたらええんだと途方にくれたもん」

「ユンボ?」思わず口をはさんだ。

「ほら、さっき前を走ってた青い……」

 パワーシャベルのことらしい。へえ、ユンボとも言うんだ。

 みのさんがわたしを見て、ニッと笑った。

「あの柿な、渋柿だでな」

 干し柿にするらしい。でも干し柿にしてくれる人はいなさそうだ。


 ブルーシートで作業中の女性がかあさんとわたしを手招きした。

「悪いけど、手伝ったって。おとりもちも人数が少ないもんで、人手がありゃ誰でもいいて」

「棺桶はもうできてるの?」

「それがな、棺桶を作れるもんがおらんもんだで、製材屋のもんが棺桶を作って持ってきてくれることになったんやて。夕方には軽トラが運んでくるに。ほんっと、ありがたいて」


 四〇年前は製材所に「棺桶セット」とでもいったらいいのか、すでに必要なサイズに切った板材を用意してもらって買い、作ったのだという。

 そのときは「板を買ってきて、計って切るとこからやらんでいいから、便利な時代になった」などと笑いながら男衆が棺桶を作ったのだそうだ。。


 四人のおとりもちの女性たちにそんな話を聞きながら、金銀赤青緑のキラキラ折り紙を切ったり貼ったり竹籤に巻きつけたりして、やっぱりキラキラのモールを曲げたり結わえたりして飾り花を作った。

 ひとりの女性はもくもくと草鞋を編んでいる。

 男性二人は三途の川の渡し船を厚紙で作り、やっぱり金銀キラキラの折り紙を飾り付けている。

「ひと昔、いやふた昔も前なら、里乃ちゃんに「嫁に来んか」と言っとるけど、いまはまあよう言わんて。若い男もおらんし、田舎の嫁はわたしも願い下げだて」

 あっけらかんと笑うご婦人に、わたしは首を傾げながら曖昧に笑うしかない。


 昔々はおとりもちが終わるまで、みんなで食事を作りみんないっしょに食べたものだったが、いまとなっては、そんなに人もおらず、体力もなく、そもそも面倒なので、食事はそれぞれ自宅で摂るということにしたようだ。

 さすがにそれでは申し訳ないと、稔さんは仕出しを頼み、いっしょに食べたり、持ち帰ってもらったりしている。


 大伯父夫婦に子どもはおらず、おばば様も四〇年前に亡くなっている。

 家を空き家にしないように、おばば様の親戚筋の女性、鈴子さんにお願いして、大伯父の家に住んでもらっているのだという。鈴子さんはかあさんより二つ年上だ。

 陽が落ちてから田舎道を走るのは、わたしには危険すぎるという言い訳で、わたしはお通夜をパスすることにした。

 稔さんと鈴子さんがふたりして「今夜はここへ泊まれ」と勧めてくるが、岐阜市のビジネスホテルを予約してあるからと愛想よく辞退した。頑張って辞退した。かあさんと邦さんはわたしに加勢してくれた。

 ホテルまで片道三〇分、大したことはない。


 大伯父の家は、古い田舎の農家の造りだ。夜の暗さは深い闇のようだろう。

 通夜の夜、いくら稔さん、邦さん、鈴子さん、かあさんの誰かが起きているからといっても、お風呂に入ったり、夜中にトイレへ行ったり、台所へ水を飲みに行ったりすることを想像すると、どうしても怖いのだ。

 おじいちゃん、おばあちゃんのときの葬儀場での通夜とは圧倒的に違う。何もかも違う。

 遺体があるのはいっしょだし、ひとりになるわけじゃない。

 でも大伯父の家で通夜の夜を過ごしたくなかった。なんとなく、怖かった。いいトシして怖かった。

 名古屋の葬儀場のように、どこかで車が走っていたり、葬儀場では真夜中でも誰かの声がしてエレベーターが動いたり、外を歩く人の声が聞こえたり、遠くにパトカーや救急車のサイレンが通っていったりの、音がないからだろうか。夜は人工的な音が欲しいのかもしれない。

 田舎の夜は静かすぎる。眠れぬ夜に、静寂の耳鳴りを聞いていることになるだろう。

 予定どおりホテルに泊まることになって、わたしは心底ほっとした。


 七時起床。

 黒のジャケットに黒のパンツ、黒いブラウスにオニキスのピアスというスタイルでチェックアウトした。

 お斎があるから、朝ごはんは大伯父さんの家で食べるようにと言われている。

 お葬式のお経が始まるのは一〇時だから、九時までには到着しないといけない。

 空模様は昨日と同じ、雲は多いが晴れている。天気予報どおり、雨の気配はない。よかった、ほんとうによかった。なにしろ土葬なのだから。

 天気予報では、雨は夕方やってくる。


 駐車場で待っていてくれたかあさんと、高野槙に挟まれた裏木戸を通った。 

 かあさんはザ・フォーマルとでもいうべき黒いワンピースに揃いのジャケットを着ている。

「おはようございます」

「おはよう」と何人かから声がかかる。おはようございます、おはようございますと頭を下げ下げ、勝手口を入る。

「お斎をいただいたら、靴を玄関へ置いておきなさいね」

 はいはい、とうなずく。

 おとりもちの方々はとっくにお斎を食べてスタンバイしている。

 わたしは台所でお客扱されながらお斎の助六寿司を食べる。味噌汁に漬物、お茶まで用意してもらった。コーヒーは我慢だな。


 今日はかあさんの言いつけを守らねば。勝手口から家をぐるりと回って玄関へ。

 庭でみのさんと邦さんとおとりもちの方々に朝の挨拶をして、家に入った。

 どきんとして、すぅっと背筋が寒くなった。

 座敷に横たわる大伯父の足元に棺桶が置いてあった。丸い木桶、座棺だ。聞いてはいても、リアルで見るとひんやりした衝撃が背筋を降りる。

 そのくせ妙に冷静に、座棺って、たしか体育座りになるらしいけど、死後硬直ってもう解けてるのかな、などと考えるのだった。


 玄関から邦さんが顔をだした。

「里乃ちゃん。これ、うちの三男で亨。里乃ちゃんと同い年だよ。隣が兄貴んとこの長男で匡幸」 

 邦さんを真ん中に、右が亨さんで左が匡幸さん。

 庭のみのさんがおいでおいでをする。

「こっちがうちの息子、侑介。その隣にいるのが妹の長女理佐だ」

 みのさんの右が侑介さん、その横に理佐さん。稔さんの妹さんは入院中、足首を骨折したらしい。骨粗鬆症でで治りが遅い、と理佐さんが言った。

 わたしは庭へ出て、初対面の又従兄弟姉たちと挨拶を交わした。

 わたしたちは何かあったときのために、念のためにと、メールアドレスを交換しあった。

 お互い、親たちが高齢だからね。

 五人は神妙にうなずきあった。


 お坊さんが五人到着して、庭には焼香のために集落の人たちや近隣縁者が集まり始めた。

 縁側に焼香台が用意されている。親族以外の人たちは庭先で焼香する。

「おーい、又従兄弟姉組の五人も座敷に座れ」

 みのさんから集合がかかった。

 みのさん、邦さん、かあさん、鈴子さんと又従兄弟姉たち五人、市長と市会議員と県会議員が座敷に座った。

 なぜ市長と議員が……と思ったが、これが田舎なのかもしれない。

 正座など縁のないわたしには苦行としか言いようがない、約一時間。なんて長いんだ。

 それでも時間は確実に過ぎてくれる。


 お経、焼香、お説法、戒名の披露がすんで、お坊さん五人が退席した。

 かわりに黒服の男性一人と女性二人が入ってくる。醸し出す雰囲気は葬儀場のプロフェッショナル。

「ご遺体を棺にお入れいたします。すみやかにご退席ください」

 そう言われても、まずは感覚のない両足をなだめなければ動けない。そして戻った感覚は痺れと痛みの集合だった。歯を食いしばって、まず膝で移動して悲鳴を殺しながら靴を履いた。

 苦痛の表情はわたしだけじゃなかった。又従兄弟姉たちと苦笑いを交わした。


 庭に出ると、名前を書いたビニール袋と草鞋を渡される。

「草鞋に履きかえて、靴と靴下、ストッキングならストッキングもビニール袋に入れておけ」

 みのさんが座敷を気にしながら言った。

 縁側の障子が閉められて、座敷が見えなくなっていた。

「仏さんをお棺に入れるの、葬儀屋に頼んだんか」

 おとりもちのひとりがみのさんに訊く。

「寺のそばの葬儀場に聞いてみたら、やってくれると言ったもんで、頼んだワ、助かったて」

「そうか、そりゃよかった。うちらにもよかったて。

 うちのじいさんのときは身体がかちかちだったもんで、じいさんに棺桶に入ってもらうんに、膝やら腕やら、骨を折らないかんかった。あの音はいまでも忘れられん。あれは辛いでな。葬儀屋がやってくれるんならありがたいわなぁ」

 聞こえてくるふたりの会話で、その状況と音を想像してしまう自分の想像力を呪った。

 棺に入れるために、遺体の骨を折る音。

 わたしもこれからその想像を何度も思いだしてしまうだろう。のんびりしていたり、ぼーとくつろいでいるときに、フラッシュバックのように。

「ケーブルテレビ、仏さんを棺に入れるとこも撮っとるんか?」

「どうもそうらしい。記録として残すんだとか言っとったでな」

「ふぅん」

 いろいろな感情がこもっていそうな相槌だった。


 草鞋に履きかえると、ビニール袋に入った靴は集められ、軽トラックで墓場に運ばれていった。

 大伯父さんの親族とおとりもちの人たち、そして墓場まで参列してくれる人たちに飾り花が配られる。

 棺桶の輿も準備できて、みのさん、邦さん、亨さん、匡幸さん、侑介さんとおとりもちのひとりが棺桶の輿を担いだ。

 お坊さん二人、輿、三途の川の渡し舟、親族、飾り花の順に並び、無言で墓場まで歩く。おしゃべりはなし。

 先頭はケーブルテレビの取材班で、参列者と向き合うように、なんども転びそうになりながら後ろ向きのまま墓場まで歩いた。


 草鞋の男性陣が慎重に墓穴に棺桶を降ろす。

 お経が終わると、飾り花はすべて草鞋を履いた者に渡し、墓穴へ入れる。

 草鞋を履いたわたしも数人から飾り花を預かった。

 一本も落とさないように、指を広げて両手を合わせる。わたしの手のなかで飾り花がいっぱいになっていく。自然と涙ぐんだ。悲しみはなく、ただ心が震える。

 お見送りのみなさんのお花です。そう心で語りかけながら棺桶の上へ撒いた。

 そして草鞋を脱いで墓穴に入れる。

 裸足の足が、墓場の土の冷たさをしっかり感じる。シャベルでひと掬いの土を棺にかけた。

 軽トラックに用意されていた濡れタオルと乾いたタオルで足を拭き、靴を履いた。

 あとは長靴を履いた土建屋さんたちがしっかりと棺を埋め、土をこんもり盛り上げて、その上に三途の川の渡し舟を置いた。船を飾る金銀の折り紙がキラキラ光る。

 真新しい卒塔婆を立てる。


 終わった。


「あんたんとこの伯父貴、なんであんな中途半端な場所に埋めたんだ。両側に古い墓があったもんで、掘りにくかったぞ」

 土建屋さんはみのさんの仲良しなので、遠慮なく疑問をぶつける。

「そりゃあ、まあ、伯父貴の遺言だもんで、なんでだろうな」

 ちょっと首をかしげて、ちょっとだけ微笑んだみのさんと目が合った。


 午後には初七日の法要をすませた。


 帰り道、天気予報どおり雨が降ってきた。

「土曜と日曜なんて。伯父さん、曜日と天気を選びながら亡くなったのかしらね」

 ワイパーにつられているのか、ストレッチをしているのか、かあさんは首を左右に傾げている。わたしは家に着いたらとにかく横になろう、ちょっと寝ようと考えていた。

「伯父さんのお墓の位置関係はね、西側がおばば様、真ん中が伯父さん、東側はおばば様の妹さん。伯父さんが土葬と墓場の場所に執着した理由を、ほんとは聞きたかったんでしょ。みのさんが、里乃が好奇心丸出しの顔をしてたって笑ってたよ」


 おばば様は五二歳で亡くなった。

 そのころ、おばば様の妹さんは夫に先立たれ、ふたりのお子さんも結婚して、一人暮らしだったのね。

 親戚の勧めもあって、伯父さんと暮らすことにしたんだそうよ。

 おばば様の妹さんが亡くなったのは昭和六三年の十二月の終わりごろだった。火葬することもできたけど、伯父さんは頑固に土葬をした。

 伯父さんはそのときに、自分が死んだら、おばば様とおばば様の妹さんの真ん中に埋めてもらおうと決めたのかもね。

 伯父さんは平成を一人で生きた。でも畑仕事に稲作り、干し柿も作るし、それに組の行事もいろいろあって、田舎生活はなにかと忙しいのよ。


「そうそう、みのさんと鈴子さんが伯父さんちの庭の柿を干し柿にして、来年の正月には送ってくれるって」

「わぁお、楽しみ! 食べてみたかったんだ。……もしかして鈴子さんは……」

「おばば様の妹さんの娘さん。孫が三人いるわよ」


 五秒に一回往復しているワイパーを止めた。今夜は降り続くはずの雨が小休止をした。

 雲間から西に傾いた陽の光が射した。

 薄い色の大きな虹がかかった。

 残念ながら、かあさんは寝ている。     

                 

 noteより転載(2018/11/22擱筆)

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